コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

2月25日(火) 大東急今昔物語  -地域情報 - 神奈川-

g606.jpg  一歳から九歳までを過ごした横浜市緑区青葉台は、青葉区として分離独立した現在でこそ絵に描いた様な高級住宅街に他ならないが、既に田園都市線の一部に編入された渋谷~二子玉川園の旧新玉川線すら未開通の往事は、渋谷に赴くにも自由が丘乗り換えという横浜市の奥地だったと言っても過言ではない。
 遥か高架を246の走る江田に米軍機の墜落した衝撃は今も忘れられないが、中では南武線との乗換駅たる溝ノ口は都会の部類であったろう。ただそれでも祖母との待ち合わせで双方東急と国鉄の駅頭に佇み数時間を空費した事例に代表される様に、十二分に雛びた地方中核駅に過ぎなかった。
g605.jpg  青葉台こそノスタルジアに誘われた訪問も含め後年幾度か訪れその発展振りを垣間見てはいるものの、溝ノ口はまさに35年振りと言ってよい。そこはまさに拡世の感という通例の表現では到底驚愕の域を示し切れない程に全くの別次元が拡がっており、何よりもペデストリアン附随の巨大なビル群に囲まれ両駅が全く一体化されているではないか。
 勿論、目的は駅の視察ではなく講演者の事務方お付きだが、バスにて赴いたサイエンスパークなる複合施設の立派さに再び目を見張る。聞けばホテルと企業の立ち上げ時に安価なスペースを提供するインキュベーション機能を携えた県主導の第三セクターであり、幾分セミ・バブリーな香りも漂うものの川崎という中小企業のメッカには相応しい設備と看做すべきであろう。折角新進気鋭の起業家が集積しながら横の連携に乏しいとの評は如何にもどの組織にも見受けられがちな寄り合い所帯の哀しさを体現してはいるが、勃興しつつ今ひとつメジャーの域には辿り着き得ない都市近郊部らしさもまた醸し出していよう。
 帰路、本来は貨物主導であった南武線沿いに歩けば一転して嘗ての準工業地帯・溝ノ口の印象に相応しき閑散とした道筋が連なり、駅に近付けばその近辺のみが恰も摩天楼の如くに光目映く煌めくギャップもまた、都市近郊部に相応しい光景だったかも知れないが。

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