コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月14日(金) C&Y  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 学生時代、サークルの代表立候補にあたってリーフレット記載の決意文を他大学の先任者のそれから丸々コピーして名前だけ差し替えた大胆不敵な御仁の存在は今もなお記憶に鮮明である。電子機器の発達した昨今においては所謂コピー&ペーストの手法により、こうした剽窃より簡易になっていると言ってよい。
 元より凡ゆる学問は先達の偉大なる業績の上に成り立つものだから一定の引用は必要不可欠に他ならない。ただコピー&ペーストという物理的な手法の発達がこうした引用をより簡易にせしめ、その引用部分はアプリオリに無謬性を担保されるとの推定のもと、論理的に導き出された結論を実証すべく実験結果の再現性を、本来仮説であるべき結論に合致すべく曲解させたのが、今回のSTAP騒動であったとは言えまいか。
 勿論マスコミ、取り分けTVメディアに顕著な、結論ありきでそれに見合う絵柄を求めるが為に時にコメントの"良いとこ取り"する行為同様に、限られた時間の中で結論に相応しい材料を集積する為には、本筋に外れなければ都合の良い事実を抽出するとの暗黙の了解が広く存在したであろう環境は想像に難くない。
 しかしながら当該抽出が当然に許容される中で、遂にはそれが捏造の領域に至ってなお何等の痛痒をも感じさせない程に、科学者の感覚を麻痺させてきたのではないかという疑念が生ずる。確かに恰も犯罪の如くに「やらせ」行為が指弾されるコンプライアンス過剰の世相においては後ろ指を刺されかねない解釈かも知れないが、実社会はNHKの連想ゲーム宜しく違反ヒントの裁定に常軌を逸する程に厳しくある必要はない。従って結論を左右しない枝葉の部分であれば、本来得られるべき証拠が偶々再現されなかった際に苦渋の選択として人為的な再現ーそれを「やらせ」と呼称としてもーによって代替する事例は、ある種現実社会の生活の知恵でもあろう。即ち結果として結論が真ならば悪意の少ない改竄は見過ごされてきたというのが実状であろう。
 しかしながら今般は本来ならば絵になり難い科学的発見が若い女性という研究者の属性故に過剰に注目を集め、だからこそ過程における改竄が必要以上に世相の審判を浴びたとも言える。
 小保方何某なる人物がこの構造を何処まで把握して改竄に及んでいたかは定かではないが、結論の真なるに確固たる信念を抱き、過程の検証に慎重さを欠いたという認識であるならば、氏のみならず理研という戦前からのわが国科学研の第一級機関にも再挑戦の機会が残され、その名を著しく貶めず挽回を図ることも可能だろう。
 ただ改竄が余りに日常茶飯事であるが故に、共同研究者に結論を強要された挙げ句の被害者と氏本人が受け止めているならば、氷山の一角と斟酌してわが国技術水準への疑念を抱かせることの無いよう飽く迄コピペ世代の一個人の限界と位置付けざるを得なかろう。残念ながら既に地に堕ちる以前から常に焦点の合わない様な氏の応対を見る限り後者の疑いが大であるというのは残念極まりないのだが。

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