コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月23日(日) 鍛冶屋の物語  -ビジネス - ビジネス-

g635.jpg  小説のドラマ化は総じて細部を省いて単純化し、判り易さを求めるケースが多い。取り分け二時間ドラマは、今般はワイド版二夜連続の為、約五時間ではあるもののその傾向が顕著で、加えて半沢直樹人気に肖る企業ドラマの二番煎じとの色合いも濃厚だから、些か過剰なドラマツルギーが演出されていたと言えよう。
 ただその分、子供にも訴求力充分で取り分け小学四年を終えようとしている祐旭は食い入る様に被り付き、翌日が短時間の終業式であることも踏まえ、リアルタイムで親子揃っての視聴と相成った。
 自らが禄を食む企業であっても資料編纂室でも無い限り社史に明るい筈も無かろうが、ドラマの縦軸に宛て込み易い創業家の存在という史実とともに、個人的には広報担当時代、財界総理を務める出演者のひとりに末端とした仕えた職務柄、既に絶版となった原作「日銀管理」も所有しており、実物のイメージが明瞭なだけにより楽しめるとも言えよう。
 ただインナーで無くとも、氷川寮に愛人を囲っていたかはさておき一万田法皇の日銀における権力者振りや、実際には融資担当常務であって実在の名古屋支店長とミックスさせているとはいえ、後の住友のドン、堀田庄三氏の合理主義など昭和の歴史ドラマとしても楽しめよう。
g634.jpg  多分に誇張されている労働争議については戦前の反動として共産党がわが世の春を謳歌していた時代背景に少しは触れてもと思われたが、最大のハイライトたる「鍛冶屋には貸せない」と言い放った貸し渋りの権化が如き金貸しが面罵されるカタルシスは、事実当該銀行との長きに亘る絶縁と、今や協調融資の音頭を採った銀行とがひとつになってメインバンクの座を占めているという歴史の皮肉に鑑みてなお、実名が明かされないが故に「西国銀行とは」の犯人探しがネット上で飛び交う展開には背筋の寒くなる関係者もありやなしやと要らぬ心配に駆られて仕舞った。
 ドラマ田中角栄が最終段階で中止に追い込まれた様に、登場人物やその子孫が現存する近現代史の作品化は、たとえフィクションの体裁を採っても具現には障壁が小さくない。だからこそ映画「小説吉田学校」の様に凡ゆる配役が偉人ばかりに描かれたり、逆に「ザ・商社」の如く企業そのものが跡形も無く潰れていて制約が無いケースなど実例が限られるが、視聴者側がおおらかに、飽く迄史実を基盤としたひとつの見解との共通認識を抱くことが出来れば、自国の現代史教育の一環としてもこうした試みは推奨されて然るべきではなかろうか。

 森繁氏の吉田翁宜しく、往々にして実録ドラマにはキャストのモデルとの相似が求められるものだが、幸か不幸か今般は実像が世に著しくポピュラーで無いだけに、この点は配慮されなかった様である。
 だからこそ再現性よりは一企業を舞台に借りた仮想空間色が強く、過剰な演出も違和感無く受け入れられたとすれば、視聴者の大層が基本的なストーリーを了解している大河ドラマに典型的な予定調和と細部のどんでん返しとは正反対の、秘められた歴史の発掘という新たな可能性を見出だしたとは持ち上げ過ぎだろうか。

 [写真は、産業技術記念館,トヨタ博物館より]

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