コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月1日(金) ジ・アンカー  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

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2012年衆院選より
 直訴とは手続きを無視して為政者に直接訴状を渡す行為であり、硬直的な官僚機構へのアンチテーゼとして概ね肯定的なイメージを持たれているのはわが国らしい。近代においては足尾銅山鉱毒事件の田中正造氏が連想され、結果として事案の解決に結び付き歴史の教科書にまで記載されているのもその印象に拍車を掛けているだろう。
 ただ今更述べるまでもなく現行憲法における天皇陛下は国民統合の象徴であって、国事行為の担い手には違いなくとも内閣の助言と承認を要する。従って、天皇陛下への直訴は法的にも効力を持ち得ないし、円遊会への出席が国会議員の身分に基づくものである限り、山本議員の行為は国会議員の権能の濫用と断されてもやむを得ない。 恐らく議員本人も批判の大きさに初めて事の重大さに直面した素振りを臆面も無く見せていることに鑑みれば、それこそ江戸時代の"お上"への直訴宜しく率直な義憤から直情径行に及んだだけなのかも知れない。
 しかしながら恐ろしいのは本人は自らの判断に基づいた実行と認識しているのだろうが、その実直訴を演出させるべく誘導した勢力が存在したのではないかとの疑念である。成る程手紙を渡した行為そのものは世間的な常識からも逸脱しているからこそ非難は大きくて当然だが、一方で陛下に直訴を試みた英雄として受け止める層もあろうし、山本議員をそうした人々の反権力嗜好を糾合し、体現する偶像たらしめるには、糸を引く知恵者には絶好の機会と映っても不思議ではない。
 そしてより震撼すべきは、旧憲法化であらば不敬罪と看做されても致し方無い行為に対し、思想的にはその対局にある筈の民族派側も、政権与党の警備体制の不備こそ糾弾しても山本議員をかく行為に至らしめたのではないかと忖度される勢力には何等の訴えも行わないのである。
 民主主義のルールの中において反政府勢力が政権批判を行うのは当然の行為であり、たとえ思想は異なってもこれを封殺することはあってはならない。ただそれを逸脱した実力行為を恰も民主主義の一手段であるかの如くに曲解する国会議員は危険極まりないし、そのトリックを自覚していないならば尚更であろう。
 これが民主主義の成熟化に向けた一課程であるとは、到底理解出来ない。

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