コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月29日(日) ニイタカヤマノボレ○七二九  -海外情報 - ハワイ-

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 サイパンならバンザイ・クリフ、韓国では板門店沖縄は道の駅かでなと、観光旅行であっても軍事視察を欠かさない私にとって、ハワイは当然真珠湾である。
 ホテルから約30分、7時半発でとのJTBカウンターのお勧めを振り切り7時に旅立った我々を待ち受けていたのは9時のチケットで、見通しの確かさを裏付けられる。
 そこで先ず向かったのはボウフィン潜水艦、先の大戦でわが国近海に現れ商船を撃沈し続けた憎っき敵艦である。当然ながら非常に狭く、取り分け魚雷と枕を並べる寝台など、劣悪な住環境に往時を想起しつつ船尾から船頭までほぼ一直線に歩いたが、下船すると徳山沖の大津島でも邂逅した回天に直面する。元より特攻兵器である回天が遠くハワイに辿り着き得た筈も無いが、制海権を失いつつあった大戦末期のわが国と、潜水艦が縦横無尽にわが国近海まで勇躍回遊し得た彼我の差を見せ付けられるが如くで、回天の最早身動きも取れないであろう居住スペースには頭を垂れ手を合わる他はなかった。

f745.jpg  次いで愈々本丸、アリゾナ・メモリアルは小型船で海上赴くため、現地15分入れ替え制のグループ行動である。 かの南雲艦隊の撃沈した戦艦アリゾナが今も沈む、その残骸の上に建立された鎮魂の記念館であり、御霊の名の並ぶ慰霊碑には勿論厳粛に対面したが、大日本帝国臣民の末裔としては、遥か太平洋を跨ぎ開戦の緒を開いた先人の蛮勇に敬意を表す心持ちが自然と湧いて来るし、更に誤解を恐れずに言えば、鹿屋基地で学術研究員氏に解説戴いた帝国海軍の歴史が殆ど日露戦争までで所要時間を費やして後は駆け足になった様に、初戦とはいえ勝利の証しをこの眼に収め、時を止めあり得たかも知れない別の未来に想いを馳せたくなる誘惑に駆られるメカニズムはよく理解出来る。
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メモリアル内/帝国版図を背に
 しかも再び小船で引き返した後、大東亜戦争の軌跡を描いた展示館ラストには、近隣諸国への配慮からか本邦では滅多にお目に掛かれなくなった1933年時点のわが国版図が大書されており、取り分け今や殆ど忘却の彼方にある南太平洋の委任統治領の広大さには、愛憎半ばする近隣諸国とは異なった視点も踏まえた歴史認識の必要性を再認識させるものだった。

f748.jpg  位置的にはアリゾナの隣に係留されている戦艦ミズーリには、バスでパールハーバー基地内を移動する別ルートで訪れるが、僅か20年前まで現役だったこの艦こそ、隻脚の重光葵外相が敗戦の調印に臨んだ歴史の生き証人であり、その甲板に佇めば先の真珠湾の栄華から一瞬で敗戦まで転落したかの様な奇妙な感慨に捕らわれる。これも不謹慎だが、大東亜戦争を早送りで、ミッドウェイも餓島もパスして駆け足で辿るのは、わが国観光客にとって寧ろ精神衛生上は合理的な構えなのかも知れない。
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調印後の重光全権と
梅津参謀総長の図
 内部には朝鮮戦争に従軍した際の展示も豊富で、公資が「軍艦、朝鮮、ハワイ」の勢揃いを看破したのは慧眼だったか。

 最後の航空博物館は数多航空機の復元作業を行いつつ些か古今東西航空機を雑多に並べ尽くした感があったが、屋外写真も撮り放題であり、今も太平洋の枢要な軍事拠点でワイキキにも「リムパック歓迎!」の旗が棚引くかの地にしては意外な開放性だった。
f750.jpg  いきなり登場したゼロ戦脇には訳の魔術かも知れないが「日本の巧みな戦術で」等と解説されており、勿論日本人観光客も意識していようものの、総じて宣戦布告の遅れをあげつらうこともない大人の対応に、勝者の余裕なのか米国らしからぬ寛大な一面を垣間見た。
 約5時間半の一大視察はこうして幕を閉じた。円谷フリークとしても何れ映画「ハワイ・マレー沖海戦」も鑑賞しなくてはなるまい。

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