コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月30日(日) 素敵なバーディ  -スポーツ - ゴルフ-

h731.jpg  急速に寒くなり雨のスタートも程無く上がり、四ホール目のショートで寄せワンを拾い覚醒、続くロングでは第四打アプローチをピンそばに付け連続パーの快進撃が訪れる。
 冒頭のダブルパーに鑑みればインの50は御の字だったが、アウトに回れば実に冒頭から六連続ボギーとは出来杉君も吃驚、取り分けミドルパットがズバズバ入り、惜しくも穴を嘗める光景も屡々とは広島東洋並みの神憑りである。
 七番ダボ、八番トリと来て崩れるかと思いきやオーラスでは138ヤードをベタピンのバーディ、二階建てのニアピンも制しての96は15ヵ月予算ならぬ15ヵ月振り、久々待望の百切りである。
 このところ懸案だったドライバーも真っ直ぐと引っ掛けが半ばする程度に回復し、アプローチもミス少なく、直ドラを披露された歴戦の御仁に触発された訳ではないが、林からの脱出劇に球が上がらないよう敢えてウッドを用いる技も覚え、カメリアヒルズ白ティーからの距離の短さに助けられたのは事実としても、怒濤のゴルフ月間を前に快調な発進ではないか。

 三笠宮崇仁親王殿下がご薨去された。東久邇元総理らの例はあるが、皇族として生涯を送られた中では、神話時代を除き最高齢とは天寿を全うされたには違いない。
 ただ三人の親王殿下を何れも跡継ぎなく先に喪ったことは心中を察するなど畏れ多いが痛恨であられたろう。
 謹んで哀悼の意を表します。

10月29日(土) 風に吹かれて  -音楽 - 音楽-

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 日ハムが四連勝で日本一を決めたこの日、改めて祐旭の13歳を祝う。先週は焼肉、一昨日当日には仮ケーキ、本日は寿司とホールの本ケーキと振る舞いが続く。
 程無く祐旭は父の身長を、御相伴に預かる公資は流石に父の体重を、と言えば後者は誇張が過ぎようが、二人とも立派に増殖したものである。誕生日毎に父がビデオカメラ越しに求める"抱負"には、いい加減飽きがきたか少しも新奇性は無かったが。

h729.jpg  「傲慢なところが彼らしい」等と妙な評価があったボブ・ディラン氏も大人しくノーベル賞を受章するらしい。
 十年ぐらい上の世代であれば全く異なる感慨もあろうが、私が洋楽を嗜み始めたころ既にディラン氏は歴史上の人物に近く、かの「We are the World」における氏の浪曲の様な唸りを物真似の持ちネタにしていた時期もあるが、即ちそれは1985年の段階で様式化された古典、些か悪意を以て述べればパロディと紙一重の領域に到達していた証しでもあろう。
 起伏の無い旋律だからこそ著しいディフォルメが可能であり、それがディラン氏の個性であるのは疑い無いが、逆に言えばメロディよりも寧ろ歌詞の中身、主張の重視と同意に他ならない。
 元より旋律あってこその音楽との立場からは「詞に拘るなら詩吟に勤しめ」と豪語した友人程極端では無いものの、飽く迄歌詞は旋律を彩る添加物のひとつを超えるものではない。
 従ってディラン氏の「文学」賞受章には、文学者の怨嗟の声が巻き起こるのは当然としても、同時に氏の楽曲は歌詞にこそ価値があり旋律こそが付随物たる御墨付きを与えたという意味で、多くの叙情フォーク作者をも貶めていると、諧謔的ではあるが咀嚼出来よう。













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 個人的にその解釈には決して肯じ得ない訳では無いのだが、選考サイドに文学を音楽より上位とする無自覚な優位性があるとするならば、ダイナマイトを発明した償いとして遺産を提供したという逸話は、幼き頃にノーベル氏の伝記を読んで以来些か美談過ぎる感は未だ否めないものの、ノーベル賞自体の権威すら貶めかねない危険性を有している。
 日本人受賞者が稀少であるのはベースとなる言語の相違たるハンディからして致し方なかろうが、二人目の受章者からして言わば一時代を体現し終えた"左翼"のイコンとして博物館へと展示された色合いが濃いとするならば、ディラン氏もまたノスタルジーの中に祭り上げられたと捉えるべきなのかも知れない。
 片隅で聞いている位が良い案配なのではないか。

10月27日(木) ネズミを捕ろう  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h730.jpg  パーティにはたとえ主役本人と面識が無かろうと、来賓の顔触れや挨拶の内容を以て、下世話に言えば値踏みする為にも一度は覗くべく心掛けている。些か特異なロケーションであると割愛せざるを得ない事態も屡々だが、漸く初の御目文字が叶ったのが民社協会のそれである。
 今年は大内、米沢の両元委員長が鬼籍に入られと反芻しながら遅参すると、登壇されている御仁には見覚えがあるではないか。大分と老けてはおられるが塚本三郎氏に違いない。 政治フリークとしてはわざわざ足を運んだ甲斐がの感はあったが、個別業種の労組よりは愛知民社という特異な出自を背景として、「理屈は後から貨車で」の春日一幸氏をバックに党官僚出身の大内啓吾氏を従え、満を持して委員長に就任しながらリクルート事件に足を救われ、晩年は自由民主党からも出馬した塚本氏は、民主社会主義の現実政党としてスタートしながら迷走を繰り返さざるを得なかった民社党の歴史をまさに体現していよう。
 ただ自民より右と言われた安保政策や、政治闘争を廃し労使相手を携えるべく穏健な組合主義といった民社党と支持母体たる同盟の路線は、現下の政権に相通ずる要素は少なくないとも言える。
 にも拘わらず官公労との同一歩調に埋没し、 山政道以来の由緒正しきとはいえ実情はOB会の如く政治団体にのみその名を留めるに過ぎない悲劇は、「民」をディフォルメしたシンボルマークが恐らくは労働の表象たる鎌を内包しているのだろうが、誤解を顧みず述べれば恰もハーケンクロイツを連想するアナクロさに象徴されているのではなかったか。

h732.jpg  民社党が歴史を終えたのは94年、合流した新進党が僅か三年で解党し、一旦新党友愛として復活するも程無く今度は民主党に糾合されたのは、既に同盟も総評とともに連合傘下に納まっていたから他に選択肢は無かったろう。
 だが"社会的な自由"を所謂米国的なリベラルでなく護憲の軛からの自由と読み替えれば、寧ろ新党友愛は同時に生まれた自由党に親和性があり、現に旧民社出身ながら自由党に合流した議員もいたのである。
 勿論、旧社会党左派から更に共産との共闘を掲げる以上、旧名称に復した自由党が嘗ての「グランドキャニオンには柵がない」リベラリズムに素直に回帰するのは難しかろうし、世間も認めまい。
 それでも「生活の党」という如何にも左翼的なネーミングからの別離は名は体を表す作用を齋すであろうし、良くも悪くも政労使一体のコーポラティズム的な現況に再び経済的自由主義の立場からアンチテーゼを掲げるのならば、昔の名前を探してくれる"貴女"はまだ見出だし得るのではないか。

10月25日(火) 昔むかしのつい最近  -政治・経済 - 経済-

h733.jpg  先週の記事である。
 「自動運転、地方が熱視線/白馬で実証実験へ」。
 いやはや人口知能もここに極まれり、馬の脳に直接働き掛けて手綱を引くことも無く、二酸化炭素もガスも排出しない無公害の、軌道を持たない馬車鉄道という新たなモビリティ・システムに着手するということか。
 或いは逆に競争馬の敏捷性や本能的な衝突回避の知恵を自動運転の一要素として抽出するのか、いや白馬という位だから五輪に馬術で出場する様な馬の優美さに、自動と謂えども運転者の乗り心地を勘案した、自動車の愉しさを追求する試みだろうか。なるほどビッグデータと言う位だから、いっそ豚でも実証してピッグデータも仕込んだら如何だろうかなどと妄想は膨らんで仕舞った。
h726.jpg  頭蓋骨の容量が脳の発達への阻害要因として腹への移植により進化を促した結果、暴走した愛馬の悲劇を描いた"アルジャーノン"ばりの手塚治虫氏の作品が脳裏を過るが、実証は黒い白馬に跨がって、前へ前へとバックしないことを切に願いたい。

 わざわざ宴席を回避して史上初のパーティ五件の梯子。
 東プリが改装に入って定番会場間の距離が大幅に凝縮されたのが離れ業を可能にしているが、憲政で本人と握手してそのまま裏から忍び足、都市センター経由、お馴染みのルポールは合流した同僚にリレーして後を託す。更に全日空では点心を補充し、オーラスの京プラに辿り着く頃はヘロヘロである。
 言う迄も無くパーティの増殖と選挙の蓋然性は正の相関を示す筈だが、後者は日に日にトーンが落ちている。しかし逆には相関されずパーティは減らない。

10月22日(土) 馬にむかっていけば  -ギャンブル - 中央競馬-

h722.jpg  単線の多摩湖線からの乗り換えに手間取り、遙々の旅路で府中競馬正門前にやって来た。博打は決して嫌いな質ではないものの、これまで公営ギャンブルにはとんと御縁が無く、IR法案も成立間近の昨今改めての視察、と言えば美しいが共同馬主の御仁からの御呼ばれに預かったのだから有り難い。
 全くの素人だから勝馬投票券の種別からレクチュア戴くが、枠から個々の馬に主体が変わった程度の知識しか持ち合わせていないので文字通り見様見真似、怖る怖るの参戦である。
 それでも丁度東京ドームでの優雅な野球観戦同様に、いざ出走するとラウンジからベランダに乗り出し熱い声援、には違いないのだが正直遠目では勝敗が判然とせず、寧ろ手前に見える競馬場、奥にはビール工場の中央フリーウェイ状態が感慨深い。
h723.jpg  一端の大川慶次郎氏気取りで赤鉛筆ならぬ赤ペン片手に競馬新聞を眺めれば、率直極まりない記載が古のプロ野球名鑑を想い起こさせ微笑ましいが、ビギナーズ・ラックと誇る迄には至らなくとも、漸く6レースで単勝ほかを当て払い戻しの要領も覚えてひと息入れる。
 これだけでも充分お腹一杯だが更に勝つカレーで物理的にもお腹一杯になったところで、観客席上に突き出した写真判定室を訪問とは十年振りに出向時代に還ったが如し、まさに視察の様相を呈してきた。三階層に並んだ審判委員によりゴール上を時系列に撮影する特殊なカメラを用いて厳粛に判定される。勿論、レース中では無いからこの馬に懸けたのですがなどと口を挟むことは叶わない。
 更にお馬さん方の通路を経由、勝者の記念撮影風景なぞ眺めながらパドックに辿り着く。私の薄弱な競馬知識においても福永騎手の落馬事故は幼少時に強烈な印象を残しているが、御子息の姿とファンの垂れ幕を拝見すれば時の経過に感じ入るではないか。結果から見る限り、この時点で気合いの入っている馬と入り過ぎた暴れ馬との差違は紙一重であり、到底素人が講釈を垂れるには当たらないが、出走馬の去った芝生を闊歩しただけでこちらはご満悦である。
h724.jpg  漸くシステムも理解して先達に倣い三連単軸流しマルチと洒落込み数撃ちゃ当たる方式を試みるものの、慣れてきた頃が一番危ないという教訓か、メインの11レースからは新潟にも京都にも、寧ろTV観戦の方が勝敗が一目瞭然なので熱くなり間段なく賭けまくる。そして二頭までは適中してもあとひとつが大穴だったりと、気付けば湯水の如くに財布が薄くなっていて青ざめる。
 結論としては中途半端に競馬新聞を宛てにするより、実際に試みて全く実らなかった家族の誕生日の他にも、突飛な馬名なり騎手なりに拘ってチビチビ楽しむべきだったのだろう。
 帰路は府中本町まで橋を渡って中央線の旅、勝つカレーの御利益は無かったがこれからは場外馬券場を通る際、ふと勝負魂が湧き上がるのかも知れない。

10月20日(木) マリオメイキング  -育児 - パパ育児日記。-

h715.jpg  小学校は当たり前だが国会と異なり委員会中心主義ではないので余暇を利用した学校公務の負担の分担に過ぎないが、自らを振り返れば放送委員会だけが所蔵するライブラリーを独占し独立王国の如くあり羨ましかった記憶が鮮明にある。
 ただ昨今はゆとりから総合学習への転換の中で児童の拘束にも限界があり、公資の集会委員に至っては四クラス持ち回りのため数ヵ月に一度の企画・立案のみとは、一年を二十日で暮らす大名お抱えの力士並の優雅さであろう。
 それでも丁度十月に巡って来たのを好機として委員会としてハロウィンの仮装に取り組むとは、機会が少ないだけに却って熱が入る効用は認められるのかも知れない。
 曾ては日頃から御成婚二次会プロデュース業の一貫として折りに触れハンズを回遊していたものだが、今やAmazonを物色するだけで選り取り見取り、流石に父の被った仏像では人物が特定出来なくなって仕舞うので、運動会で五輪の輪の一角を占めたからとの連想でもないのだが、総理に倣いマリオを選択してみた。
 150~160cmクラスのため帽子は些か入団時の堀内恒夫投手の如くぶかぶかなものの、腹回りはぴしゃりであった。ルイージとのセット販売もあったが、祐旭を駆り出しても或いは父が着てみても、ハロウィンへの出座は他に予定されていないので止むなく控える。
h721.jpg  想えばドンキーコング時代の8ビットから、マリオも出世したものである。

  大学時代の友人とのゴルフに続き、今日は珍しく高校時代の友人との会食である。特殊領域の職責に従事しているからか仕事の話題は叶わなくとも子育てや思い出話しで時は流れていくものだが、高校まで遡ると個人名を出されても殆ど記憶が甦えらない。
 ただ今日は現下の共通の知人が続々と判明し、下世話な物言いだが人間関係は複層するのが望ましいと改めて眼の開かれる想いだった。
 関東風にアレンジされオリジナルとは異なる様だが、静岡おでんも美味しゅうございました。

10月16日(日) 大和はまほろばならず  -車・バイク - ドライブ記-

h719.jpg  社用族は気楽な稼業と言う勿れ、実に2011年11月以来、五年振りに友人との棒振りである。だから1.5ラウンドならぬ1.5時間の昼食も子育て談義はじめ話題には事欠かなかったし、冠雪には少し早かったものの無事富士も拝め、スコア自体は平凡そのものだったが愉しいひと時であった。
 そこまでは順風だったが万事塞翁、当初の10時台から大幅に繰り上がったので帰路も程々と思いきや早々に事故渋滞で数珠繋ぎに陥る。元より事故ならば処理が終われば暫時流れる筈だし、或いは手前での塞き止めが通常の自然渋滞を幾分でも緩和するのでは無かろうかと淡い期待を抱いたのは大きな錯覚であった。
 世に中央道の小仏トンネルはじめ渋滞のメッカは数限り無いが、高速道路各社も決して手を拱いている訳では無いのは、因果関係は定かでなくとも民営化の効用なのかも知れない。ここ東名においても圏央道からの流入は海老名ジャンクションから綾瀬バス停までの路肩を転用した付加車線により、相当に解消されたとの指摘がある。
 ただ詰まるところ元来のサグに加えて隧道たる構造からして車線を増やせない大和トンネルが存在する限り、根元的な解決は見込めない。元より厚木基地に近いことから安全上敢えて盛り土してトンネルにしているので、天蓋を取っ払っての拡幅も全く不可能では無いとはいえ、米軍との交渉も必要になろうから話しは簡単ではない。
h725.jpg  御殿場から実に三時間半、東名を決して甘く見てはいけないとの教訓が色濃く残った一日だった。

 非常に稼働率の高いわが家のミニ卓球台のお陰で、確かに子供達の技量は確実に向上している。取り分け手首の捏ね方が肝で、時にはバックハンドも織り交ぜながら長くラリーが続き、遂にマイラケまで新調したとは気合いが伺えるではないか。
 返し過ぎず押し込む手首の使い方がゴルフにも役立つとは必ずしも保証出来ないものの、少なくとも幼少時から球技に触れた経験は30の手習いで苦労した父に比べれば大きなアドバンテージであろう。

10月15日(土) クロノスの微笑み  -ビジネス - ビジネス-

h716.jpg  子供とお出掛けシリーズも中学生となると知識の習得に結び付く様なとネットも漁ってみるが、昨今流行りの工場見学の大半は平日のみで偶に土日稼働のそれは概ね数ヵ月先まで満員御礼が続いている。
 従って既に竣工から三年を経て休日に視察の空きがチラホラ現れたからには違いないが、兎角"ロヂ"と蔑まれるわが方の輜重兵の5分の霊が物流への共感を喚起した結果が、羽田クロノゲートへと導かれたとも言える。
 羽田の守護神、穴守稲荷に程近い立地は陸海空の結接点であり、わが国最大の宅急便のハブ、分別基地であると同時にヤマト運輸の宣材拠点を兼ねている。
 高速のコンベアに載せられた荷物は、ベルトが区切られた「セル」の差配で地域毎に分別され各地の拠点へと主には陸路で運ばれていく。
 ベルト相互の合流・分配における速度や荷物を押し出す為の傾斜の微妙な自動調整が技術の魅せ所であり、物流にこそ当面最も求められる自動運転は矢張り自動車単体に留まらず路側の対応が必要とのメタファと受け止めるのは些か思想が偏っていようか。よく見ると処々小さな荷物はセル間に挟まったりもしているが、荷物は物を言わないので事後的な修整の許容範囲であれば過度の厳密なシステムは必要無いのだろう。
h718.jpg  大阪にも同様のシステムを配備すれば関西圏までの当日配送が可能になるとの解説だが、狭い日本をそこまで急ぐべきかの是非は別として物流産業はまだまだ飛躍の余地があり、引いてはサービス業のインフラ・パッケージとしてシステム輸出の大きなタマたり得るのであろう。
 人の姿が疎らなのは、実は非公開領域に押し込められた従僕が蠢いているのではないかと邪推するのは労働集約的な先入観の為せる業であり、原始的な仕分けも機械に代替されつつある証佐たろう。
 顧客に直接結び付くスポークの部分は人海戦術に頼らざるを得ず、だからこそ顧客から連絡しない限り再配達に現れない日本郵政よりも使い勝手がよいのだが、最終消費財同様に目に見える行程が多い分、老若男女を問わずPRには適しており、3Kイメージの払拭は業界の地井向上を促し、拠点における自動化と相俟って生産性の向上に寄与しよう。元より単純労働の雇用の受け皿機能は低下しようが。
h717.jpg  新機事業の解説もあり、壊れたら新品が送られて来るソニー型の商慣習が定着する中で、恐らくは利幅も需要も小さいとはいえ、修理まで川下に委ねて仕舞う電機産業は庇を貸して母屋を取られないかと心配になったが、本予算並の母屋がおかゆ状態ではアウトソース可の部分は限り無く分離したいのだろう。寧ろ実物の流れを握っている物流の新たな強みが活かされたと肯定的に捉えるべきだろうか。
 撮影不可かつガラス越しばかりで隔靴掻痒感は否めないが、ネタバレにはなるが瞬間調光ガラスの早変わりで退屈そうな調整室が現れたりと、年少者へのエンターテインメントにも一応は配慮されているのでお薦めの逸品である。

 不慣れな地理に首都高を横浜方面に入ったため慌て降りて飲食を求めて彷徨えば鈴木町が現れる。発祥の地らしく味の素のうま味体験館に出会したが、日曜かつ夜半では当然二重に何も賞味出来ない。
 如何にも郊外型の複合ショッピングセンターの一角で腹を満たして帰路に付く。製造業務同様に物流もまた労務空間そのもののみならず周辺住環境の彩りが次たる課題なのかも知れない。

10月12日(水) コアラなき一泊延べ四日  -海外情報 - オーストラリア-

h711.jpg  国内線の細い通路は飲料を運ぶワゴンが稼働すると前後不通に陥るが、恰も単線における列車交換設備の如くに中央付近の一列のみ前席との間隔が広く、膀胱を破裂させる窮地には陥らない。ただこの席を預かれば足は伸ばせても不定期に他人の尻か陰部かが眼前を遮るので決してお奨め出来まい。
 しかしながら凡そ一日半振りのシドニー空港では往路と異なり積荷をピックアップする必要が無く、楽チンを謳歌していたのが運命の別れ道とはビクトリア女王でも気付くめえ。
 メルボルンでのチェックインの間際、割れ物故に大事を取ってとスーツケースから鞄に入れ換えたワインボトルが、見事に没収トである。メルボルンで指摘されれば急ぎ引き返して収納する算段も組めたかも知れないが、分量が少ないと自ら毒味をさせられる議員会館に倣って係員に一杯如何ですかと薦める余裕も毛頭生じ無い。やむを得ず免税店でワインを調達し直したが、昨年送付代が矢鱈と高く付いたトラウマの反作用であり、そもそもワインが好きでも無いのに手を出す半可通が首を絞めたと言えようか。
h713.jpg  何とかラウンジに辿り着いて気を取り直し、僅か二日も経過していない羽田のVIPルームは遥か彼方の記憶と一同想いを馳せて再び787の人となる。帰路は今となっては当たり籤の左側一列席を獲得したが、同じCA御一行様に巡り合い彼等の勤務サイクルと同一の弾丸ツアーであったことに深く感じ入った。 深夜便は睡眠が必定であるからこそビジネスの効能がより活かされるとは言え、残念ながら映画鑑賞は制約される。
 それでも行きにはスケールがでかい割りにオペレーションはミニマムという、前作を踏襲したハリウッドらしい「インディペンデンス・デイ」の続篇と、早くもラインナップに乗ったシンゴジラ再び。帰路は世代的にはヒットして然るべきだが本編に親しんでいないと愉しめない要素もあったろう「スタートレック」、更に「植物図鑑」は野菜嫌いには共鳴し難いテーマだった。寧ろ睡眠を削っても鑑賞したい作品に恵まれなかったのは、体力的には幸いだったかも知れない。

h712.jpg  ケアンズを訪れた際、余りの高物価に新興国にありがちな観光客対応の二重価格を疑ったがそれは杞憂であり、事実国を挙げての物価高はわが国ならば与野党問わず泣いて歓びそうな最低賃金千円と入れ子の関係になっている。だからこそ労働集約型の製造業を放棄した結果、豊富な資源輸出に依ってなお貿易収支は赤字基調である。
h714.jpg  にも拘わらずサービスが黒字なのは観光、就く少々の物価高には頓着しない小金持ち層の需要があり、それを裏打ちしているのが暮らし易さというイメージであろう。多数の産業人口は必要とせず、物理的に移民の到来も考え難く、それがまた適度にハイソなコンパクト・シティを維持せしめる。わが国経済には全く参考にならないが、恐らくは人が余るか人件費が嵩めばワークシェアの方向に向かう、貧富の差が少なくなりそうな構造は朧気に理解出来た。
 時差が無いのも善し悪しで、5時には通関も出て議員二氏は永田町へ、同行の士は札幌へと旅立つ中、一旦家に荷物を置いて出社する。わが国はまだまだモーレツである。

10月11日(火) 路面電車に乗って  -海外情報 - オーストラリア-

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(左上から)線路からクリケット・スタジアムを
臨む、旧国会議事堂、路面電車が一杯、
王立展示館
 開けて貴重な唯一の朝は当然散策に費やさなければならない。まだ明け切らぬ6時に出立し単身市内巡りである。
 1854年竣工のフリンダース・ストリート駅を基点に跨線橋から階下の大量の線路を見下ろせば、トンネルへと吸い込まれていく電車には見覚えがある。昨夜川越しに眺めたものと同一ならば、郊外では地上に現れる東西線スタイルの地下鉄なのだろうか。
 遠くに望むクリケット・スタジアムに大英帝国の縁を想い、かのケアンズでは気魂しかった横断歩道の誘導音も消え入るが如く控え目な奏でと気付く頃には、不遜にも一端の豪州通気取りである。
 路面電車の軌道に沿って歩けば、居住性に優れる替わりに芳しからぬ観光資源の中でも、職責柄外してはならない首都時代の国会議事堂は存外に小振りで些かの拍子抜けは否めない。撮影禁止の地下鉄への潜入は断念してそのままカールトン庭園から王立展示館の触りだけ臨むが、豪州最古の欧風建築・公園として世界遺産に登録されていると言われても、今ひとつ面白味には欠けよう。
 そこで元より鉄道マニアでは無いが、矢張り土地勘のあるフィールドに回帰して帰路は路面電車を活用してみた。市内外周はロハとは驚くべき公共性だが、丹念に路線番号を確認した割りには大きく右に舵を切って市街地に闖入したところで注意深く辺りを見渡す。新婚旅行のプラハで偽検札官から法外な罰金を課された記憶が遮るが、今更支払うことも能ずもし煙管だったら御詫びしておきたい。
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 教会も多く旧い街並みの残る美しい街には如何にも映える路面電車も、かく頻繁かつ縦横無尽に辺り一面を埋め尽くしていると有り難みも薄れるとは贅沢な物言いだが、休前日夜の幹線は30秒間隔とは常軌を逸した数珠繋ぎで、その技術こそ高度交通システムの名に相応しかろう。坂の街だからこそ地域の足としての価値があるのは、何処と無くサンフランシスコを想起させるではないか。
 全地球規模での住み易い街ナンバーワンに選ばれるのも道理のまさにコンパクト・シティ、スマートシティを実証するにもどんぴしゃりだが今年も肝心の実験を体感するには時間が無いし、街中での実証は土台無理である。そもそも自動車産業の消滅する国家において、トラムの生き残り得る交通流の街には自動運転の必要性も薄かろう。
 概ねひと時半、古都を満喫して企業人に戻る。

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愉しそうだがこういうものには寄らない
 タクシーではぐれ刑事のハプニングこそあれ再び海辺のコンベンション、本日は展示開場へと歩を進め、お馴染みの日本ブースの開幕テープカット・セレモニーに臨む。賑やかしの一味として周囲に陣取り、処々に官民見覚えのある顔触れが二列縦退で白手袋に鋏の仰々しい構えを拝む。
 午前中一杯は出展した本邦官公民全てのブースを巡視で練り歩くが、残念ながら体験ものが少なく押し並べてパネルなので、恰も朝から晩まで面接官に従事していると同一人物が現れたかと錯覚する様な、内容の重複も多々見受けられよう、流石にバッチのある方々は忍耐強く傾聴力に長けておられると感服した。尤も与野党相乗り三議員のうち二氏が理系であり従来とは若干の様相を異にしたのか、各ブースの説明員も張り切ったか、なお時間が押して慌ただしく会場を後にする。
h707.jpg  そしてオーラスに至り短かった今般行程唯一の余暇、 昨年に続く、メルボルン市内を跨ぎ南極海へと注ぐヤラ川の名を冠した豪州有数のワイナリー、ヤラ・バレーである。生憎の曇天もここに至って晴れ間が覗き、小一時間の郊外への旅路で辺りは一面の草原、漸く亜大陸らしき光景にあり付いたかと一同感嘆したものの、冷静に眺めれば富良野の如く美映の如くであり、これが本物の豪州の絵柄なのかは定かでない。
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 羊が一匹、羊が二匹とフェアウェイかと見紛う牧草地帯を目にすればラムを賞味したくなるのも人の道、急ぎワインを流し込みバレー最古のイェリング本体に向かえば、買い物の隙すらない強行軍の我々を見越した様に、土産にはお誂え向きの小ボトルが並んでいるではないか。しかも菓子折りに加えここでも英連邦らしくワイナリーには幾分不似合いな紅茶すら數種類に亘っており、早々に調達完了とは頼もしい。
 空港までの道程を二台分乗とした賜物、ショコラティエ・ショップにも寄り道し、蒸気機関車も走るという森林を潜り抜けて大団円に至ったのだった。落とし穴が待ち受けていたのは空港に到着してからになる。
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