コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月13日(日) 我は湖の子  -政治・経済 - 政治・地方自治・選挙-

g734.jpg  地方自治の本旨に鑑みれば、首長選は国政とは一線を画すものであって然るべきである。確かに首長と謂えどもその施政範囲が小さくなればなるほど国政選挙の一端たる要素は反比例的に大きくなろうが、本来選挙戦術として重要視されるべきは国政選挙の手足となる議会議員選に他ならない。
 勿論、再選以降相乗りに流れがちな県知事選においても、与野党対決型となれば浮動票の占める度合いが大きいだけに、時の政権への支持を図るひとつのメルクマールにはなろう。ただだからこそ歴代自民党政権は敗北に陥った際に「地方選に過ぎない」とのエクスキューズを用い得る様に、過度の中央の関与を避けてきた筈である。
 滋賀県には京都から夜半足を踏み入れたのみでその風土については寡聞極まりないが、武村正義氏の合成洗剤追放等、琵琶湖を有するだけに環境志向の印象は強いものの、大阪や京都の如く反自民の伝統とまでは言えなかろう。新幹線の新駅が真にメリットの少ない投資であるかを語るだけの材料も持たないが、前知事が「未来の党」に雇われマダムとして担がれた迷走が記憶に新しい限り、原発の是非という対抗軸こそあれ、反動として現与党に回帰するであろう予測は当然成立した筈である。
 だからこそ沖縄までの対決三知事選挙を来春の統一地方選の前哨戦とする見立ては滋賀の勝利が前提だったに違いない。集団的自衛権は兎も角、都議の不規則発言は不測の事態だったろうが、国政選挙の狭間の年であるからこそあたら選挙選に注力し過ぎ、投票日直前の幹部大動員が無党派層に火を付けた結果の逆転負けとも言えなくはない。
 戦術的には与党は勝ち目の薄い福島からは撤退、転戦を図るのかも知れないが、この結果が知名度勝負という現代の選挙戦のひとつの悪弊を更に加速化させることは懸念材料として挙げておきたい。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kayukawa.blog41.fc2.com/tb.php/3064-bc54e9c9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad