四年になった祐旭は夏期講習に邁進し、選挙の一段落したこの時期が休暇のピンポイントとなり、一昨年の沖縄に次ぐ国内旅行に落着したが、ここ十年程毎年の如く訪れている九州に対し、札幌ですら七年前に僅か一度の父にとっても幸便であったろう。
早速その足で向かったのは大倉山のジャンプ台、3歳児の父が前傾姿勢を採りながらその名を連呼していた札幌五輪・笠谷選手に思いを馳せての訪問である。
俄かに雨がパラ付き懸念されたが、子供達は併設されたウィンタースポーツ博物館でジャンプの踏切やら、スラロームやら、ボブスレーの体験に勤しみ、反復横跳びの親玉の如く計測機含め冒頭から好評である。早足で駆け抜けると旨い具合に晴れ間が覗き、晴れ男は私だったかと満悦にリフトに跨がった。上空は幾分曇り気味には他ならないが、急角度のジャンプ台と札幌の街並みを堪能する。野球フリークには遥かに臨むドームは元より、眼下に長年北海道野球の担い手であった円山球場の勇姿が聳えるのが嬉しい。観覧席からは身体を捻ってスタート地点を見上げなければならないが、半ば山岳を切り開いたのだから構造上やむを得ず、滑走とともに旋回すれば首の懲りなど取るに足らないのだろう。
午後は初心者向き札幌モードで馬車を予約したが、肝心の出立地点が見付からない。大通駅自体が複数存在し、かつ広大な地下通路で連接されているのも雪の都の特色かも知れないが、先方の電話から微かに響く街宣車の演説頼りに辿り着いたのだから、矢張り北方領土は元より千島と南樺太の帰属も明瞭にせねばなるまい。
ここで再び雨足訪れるも、幸い馬車には二階席にも屋根があり、函館競馬出身で辛くも薬殺馬肉の運命を逃れたらしい銀太君の引く幌馬車で市内観光へと向かう。日本三大ガッカリにエントリーされそうな時計台を経て、赤煉瓦の旧道庁本庁舎では一家が銀太君と戯れている間に歴代知事の肖像に御目見え、改めて町村金吾氏が御子息に酷似していることを発見し少しだけ永田町気分である。
運河と煉瓦倉庫を眺め、アイスクリームでひと休みする妻子を余所に、旧日銀支店に堺町通り商店街と嘗てわが国の北の玄関口であった栄華の縁を散見したが、流石に初日から飛ばし過ぎた様で札幌に引き返して草鞋を脱いだ。
北の街は海のものと言いつつ穴子押し寿司を食べ過ぎていては世話ないが、フィットネス併設と言うよりは宿泊の方がおまけの如くホテルは大浴場だけが心の拠り所、慌ただしく初日は幕を閉じた。