コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月30日(水) 彼氏がユニフォームを着替えたら  -スポーツ - プロ野球-

h341.jpg
 FA制度が導入されて二十年を超え、今やわが国から交換トレードという概念はほぼ絶滅した感がある。実際、昨オフは一件のみ、今般は年末を迎えなお皆無であり、移籍がFAと自由契約という両極端に二分されているのは、損得勘定が明らかになるトレードをリスクとして回避する心理が働いているからだろうか。
 その自由契約市場も嘗て70年代に試行された、支配下選手の一定割合を強制的に再分配に供するトレード会議が、結局は余剰戦力の盥回しに終わり数年で消滅した様に、旧所属球団の構成やフロント・監督との人間関係に帰因する、平たく言えば伸び代の想定される選手には次の職場から早々に唾が付けられ個別球団の形式的な採用テストが行われる替わりに、鳴り物入りで始まった合同トライアウトは形骸化が憂えられるに至っている。
 15年目を迎え一回に凝縮されたトライアウト経由の採用は四人に留まり、少年隊・東氏のナレーションで年末の風物詩となった「戦力外通告」の番組も、魅せ場たる採用を告げる携帯電話の鳴るシーンも独立リーグと社会人からに留まり、カタルシスに欠けると言わざるを得なかった。そもそもどん底から這い上がるシンデレラ・ストーリーは判官贔屓のわが国国民性に合致してはいようが、恰も自由契約経験者こそがヒーローが如く描写には些か主客転倒の感も否めなかったろう。

 放映に触発された訳でも無いのだが、久々に日本プロ野球 トレード・移籍大全を更新してみた。
 自画自賛で恐縮だが、丁度旬の大相撲歴代理事一覧に加え、大量の古書週刊ベースボールを紐解いた果実として、丹念に拾った歴代ベースコーチも亀の歩みながら充実させている。
 既にHP開闢時には纏まった分析に乏しかった移籍、トレード自体の論評はベースボール・マガジン社の十八番と化しており、寧ろ付録たる後二者に資料的価値が生じていようか。
 御笑納下さい。

12月28日(月) 黄昏がフロントグラスを  -地域情報 - 東京・多摩地域-

h333.jpg  サラリーマンは冬休みを迎えても受験生には訪れない。日頃は中野に電車通いの祐旭も臨戦体制に入り連日の練馬、従って受験生の父も丸で自動車通勤の如く送迎の日々が訪れる。
 その合間に又もやのブックオフ巡りは大型店舗に狙いを定め、前回の多摩から更に昭島、立川である。
 幾ら暦の上では平日といえども中央道は行きはよいよい帰りは、と思いきや存外にスムースで拍子抜けしたが、ハタと気付いたのは中日本高速道路会社からのクリスマス・プレゼント、調布~三鷹間の三車線化の効能であった。
 断続的に拡幅というよりは一車線の幅を犠牲にしても車線増に務めている中央道の上り最後の渋滞ポイントは合流とサグの二重苦により慢性的な混雑が続いていたのが、見事な解消振りである。
 実際には嘗ての路肩たる遅行車線を走る車は皆無だったから単に通行量の加減かも知れないが二週間程前、帰路季節外れの工事渋滞で地道走行を余儀無くされたのはまさにこの算段だったのだろうか。
 とひとり合点して環八に降りると今度はこちらが放射道越えの高架が合流で渋滞とは、中央道も渋滞のメッカが首都高寄りに移行するだけなのかも知れないが、試行錯誤を繰り返すのは手を拱いて決して訪れない抜本的解決を待つより遥かに合理性があろう。
 道は人知れず進化している。

12月26日(土) お正月を記そう

h331.jpg  思えば昨年は年末まで詰めた永田町にて、税の攻防の合間を縫って部屋に籠って執筆に勤しんでいたのだから、先週末に通信面の作画と住所の確認を終え、概ね本日までには印刷まで掃ける状態に辿り着くとは賀状地獄が大幅に軽減されたのは疑い無い。
h326.jpg  予想通り、受験体制で一家のお出掛けが激減した本年は飲食時の似通った構図ばかりの写真が増えて仕舞ったが、だからと言って点数を絞って一葉を拡大する訳でもなく今年も「虫眼鏡付きで送って欲しい」と賞揚された大量の写真群は健在である。 ただ昨今の新年早々に確実に邂逅する顔触れへの儀礼としての賀状を控える傾向に則り宛先を削ぎ落とした結果、存外に印刷済賀状に余剰が生じたのには我ながら驚いた。
 確かに最早二度と巡り会う機会は訪れまいという御仁が大宗を占めるのは一見無駄ではあるものの、過去の足跡が年賀状だけの付き合いという形で継承されることに一定の価値を見出だしている世代が未だ少なくないのも事実であり、現実の煩雑な接触がある時点では虚礼であったとしてもその段階を経なければ、後の年に一度だけのコンタクトに昇華される事態も訪れまい。
 勿論、現代においてはFacebookの如く後天的に非現実世界における接点を回復させる術も存在するし、プロ野球選手名鑑に須く住所が記載されていた様な牧歌的な時代と異なり、一定の匿名性を担保した上での交流が尊重されるならば、若年世代で賀状文化が廃れていくのも宜なるかなだろう。
 数少ないドル箱を喪う日本郵便には頭の痛い話しかも知れないが。

12月21日(月) 樫の木は残った残った  -スポーツ - 大相撲-

h339.jpg  歴代の日本相撲協会理事長は初代・双葉山の懐刀だった出羽花の出羽海を除けば双葉山の時津風を継いだ初の大卒大関の豊山、緊急避難だった魁傑という元大関すら例外で原則は横綱に限られている。
 従って三年前の理事選で一代年寄格の千代の富士が落選した以上、北勝海の八角が既にナンバー3の巡業部長だった元大関・琴風を飛び越えて事業部長に収まったのは順当であり、反主流の高砂一門とはいえ分家許さずだった時代の出羽から飛び出し破門された九重系の経緯に鑑みれば、出羽が理事長候補を持たない中で代替の要素も加味され、現職理事長の急逝にあたっては当然後を襲うものと思われていた。
 事実そう運んだものの内実は一月末の時期理事選までは代行でよしとの大義名分を掲げた反八角陣営が素人の外部理事含め五票を数え、僅か一票差で辛くも後継の座を得る波乱の船出となった。
h340.jpg
今は本名で評議員の元大徹関(08年)
 北の湖健在なりせば中継ぎの北勝海を経て貴乃花長期政権の図式が描かれていたとされるが、では八角に反旗を翻した五理事が貴乃花派かと言えば恐らくそれ程明快な図式ではなかろう。弱小混迷の伊勢ヶ浜一門とはいえ総帥かつ年嵩の旭富士にも野心はあろうし、次期理事選で再登板を狙う千代の富士の意向も働いているのかも知れない。そもそも実質的に保守本流の出羽の頭領だった北の湖の重しの無い九重系の理事長誕生は、96年に高砂一門内の予備選に破れ理事退任とともに廃業に至った、名解説者として今も人気の北の富士の院政を危惧する向きもあろう。
 しかしながら栃錦も北の湖も理事長就任は49歳、43歳の貴乃花には出身母体たる二所一門とも折り合いを付た上での満を持しての登壇が相応しかろう。自由民主党においても派閥の流動化著しい昨今、トランプの王の如く希少価値のある日本相撲協会には健全なる派閥政治を続けて戴きたい。

 新進党の解党以降、一時は年末の風物詩の感もあった駆け込み新党が久々に登場、しかも前身の勉強会時代から面子も替わり元維新の最低携行人数にて、改革という使い古された様な表題を掲げる辺り苦闘振りが伺われる。
 詰まるところ民主と旧維新の野党、改革結集等を含めた橋下維新のゆ党と大山鳴動の挙げ句に三年前の総選挙時の構図に戻ったに近いが、自由民主党だけが無風とはコップの中の嵐が活力の源泉であった時代が、皮肉でなく懐かしくもなる。

12月17日(木) 真冬の朝の夢

h338.jpg  年末に永田町界隈を練り歩いているとカレンダを大量に詰め込んだ紙袋を抱えて闊歩する人々に次々と擦れ違う。この光景もはや15年目になるが、日頃タクシーに馴れた身の上にもこの時期だけは会社の車を借りて自走に依る大量運搬に従事するところが僅かに自動車会社らしい振る舞いと言えようか。
 対象先の限られていた前職時代には文字通り一件一件、年末の御挨拶を兼ねて丁重に回遊していたが、それでは陽の暮れて仕舞う昨今は極めて事務的な分担配布方式を経て、議員会館ならばフロア単位で相手先を眺めて配布者を勘案しつつ同時に効率的なタッチ&ゴーに留める離れ業、と言えば聞こえも良かろうが半ば出たとこ勝負に落ち着いて、それでもなお昨日と今日の午後を費やして漸く先が見えてきたに過ぎない。
 しかも単純作業であるからこそ体力は消耗されるし、加えて本日は睡眠不足とあれば尚更である。

h336.jpg  昨夕のパーティは直接民主制を唱える俳優や逮捕歴のある投資家、果てはアイドル・ユニット擬きが壇上に登る珍しいケースだったが、首謀者を励ますという会本来の趣旨には整合的な均質性の高さが、不特定多数を緩やかに糾合する為の適度な距離感の醸成には極めて不向きな、有り体に言えば関係者以外お断りの楽屋裏の如き雰囲気を醸し出していたが、その是非はここでは論じまい。
 問題は定例会の幹事忘年会で21時スタートはまだしも主役の到来が22時半では、六本木から西麻布と業界人の如くに梯子しても3時帰着、しかも間の悪いことに朝当番とあらば少しばかり意図的に遅延することも叶わない。
 凡そ数年振りに診療室で朝から仮眠を採り体力の回復に務め、今日も会食の御開きまで辿り着くのだから不健康な体力は健在と安堵してよいのだろうか。

12月16日(水) ダメージ軽減スキル  -政治・経済 - 税金-

h334.jpg  秋を迎えるまで実現を信じた人は如何ばかりだったろう。前税調会長が示唆した通り軽減税率とはパンドラの箱に他ならなかったが、その蓋が閉じられてみれば久々に中道の本領を発揮した公明の思惑をも超えた結論と言わざるを得まい。
 切り札とは本来一度切りであり、場に晒してなお切り札であり続けるには少なくともその要求が満額回答に至らないことが前提になる。従って受け入れられて仕舞えば公明も新聞各紙も最早官邸にお手上げであろう。
 或いはインボイス(左写真)の導入が必須となる小規模事業者には不評かも知れないが、消費税導入から四半世紀を経て簡易課税たる経過措置を解消し併せて益税問題に決着を着けるとの大義名分には逆らい難いし、逆読みすれば引き続き何等かの激変緩和措置を設けること自体が中小企業対策として機能しよう。
h335.jpg  勿論、店頭で刺せば食品でない串が鳥に貫かれた状態で仕入れれば軽減といった細かな仕分けを擁するということは、一歩間違えれば毎年の税調に軽減対象の○Xだけで新たな電話帳が一冊追加される羽目に陥りかねまい。別途調達した串が軽減対象に組み込まれたとして、余剰が生じて竹トンボに流用したら追徴するかと問われたらキリが無い。
 恐らく外食も含めるという財政当局からすれば乱暴極まりない案が遡上に登ったのは、こうした解釈の罠を防ぐ為にも可能な限り大括り化したいとの思惑が働いたのではあるまいか。
 詰まるところ軽減税率がスムースに定着するか否かは消費者の受け止め方次第であろう。米のみだろうと味噌と醤油でも、果た又飲食に留まらずとも線引きに合理性なぞ存在せず所詮は決め事に過ぎないのだから、たとえマクドナルドで持ち帰りを申請しながらやおら座り込み袋を開封したとしても目くじら立てて咎め立てせず、形式犯であっても忌むべき行為として淘汰される段階を経て、「そういうものだ」と何等疑問を抱かず財布の紐を解くまでに慣れることが出来れば、何れ更なる増税への抵抗もまた薄れよう。

12月13日(日) 本本堂ではないけれど  -本・雑誌 - 本、雑誌-

h323.jpg  結果的には安物買いの銭失いだったのはキーボードの移設に伴い増設した本箱が荷重に耐えかね早々に蝶番が外れ出したことに鑑みれば否定は出来まい。
 それでも騙し騙し四年近くも維持されたのは半ば閉架の創庫扱いだったからに他ならない。しかしながら書籍が地面に堆く移動の度に雪崩を警戒するに至っては最早猶予は無く、三列揃っての更新を余儀無くされる。
 脚の踏み場も無い空間に本箱とその中身も入れ換えようとは引田天功ばりのイリュージョンだが、だからこそ最早自ら組み立てに従事する気力は毛頭湧かず、前回背中側の強化杭を割愛したのが敗因では無かったかとの反省材料をも言い訳に金銭にモノを言わせて業者を招聘したが、半ば瓦解しつつあるとはいえいざ解体に及べば燃えるゴミとして回収されるべく木材の切断も楽ではないし、完成品にも固定棚の取付は自裁なので久々に電動ドライバーも出陣である。
 幸い現時点では崩落の予測は訪れそうにない。

h324.jpg  勿論、収納量が増大する筈も無いから快適な居住空間を捻出するには蔵書の一定の廃棄は必然である。従ってそのままブックオフへと排出されるが、毎日曜は朝からサピックス練馬校へと祐旭の送迎車なので、その足で遠征に及ぶ。
 党大会の後も中規模店舗の自由ヶ丘店に寄り道したが、今般は大型店の聖蹟桜ヶ丘まで遠征とは酔狂に違いない。
 元より明治大帝の行幸に因む地とはいえ皇室関連の古書に富む訳も無いが、品揃えは運次第でも基本は数打ちゃ当たる、108円乃至200円という不思議な表記も軽減税率の適否に依っては改められるやも知れないものの、失敗を怖れることなく極論すれば失念して被ったとしても気軽に手を出せ、ストレス解消の買い物熱を低コストで解消出来るのがブックオフ巡りに牽かれる理屈だろう。
 一方でアマゾンに駅前の書店にと新刊本も拮抗して増殖していくので、意図的に消化に勢を出しても所詮後入れ先出しでは、積ん読の不良在庫が陽の目を見る日はなお遠退きそうではあるが。

12月10日(木) 夏の記憶  -音楽 - 音楽-

h322.jpg  税制行脚の合間を縫って火曜には出向時代の同僚と夕刻、キャピトル東急はオリガミにて永田町周辺居住者モードで旧交を温める。
 往時は30代後半でより腰が軽かったとはいえ、芝に宴に朝な夕な関係者と或いは内輪も含め、誤解を怖れずに言えばある種学生時代のサークル活動に再び巡りあった様な日々であり、同時に今もなお職責に直結する貴重な財産を築いた原点とも言える。
 その想いは今日、三年振りにGi!nzのコンサートを訊ねて「New York,New York」が流れた瞬間、甘酸っぱい記憶とともに増幅される。シナトラの楽曲に反応するのは吐瀉物に依る物理的な酸っぱさだけではなく、実際には自らは訪れていないNew Yorkに視察前に先乗りした同僚達の記憶に同期した錯覚に他ならないのだが、そこに国土の均衡ある発展という偉大なるフィクションに擬制して東京を後にせざるを得ない心境を唄ったGi!nzの「東京卒業」が重なり、更にロフトの様な二階自由席にひとり佇んでいると何と無く「大きな玉ねぎの下で」宜しく寂寥感に襲われる。
 勿論、世に連れる唄は必ずしも現実を反映している訳では無いが、虚構に酔わせるのがアルコールの力、ではなく音楽の擁する魔性なのだろう。
h325.jpg  出向した三年間は確かに余りにも有意義な夏休みであった。だからと言って夏が終わった後が秋と冬ばかりではあり得ないし、感傷に浸ってばかりで夏を諦めて仕舞う謂われも無い。或いは夏休みはもう来ないとしても今が初夏の兆しなのかも知れない。

 少しおセンチに暮れていたからか二次会へと殿様に誘い戴く。元よりアルコールを入れる替わりに食物は控え目にとの御仁も少なくないが、酩酊に至らぬ為にも腹臓を満たす主義の私には到底受け入れられない。加えて二階席の大皿が大半売り切れだったのも事実である。 しかしながらもう少しで日付も変わろうかとの時刻に至るまで次々と注文される美食家、と言うよりは健啖家振りには畏れ入った。八兵衛氏も草場の陰でさぞやうっかりならぬびっくりでは無かろうか。

12月6日(日) 肉厚の果て  -グルメ - -

h319.jpg  ドライバーはそれなりに真っ直ぐ歩んでいるのでラウンド中は一定の爽快感には包まれたものの、相変わらずアプローチはトップ続きで百も切れず、軽く打つショートウッドの安定だけが成果で、とことんパットに苦しむ打ち納めであった。
h320.jpg  丁度正反対に同伴の高官氏が神憑り的に次から次へとパットを沈め、挙げ句ダイヤモンドで一気通貫を為し遂げただけ余計に自らの精進不足を痛感させられる一日だった。

 師走にも拘わらずの陽気で賑わいスループレイは叶わなかったが幸便にも早めに切り上がり、賞与後初のアウトレット渋滞も回避してわが家に急行したおかげで義父母の金婚記念会食に滑り込む。
 わが家から近い板橋環七店でなく高島平の、萬世橋駅は交通博物館を経てエキュートに衣更えしても肉の萬世は健在である。
 幾ら肉好きとはいえ自らの胃袋の衰えを勘案することなく300グラムのステーキを平らげて仕舞い些か満腹中枢を刺激し過ぎであった。
 そもそもこのところ間食過多の上、飲み過ぎで嘔吐してなお寝る前にカップ麺を腹に納めているとは過食症の如し、わざわざゴルフ後に幾ばくかでも減量が認められようかと臨んでいた計量も怖くて台に載れなくなってきた。
 来年は公資ともども減量に挑みたい、と日記には書いておこう。

12月4日(金) さすっている様で 叩いている  -アニメ・コミック - 漫画-

h321.jpg  政策と政治とは似て非なるものである。理屈は後から貨車で付いて来るとばかりに後者だけ突出した浪花節の世界では複雑化した現代社会には前時代的かも知れないが、幾ら優れた前者でもその具現性には後者の巧拙が大きく作用しよう。
 嘗て販売の神様と称された読売新聞の務台光雄会長が「白紙でも売ってみせる」と豪語したエピソードは些か乱暴に過ぎるとしても、兔角中身だけが持て囃されて貶められがちな脚回り側の心情を吐露したものと言える。
 舞台回しの黒子は数字を駆使して華麗にブリーフする政策マンの横に控えてお説を聞き齧り、門前の小僧宜しく知ったか振りする程度である。ただ大仰に言えば自社連立政権の端緒のひとつが村山ー梶山両国対委員長のパイプであった様に、或いは不適切な例かも知れないが嘗ての国会対策委員会に卓を通した物心両面の関係性が欠かせなかった様に、現実を軌道に乗せる為には潤滑油が必要であり、高尚なる政策立案課程に不似合いな寝技と蔑まれてなお、円滑な人間関係の構築を第一義として邁進する、そのまた草鞋を作る人の矜持も存在するのである。

 猫娘という伴侶も得て再版を重ねる度により人間らしく、正義のヒーロー然としていくアニメーションの鬼太郎も未だ「ゲゲゲ」の愛称すらなく「墓場の鬼太郎」だった原作漫画においては、充分にエスプリの効いたひねた少年妖怪に他ならなかった。
 取り分け第一巻の父の骸から片目がぽろりと落ちて擬人化する冒頭の下りは、コミカルな目玉親爺の後年の姿に先に接しているだけ余計に、子供心には些か戦慄の走る描写であった。
 水木しげる氏が大東亜戦争で片手を失った傷痍軍人であることを知ったのは随分後だが、反戦に誘われるべく感情を徒らに作品に投影することなくアミニズムに近似した世界を全うされたのはひとつの矜持では無かったか。
 妖怪と人間のハーフの鼠男はさておき、子泣爺、一反木綿、塗壁に対して著しく戦力として見劣りし、何故レギュラー入りしたのか不可解な砂掛婆もこの世から見送りしたことだろう。お疲れ様でした。
次のページ

FC2Ad