コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

5月18日(日) 北の斗い  -地域情報 - 東京23区-

g738.jpg  商店街の充実振りでは都内でも人後に落ちない高円寺においても、早稲田通りを越えて厳密には中野区大和町居住だった大学時代は純情商店街に庚申通り、南に移ってからは駅からアーケードに包まれたPALに、その延長線上に青梅街道まで続くルック、更には中核に西友を擁し西に連なるエトワール通りと、稀に顔を出すあづま通りを含めて馴染みの商店街は変遷してきたが、矢張り縁深いのは小学生以来の中通りに他ならない。
 ただより正確には、恐らくはねじめ正一氏に肖り襲名した純情商店街が登記上は未だ高円寺銀座のままであるのと同様に、何時の間にか表記にニンベンが付加されていた仲通りは、駅から馬橋通りを北西に進む駅寄りと庚申通りへの結接点まで歪曲した逆T字型の商店街で、残存部分は北中通りとして分割されている。従って残り物に福があるのはお伽噺の世界だけなのかは定かでなくとも、よくも悪くも北中通りは高円寺において最もマイナーな商店街の地位を確立しているが、わが家から最も至近なそれであるのもまた紛うこと無き事実に他ならない。
g739.jpg 確かに正真正銘の風俗に始まり、都内有数の沖縄料理街、地域の中核老舗寿司店たる幸寿司に至るまで、飲食業を中心に往来の激しい仲通りに対し、古式ゆかしい地域住民のための生活必需品店舗が犇めいていた北中が活気に欠けたのは事実だろう。
 それ故に旧来の店舗が店仕舞いして一部にはマンションも立脚し、一方で新たに環境嗜好を謳ったりと経済的にペイするものか怪しい、寧ろ営利を度外視した様な新規出店も増えつつある。
 こうした変貌に商店街としても危機感を抱いたのだろうか、昨年から夏場を中心に月に一度「北中夜市」なる謎のイベントが斎され、今日は本年第一回に出会した。
 端的に言えばアジアン・マーケットを模した夜の出店に唐突にテルミンの実演が施されたりと未だ暗中模索には違いないが、恐ろしくマニアックな地域行事を街頭テレビで放映したりと、涙ぐましいのか遊び半分なのか判然としない緩やかさが程好い案配である。
 地域住民としてはマイナーさを逆手に取って過度に非居住者にも開かれ過ぎず、試行錯誤しながら商店街の生きる道筋を探るひとつの提案であると好意的に受け止めたい。少なくとも継続は力であると。

 追記 : 残念ながら第三回において市井の音楽家の演奏はBGMの域を越え騒音と認識されて軋轢を斎したらしい。
 産みの苦しみか、シュリンクの契機となって仕舞うのか。

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