昼、労働組合の職場懇談会なるものに出席する。そもそも「職場」という用語自体が左傾色が漂い「放課後児童クラブ」同様に一般名詞化した類ではないかというのは流石に穿ち過ぎだろう。勿論、製造業の生産現場の如く、厳密な時間管理に基づく労働集約的職務環境における労働組合の意義を過小評価するものではない。ただそれを企業別組合という日本的労働慣行に厳密に則り所謂ホワイトカラー、それも裁量労働引いては闇に葬られたエクザンプション制に最も合致するであろう企画型職責部局にもまた一律に適用するとなると、如何とも越え難い悪平等の矛盾を感じざるを得ない。それでも従前まだ会社に居た際には持ち回りの非専従用ポストに充当され、形式上労働時間に勘定されない昼休みを費やした職場懇談会なる労使の意見交換会の末席を汚した記憶はあるのだが、四方や自らが使用者側の最末端としてこの会に参画する日が訪れるとは思わなかった。
更に午後は部内各課からの来年度予算のヒアリングとは、官庁に比べれば時期的に随分と遅い気もするが、査定と言えば美しくも所詮積み上げて主計局に嘆願するホッチキス止め係り、良くて官房総務課の成れの果てに過ぎない。そして昼間同様こちらも、故春日一幸氏曰く「理屈は後から貨車で付いて来る」のと同様に、予算なぞ仕事の必要性さえあらば幾らでも湧いて出てくるものと安易に構え続てきた十数年がバックボーンであるから、まさか予算要求を受けかつそれを値切る側に座ろうとは青天の霹靂であった。思えば遠くへ来たものだ。長らく会社で惰眠を貪るわが身を歎くべきなのだろうが、或いは状況に身を委ね潮の流れを愉しんでみるのも一考かも知れない。
日中が思い切り会社員であるにも拘わらず、夜は従来通りに赤坂六本木に繰り出し、関係者と飲んで歌って乱痴気騒ぎとは、二重人格になりそうである。ペースを掴むにはもう少し時の経過が必要だろう。メリハリある生活と呼べばこれも美しく響くが、果て従前はメリメリなのかハリハリだったのか。




