コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月26日(水) Electric Love  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

g268.jpg 曾て会期末の風物詩だった内閣不信任案が自民反主流派の造反でハプニング解散に至った80年とはスケールが違い過ぎるとはいえ、捻れ国会の昨今新たに定番となった問責決議がその命運も風前の灯火とばかりに惜別の可決に至り、成立に与野党合意済の法案が廃案の余儀無くに及んだのも、些か醜態と言わざるを得ないものの等しくアクシデントには違いない。
 取り分け国民経済に将来的に多大な影響を齋すのは電力事業法の改正ではないか。恐らくは改めて臨時国会にて成立が図られようが、発送電分離に向けたプログラム規定を含む電力改革の第一歩も、猛暑のなか何等かの電力トラブルにでも見舞われれば見直し案の台頭を全否定は出来なかろう。
 等しく公共エネルギーサービスの概念にある電気とガスの最大の相違は前者に存在する安定供給義務が後者にはなく、従ってガス会社は不採算地域にはガス管を引かず消費者にプロパン利用を求め得るが、電力会社は遍く電線を架設・維持しなければならない。
 言わば同様にユニバーサル・サービスである不採算の郵便事業が郵貯・簡保の収益で補填されていた構造と近似する部分があり、曲りなりにも競合相手の存在する郵便と異なり、送電事業を事実上の公営に位置付けたのは二転三転した郵政民営化の経験を活かしたものとも言える。
 ただ一方で未だ大規模蓄電技術の存在しない現在、電力事業の羊蹄が日々の発電のベストミックスの匙加減にあるとすれば、雨後の筍の如くに現れるとの仮定の是非は兎に角、全量買い取りの新エネルギーに加え純商業ベースの売電事業も受け入れた上であるからこそ、調整弁となる旧九電力系の発電会社には何等かの需給調整のコントロールが及ばざるを得ず、結果的に現況の半官半民的な体制に大きな変容は得られまい。
 鉄道はじめ電力利用者が自前の電力を携え、その余剰を近隣に売買することから始まった戦前の電力地図は競争原理が働く分、需給調整不足による予期せぬ停電やその際のバックアップという過剰投資を招いていた筈である。
 この小休止に際し、今一度冷静に見詰めたくなるではないか。

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