コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月28日(水) 父の死

h948.jpg  その一週間と少し前に意識を失って病院に緊急搬送され、小康状態を保ってはいたものの23日に至って血圧が下がり続け、父は力尽きた。
 想えば一月に齡85を迎えるまでは自ら運転してゴルフに興じていたのだから、二月に腸閉塞を患ってから足腰が俄かに衰え、頭はしっかりしたまま急坂を下る様に末期を迎えたのも、父らしい最期だったろう。
 結局病院には間に合わず葬儀場に父を迎えたのだが、早速湯灌の儀式が採り行われる。真光教宜しく手を翳して洗い、髭を剃り、足はアロママッサージと映画『おくりびと』と覚しき光景が眼前に広がった。30年程前に胃の大半を切除しているとはいえ、薄化粧を施してなお仙人の如く痩身と化している。矢張り人は食べられなくなると著しく生命力を消耗するのだろう。
 厳粛な時の流れの中にも、残された側は休む暇も無く葬儀の段取りを詰めなければならない。父は次男だが墓守り役だったので菩提寺は確定しており、一報を受けた住職が枕経に飛んで来る。戒名には院号が称されようとの漠とした理解はあったが、実際交渉の局面が訪れると高額に一瞬怯むものの、金に糸目を付けている場合ではない。葬儀社との細々とした打ち合わせが完了する頃には23時を迎えようとしていた。
 奇しくもこの日は、一部上場企業の専務取締役まで勤めた父の古巣の株主総会が行われており、虫が報せた訳でも無いのだが、丁度息子に週末のゴルフも翌週の宴席も無い金曜の夕刻まで頑張って、リスケに右往左往させることも無く逝ったのも、企業人らしい締め括りだったと言えようか。

 着のみ着のままの訪名だったため翌日一旦帰宅して週明けに再度訪れ、遺影を確認する。火曜が友引なので日月で済ませることも可能だったが、父の縁の方々への連絡に鑑み火水とした為、小休止を挟んだ形になる。
 ただ米寿も視野に入った大往生なので友人自体が限られ、供花・香典辞退とあらば葬儀社との協議も沙汰止みである。従って結局父の戻って来れなかったマンションや主を喪った小別荘兼菜園の土地を巡り、替わりに別れを告げるとともに日常生活の痕跡が残るままの空間を、何から手を付けたらと途方に暮れるままに整理を始める。
 残念ながら分別に無駄に煩雑な愛知県では迂闊に塵も棄てられず、一向に進まない。

h949.jpg  火曜の午後になって妻は再び、子供達は亡骸になってから初めて体面し、早晩通夜に至った。会葬者の焼香を喪主が立って迎えるのは珍しい光景だが、確かに理に叶っていよう。
 父の弟妹諸兄や従兄弟にお会いするのも数十年振り、飽く迄父の葬儀であり私の関係者への連絡は極力控えたとはいえ、同僚に足を運んで貰い恐懼する。
 葬儀社と葬儀場が一体であるのは冠婚葬祭に派手な、と言えば角が立つならば儀式を重んずる愛知県らしいが、確かに利便性は高い。とはいえ当然辺りは閑散としており、止むを得ずジャスコで食糧を調達して、線香を絶やさぬ様に控室で一家四人床に就いた。著しく体を酷使している訳では無くとも疲労は嵩んでいるのだろう、程無く睡魔に取り込まれる。

 明けて葬儀である。禅宗の葬式が賑やかしいのはこの地域の特色ではなく、木魚のみならず鼓や鉢を駆使したガムランの如く調べに載って、南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも無く、南無喝  那   夜耶(なむからたんの とらやーやー) 、僧侶も総勢四名の豪華版で読経が繰り広げられる。
 そう言えば父の父の際もそうだったと36年前の記憶が甦り、中途にはいきなりメインの住職が渇を入れたりと、本会議もこの位起伏に富んでいれば睡魔も襲うまいと余計な思惑も脳裏を巡る。流れ解散で無いので参列するにも気合いが求められようなどと鎮座しながら客席を慮っても何も伝えられず、結局喪主の挨拶も昨日と同内容に終始した。会葬者ひとり一人を見送ることも叶わず、喪主とは不如意なポジションである。
 霊柩車と言っても神輿を担いだ様な仰々しいスタイルでなく黒塗りのリムジン擬きで八事の火葬場へと向かう。流石に父子禄を食んだブランドの車で外車ではない。個室で待機すること90分、順番待ちではないから時間を掛けて焼いた方が骨が残り易いという配慮だろうが、正直少なからず退屈である。
 やがて放送に導かれ、肉体を喪った父に再会し、文字通り骨を拾う。骨壺に納まり切らなかった分は廃棄されるらしい。葬儀場に取って返して住職に骨を預け、長い様で気付いたら過ぎていた五日半も幕を閉じようとしている。
 長い間ありがとうございました。お疲れ様。

6月27日(火) 若さゆえ  -趣味・実用 - 将棋-

h947.jpg  将棋に最も打ち込んだ小学生時代、棋界の巨星は三十路を越えたばかりの中原名人やその少し上の世代にあたる米永、内藤、加藤一二三といった面々だったが、病気休場がちとはいえ升田元名人や大山十五世といった還暦近くの御歴々もA級に健在であり、現に大山氏は69歳で亡くなるまでその地位を保っていたものである。
 翻って現在のA級最年長は47歳の佐藤元名人であり、B級1組まで拡げても50代は谷川十七世のみ、46歳の森内十八世がフリークラスに転出するまでに、ベテランの生き難い世界になっている。
 元より「連勝」自体は、各棋戦に予選から参画するが故に対局間隔が短く、かつ対戦相手に大物の少ない若手に有利なのは疑い無く、現に前記録保持者の神谷現八段、その前の塚田現八段も20代で樹立している。
 ただその両者が特定の新戦法を糧に文字通り破竹の勢いで成し遂げ、結果的にその対応策が編み出されてからは必ずしも第一級の戦績を残しているとは言い難いのに対し、今般藤井四段は棋風も定まらない内に勝ち進んでいるのだから、まさにプロ初勝利の相手となった加藤一二三氏宜しく「岩戸以来の大天才」と化す伸び代は大いに秘めていよう。
 とくに藤井氏は大局観の鋭さが指摘されているが、本来ならそれは対局を重ねた経験則から導かれるものであり、だからこそ少なくとも嘗ては寧ろ終盤乱戦に持ち込んでからが腕の魅せ処たる、ベテラン優位な領域が存在した筈である。今やチェスに続き人間との優劣がほぼ決着したAIも、ベースがディープ・ラーニングである限り本来は同じ構図であろう。
 にも拘わらず経験則に欠ける、若しくは恰も勘が鈍るからと議論を好まなかった小泉元総理の様に、蓄積が無いからこそ天啓の如くに湧き出る大局観なるものが存立し得るということか。だとすればその構造の解明こそがAI開発のひとつの道標なのかも知れない。
 泉下の灘九段に伺ってみたいところである。れんしょうだけに。

6月21日(水) なが~く愛して  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h946.jpg  コール元独逸首相が亡くなった。氏とミッテラン仏大統領の巨体と鉄の女サッチャー氏は初期サミットの代名詞であり、わが国と伊太利亜ばかりが煩雑に交替して形見の狭い想いをしていたのも今や昔、翻れば安倍総理が二番手とは隔世の感があろう。
 ただ先任首脳は矢張り独逸のメルケル氏であり、そこにはワイマールの教訓から長期政権を担保する制度設計の知恵が秘められているのだろうか。確かに後継首班を明示した上での建設的内閣信任案の否決が無い限り下院の解散権は制約されている。
 勿論、嘗てわが国においても戦後間も無く、解散権は内閣不信任案の可決に依る所謂69条解散のみ是認されるとの憲法解釈に基づき、敢えて不信任を成立させた吉田内閣の話し合い解散の例同様に、独逸においてもかく便法を用いて任期満了前に総選挙を実施した事例はあるが、英国においても等しく解散権を大幅に制約する法改正が為され、にも拘わらずメイ首相による任期半ばの総選挙が予想に反して与党の敗北に終わった事例は記憶に新しかろう。
 だからわが国も来年末任期満了に憲法改正の国民投票と同時に総選挙を設定すべきと結び付けたくなるが、実際にはそれは戯れ言に過ぎない。と言うのも戦後わが国において総選挙の結果を受けた総理の退陣は三木、宮澤、麻生、野田の四例に留まり、他方参院選の敗北に起因するケースも宇野、橋本、第一次安倍の三例を数えている。
 これに匹敵する党総裁任期の満了乃至は再選出馬の断念(中曽根・小泉、鈴木・海部)が、任期の二年から三年への延長と三選解禁によって著しく蓋然性が低くなった今、詰まるところ長期安定政権の樹立は、参議院選挙を政権選択に用いないというコンセンサスに懸かっていると結論付けるべきではないのか。
 それを与野党の意識改革という慣習法に委ねるのか、或いは憲法改正をも視野に入れた参院の権能の新たな制度設計を企図するかはさておき、畢竟、 歴史を学ぶとはそこから仮説を導き出し、現実を以て検証するのが保守の羊蹄であると、綺麗に纏めてみました。

6月19日(月) 三ヶ月待てば

h945.jpg  パーティで立礼する本人と握手するのは政治担当者の日常活動だが、逆に団体の総会の類ではお迎えする側になる。だからと言って団体の構成企業員ではあっても団体職員そのものではないので、受付の列の近場に陣取って自然に挨拶する場所取りが肝要である。人は余程ウマが合わない組み合わせで無い限り、親密度は例え短くとも邂逅の回数に比例するとの原理の応用であり、一網打尽が叶うという意味では派閥パーティ並の高効率である。
 ただITSのそれは関わりが深い分、端から人組としてカウントされ、仰々しくトランシーバーまで抱えてひとり車寄せ待機とは、一体何年同じことを繰り返しているのかと思いやられるが、玄関で立礼している様なものと見做せば、顔見世興行の趣旨には叶っているか。
 会場から駄目出しを喰らったらしく恒例のくす玉割りが割愛されていたが、却って華美過ぎず妥当だったのではなかろうか。

 同僚が今週から暑い夏の研修に旅立った。従って私もひとり立ち、山の中に正ジャが潜んでいて肩を落とすナポレオンの面持ちである。
 このところは永田町への訪問も多分に委ねていたから先祖帰りして外出に充当する時間も倍増するが、何よりも改めて事務作業というパンドラの箱を空けてみれば、よくぞパズルの如く複雑怪奇な、システムが構築されている様で中核はアナログな仕組みを駆使していたものと頭が下がる。
 48の手習いで画面に向かっていると、労苦を分かち合う話し相手の不在に無口になって仕舞うが、二年待ったこともあるのだから三ヶ月ぐらいは首を長くして待ちましょう。

6月18日(日) カツにカレーに寿司に味噌  -グルメ - ご当地名物-

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 記念日が盛り沢山の六月は、公資の生誕11年に続き、今週は成婚19年、語呂の悪いジルコン婚式に父の日とあらば、遠乗りには至らずとも少しばかり華やいで高円寺飯巡りである。
 北口高円寺銀座改メ純情商店街の、嘗てスイミング・スクールのFITが存在した建屋のとんかつ とんきを愛用していたが、残念ながら建替とともに去り、現ビル地下に佇むステーキ&豚カツ店に久々に赴いたものの、ビフテキを賞味すべきところ付け合わせのもやしのサンプル絵柄に気圧され敢えてカツを選択したのは捻り過ぎだったかも知れない。
h942.jpg  他方、中通りに御目見えした泰&羅宇料理のサバイディーは、ラオスうどんこそ大越のフォーに近い薄味だったものの、カレーがココナツ臭少ないのは仏印の名残りか、何よりも味付け濃厚な焼鳥が父と公資に好評であった。
 して本日は高架下の立地故に耐震も兼ね改修、昨年11月にリニューアルされた桃太郎寿司である。高円寺に寿司店は数限り無いものの、わが家にとっては父と祐旭のそれぞれ同級生の実家であり、数店舗の点在する老舗の幸寿司、少しアダルティ=飲み屋を兼ねた様な七福神、回転寿司としては高レベルの定番、京樽グループの三崎港が三巨頭として君臨している。
h939.jpg  コスト的には幸寿司と七福神の中間に位置するのは流石に帝都北西部に名だたる桃太郎だが、揚げ物焼き物一品料理が豊富なところもわが家向き、珍しくグルメ・モードになりました。

 昨日は父母の見舞いに名古屋へ赴き、途上昼食はきしめんの店に入るも、詰まるところは味噌煮込みを注文して仕舞った。名古屋が味噌文化なのは事実だが、休み時に祖父母宅に滞在した小学生の時分、味噌煮込みは山本屋の専売特許で圧倒的多数派のきしめんは関西由来の薄味と明確に住み分けが為されていた印象が強い。
 聊か「味噌」の呪縛に自家撞着に陥っている感もあるが、一億三千万総チェーン店化よりは地方創生に資するのかも知れない。

6月14日(水) 朝まで生国会  -スポーツ - プロ野球-

h938.jpg  大幅延長から小幅と揺れた通常国会は、未明の不信任採決から明け方の参院本会議テロ法成立を経て、急転直下の会期中閉会に回帰した。
 元より延長したところで所詮"強行"による決着を余儀無くされるのであれば都議選への影響を最小限に留めたいとの思惑故たろうし、参院側が竹下元総理以来の野党に配慮した、経世型の丁寧な運営を行ってきたからこそ、最終局面での強引な決着が可能になったとの逆説的な帰着でもあろう。
 ただ本来は議員内閣制でありながら、大統領制下において党議拘束とは無縁である筈の委員会中心主義が米国主導にて移入されたが為に、数の論理に基づく粛々たる採決が恰も与党の横暴の如くに喧伝される曲解が、"和"を重んずるわが国国民性と相俟って跋扈した帰結であるとするならば、委員会採決を合法的に割愛した今般決着は些か示唆的でもあった。
 野党側も不毛な議論であることは承知でなお攻め倦ねているのだろうが、儀式の如く採算の無い不信任案に委ねる替わりに、本当にテロ法に賛同しないなら、議席の少ない無力を詫びて粛々と反対票を投じ、次期総選挙において数という力を与えて欲しいとオーソドックスに訴えれば、却って新鮮に映るのではなかろうか。

h937.jpg  継投無安打無得点とは完投投手が絶滅危惧種と化した極めて現代的な記録だが、それが反転攻勢の契機となるかは、そもそも打てない打線が連敗の主因であるから判然としない。
 戦後間も無くには近鉄・芥田、大洋・森といった指導者が球団経営に転じた例は散見され、その最たるは三原脩日ハム社長だったが、残念ながら西武・ダイエー両球団の実質的な創業者たる根本陸夫氏を除いては成功を治めたとは言い難い。
 ゼネラル・マネジャーたる職責も、副会長兼務の王氏は別格として中村勝広氏、高田繁氏といった監督出身GMは存在感に欠け、寧ろ米国型のビジネスマン上がりの方がスポーツ紙を賑わす場面は少なくとも定着していよう。
 何と無く本邦初のGMと喧伝された廣岡達郎氏によるバレンタイン監督解任による軋轢が、GMたる役職そのものへの懐疑を斎したままの感がある。皮肉にも今般の唐突なGM交替は高橋監督の身代りに他ならず、必然的に鹿取大明神に人事権は備わっていないのだとすれば、些か中途半端だとしても、純粋にプロアマ問わず選手の編制のみ総括するわが国らしいユニフォームから背広への新しい着替え方を示唆することになるのかも知れない。

6月11日(日) 蝋燭二本  -育児 - パパ育児日記。-

h934.jpg  何故か至るところに格言の掲げられた長南パブリック。距離の短さと平坦なグリーンに助けられ、実に前半ロングはふたつともパーオンし、パーのみならず七番ではバーディとは出来杉君も吃驚であろう。しかもダイヤモンド・パットも飛び出し、前半の47は今期最良に他ならない。
 残念ながら後半は些か乱れたものの今年三度目の百切り、ドライバーが終始安定するとともにパッティングに救われたのは事実だが、実に黄金週間の家族ショートコースに始まった6週連続ラウンドの効用は確かに現れたのではなかったか。
h935.jpg  朝二番スタートの為流石にアクアラインも詰まることなく快適な帰路と思いきや、中央環状のコロッセウムこと大橋ジャンクションが通例にも増しての大渋滞に見舞われた。当然、中途より分かれる東名方面ばかりが混んで都心への右旋回は恒常的にガラガラなのだが、最左翼車線を愚直に歩んでいたところ、いざ分岐の最前列に至れば中央車線からも左巻きが容易に可能ではあるまいか。
h936.jpg  元より損得を勘案して悔恨の念を新たにする以前に、そもそも東名方面は左側二車線でと大書するだけでも相当にスムースに流れる筈と、道路族らしい改善提案をひとつものする旅路となったのは顔触れ故か。

 大関=α1返り咲きを狙うマンスリー場所を乗り越え、三日遅れで公資の11歳を昨日祝ったのだが、撮影芳しからず改めて蝋燭も調達し、今度はISO感度を思い切り落として臨んでみる。
 明暗のバランスに苦慮して繰り返す内に蝋がケーキに滑落し、更には灯火が薄らぎ慌ただしい中で撮影してみたが如何でしょうか。

6月9日(金) 下町自動車  -車・バイク - 自動車全般-

h932.jpg  自らが事務局で無い視察随行とあれば、通例は主賓とアイコンタクトすれば実質的にお役御免で、後は隊列の最後尾で視察の御相伴に預かるばかりの有り難いお役目のところ、今般はタイトな日程の中、処々で懇談要員として出番が訪れたのだから、端無くも政治担当の存在意義をアピール出来ただろうか。
 しかも自動車そのものの組立ラインか博物館の類が定番のところ、今般は物流センターに闖入させて戴いたのだから、知識の習得としても極めて有意義で有り難い話しであった。
 国内外への部品搬送の大元締めたるそれは、黒猫の羽田クロノゲートに比べれば多分にアナクロで人力に依存する要素が大きく伺えるが、最終消費財たる完成品で無い分、品質管理の行程が加わるので敢えて手間を掛けていると見るべきだろうか。
 所謂"看板"に値するバーコードを読み取りコンベアが自動で行き先を振り分ける基本原理は同じで、寧ろ知識に長けていないと複雑で彼我の相違を伺い難い自動車の工程より分かり易くて面白い。人海戦術に頼る要素が未だ大きい分、例えばより梱包し易い商品・部品を製造工程に逆提案するなど、逆に言えば物流ーロジスティクスこそは生産性向上の余地を残しており、製造業にとってもまた可能性を秘めた分野に他なるまい。
 更に後段は盛り沢山極まりない味噌カツの昼食を挟んで、まさに匠の技と言うべき手作りに近い生産ラインに赴く。滅多に工程が進まないスロータクト故に忙しい見学に不向きであるのは否めなかったものの、家内性手工業的な「ものづくり」を現代に再構築するのは恰も遷宮の様な技術の伝承は元より、敢えてその工程を広告塔としても流用することにより、プレミアム感がブランド・イメージの醸成に資する効果を狙うのも付加価値の有り様のひとつに違い無い。そして手作りが相応しかろう最高級車のみならず、先端技術の粋を集めた新エネルギー車もまた、もしかするとこちらは部材そのものの生産乃至は価格とのコスト・バランスが制約要因なのかも知れないが、同様に手作り感溢れる生産工程にあることが喧伝されれば、こちらもまた稀少性に基づく飢餓感を高める、別の物語に説得力を与えることになろう。

h933.jpg  朝8時半スタートだったので前泊必須だったが、おかげで来週から長旅に出る同僚の生活環境を、ロケハンの如く深夜に最寄り駅の周辺を練り歩いて下見が叶ったのである。
 しかも微妙にズレてはいるものの、どうやら勤務先は物流センターに隣接する工場であり、奇しくも25年前に私が実習生として暑い夏を過ごした地である模様であると、昨日判明したところであった。現地現物の1.5日。

6月4日(日) ピンポン内政  -スポーツ - 卓球-

h931.jpg  出だしは好調に連続ボギー発進も、三ホール目の左ドッグレッグで見張らしに眩惑されたかOBを乱発。決して緊張感が切れた訳ではなく、ミドルでパーも拾って挽回に努めたが、先週綺麗と誉められたドライバーが振るわず、幾分パットには救われたものの、スルー専用でトリッキーとはいえ距離が無く百が切れた筈と悔やまれるラウンドであった。

 わが家のブームから、日々世界卓球を眺めていて痛感するのは球筋の「変化」である。
 元より小さな台上で回転の掛け易い軽い球を操る卓球は変化球が生命線に他ならないが、今や野球においてもスピンの多い綺麗な球筋よりは寧ろ、ツーシームに代表される、縫い目の空気抵抗を利用して微妙に手元で変化する球種が主流になっている。 詰まりこうした個人対向色の強い球技はパワーに劣る亜細亜人向きであり、中国が対西側諸国との文化外交の先兵としてピンポンを選択したのには、矢張り先見の明があったと言わざるを得ないだろう。
h930.jpg  ただ技と力のバランスにおいて、野球やテニスは後者の占める要素がまだ大きく、わが国が戦略的に競技育成を企図するならば韓国とタッグを組んでボウリングの五輪入りを再度働き掛けるべきではないだろうか。
 そしてゴルフもまた小技に優れた亜細亜人にマッチするのは論を待たないのだが、残念ながらパワーヒッター嗜好に距離を伸ばす対応が容易に行い得るからこそ、欧米優位にルール改訂の相継ぐ水泳やスキー同様に、柔よく剛を制すが通用し難い所以なのだろう。
 しかし卓球のダブルスがテニスと異なり交替で打たなければならないとは知らなかった。ならば左打ちが増えるのも道理だが野球以外にサウスポーが重宝される競技がこんなに身近にあったとは。左の裕旭と右の公資でダブルスに挑ませようとの腹は全く無かったのだが。

6月2日(金) アウフファーレン  -音楽 - 音楽-

h929.jpg  クラフトワークの8枚組アルバム再現ライブ・ボックスを購入してみた。ヒトは継続しなくとも音はブラッシュアップされつつ変わらないのだから継続は力なりであろう。
 考えてみればラップトップで音と映像を操る構図は極めて現代的なのだが、敢えてCDだけを選択したところ、代表曲がリニューアルされたアルバム「ザ・ミックス」があり、こちらも再現に含まれているにも拘わらず、旧アルバムも処々微妙に「ザ・ミックス」よりにアレンジが改められているので、間違い探しの如く愉しみも見出だされた。
 日本編集版でも無いのに「電卓」には矢張り日本語の歌詞が含まれているが、新たに賦与されたのが「日本でも放射能」である。 今となっては非原発大国・独逸らしく当然の如くに受け止められてはいるものの、考えてみればアウトバーン、TEE、コンピューターと独逸乃至は西欧の誇る最新鋭技術をテーマに掲げ続けてきたクラフトワークの歴史に鑑みれば、Radio-Activityが「ラジオ活動」とのダブル・ミーニングである以上に、「放射能」そのものまたこの文脈の中に位置付けられるべきものであった筈である。 ところが21世紀に至り「ツール・ド・フランス」で急速に自然派に舵を切り、今や全く逆の観点から捉え直された「放射能」は反原発の象徴宜しく新たな意味付けが与えられようとは、この点もまた極めて現代的ではなかろうか。
 YMOしかり電子文化の粋を極めた音楽家が自然エネルギーを掲げて技術に背を向ける傾向は民族を問わないのかも知れないが、敢えて独逸に拘り続けるのならばわが国とともに世界経済を牽引する機関車たる役回りを再び高らかに謳い上げ、昇り続けるのが筋であろう。
 折しも「アウトバーン」の歌詞にある"白い縞"は自動運転技術のひとつのキーワードに他ならない。ドイツ政府におかれては、ハンドルから手を離してアウトバーンを滑走するヒュッター氏をイメージ・キャラクターにお薦めしたい。来日公演の折りにはきっと「トーメイ」「ガイカン」なぞ織り込んで呉れるだろう。「中央フリーウェイ」では一寸対向出来ないけれど。

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