コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月30日(日) 摩天楼ブルース  -地域情報 - 名古屋・愛知-

h895.jpg  さて明けてこの日はスーツに着替えて豊田市へと向かう。雑魚寝した父母の家から地下鉄に万博のレガシィたる新交通システム・リニモ、更には旧国鉄予定線改メ第三セクター路線と、公共交通機関不毛の地において果たして自動車を用いない移動が如何に大仕事かを実証してみたが、流石に早過ぎて二時間近く前に到着して仕舞った。
 して目的地の豊田スタジアムまでてくてく歩き始めたところ、背後に街宣の音がスピーカーから奏でられる。黄金週間にも拘わらず大義なことと聞き流そうかと思いきや、響き亘る声には聞き覚えがあるではないか。
 実に本日会合の主宰者の御仁がいきなり駅頭に現れたとあらば足を留める他は無いが、幾ら眼を凝らしても辺りに人はいない。やむを得ずそのまま俄か聴衆と化したが、都市部なら定番の駅頭演説もかく宛も無い労苦のひと駒に過ぎないのかと、自動車社会における政治活動の難しさに期せずして直面したのであった。
h897.jpg  ただ程無く旧知の秘書氏も現れ、スタジアムまで事務所車に便乗し、かつ車寄せからの導線確認まで同行して見事随員の本分を果たし得たのだから、行き掛けの駄賃には終わらず早行きはまさに三文の得であったろう。
 お目当ての豊田スタジアムでは華やかにガーデニング・フェスタが挙行されているが、元より園芸振興対策議連の寄り合いにもあらず、上官の会食のアテンダントに他ならない。それでもグラウンド・レベルから天然芝にも触れ、貴賓室から見下ろす眺望と古の大阪球場もかくあらん天外魔境の絶壁擬きの客席も賞味するプチ視察にあり付いたのだから、半日強の休日出勤も役得だったか。迷路の如くスタジアムの内部もまた都市変遷評論家・野球評論家には興味深いものだった。二年後の闘球W杯会場としては、駅までの微妙な距離感が大量の搬送において若干ながら懸念はされるものの。

h898.jpg h899.jpg
 病院にとって返して一家と合流しここからは再び黄金週間モード、犬山市へと向かった。
 敢えて名鉄の牙城にも拘わらず木曽川を超えた対岸の岐阜県側に宿を定めたのは「家族風呂」に牽かれたからであったが、その予約を巡りひと悶着あったのは温泉街としての凋落振りを体現するホスピタリティーの減退故だったのかも知れない。
 ただそれを除けば山の幸のみならず中部地方らしいと言うべきか味噌料理に海老フライと夕食も盛り沢山だったし、谷間の休前日外とはいえ合理的なお値段設定だったろう。温泉宿らしい卓球台こそ存在しなかったものの、カラオケにも興じ、夜半の露天風呂から遠く眺めるライトアップされた犬山城も乙なものだったのではないか。

4月29日(祝) 湯~とぴあ宣言  -地域情報 - 名古屋・愛知-

h891.jpg  父母の入院加療を受け黄金週間は名古屋の父母の家に業者を招聘してゴミの廃棄に始まる。それだけでは余りに味気無いので見舞いを経て向かうは名古屋城、一同失念していたが三年振りの再訪であった。生憎の豪雨も程無く晴れ上がり、三選間もない市長肝煎りの木造天守閣再建に先立ち復元された本丸御殿にも闖入するが、いざ鉄筋の天守閣に再入城して祐旭の記憶を甦らせたのが石引きの再現ギミックとは、戦後の構造物の見世物的な要素もすっかり歴史の域に至っていることを実感させる。
h892.jpg  ただほぼ行き当たりばったりのこの日の行程で次いで及んだのがスーパー銭湯とは意外な展開だったろう。そもそも風呂嫌いではなくとも取り分け露天を好まない妻との嗜好は必ずしも一致しないところ、わざわざラバーまで張り替え新装したラケット持参の執念が卓球場を発見させ、前日千住まで遠征した後に全日空ホテルで一時間立ち尽くし、棒になった足が久方振りにマッサージを求める父の思惑が合致したのである。
 荻窪にも同じネーミングの風呂が存在するが、勿論同系列ではなくトマス・モアの理想郷を「湯」に準えるのは全国津々浦々考えることは同じという証しだろうか。
h893.jpg h894.jpg
 周辺環境は必ずしも芳しくはなさそうだが中は文字通り極楽で、公資は早速「大願成就の湯」に身を浸して「まだ志望校も決まってないけど」と呟きながら、先の組替え試験では二場所振りに大関からの陥落が決まったわが身を奮い立たせていた。
 浴衣と作務衣の中間の様な装束に身を包み、夕食の後は卓球の予約まで寝転んで漫画三昧とは黄金週間に相応しい怠惰なひと時である。翻って久々に見学した母子三者のピンポンは流石に鍛練の賜物、一打一打に見事回転が掛かってトップすることなく立派にラリーの応酬が繰り広げられているではないか。今更の参画は到底叶わない父は一路揉まれ部屋に急行したのである。急拵えの割りには盛り沢山の初日だったか。

4月25日(火) 譬喩と演技  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h888.jpg  怒濤の四月が漸くひと山超えて黄金週間まで余すところ数日、強靭な派閥の講演会を拝聴する。出遅れて座席も確保出来ず、正直に言って余り抑揚の無い淡々とした内容に聞き流していただけで、米寿の金馬師匠の落語がお口直しの感があったが、同じホテルでの懇親会にて呑んだくれている内に事態は風雲急を告げていたのである。
 勿論、言葉狩りを憂うには余りに直裁な物言いには違いないが、そもそもがお経読みに近い講演の中で数少ない本人の声が伺えた部位が失言に帰結するとは皮肉であろう。
 嘗ての「生む機械」や「暴力装置」にも多分にそのきらいはあったが、詰まるところ話し言葉を活字に起こした際の印象の相違が作用している要素も小さくはないし、かく鵜の目鷹の目で狙われては当意即妙なアドリブの面白味は益々望むべくも無くなるだろう。
 何よりも敢えて譬喩的な言葉を用いるには相当な注意を払わなければならないのでは、再三述べている様に椎名外相が「米国は番犬」と豪語したのを指摘され「番犬さま」と訂正して議事堂が笑いに包まれた様な光景は二度と訪れまいし、長ずれば言論そのものの減退に繋がりかねまい。今般発言の非を充分に認識しつつも、敢えて警鐘を鳴らさざるを得ないのではないか。
 しかしながら永田町周辺居住者としては注意力散漫以外の何物でも無かった。この点に付いては猛省したい。

4月19日(水) クワマンダーを問う  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h889.jpg  19世紀に自らに有利な選挙区割りを作った知事の名とその形状が蛇に似たことから双方を併せた造語が、恣意的な区割りを意味するゲリマンダーである。
 元より今般は寧ろ機械的な数合わせが疑問視される位だからそうした批判は当たらないものの、減員区における自民党内の熾烈な選挙区争い以上に、着目すべきは余りにも多数行政区が千々に分散されたことだろう。
 勿論、区割り審の労苦は窺われ、例えばわが杉並東京八区は方南地区を割譲しているが、環七の東は生活圏が異なるという小学生期からの個人的な実感にも則しているし、埼玉で電車や河川を線引きに用いているのも恐らくは同じ文脈に基づくものだろう。
 ただ結果だけ眺めてみれば、全25中無傷で済んだのは4区のみという東京都では、昭島が切り離され新たに国立が加わる21区の様に入れ子の玉突きすら生じている。就く全国一複雑になったのが東京七区であり、そもそも中選挙区制下の東京四区、即ち中野・杉並・渋谷三区時代から東西に比べ南北の移動手段に乏しい東京西部特有の、実面積以上に縦長の悲哀が痛感される選挙区だったが、従来の中野・渋谷から中野区の北部が消えた替わりに、前述の杉並に加え品川、目黒両区の北部が追加され、実に五特別区に跨がる長細い形容はまさにクワマンダーの象徴である。
 この結果東京23区はうち15区が分割される形となり、最早自治体と選挙区は全く別物の有り様である。確かに最大1.1倍までに厳格化された英国を筆頭に行政区を考慮しない機械的な数合わせを肯定するのが世界的潮流ではあるし、アファーマティヴ・アクションで人種割にも配慮する米国の様な与件はわが国には存在しない。
 しかしながらその是非は別として国会議員が国民代表性とともに地域代表性を色濃く有するわが国においては、分割された地域は複数の地域代表への関与を余儀無くされ小選挙区制のメリットが台無しであるし、しかも今回は暫定措置に過ぎず五年後には47都道府県に一議席ずつ貼り付けてから議席配分を行う一人別枠方式を根元から改めることにより都市部は増員が必須とあらば、今回拡大された選挙区は再び切り離される蓋然性が高く、囁かれる任期満了に限り無く近い総選挙が実現すれば今般改正の賞味期限は当該一回のみに終わる可能性すら秘めている。
 都市部住民の声を正当に反映させるべく一票の格差是正自体には賛同したいが、長年培われた過去の経緯を重んじつつ変革を試みるならば、寧ろ自治体を小選挙区毎に再編成する位の地方自治制度そのものの大幅な見直しが必要なのではなかろうか。

 区割り案の勧告は総理の解散権を縛らないと改めてのアナウンスが囂しいが、その喧伝自体が制約を物語っていよう。元よりそれは首相が専権事項として解散権を行使出来るとの前提に基づいているが、必ずしも自明ではなかったのは現行憲法下初の解散となった昭和23年において、解散は内閣不信任案成立を受けた69条に限られるのか、或いは天皇陛下の国事行為に列挙された7条のみに基づくことが可能なのかの解釈が定まらず、形式的に不信任を成立させ、解散の詔勅に7条及び69条に依ると記載されたことからも明らかである。
 英国においては2011年の法改正で解散権の行使は内閣不信任成立時と下院の三分の二の同意を得た際と明示的に制限されたが、今般の解散は野党に有利とは言い難いにも拘わらずEU離脱という国家の枠組みの大きな変更を受けるとの大義名分のもとに、ほぼ全会一致で話し合い解散が認められた。この決定に矢張り首相の解散権を尊重すべきとの配慮が働いたのだとすれば、新たな一石を投じたとも言えよう。

4月17日(月) 国民の信託に応える  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h887.jpg  愈々陛下のご譲位法制も大詰めを迎えつつあるが、国会論議を避けるべく提出前に周到な合意が図られている様に、須く議員はじめ関係者が貝になる傾向が強まる一方で、学術等諸兄の意見開陳は囂しくなってきた。
 ひと昔前なら皇室関係は河原敏明氏の独壇場だったが、昨今はジャーナリズムと言うよりは寧ろイデオロギッシュな視点が目白押しである。例えば"臣下"を自称し旧宮家の出身者で無ければ街宣車に囲まれかねない、笑いを交えた直載な物言いが却って皇室拡大論に却って水を指さないか危ぶまれる御仁や、アジテーション風であるものの存外に主張は穏当な漫画家出身者はじめ、勉強会の類にも多数登壇している。
 ただ押し並べて陛下のご意志の尊重から論を発し、共産党ですら陛下に一定の敬意を払っている素振りが伺えるのは、政治性を否定し恰も天皇機関説が如く解釈を採用してきた日本国憲法下においてなお、皇室の法に表れない権威の存在を裏打ちしていよう。
h888.jpg  従って、その法に表れない権威の継承を法的に担保するのか、或いは敢えて法はそれを明確には規定せず、天皇陛下と上皇陛下の権威の相違はじめ歴史と伝統の知恵に委ねるのか。英国同様のSymbol=象徴の解釈にまで先祖帰りしかねない、そしてその論議を広く万般に行う社会的受容性の薄い戦後わが国において、極めてデリケートな課題であるからこそ、皇室を敬愛することでは人後に落ちない私もまた言葉を継ぎ難い。

 世界のキタノが「おいら」ならゴーマニズムは「儂」が代名詞だが、実際には舌足らず気味で「わたし」の真ん中の「た」が割愛された活用形に近く、小さな「た」が音便の如く残置しているケースも少なくないと、初めて講演を拝聴して認知した。
 従って響きは傲慢と言うよりは、意外に可愛らしい。

4月16日(日) 試行錯誤  -スポーツ - ゴルフ-

h885.jpg  桜台が強風による二階クローズで大混雑のため、久々に上井草までとって返してわざわざラウンド前日に練習に及んだのは新兵器15Wの試打故だったが、結論から言えば既存の13Wまでに対しシャフトが長過ぎ、早々にお蔵入りの可能性大であった。
 ただ少しは功徳があったのかドライバーが回復して久方振りに引っ掛けが影を潜め、パットのノー勘で百切りこそ叶わなかったものの、暖気の心地好さとともに程好い緊張感に包まれたラウンドだったろう。
h886.jpg  もうひとつの新兵器60度ウェッジは流石に上がり過ぎで思い切りロブが出て超えるべきバンカーに吸い込まれたりもしたが、少なくともトップしない安心感はメンタルのスポーツたるゴルフには有用に他ならない。
 新宿御苑では 桜を見る会の行われたこの日は春を告げる陽気の中、木更津の桜もすっかり残り僅かで、スルーで15時半には帰着してなお早々に床に就く体力の衰えは憂うべきところだったが。

4月13日(木) この国を託そう  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h882.jpg  出向先は異業種交流会の様な、より平たく言えば大学のサークル的なノリも多分に有していたから、多くのメンバーが通例のサラリーマン生活とは異なった郷愁を抱いていよう。
 だからこそ当然母数は年々増え、同時に先任の幹部陣はそろそろ激務が一段落して来し方を振り返る余裕も生まれて来る世代に差し掛かっているとはいえ、55人という大所帯のOB会が成立したのだろう。
h883.jpg  有り難いことに皆様から幹事役への労いを頂戴したが、自らが関わり始めてからは関与の度合いに軽重こそあれ、毎度率先して事務方を自任していたから、持ち回りで他者に委ねる位なら自ら取り回した方が余程楽だし、多くの人々がこの組織に愛着を抱いていることが確認出来るのは歓びでもある。
 秘録に書かれなかった逸話を"広く"拝聴したのもまた貴重な機会であったし、一同履けた会場にて主賓主宰の二次会を経て六本木の三次会含むカラオケまで、愉しき一夜であった。

h884.jpg  派閥パーティ・メッカの季節、昨夜は合流を取り沙汰される当事者が顔を揃え、普段はスマートな語り口の次代を担う御仁が珍しく派閥の効用を熱く語る構図ありの興味深い絵柄であった。
 よくよく眺めれば当事者の口端に登る先達の名の系譜を引く血筋も重なり、挨拶のひと言ばかりか登壇する顔触れにも意味が込められている様に見えて来る。実に政治的と言えば負の印象が漂おうが、様々な利益集団の代弁者相互の集合体の大きなひとつが派閥であり、その切磋琢磨を通じて利害得失が調整されるアリーナこそが政治であるという意味において、久方振りに桟敷席から眺める舞台の活力に触れた感。

4月11日(火) よみがえる王と神の子  -地域情報 - 東京23区-

h880.jpg  豪雨のなか会場に辿り着けない程の車列と我先に受付へと急ぐ旧ソ連もかくやの大行列を掻い潜ってなお「鳳凰」前のサテライト会場に鎮座するしかない大混雑が選挙戦の厳しさを物語っていようか、「勝つ!」の標語も鮮やかな東京の陣である。
 実は本日は、一年の改修休業を経た東京プリンスの政治的な柿落としでもある。
 鳳凰の名を戴く大宴会場は嘗ての東京ヒルトンとニューオータニにも存在するが、奇しくも何れも先の東京五輪に合わせて開業しており、ヒルトン改めキャピトル東急は既に七年前に建て替えが終わっている。遥か後発の赤坂プリンス既に亡き今オータニの長命が際立つが、折角装いを新たにした東プリも五輪需要に向けた弥縫策に留まり、2020年以降に取り壊される運命らしい。
h881.jpg  そう想って見るからか、扉と柱が妙に豪奢になった以外に大きな変貌は認められず、開業中には高級ショッピング街だった地階に鎮座する、老舗ホテルには如何にも不似合いなローソンも健在である。
 パーティ・ラッシュのなか改修前より会場として登場する頻度が若干減り気味に感じられるのは、薄化粧により料金が嵩んだからと言うのは邪推なのだろうか。

 夫婦でPGAツアーをCSにて飽きもせず連々眺めていた時分、最も強烈な印象を残しているのは世界ゴルフ選手権の最終18番ロング、二打差の米国がプレーオフ進出を決めるタイガー氏のチップイン・イーグルである。
 既に15年余を経て、その第二打を右に大きく外したデュバル選手はおろかウッズ選手すら過去の人と化しつつあり、久々にエルス選手の名を耳にしたのが総理とのスリーサムであったことに鑑みれば、まだ37歳とはいえ往事から第一線にあるセルヒオ・ガルシア氏がメジャー74戦目にしてマスターズを制したのは特筆すべき事態に他ならない。
 改めて録画を見ると解説の中島常幸氏も「このパッティングでメジャーで戦ってるんだから凄いですよね」などと失礼極まりないコメントをしているが、逆に言えば恰も長年の同士の如くガルシア氏への愛情、更には応援モードが溢れている。ラウンド中に怒りの余り自らパットを折り、ウェッジでパッティングしていた姿も懐かしいが、年輪を重ねて老獪さを増した訳では全く無く"神の子"のままグリーンジャケットを手にした姿は頼もしい。

4月8日(土) SN比が良くても  -音楽 - 音楽-

h877.jpg  「怒り」の声が小林教授なら「怒り」の音楽は坂本教授というのは些か汎用性に欠ける対比だが、実際病を得ての活動休止中にもグラミー賞候補となった様に、反原発活動のみならず映画音楽には勢力的だった。
 その坂本龍一氏が実に八年振りにニューアルバムを発表するとあらば、その延長線上に環境音楽的であるか、或いは大病をすれば人生観が変わるとばかりに全く異なる"ソロ"を意図したものになるか注目してきたが、結論は矢張り前者であった。
 しかも嘗ての『戦場のメリークリスマス』を少しは彷彿とさせる様な楽曲も含まれているという意味ではまさに映画音楽的だが、大半はメロディはおろか音階すら明確でない現代音楽スタイルで、正直単体で拝聴するには相当な忍耐力を要求される。
h878.jpg  もしかしたら映像とともに賞味すれば違った感慨も得られようかと本日、ワタリウム美術館にも闖入してみたものの、勿論思想性が強くても逆に閉口しようが、美しく捉えればBGV擬きの断片的な映像のコラージュばかりと一緒に見せられても、成る程これが「設置音楽」という新たな形態か、とは朧気にイメージ出来ても残念ながら音楽そのものへの理解には到底結び付くものではなかった。
 とは言え入場料に加え会場限定、のポップの付された坂本発言集も購入しているのだから、文句を言いながらもYMOフリーク気質は全く治っていない。寧ろ同時発売されたアーカイヴ集『Year Book』に第三弾にして漸く、B-2 Unitsをはじめ"ポップ"であった頃の坂本氏が現れたことに代償を求めているのだから世話は無かろう。
 要は過去と現在とで現代音楽と現代の音楽が丁度入れ子になっている構造だが、人は変化を求めるからこそ螺旋階段を幾周も昇り変わった末に、詰まるところは原点に回帰するということか。或いは音楽を極め過ぎると「音」そのものの真贋に耳が傾むくのか。愛好者にとっては拡大再生産であっても、慣れ親しんだあの頃を求めて仕舞うのだが。

h879.jpg  先月御茶ノ水のジャニスを訪れるといきなり店舗が無くなっている。何等の告知なく看板はそのままなので、すわ時代の波には逆らえず閉店に追い込まれたかと早合点しそうになったが、この度漸く嘗ての近隣に再移転が完了して安堵した。
 今どきレンタルでCDを、しかも店舗で借りる輩なぞ希少かも知れないが、意図的にTSUTAYAに供給していないと見られる実演家なりレコード会社のそれを調達するには未だ実用的で、一階に復して中古販売の二号店隣接となったことからも混雑しており、老舗の看板は健在である。
 検索くんが更新されておらずヴィクトリア階上時代の棚を想起しつつ脳裡から現状に置き換えなければならないの少々手間が掛かるが、こちらも原点回帰。

4月3日(月) アブラ・カタビラ  -グルメ - 回転寿司-

h872.jpg
h873.jpg
 嘗て出向中に新年の定例行事と化した老舗の鰻店で蒲焼きご飯を頼んで怒られた様に、米は白飯、原則として丼を食さない私にとって、好物であるにも拘わらず鰻は鬼門に他ならない。
 元より社用族として鰻に直面するケース自体が希少だが、佳日は珍しくしかも先方席とあらば覚悟を決めて赴いたところ、肝に白焼き、蒲焼きと並んだところで満腹中枢は血糖に充満されてご飯は割愛、真に鰻尽くしの幸福な神田明神だった。
 東の鰻には脂分が多く、だからこそ関西と異なり焼くだけでなく蒸すのが関東風だが、ここで思い出すのは安芸の宮島にて賞味した穴子飯であろう。
 そもそも鰻丼がアウトで何故に穴子飯を選択したのか疑問を抱かれようが、幾ら原則に反するとの駄目出しを受けても寿司においては穴子と稲荷だけは頂戴し、しかも相当な好物である。従ってその延長線上に何等の疑問無く穴子飯を口に運んだのだが、残念ながら潤いに欠け期待を裏切る逸品だった。
 極めて単純化すれば鰻から脂分を減らしたものが穴子であるとも言えそうなところ、蒸そうが蒸すまいが東西を問わず燃焼する鰻に対し、関東の穴子は煮るだけである。その相違は食感に求めるべきなのかも知れないが、寧ろ焼き穴子の苦味のマイナス要素が私に取っては大きく、煮穴子の甘味こそが美味に感ずる鍵なのだろう。
h874.jpg  従って東京駅に並ぶ広島穴子弁当を、昨今はお値段据え置きのまま幾分グレードダウンした感こそあれ、性懲りもなく新幹線に乗る度に調達し続けているのは、同じ中華料理でも必ずしも本場ままの味付けは求められず消費地に見合うべく改変されている様に、自家撞着だが関東風広島穴子というマーケティングの勝利に他ならない。
 一方でわが家の定番三崎港には別途焼穴子メニューが確固として設けられているにも拘わらず煮穴子も必ずバーナーで炙られ、時ににがりを齊す迄の明確な焼き跡が刻印されているケースもあるのだから、職人技がまた却って余計なお世話を導き出す事例たろうか。
 その分より安価な、ひと皿百円固定の回転寿司は握りと言うよりスライスされた、正直天然の脂分は相当に少なそうな穴子が添付されるだけだからこそ、煮穴子で完結し必要以上に調理は施されない。
h875.jpg  そこで先月の公資とに続き昨日は練習後の昼餉へと赴けば、祐旭曰くご飯が美味と海原雄三並みの解説である。確かに「シャリカレー」なる宣伝もあり白米を売りにしている戦術が伺え、矢張りくら寿司は旨いねと父子蟒蛇の如くに腹を充たす。
 ところが保湿の為だろう、須く宇宙船の様なカップに包まれ周回する寿司の絵柄も、平らげた皿の自動回収システムにも記憶が無い。然して記録を紐解けば高評価をもとに前回訪れたのははま寿司で、比較劣位の例が当該くら寿司だったのだから人の味覚は如何に充てにならないものなのか。押し並べて回転寿司のグレードが上がりコストパフォーマンスに優れてきた証しであると、前向きに受け止めておくべきか。
次のページ

FC2Ad