コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月2日(日) 黒い白馬  -ニュース - 気になるニュース-

g613.jpg 浪速のモーツァルトと言えばキダ・タロー氏だが、広島のベートーベン氏は目から鱗ならぬ耳から出た真にはならなかった模様である。
 ただ冷静に振り替えれば、果たして何処まで目くじらを立てる事態だったのかという疑問も生ずる。オウム真理教の麻原教祖の「目の見えない私に人殺しが」との強弁が逆説的に自ら盲目たるを否定する墓穴を掘っていた様に、全聾者が作曲をするという時点で尋常ではない、失礼を顧みずに述べれば相当に眉唾な事態と受け止めて然るべきと言われても否定はし難かろう。
 時恰も書道においても主催者が受賞作品を捏造していた事実が発覚したが、複数の受賞作品について問われ「どの作風でも書けます」などと応答しているところは幾分コミカルにすら響く。それは確かに賞を維持して補助金を不当にせしめていたお咎めは免れないとしても、芸術・芸能の領域における甲乙評価が多分に主観に左右される以上、一定のコネクションの横行する多分にグレーゾーンの大きな世界であるとかく事態を半ば許容する素養が視聴者側にも存在し、にも拘わらず単身全受賞作を賄っていたとは余りに極端に過ぎようという「笑い」ではなかったか。
 例えば叶姉妹が真実の姉妹でなくとも何等の痛痒を感じない様に、似非ベートーベン氏の作曲であろうと43歳にしては矢鱈と老け込んだ替え玉氏が真の作者たろうと、音楽の聴取者には特段の得失も存在しないのが道理である。
 しかしながら恐らくはベートーベン氏の半ば作られたフロントマンたる虚像を悟りながらもヒーローを仕立てあげたいマスコミが必要以上に持ち上げ、障害者はアプリオリに善と推定しなければならないという強迫観念に毒された世相が後押しすることにより、滑稽な似非作曲家を産み出して仕舞ったに過ぎず、何時の間にか引っ込みの付かなくなった当人達が一番戸惑っていたのではないか。
 何事も乾いた"遊び"の要素を忘れず糞真面目に受け止め過ぎないようにとの、昨今のコンプラ地獄へのお達しと受け止めるべきと纏めるのは、些か皮肉に過ぎるだろうか。

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