コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

8月9日(金) 税の神髄  -政治・経済 - 税金-

 租税の大原則が公平、中立、簡素であることは論を待たない。多数の租税特別措置の存在が政策意図の実現のための社会経済への介入であり、それ故十二分に複雑化を齊していたとしても、こうした政策誘導もまた租税の大きな効用として原則との両立を図らなければならない。
 但し公平性については一方に行政サービスの享受に応じた応益性あらば、同時に担税力に見合う応能性の観点があり、その何方も「公平」を構成しているが、その是非は兎も角社会民主主義的とされるわが国において後者の側面が強調されるのはやむを得ない。
 恐らくはサラリーマンの大半が源泉徴収のみで自ら確定申告をしないシステムにおいては税負担に相応しい見返りという概念すら気迫であり、従って自らの納めた租税が何処に徴収されているか-国家なのか地公体なのか-にすら大きな関心は払われないのだろう。
 凡そあらゆる政策同様に強権性を持つ租税には予見可能性が必要だから、税制の煩雑な変更は望ましくない。ただ一方でひと度制度化されたそれが長い年月継承されることによって、必ずしも創設の趣旨を問われることなく半ば既得権益化される現象も、税制だけがその埒外であるとは到底言い難い。
 消費増税にあたり嘗ての物品税擬きの消費課税を廃止することは、成る程消費者の側からすれば至極合理的な帰結にしか捉えられないが、徴収サイドに立ってみれば失った税目と同等額が消費増税分から案分されないのであれば、それは応益の公平性を逸脱した減税と化す。
 地方の自立が叫ばれる中、租税においても所謂「三割自治」を脱して地方の独自財源を確保することは時代の要請に合致していようが、同時に地方間の公平性という観点からは、交付税宜しき国からの再配分でなく法人事業税の一部の如くに地方独自に地方間の財政調整に資する租税こそ肝要というのも論理である。
 そこには当然、消費税こそが極めて応益性に優れた間接税であって、消費税の使途の国・地方の配分にて対応すべきとの見解も生じ、その論理的な優劣は一概に裁定されるものでもないし、たとえ本来あるべき姿が理想像として生成されたとしても、社会保障の議論において再三指摘された様に、制度とは過去の経緯の上に成り立つものだから白地に絵を描くようには進まない。
 更に言えばかく主張は国と地方、各々のより良き社会経済、国益の追求という確かに存在する輝かしい大義名分と、一方で双方の組織原理ー俗に局あって省無しが如くのセクショナリズムと称される様なーと抜き難く結び付いているから、一筋縄ではない。
 そして我々産業サイドは、こうした徴税側の論理を踏まえた上で主張に臨まなければ単なる外野の遠吠えと化すが、同時に物分かりが良過ぎても取り込まれて身動きが取れなくなろう。だから政治との結託が必要との論理は、我々もまた経済活性化による国富の増大たる大義名分と個別産業のエゴとが抜き差しならず混濁している証しなのかも知れないが、多元主義のアリーナに影響力を及ぼし得る多様なアクターのひとつに過ぎないと卑下してみたりもする。

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