コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月23日(水) 我田引鉄  -地域情報 - 岩手・盛岡-

 この時機恒例の地方巡業に、帰路はお暇を願い出て少しだけ盛岡に留まり行き掛けの駄賃を自ら拵えてみる。水沢に後藤新平あらば盛岡には原敬ありで、先ずは生家に因んだ博物館を訪ねるのは永田町周辺居住者の職業病だろうか。
g461.jpg  展示そのものには驚くべき内容は無く、鉄道優遇が道路整備の遅れを招いた一因とは微塵も記載されていないが、「平民宰相」のネーミングとともに暗殺という悲劇的な最期がより人気を高めた面もあろうものの、新聞社と高級官僚を行ったり来たりした挙句、閣僚に抜粋され果ては人臣を極める足跡に改めて明治・大正期の勃興するわが国のダイナミックさを痛感させられた。
 一方、驚くべきは盛岡駅から程近い一等地に雨後の筍の如く点在する博物館群であろう。或いは戦災被害が激しく広大な官公用地が残されたのかも知れないが、かくメニューを並べられ商魂逞しく「二館共通券」なぞ呈示されるともう一館羽根を伸ばすのも人情に違いない。
 と自らに言い聞かせての先人記念館は盛り沢山で、先人達の顔像の貼り付けられたオブジェの呼称こそ相応しい顕彰碑が仮面ライダーアマゾンの仇敵・十面鬼を彷彿とさせたが、個別コーナーとして新渡戸稲三、金田一京助の両氏とは仲々侮り難い。
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 ただもうひとりの元総理・米内光政氏については、確かに海軍の戦争回避派だったのは事実としても、装束、辞令の類の陳列のみで、海軍大将たる輝かしい業績は押し並べて割愛されポツダム宣言受入への貢献だけがクローズアップされていたのは、昭和史の取り扱いの難しさが伺われた。

 しかし指定席変項が叶わず次のはやぶさに乗り込んだのは当方の帰責であり、満席には畏れ入ったが、相談した車掌氏に「仙台から他の電車の自由席に」と文切り口調で切り捨てられたのは客商売として如何なものかと首を捻らざるを得なかったろう。
 流石国鉄とは言わないし、末期に至るまでの原敬氏との因縁も問うまいが、はやぶさのトイレが何故か常に満室だったことと併せ、一期一会の印象の重要性にもまた感じ入った帰路だった。

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