衝撃的な200安打デビューから「がんばろう神戸」の仰木オリックスの二連覇とともにあり、06年には全日本をWBC優勝に導いた様に、本来のイチロー選手はチームの勝利の原動力たる勝負師の側面をもまた有していた筈である。
ところがオリックス末期からマリナーズに至る倹約方針のおかげで年々優勝争いで切磋琢磨するシーンも少なくなり、次第に打撃技術を追求するよく言えば求道者の道を歩まざるを得なくなった。
しかも残念ながら本人もそれが自らの本分であるとその気になって仕舞ったか、或いは殻に閉じ籠る以外に手立てが無くなったのかも知れないが、恰も芸術家よろしくマスコミを煙に巻き、取材の権限を与えることにより子飼いのライターを操縦するが如く"孤高の人"振りが板に付いた感がある。
今般、ヤンキースへの移籍により、個人の数字を犠牲にしても駒として勝利に尽くす道を選ぶのか、果た又常勝を宿命付けられた球団からのオファーを糧として率を至上命題とするスタイルを維持しながら一番打者のポジション回復を謀るのか、氏の真価が問われるのは真にこれからだろう。
年中行事の会社のボウリング、今年はコマ劇場が更地になった歌舞伎町にて寂れたディスコ風情の中、第一ゲームは途中好調も詰めが甘く120に至らなかった。しかも投げるに連れ微妙な回転が増しスライスしたりフックしたり、ゴルフ同様飛距離ならぬ球速に欠けるためOBこそ無かったが、ワンピン逃しが増えていく。
ボウリングの残尿感をカラオケで唄い捲って解消していては世話なかろう。