コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月30日(金) 間違い探し  -グルメ - 東京のグルメ-

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 年明け総選挙も囁かれる中、パーティは花盛りである。隣の都市センターからは連日の様に修学旅行と思しきバスが早朝から出立する中、今週は月、水、金と朝からルポールである。
 「いかのおすし」は防犯の標語だが、「いかのおさしみ」はルポール麹町と評される程に定番なのは地方公務員共済という経営母体柄、全国のルポールに一括して供されているのかも知れないが、恐らくは日保ちの良さが買われたのだろう。
 記憶が正しければ月曜は魚が倍付けで替わりに一品割愛されていたが水金はまさに瓜二つ、写真では伏せられているが金曜には白米から振り掛けが除かれていたとの証言もあるので微妙な差異は認められるものの、コストパフォーマンスに優れ与野党隣り合わせで受付が並び、眼の遣り場に困る光景が多発する所以である。
 大浴場も存在するらしいが、闇夜の永田町を睥睨する眺めはさぞやシュールなことだろう。宿泊する事態は流石に訪れないだろうが。

 70年代時分の雑誌を紐解くと現代の眼には直截な表現が頻出して刮目するが、曾ては些かエスプリの効き過ぎたユーモアとして許容されたものが、洒落で済まされない配慮の行き届いた世の中になったということだろう。
 従って閉ざされた空間の中において、場の空気感には見合う笑いや共感を醸成する発言であっても、ひと度それがメディアの味付けを経て万般に流布されると、当事者ですら何故にかく口端ったかと自省に駆られそうな常軌を逸した失言に映る事態は、現代社会においてはまま訪れる。
 それでもなお今回は些か勢い勇み過ぎだろうが、過度に物言えば唇寒しの世界も堅苦しさは否めまい。

9月28日(水) 友情と打算の二重構造  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h679.jpg  永田町周辺居住者に手を染めたのが21世紀の幕開けのタイミングだから、所謂「加藤の乱」はギリギリで純然たる野次馬として迎えている。従って、YKKが最も輝いていた時代そのものには立ち会っていないのだが、「Y」から直接薫陶を受けた世代を継承する立場に位置したことから、かの「YKK秘録」は大いなる畏敬を以て拝読したのである。
 既に幾多の指摘の通り、第一に驚愕するのはその記録魔振りだろうが、兎角平板に陥りがちな政治家本人の回顧録でありながら些か生々しいやり取りが克明に記されているのも興味を倍加させるのみならず、処々に座談の名手たる氏特有の語り口が垣間見られるのにはニヤリとさせられる。
 ただ自身謎解きをしてみせた様に2003年までで記述が終わっているのは、少なくとも「YとK」にとって最も華やかであったろうYKKの時代は氏の落選を以てひとつのピリオドを迎え、歴史と化したからこそ本日の出版記念会を前に黄泉路に就いた「K」の娘氏を挟んでの、突飛な譬喩ではあるがジェイソン・ボーナム氏を迎えたレッド・ツェッペリンに漂う喪失感と言うよりは、恰も同窓会宜しく程好く微温的な雰囲気に包まれたのだろう。
 世評、YKKとは往時の経世会支配の打破を旗頭とし、それはもうひとりの「K」によって郵政や道路公団の民営化という形に結実したとされるが、秘録にもある様に一期下で今もなお現職の「N」氏が加わっていた時期があったことからも実際には「反小沢」が本意だったことが解る。
 二度の政権交替、YKK側から見れば下野を経て、圧倒的な強さを誇った小沢氏の手に依る民主党政権を打ち破ったのは確かに「K」の系譜に連なる現政権であるが、それはもう秘録の記すところではない。畢竟、彼等自身にとってもまた強きものに戦いを挑んだ頃が最も愉しく充実したかった時分では無かったろうか。だがその功罪が明らかになるのは秘録の披瀝を経てなお、もう少し時間が掛かりそうである。

9月23日(金) 仕事の流儀  -スポーツ - バスケットボール-

h676.jpg  東洋の魔女の記憶は薄らいだとはいえ国際機関そのものをわが国経済が支えてきた排球にしてなお、Jリーグとの僅かなタイミングのズレが未だ完全プロ化を実現させていない事実に鑑みれば、国際的な競争力において明らかに劣る籠球が、紆余曲折のおかげで逆に先んじる結果となったのは朗報だったのだろうか。
 初のプロスポーツとして圧倒的な人気を誇る沖縄と恐らく親会社が最も裕福な、旧両リーグを代表する二者によって国立代々木競技場第一体育館というアマチュアリズムの聖地で行われた開幕戦は、今やプロ野球ですら希少となった地上波のゴールデン生放送が上々の幕開けを物語ってはいたものの、同時に却って持続性の危うさもまた強く伺われた。
 選手個々の技量では大衆へのアピールに乏しいからこそ娯楽と地域性に活路を見出だした構造は理解出来るものの、取り分け蹴球由来の地域密着が恰も営利性を否定的に捉えるが如く、併掲の認められている企業名が一律に喪われたのは象徴的だが、クラブチームと大差無くプロを標榜しても必ずしも専業は叶うまいと嘆くよりは寧ろプロとアマの一体化、更に言えばプロ化へのハードルが著しく下がったと受け止めるべきなのだろう。
h677.jpg  例えば野球の独立リーグは社会人野球の代替としての日本野球機構への選手養成機能を担いつつ独立採算のプロとして既に認知されつつある一方で、競技そのものすら未だ人口に膾炙していないe-sportsのサッカー部門にヴェルディが参入と聴いてスポッチャのそれ(左写真)を想像したら蓋を開けてみれば純然たるTVゲームとは、最早スポーツ事業の多角化の文脈で捉えるべきかも知れない。
 ただ被用者側に雇用の流動性を超え常態的な複数収入に道を拓くという意味では極めて現代的だが、プロスポーツ化の進展が逆説的に一部の超一流選手を除き職業としての運動を成立し得なくしつつある現実が、ウェーバーが政治に対して与するところと同じく職業としての運動の崇高性、すら喪わせしめない危惧は生じよう。或いは赤字が嵩んだら競技を挙げてクラブチームへの転向も辞さぬ、参入とともに退出障壁も小さいのがこれからの「プロ」の構えかも知れないが。

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奥はゴルフ
 物理的な拘束を極端に厭う性癖のためわが家では「裸族」の異名が与えられているが、加えて生来の甲高により靴の選択には悩まされてきた。
 長年ゴルフ・ブランドを愛用してきたが、それでもなお電車の中でも屡々靴下姿を披露していては、ブームの走りに背を向けるばかりか歩数を稼ぐことすら覚束無い。
 ところが偶さかに4Eをキーワードに浮上したお多福なる安価な品に手を染めると皮が薄くて柔らかな分、実に快適で驚いた。だからと言って急に徒歩移動に回帰する訳でも無いのだが。

9月22日(祝) 遠きスポッチャ  -映画 - 映画レビュー-

h673.jpg  遠出の無かった銀週間の数少ないイベントとしてはとバスによる東京巡り、御上りさん体験を企画したが、天井の無い二階建てバスのため当然の如く運行取り止め、一日遅れのSeptemberに雲は追い払えないどころか、すっかり亜熱帯と化して護岸やら対策の整った古式ゆかしい沖縄から九州にかけての台風を、些かの語弊こそあれ懐かしく感じて仕舞う今日この頃である。
 替わりに友人に誘われたスポッチャに送ってと祐旭の依頼を安請け合いすると板橋にあらず入間とは幾ら帝都下北西部の中学同級生の寄合とはいえ遠過ぎや仕舞いか。いっそそのまま居座ってもと逡巡したが、保護者付きも鬱陶しかろうと棄権しても詰まるところ蜻蛉返りも甚だしい。
 しかも二度目の帰路、午前中の経験則から渋滞を避け迂回した積もりがアウトレットと大型スーパーに面した道路が排出される駐車車両のおかげでウンともスンとも動かないではないか。一本道のまま大量の商業施設を拵えれば当然予想された結果であり、まさに列島改造論で示された公権力による介入の欠如、都市政策の貧困の典型例だろう。
 命辛々圏央道に滑り込んだものの妻と公資は自力救済に委ね直接としまえんに赴かざるを得ないとはとんだ秋季皇霊祭であった。

h674.jpg  しかし新宿からユナイテッドシネマズにシフトしたおかげで何とか間に合ったのだからまだ運気は尽きていまい。
 このところ映画尽いているが、「真田十勇士」は勘九郎氏の巧みな演技こそが「嘘が誠」なるテーマ設定をまさに体現しているにも拘わらず旨過ぎるが故に却って説明過剰に映るし、幾ら演技力があっても大竹しのぶ氏の淀君は些か薹が立っていよう。大河ドラマとのタイミングは相乗効果もあろうが、藤井隆氏と同一人物との邪念に襲われると混乱するデメリットもある。
 翻って単純明快なストーリーと相俟って勘三郎氏が真剣になればなる程、果たして昨今流行りの漫画原作由来の若年層向け作品だったかと錯覚しそうになったが、舞台由来と聞けば確かにキメの場面が要所に散りばめられており得心出来る。
 わざわざ映画化したのは堤幸彦監督が合戦を撮ってみたかったのが本音かも知れないが、残念ながら初日にも拘わらず些か寂しい客入りも寧ろ家族連れには解り易く楽しめ、今からでも遡及対象を緩やかにシフトすべきではなかろうか。

9月19日(祝)  忘却とは忘れ去ることなり  -アニメ・コミック - アニメ-

h669.jpg  まだ五歳の祐旭を連れて亀有を訪れたのは八年前、即ちこの時点ではまだ熱心なこち亀の読者であったことが裏付けられる。
 初期のスラップスティック劇からマニアネタの見本市を経て、恰も映画版ドラえもんがドラえもんの世界観を借りた冒険活劇であるのと同様に、下町の寿司店や大阪府警といった全く異なる舞台にキャラクターを当て嵌めた複数ステージの輪番に落ち着いたのは、ネタ切れと言うよりは作者自身の厭きを回避する為の措置だったのでは無かろうか。
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園児時代の祐旭と(08/11)
 結果としてそれは長期連載記録を更新し続ける延命には寄与したが、こち亀の最大の魅力であった過去の膨大な軌跡に立脚した仮想空間に現実味を与える裏付けが希薄化し、螺旋階段を登るのでなく堂々巡りしているが如く映ったのが個人的には関心の薄れた要因だったと分析出来る。
 恐らく作者自身が最もその惰性に気付いており、取り分け昨今は神格化され幾ら羽目を外しても却って賞賛されるだけという環境に居心地が悪くなっていたのでは無いか。
 記録の為にスタメン出場して早々にベンチに消える、痛々しい最終年の衣笠選手でなく、自ら欠場してなお三年の命脈を保ったリプケン選手の如く、秋本治氏には山止たつひこ時代を思い出してとは申すまいが、普通の漫画のポジションに戻ったこち亀の緩やかな晩年を是非改めて描いて戴きたい。

h670.jpg  一家揃っての「君の名は。」。若者向けの恋愛ドラマの舞台設定に自然に用いられる程にSF推理・謎解きの要素が市民権を得ているということか。
 声からしてBUMP OF CHICKENの紛い物の様な楽曲、評すると最近の若者はと嘆く年寄り風情だが、ミュージカル宜しく矢鱈と流れる演出は余り好みではない。とはいえジブリの如く真知子巻きならぬ左巻きの思想も見当たらず、深刻になりそうなシーンも笑いで中和するところも現代風である。
 言葉遊びをフックにしているのも野田秀機というよりは、非都市部の民間伝承を装う処がジブリ擬きではあるが、商魂逞しく元ネタ探しでもうひと儲けを企む技術は見習わないで欲しいところである。
 流石にゴジラを上回る興行収入は必ずしも納得出来ないものの楽しめたのは間違いない。恐らく主たる視聴層には「転校生」の翻案と言っても通じないし、オマージュには違いないがラストの邂逅もよくみれば数寄屋橋、更に耳を凝らせば僅かに赤尾敏氏の演説が谺している、ことは無かったと付言しておこう。

9月18日(日) 夢を運ぶバス  -音楽 - 楽器 練習-

h671.jpg  ベースに手を染めたのはと述懐するのが烏滸がましい程に遂ぞ初心者の域を超えなかったが、YMO熱の醒めた中学生の時分だから細野晴臣氏への憧憬よりは、単音故に左手の運指が楽という単純な理由だったかも知れない。寧ろリズム楽器として単音だからこそより精緻な音使いが求められることには拙い演奏を録音して改めて気付いたが、上物たる他の楽器以上にルート音を確実に抑える行為が楽曲構成の必須要件という実感が、左手による鍵盤使用であっても後年に至るまで主にベース役を司取る契機にはなったのだろう。
 二本目にしてメインの地位を占めたのは流行りのヘッドレスで、こちらは昨年亡くなったCCB渡辺英樹氏のベースを弾きながら唱う姿がモチーフになっていようか。元よりスタインバーガーは余りに高価なので、フェンダーとフェルナンデスの関係以上にストレートな模造品たるホーナーだったが、勢い余ってギターも揃えて仕舞ったのは若気の至りに他ならない。
 何よりコンパクトかつ軽いのが重いベースを抱えるだけで肩が痛くなる虚弱な身の上には重宝したが、最早過去の遺物と思いきや寧ろホーナーがより希少品となり、本家の方はラインナップは縮小されても激安で手に入るとは時の流れは残酷である。
h672.jpg  しかし発見して仕舞えばIT社会の恐ろしさ、懐古趣味と相俟って思わずネット・イシバシから購入に及ぶとはこれぞ大人買いの極みであろう。今やチョッパー改めスラップ奏法もシーラカンス並みになったフュージョンの超絶テクニシャンにしか見受けられなくなってきたが、同じ親指使いでも細野さんのサムピッキングは到底ままならない。意外だったのは五弦に昇格して到来したゼロ弦が二本指のフィンガーピックの支点として役立つことだろうか。
 逆に面倒なのは両側がボールエンドの専用弦のため往時ですら調達は容易で無かったが、幸いギターに比べ圧倒的に太いベース弦はそう簡単には切れないだろうし、ヘッドレスにはチューニングが狂い難い利点もあるらしい。  重なる時は重なるものでCDプレイヤー兼ミキサーが遂ぞDJ仕様の機能を発揮することなく約四年でお釈迦になり新調と楽器への投資が続き、小振りなアンプも誂えたので暫し練習を装い遊んでみよう。
h675.jpg かくなる上は久々にスタジオに入りたくなる、までに少しは上達すれば我ながら見上げた根性なのだが。

 三週連続のオーラスは前日練習に及んで意気込んだが、打球が須く激しい左巻きで撃沈。保守主義者にあるまじき行為と深く反省し翌朝も練習に赴く。人は中途半端に手慰みで一定の域に達する競技よりも不得意な分野にこそ上達の可能性が秘められる、と涙ぐましい努力は報われるべしと暗示を掛けてみる。

9月16日(金) 二つの祖国  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h666.jpg  新代表の肩を持つ謂れは無いが、過去の発言を窺う限り疑念を抱かれるのも宜なるかなではあっても、少なくとも意図的なもので無ければ、法的には22歳までの選択が義務付けられているとはいえ、過度に目くじらを立てるのは幾分タメにする議論のきらいも感じられる。属地主義の米国籍が残置されているケースは少なくなく、湾岸戦争の時分に万一戦線が拡大して徴兵の可能性が生じたら米国籍を放棄すると宣った友人を思い出す。
 ただ他国に内通までは下衆の勘繰りも過ぎるものの、利便性から、或いは単なる出自に基因する愛着故であったとしても政治家たればこそ些か軽率の謗りは免れ得ないし、二転三転した説明の稚拙さが不信感を抱かせたのは第二党の党首候補に相応しい振る舞いでは無かった。実際、多くのサポーターは本件に火が点く前に郵送を済ませており、投票行動の変更を要求されれば収拾が採れなかったろう。
h667.jpg  だからこそ当日の票の行方がより注目されたが、結果的には議員二票・支部長一票のみの争いだったとしても、過半数すれすれとはいえ二・三位連合の成否が取り沙汰される局面すら生じなかったのは拍子抜けとは言えまいか。寧ろアキレス腱として取り沙汰される方が、逆算して政権担当能力の可否を問われているという意味で、存在意義を是認されていると受け止めなければならない様では多難な船出である。

 一年半振りの消化器総浚い、前夜からの下剤が効き過ぎたか夜半から下り気味だったが、朝から自宅でレモン風味の液体を煽り腸内を空にしてから赴く方式に改められていた。
 幸い胃カメラは想定通りの立派な逆流性食道炎と潰瘍だったが、前回七つもポリープを摘まみ取られた大腸は全く瑕疵無く次回は二~三年後で充分とのお達しにはこちらも拍子抜け、胃潰瘍の薬も頂戴したが飲む前にはや痛みも消滅した。Sick Is Cash.

9月10日(土) 神は合理性に宿る  -スポーツ - プロ野球-

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新井選手(8/24)
 経済原理に則れば経済規模も小さく、かつ集客性にも乏しい市場における地域拠点を維持する必要性は無く、従って90年代以降の広島カープは存在価値の極めて低い危険水域にあったのではないか。
 元より国際的なネームバリューは規模の経済を補うものであったとしても、少なくとも75年の初優勝に至る過程の苦闘の歴史を支えたのは熱狂的なファンの存在であり、幸か不幸か常勝球団として栄冠を重ねる程に「勝っても客は入らない」と指弾される迄に顧客の側が醒めて仕舞ったのが収益性を更に鈍化させる悪循環を呼び、更にはフリーエージェント制の導入以降は選手の売り喰いで細々と食い繋ぐという経営体質自体に疑問符の烙印を押されていた。
 従って、昨今のカープ・ブームが戦力的には必ずしも充実しているとも言い難い本年に優勝を齊した原動力には違い無かろうが、この長き雌伏の時はファンを覚醒させる渇望の為の四半世紀であったとも言えよう。
 ただ冷静に見れば莫大な球場使用料に音を上げて移転すら視野に入れざるを得なくなった横浜球団とは対照的に、同じ政令市所有の球場でありながら、親会社のボジションは外れながらもマツダが億単位のネーミングライツを拠出し、球団が指定管理者として球場からの上がりを相応に懐に納め得る近年の広島カープは、独立採算による黒字を達成し得る経営環境が調えられており、だからこそ前田投手の売却益を球場並びに地域整備に資する太っ腹に映る経営判断も一定の経済合理性に基づいていると言えよう。
h665.jpg  元よりだとしても中国地方から九州を母体に潜在的には比較劣位な戦力の育成の一方で、限られた資本を黒田投手に集中投下し、恩讐を超えて新井選手を再雇用するといった冷徹な経営戦略が功を奏したのは疑い無かろう。
 願わくばカープ女子の熱が醒めない様に、来年以降も程好い資産売却と補強を続けて戴きたい。

 今日は終盤、2オン2パットが2ホールと久々に後半47と回復基調、漸く本年初の二桁が視野に入ってきた。継続は力なり。

9月6日(火) アルファの伝説  -音楽 - 音楽-

h662.jpg  漸く発刊された「アルファの伝説 村井邦彦の時代」を読んで、勿論YMOとの関わり含め作曲家/プロデューサーたる氏の足跡は興味深かったものの、氏が去ってからのもうひとつのアルファの伝説に全く触れられていないのは、些か拍子抜けであった。
 と言うのも以前レコード・コレクター誌の連載「アルファの宴」では、アルファレコード被害者の会なる集団まで結成されたという迷走する後期アルファの軌跡が赤裸々に述べられており、書籍化を心待ちにしていたのだが、結論から言えば今般のそれは全くの別物であった。
h663.jpg  「宴」が眠ったままなのは何等かの横槍があったと邪推されるが、アルファが原盤権を持つ音源を切り売りする所謂「アルファ商法」で村井後の経営を維持してきたのは事実であろう。しかも坂本龍一氏がCMやテレビ楽曲のベスト盤を発売した際に水増しして同趣の二枚組を拵えたミディ・レコードが、後々まで様々な形で物議を醸し出しはしたし、実演家の意志には反しても、ダボハゼの如く飛び付くファン心理には叶った試みだったのに対し、希少性を装いながら内実に乏しいアルファのそれは伊東正義氏に「表紙だけ替えても」と一喝されそうな、元より村井氏の責では無いものの、臭いものに蓋をするには余りに生々しい歴史だったろう。
 ただ等しくYMOの立役者のひとりたる川添象郎氏が後年、幾度も大衆誌を賑やかした様にと言っては失礼かも知れないが、必ずしも商業性に捕らわれない高等遊民の如く存在が、経済合理性からは導き出され難い芸術を時に世に伝播させる触媒の役割を果たした時代があり、だからこそその存在を喪えば遺産の売り喰いに堕すのもまた道理なのかも知れない。
 そして良くも悪くも平準化された社会はかく嫉妬の対象に陥りかねない人種を滅失させ、彼等と彼等の余剰財力によって育まれた夜毎の宴も今や昔の物語として、美しく伝説化されたのだろう、とふとキャンティにて想う。

9月4日(日) 神輿に乗る人担ぐ人  -育児 - パパ育児日記。-

h659.jpg  曾て子供達が神社経営の幼稚園に通っていた際は御輿は荷が重く、山車の曳き綱に手を添え徒歩行軍に及ぶこと幾度であったが、長き地元でありながら馬橋稲荷の四年に一度の例大祭が宮御輿の巡業を以て執り行われるとは、寡聞にして初耳であった。
 朝かたの豪雨も上がり小学校に集合すると公資には早速「まばし小」名義の法被が手渡され本格的である。しかも到底「御輿は軽くて」と揶揄出来そうもない子供御輿を前に暫し待機していると、荒くれ者チックな身形の男どもに担がれた本御輿が学校前を通過する。随行の軽トラックに加え殿には白馬に跨がった米寿の宮司様と豪華絢爛ではないか。
 追随する子供御輿も、当初は胴上げに加わらず向正面に向かって万歳する賑やかしの野球選手の如くに取り巻きに留まっていた公資も、頑強に見受けられる体格故か程無く友人とともに先頭の担ぎ手に招聘され、被写体として映えること夥しい。
h660.jpg  馬橋通りまで辿り着いたところで右折する子供御輿を見送り、仲通り商店街を竿で電線を持ち上げつつ闊歩する本御輿に暫し追随し、既に小学校OB故に声出しに終始した祐旭と父は退散したが、子供御輿は想定以上に長駆回遊して馬橋稲荷まで練り歩いた模様で、ガリガリ君を戴いてなお些かグロッキーだった公資は地元選出大臣の尊顔を拝する前にこちらも神社を後にしたという。
 青梅街道上を走る都電杉並線の健在なりし時分は高円寺・阿佐ヶ谷と同格だった馬橋の町名が住居表示の改訂により消えて既に既に半世紀余り、敢えて名称を残す為に馬橋を名乗った神社の英断は、杉並公立ナンバースクール名義に統一されなかった小学校はじめ、青梅街道と早稲田通りを結ぶ足として重宝されている地域道、更には旧気象研究所跡地の公園、果ては音頭に至るまで、馬橋の名を今に伝える縁となっている。
 馬橋のわ~れ~ら~。
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