コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月20日(水) 現代・過去・未来  -車・バイク - ドライブ-

f680.jpg  私はタクシーが好きな質ではない。取り分け夜半、眠い頭に世間話を降られて閉口したり、乗車地柄自動車に関わる職責と見破られ、自動車に詳しいものと誤解されてタクシー仕様車に纏わる陳情を受ければ、無下にも出来ずちんぷんかんぷんのまま相槌を打ち続けなければならない。
 だからつい数年前迄は宴席の帰路も電車さえ動いている時間なら必ず駅まで足を運んでいたが、寄る年波か睡眠時間の確保を優先せざるを得なくなってきた。加えて昨今は極力携帯電話に応答出来る環境を維持しなければならない上に、移動中に電話で社内を遠隔操作したり、相手先との調整事を進める局面も少なくないから、日中もタクシーに頼るケースが見る見る増えてきた。
 ところが規制緩和の失敗例として再三紹介される通り、急激な増車が不況期の雇用の受け皿となったのが唯一の理由でも無かろうが、必ずしも道路事情に明るくない運転手氏に当たり、黙っていれば悪意はなくとも奇想天外なルートを余儀なくされることも日常茶飯事である。今日も水道橋から日比谷に向かうにあたり、九段下を右折する大胆な迂回ルートを選択されそうになったが、哀しいかな私はそれを上官の指摘を受けるまで微塵も不可解に感じてはいなかったのである。
 点と点を結ぶのに複数のルートのあることを机上では理解しているものの、いざ路上に出てみると曲がり角とは須く回転角90度との空間認識しか出来ないから、ひとつ路地を間違えれば最早迷い道クネクネである。従って、道一本を隔てぬ固定ルートを幾度なく繰り返し移動して記憶に叩き込まなければ道案内など到底及びも付かない。
 果たして代数は得意でも幾何が不得手だったのは今に至る方向音痴の前兆だったろうか。その感覚はカーナビゲーションという文明の利器に頼るようになってより退化したが、旧来は唯一の手掛かりたる道路案内をひとつ見逃して縁もゆかりもない土地に出くわしていたの比べれば生き易い時代になったものである。
 勿論、道路族の端くれを自称し、都市変遷フリークを自認しながら未だ首都高の環状C1の全体像すら把握出来ていないし、会館のエレベーターを登って左右何方に進むべきか立ち往生し、アテンダー資質の乏しさを噛み締める日も少なくない。
 ラウンドアバウト構造の新京に生まれていたら極寒のなか程なく凍え死んでいたかも知れない。

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 私はタクシーが好きな質ではない。取り分け夜半、眠い頭に世間話を降られて閉口したり、乗車地柄自動車に関わる職責と見破られ、自動車に詳しいものと誤解されてタクシー仕様車に...

  • 2012/07/05(木) 04:25:56 |
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