コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月19日(土) 義務と演技  -スポーツ - バスケットボール(日本)-

g666.jpg  原宿の雑踏を抜け代々木第二体育館へと向かう。評論家を僭称する野球と相撲以外のスポーツには押し並べて疎いにも拘わらず、ことバスケットに限っては一昨年に次ぐ二度目の観戦とは驚きであろう。
 一定の得点差が生ずると焦りから攻撃が雑になるのか、三点シュート狙いに切り替えざるを得ないからか、果た又諦めて余力を次の試合に確保するのか、劣勢側の攻撃力が落ちるのが素人眼にも明らかだったが、単体の試合の帰皺よりは贔屓球団の勝利を継続して追い求めることに観戦価値のある競技なのだろう。
 元より今般も引退間近の同僚の雄姿を拝むのが第一義であって、等しく賑やかしの同僚と合流した後、撮影の便のためゴール裏から向正面へと移動する。記憶を紐解けば主たる登壇はハーフタイムに限られていた筈だが、休憩毎に現れてはコート狭しと躍りが繰り広げられるとは明らかに出番が増えているではないか。
 翻れば大学時代のサークルは学生の真似事とはいえ半ば会社組織擬きであり、常に問われたのは意欲惹起のあり様だったと言ってよい。恐らくは企業スポーツにおけるチアリーディングも同様であって、無償かつ組織側に束縛する合理性が無く退出自由が前提であるだけに、有り体に言えば上意下達の組織維持の鍵は自発的な興味がどの時点で義務感に切り替わるかに委ねられていよう。
 ただその義務感が他律的な受動性に留まらず責任の域に達した段階で、人はそこに新たな意欲を見出だすことが出来るという構造に改めて直面して、それはノブレス・オブリージュにも似た限られた高貴な心構えの持ち主にのみ該当する論理なのか、或いは万人に通用し得る汎用性を持つのかという煩悶に駆られる。
 詰まるところ役務の提供に対価の生ずる企業人と化せば解決しようとの想定は学生時代の夢想に過ぎず、その責任感を凡ねく生ぜしめることが組織の論理における経営管理との帰結に至ろう。
 理屈ばかり先行して実務の伴わない管理職紛いの邪推を余所に、繰り広げられる華麗なチアリーディングを前に、休憩の度に自由席前方まで侵出して撮影する異様な人物に再び身を窶す。もうすぐバスケットを観戦する理屈も無くなるのだなと思いながら。

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