コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月29日(日) ダイヤモンドは永遠に  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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 自社二大乃至は一箇二分の一政党制が確立されてから60年、一方は最早見る影も無いが、再三の存亡の危機にも拘わらず自由民主党は満帆のもとに記念大会を迎える。
 奇しくも10年前も郵政選挙の大勝直後ではしゃぎ過ぎと後ろ指を指されないよう敢えて派手な演出を控えたと喧伝されたが、今般もいきなり五郎丸選手が登壇してルーティンに付いて語り出すサプライズ演出こそあれ、昨今の党大会では定番の唄も無く懇親会も無く、極めて事務的な展開だったと言えよう。
h314.jpg  記念冊子も文章だけの年次の党勢報告を貼り合わせた様なものだし、敢えて宣伝にエネルギーを割く必要性も感じられぬ程の強靭さの裏返しではあろうが、10年前は関連行事として講演会の類やGi!nzのチャリティー公演まで五月雨式にイベントが続いたのと比べる迄も無く、土日とも半日ずつ稼働した割りには些か拍子抜けに違いなかった。

 わざわざ新高輪まで車で赴く羽目に陥ったのは朝かたSAPIX練馬校まで搬出した祐旭に弁当を再び届ける責務が生じたからに他ならない。
 ひと一倍食い意地の張っている公資ならばかく事態は訪れまいと思いきや、こちらはランドセルを忘れて登校した経験則の持ち主だから兄弟揃って大胆不敵である。
 元より本来の意味でのルーティンたる、外出時に鞄を携えることは決して失念せずとも、その鞄に物理的に紐付けしなければ容易に土産を置き放って出掛けて仕舞う父にしてわが子あり。頼もしい、という表現は正しくないが。

11月28日(土) 鳴かせてマイクラシック  -車・バイク - 自動車の歴史-

h310.jpg  ラリーモーターショー、更には自動車専用港と丸で自動車会社の人の如しと唸る日々だが、事実自動車会社の人である。
 残念ながら自動車産業には一定の知見は有していても自動車そのものに疎いのでその筋のフリークの方々には垂涎の的たろうクラシックカーの山に遭遇しても宝の持ち腐れに他ならない。幼少時に親しんだスーパーカーの類ならまだしも大半は高度成長期以前、だからと言って黄金の60年代を象徴する様な巨大なアメ車はわが国道路事情には往時から似合わなかったろう、小振りな欧州乃至は国産車ばかりでより馴染みが無い。にも拘わらずわざわざ休日に神宮外苑に到来したのは、フェスティバルに出陣するカーオーナーの方に有り難くお声掛けを戴いたからに他ならない。
h309.jpg  元より門外漢が闖入しても賑やかしの域を出ないが、上官に取り次いで唯一無二の職責を果たせば後はパレードへと出立する姿をお見送りするばかり。
h337.jpg  些かエンジンとギアの噛み合いに時間を擁して気を揉ませたが、待機中は明らかに関係者然とした背広姿で正徳記念絵画館を拝見して久々に水師営にも再会し、明治大帝の御陰徳に心洗われ、御帰還を迎えて神宮を去る。ラリーもそうだが移動手段であると同時に嗜好品たるの追求は国内自動車産業の生き残りの為の道ということか。

 幾らお家芸のフィギュアとはいえ史上初の300点超えを為し遂げた羽生選手には別のステージに到達した趣きがある。
 技術力は当然のこと首長族もかくやの頚部の延伸に留まらず、全身の美観がより芸術性を高めていると言えよう。例に挙げて恐縮だが脚部の強靭さばかりが強調され、挙げ句長野五輪の白塗り白衣で半ば笑いの世界に突入して仕舞った伊藤選手から隔世の感を禁じ得ない。
 明治まで遡らなくともわが国も脱亜せず入欧の途を切り拓きつつあるということか。

11月27日(金) 年末にのみ風邪を引く  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h307.jpg  故・山中貞則氏の口から発せられなければ笑えないフレーズではあるものの、何時の日から自動車産業も「年末は皆風邪を引く、ゼイゼイ」の世界に毎年どっぷりと身す羽目に陥ったのだろう。
 それはひとつには産業自体が緩やかな下降局面に入り、税制度という政策誘導の力を借りざるを得なくなったが故であったとしても、業法なき世界において政治と産業を結ぶ最大の架け橋が税制度たる必然の帰結かも知れない。
 ならば永田町では年がら年中ゼイゼイと息を切らしていても良さそうなところ、年末に絞ったのが山中最高顧問の智恵であり、悪く言えば税の論理を完徹するために時間切れの〆切を設けて"雑音"を省く意図だったろうが、短期決戦になるからこそのお祭り気分、ハレの世界の彩りが「税こそ政治」たるを醸し出しているとも言える。
 実際、業界サイドも家鴨の水掻きの理解活動絨毯爆撃に留まらず、水上に躍り出て小委員会に赴く議員に煽動とは穏やかな表現ではないが所謂アジビラを配付したりと、語弊を怖れずに言えば結果の如何以上に活動自体に躍り酔い痴れた側面をも否定は出来まいが、その高揚感こそが「税」を尚更特殊な世界に祭り上げているのではないか。
 しかしながらぶんどり合戦の時代には雑音を封ずることが税制度の高貴性に寄与していたのかも知れないが、財政のパイが縮小してなお単一の産業内における財源の確保に窮々とする姿は最早限界を超えている。だからこそ税の公平性=担税力に基づく応能負担だけでは御し切れない、経済活性化に資する財政同様の産業の範を超えた傾斜配分を擁する、税制改正の近代化が要求され、その一環に税調の独立性の排除もまた垣間見える。
h308.jpg  詰まるところは税もまた一般政策同様に時期を選ぶことなく、即ち税調の通年化に帰結しよう。泉下の山中先生にその是非を伺ってみたい。

 ファンドというネーミングに守銭奴の如き忌避を覚えるのは前時代的な感覚なのかも知れないが、元よりバブル崩壊とリーマンのダブル・ショックで中堅クラスのゴルフ場が破綻に追い込まれ、西武系時代から愛用していたおおむらさきが気軽に手の届く領域に変貌したのは利用者としては幸便であったが、またぞろ登場した村上氏によるアコーディア乗っ取りの報は好意的には受け入れられまい。
 ただ阪急・阪神グループ傘下のタイガース買収説にしろ、かの人物が着目する迄にわが国スポーツにはビジネスとして進捗の余地がある、逆に言えば豊かな経営資源を有効活用出来ていない証しとも言えよう。
 市井のゴルファーとしては株主が替わってもグリーンの整備やキャディー氏のホスピタリティを含め、利便性に影響が無ければ文句を言う筋合いでも無かろうが。

11月25日(水) みなと慕情  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h315.jpg  港と言えば郷愁を誘う小樽や門司を想い浮かべるのは遥か昔、旅路の拠点を空の港に取って替わられた現代の港の第一義は物流拠点にあると言って過言ではなかろう。
 取り分け貿易摩擦の経験から市場と生産拠点を近置せしめながらなお、自動車産業においては国内生産拠点維持の為にも一定量の輸出は欠かせず、寧ろ組立工場そのものを港に隣接させるケースも少なくない。
h316.jpg  政治と自動車の媒介者でありながら自動車専用港に初の御目見えとは些か遅きに失した感こそあれ、一台一台車庫入れ宜しく人力で搬送するアナクロ感には、総じて小型物品においてはコンテナ等の自動搬出が進捗目覚ましいと喧伝進される中でも、労働集約的でありだからこそ政治との親和性が少なくない実情を垣間見た想いだった。
 ひかりで到来する議連御一行様に先乗りするためのこだまでの豊橋遠征は恐ろしく長旅で、駅毎にのぞみを待避するこだまは最早超特急の名に相応しくないことを痛感させられたが、事務方にも拘わらず本席が誂われ名指しで謝辞を戴くとは僅か30分少々の為のアテンド役への望外の御配慮に、物理的にも永田町周辺居住者生活の長きにも、思えば遠くへ来たものだと感慨に耽って仕舞った。

h317.jpg  株主総会の集中日は所謂特殊株主の出席を分散させる効用に由来しようが、励ます会の集中日は税と予算の年末を迎える前にとの共通心理が偶発を喚起したという以上に合理性が見当たらない。
 パーティ出席者の責務は主役に対面することだから、種を開かせば立礼時に握手すれば要は足す。従って複数出入口のチェックを欠かさず、あわよくばそのまま会場を通り抜け退散出来れば御の字、少なくとも開宴の18時と18時半のタイムラグを活用すれば立礼の梯子も可能である。
 逆に地元対応を兼ねるケースは長引くべく予想されるので終り際に到来して回遊する主役に挨拶する対処もあり得るが、これを加えても三箇所までで物理的な移動を換算すると間の四つ目は遅参・中抜けで名刺という痕跡を残すことしか能わない。
 田原港から取って返しての四件梯子は存外に重労働だったが、仕事をした様なしてない様な。

11月23日(祝) 怪童墜つ  -スポーツ - 大相撲-

h305.jpg  2001年からの永田町周辺居住者生活においても最初の四年間は潜航艇・岩風なみの潜伏助走期間だったと言ってよい。同時に職務柄と身を入れたゴルフも大半は学生時代の友人との遊興を超えるものでは無かったが、出向してからは花開き成果を得たかは別として、職務同様ゴルフも専ら関係者同伴に切り替わった。
 今や逆に職責の全く介入しない芝駆りの方が皆無だが、久々の出向時代の同僚とのラウンドが中では最も気のおけないそれに当たろう。
 加えて原則スルー固定で比較的距離も無い新武蔵丘とあらばスコアが期待出来て当然である。スタートホールに向かうトンネルを通過する瞬間に好成績だった曾ての記憶が甦えるではないか。
 ただ結論から言えば、前半こそショートとロングでパーを拾ったものの、総じてパッティングがままならず三桁に乗せていては甲斐性無しに過ぎない。リラックスして緊張感を事欠くのもまた痛し痒しなのか。

h306.jpg  横綱・北の湖と言えば憎らしい程と形容された圧倒的な強さ以上に、元関脇・高見山の引退に際し最期の金星は横綱でしたねとコメントを振られて即座に、「あれは何場所の確か七日目か八日目で」とスラスラと応え出したシーンが印象的である。
 或いは記憶力抜群との自らのイメージを維持する為に"予習"していたのかも知れないが、何方にしろ聡明さを物語るエピソードには違いない。
 ただ角界中核の出羽一門の歴史と伝統を背景に嘱望された通りに理事長の座に収まってからは愛弟子らの不祥事もあり、返り咲いてなお道半ばの現職での逝去とは、現役時代の栄光に比して苦闘の道程だったと言わざるを得ない。
 輪湖と並び称された横綱・輪島は借金苦から廃業に追い込まれ、花のニッパチ同期の横綱・若乃花は反逆児として理事会に名を連ねながら矢張り病に倒れている。極論すれば公益法人改革の中で、一年を十日で過ごしていた"お相撲さん"が公益の担い手に変貌していく過程の生みの苦しみを一身に体現した世代だったのかも知れない。
 怪我を挟んで最期となった優勝を助太刀した後輩、大関・北天祐と視線を合わせて顔を綻ばせた瞬間は、天下の敵役が見せた人間らしさだった。
 ご冥福を祈ります。

11月22日(日) 大阪ストラット・パート弐  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

h304.jpg  1勝1敗もと喧伝された大阪ダブル選は蓋を開ければ市長選も20時当確の「おおさか」の圧勝に終わった。底流として涸れることなき安倍ー橋下連合を視野に入れればおおさかサイドが息を吹き返す結果が政権にとって吉か凶かはまだ判らないが、少なくとも再分裂のドタバタ劇にも拘わらず人気の衰えない、帝都では計り知れぬ天下の台所の空気を、改めて思い知らされたのは疑い無い。
 地域政党が代表者のキャラクタに依存するのは洋の東西を問わないが、同時に中央政府と地域代表との視点から捉えれば、70年代の都市部首長選における革新の躍進、即ち東京、大阪、京都、横浜、沖縄の頭文字を並べたTOKYOの記憶が甦る。既に産業構造の変化から社会党政権誕生に警鐘を鳴らした石田博映氏の指摘があり、地域の反乱は来るべき国政における変革の先駆と賞賛されたものの、振り替えれば美濃部都制の「橋の哲学」に象徴される様に、有権者の声に過敏になり耳障りある政策を回避するポピュリズムの弊害が過大になり、80年代の首長の行政官回帰に帰着する。
 言わば直接選挙による振れ幅の大きさという大統領制のひとつの危険性を歴史から学んだと看做すことも可能だろう。
 但し小選挙区制が政党の選択を通じて首相を選任する疑似的な直接選挙の要素を強めているのも事実であり、国政もまた代表者のキャラクタに依拠する部分が増大しているとするならば、憲法改正を視野においた三分の二議席の確保という現実的な利得をおいてなお、新たな親和性は見出だせるのかも知れない。 愛知や愛媛の大阪に追随する動きは二度の衆院選を経て少なくとも現時点では沙汰止みになっており、地方の反乱乃至は都市対地方の構図からも遠くなっている中でひとり突出した「おおさか」が中央と手を握る時、或いは正反対にカードのひとつでしか無かったことに気付く時、大阪府市民はどう受け止めるのだろうか。

11月21日(土) 海賊は巻き戻し  -育児 - パパ育児日記。-

h298.jpg  小学生の演劇が、幕毎に主役を交替するのみならず七人の小人の如く並び大名が必要以上に多数配される群衆劇に帰結するのは、民主主義の一要素たる平等性の檻に留まる以上やむを得ない。
 ただその結果、脚本自体がストーリー性よりもバランスへの配慮に満ちたものとなる以上に、望遠レンズを通しても舞台狭しと動き回るわが子を追い続けるのにも支障を来しかねない。事実、少しぽっちゃりした海賊を見付けると公資かとシャッターを切り続け、全量消去のやむなしに至ってもっとふくよかな海賊を探すものの、海賊班も2サイクル入れ替わりのため同じ衣装の御仁が舞台狭しと暴れ回ってても不在の間もあり、詰まるところ到底話しの筋を追うどころではなかった。
h299.jpg  二度目の登壇も鉄砲玉として真っ先に斬られ、末は福本清三氏二代目ブラック将軍かと唸る間もなく、カーテンコールでは歌唱隊の一員と化していた。
 ただ一年上がって四年になると、勿論教員の趣味趣向や手練れもあろうが、 笑いも交えて小慣れた大衆演芸擬きと化しており、更に五年は新機軸のミュージカル仕立てとは侮れまい。俳優の力量に頼れない制約の中では群衆劇より動きが少なくて済むとの判断だろうが、メインの合奏こそ手が混んでいたとはいえ前段のコーラス部は些か間が保たない感は否めなかったが。

h300.jpg  過去二回はわが子の出番のみだったが通しで見ると確かに退屈な要素もまま見られるものの、小学校の六年間に如何に児童が成長を遂げるかは概括出来る。そしてオーラスの六年生に至ると平等性を担保しつつ、同時に個体差にも応分に配慮して演劇性の向上が謀られているが、感慨深く見入ったのは矢張りわが子の奮闘故だろう。
 児童文学におけるSFと言えば嘗て小学四年の教科書に掲載された「砂の中に消えたタンネさん」が白眉だが、この「巻き戻し」も原語自体が「早戻し」に代替された近年の作品ではなかろう。
h301.jpg  失敗ばかりの少年が時間を巻き戻す道具を与えられ、それに頼り過ぎて遂に赤ん坊と化して仕舞う筋立てはシュールだが、三幕交替の主役に自薦しながら落選した祐旭が如何なる役柄にアサインされたのか期待と不安を以て見詰めていると、漸く三幕に至り「巻き戻し」ばかりで良いのかと苦悩する主役への諫言とともに下手から唐突に飛び出してくる。
 シーンが換わると探偵物語の故・松田優作氏の翻案らしきタイムマシンを与える謎の人物と、幼稚園時代から九年の旧交を温める主役を従え、舞台中央での熱演が続く。更にはもうひとつの道具により冒頭の野球シーンまで巻き戻され、自力での打撃に挑む主役への声援に「会場の皆さん、応援して下さい」と壇上から語りかけるに至っては、平凡な白シャツがユニフォームの顔触れのなか却って目立ち主役を完全に喰っているではないか。
h302.jpg  しかも前日の児童間鑑賞用ゲネプロ段階では舞台上の役者に向けた鼓舞だったのを、当日差し替えた確信犯のアドリブで会場のどよめきを浴びていたのだから、祐旭のキャラクタを勘案して配役した教員氏の眼はまさに正鵠を射ていたのだろう。
 勉学多用のなか寸暇を惜しんで台詞回しに努めた尽力と天性の屈託なき表現力の賜物だろう。親として誠に誇らしき限り、妻は盛んに役者の道に進ませたらと薦められていたが、性格俳優として偶にピアノを弾いたりするのも良いではないか、と夢想することなく本人の今後に委ねたい。

11月19日(木) kiss me  -音楽 - J−POP-

 70年代までのプロ野球においてシーズンも終盤に至るとダブルヘッダーによる試合消化は日常的に見られる光景だった。
 それは二年に一度来日していた米大リーグとの親善試合でオフの日程が立て込んでいたのみならず、未だドーム球場無き時代には梅雨を有するわが国特有の度重なる日程変更に対処する生活の知恵に他ならないが、常に満員御礼が望める巨人戦ならば僅かな価格増で二試合分を供与するのは営業損失に違いなくとも、人件費はじめ寧ろ開催するばする程赤字になる様な消化試合を文字通り消化するには、却って経費節減の得策であったとも言える。
 翻ってパ・リーグもセに遜色なく動員力を付けた昨今は滅多に御目に掛かれなくなったが、宴席ではこうした二階建てを迫られる事例は少なくない。
h303.jpg  元より各々の一階を経た後改めて二階に結集する分には同条件だから気兼ねも少ないが、問題は既に挙行されている宴席に合流するケースだろう。当然、一階を早々に切り上げるべく誘引が働く一方で、既に長時間に亘っている次の席を自らが遅れて間の悪く合流し延長に至らしめては申し訳ないと二重に気を揉む羽目に陥る。
 このところ週に一度ずつダブルが組まれており、終わり際に滑り込み主賓の顔を見て散解、ならば限られた夜の日程の有効活用という意味では好都合だが、昨日の如く私の合流を視野にスタートを遅らせましたと言われては這ってでも駆け付けねばなるまい。 結論としては時ならぬカラオケ大会と化し、角川映画主題歌特集では政府高官の唄う「人間の証明のテーマ」に「母さん、あの麦藁帽子」と語りで割り込めば良かったと悔いを残したものの、楽しい一夜だったのだが。

 それに付けても今週は多彩な四連荘だった。とくに感じ入ったのは歌手の最大の利器たる咽頭を喪ってなお食道発声法に依り微細ながらも発声を試みているつんく♂氏への畏敬である。
 要は人為的にゲップを催し続けている訳だからそれを声帯替わりに用いるに至る労苦は計りしれまい。与謝野馨氏が喉に開く気管の穴を発声時のみ塞ぐ器具により、誤解を恐れず述べればトーキング・モジュレーターの如く発声を試みているのとは、声帯を喪った年齢の違いにも帰因する選択なのかも知れないが、同学年のひとりとして改めて前途を祈念したい。

11月16日(月) 雨前の筍  -地域情報 - 名古屋・愛知-

h293.jpg  珍しく名古屋にて訪問と会議があり、丁度隙間になった昼は近隣で行われていた某先生の勉強会に顔を出しとそれなりに効率的な出張ではあったが、今更ながら驚かされたのは名古屋駅前のビルの林立振りである。
 伏見から栄にかけてが中核だったビジネス街が駅ビルと道を挟んでの毎日豊田ビルの竣工で繁華街とともに名古屋駅近辺に移行したと言われてからはや幾年、かの三菱伝統のネーミングを戴く大名古屋ビルヂングが丸ノ内と異なり改称されることなく高層化されたのに続いては、奇しくも"宅配絶望工場"チックな書物を新幹線の途上読み終えたところに、これも丸ノ内同様に旧中央郵便局の郵政ビルが竣工とは些か供給過剰に陥らないかと心配になって来る。
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山梨実験線(2006年)
 折しも2020年東京五輪への喧騒に左右されることもなくJR東海は2027年のリニア中央新幹線開通に邁進しているが、東京ー名古屋が40分で結ばれれば、全国組織の名古屋支店の類は相当程度出張ベースに置換されようし、愛知県全域が製造業の雄たる地位を占め続けたとして、東京との時間距離の短縮は品川駅海側の再開発部位の地価高騰には寄与しても、更なる名古屋駅近辺への企業人の、夜間人口の集積を誘うとは思い難い。
 確かに中央リニアは律令下に遡る東海道対中央道の文脈の中で、大規模災害におけるわが国大動脈の代替としても時宜を得たものではあろうが、よしんば北陸新幹線の福井以遠の延伸が成立して東海北信越ブロックとして糾合されたようとも、名古屋がその核になる保証はないし首都機能を代替し得るとも思い難い。
 一年余後にはもうひとつの駅ビルに北方の旧笹島貨物ターミナル跡地にも高層ビルが誕生し、高島屋の増床はじめ商業地も急増する。一方で嘗ての名古屋「五摂家」のひとつ松坂屋が転進する栄地区の地盤沈下は最早避けられまい。
 帝都一極集中と広域行政圏における中核都市へのコンパクト化を進めるのは成熟化した高齢化社会の当然の帰結に他ならないが、問題は当事者がそれを自覚し、複数の拠点を保持し得ない大多数の中核地の衛星部位はその恩恵に預かれないという宿命を、冷徹に受け入れ得るかであろう。

11月12日(木) 作られた笑い  -政治・経済 - 経済-

h292.jpg  裁量の余地を極限まで削ぎ落とし厳格なマニュアル化を追求しなければ、今や外国人労働者に依存する単純接客業は成り立つまい。
 その目途が消費の利便性にある以上、著しい童顔にあらずとも成人ボタンを押下させられ、返金の確認を強要されようと甘受せざるを得ないだろう。
 ただ昨今蔓延りつつあるのは悪い宗教に嵌まったのではと疑いたくなる程の過剰な作り笑いである。それでも女性店員は概ね愛想の領域に留まっているものの男性のそれは嫌が応にも鼻に付き、勿論ぶっきらぼうに過ぎるのもサービス業としては問題だろうが、却って消費者を喪っているのではと余計なお小言を垂れたくなる。
 敢えてファルセット擬きの声色を用いるのには虫酸すら走るが、中にはマニュアルに裏声を用いるべしと一文が掲げられているとしか思えない、誤解を恐れず述べれば麗人でも無いのに恰も男装家の如く地声そのものが高音になるに至っては、若年男性の草食化という別の課題すら浮かび上がって来る。
 人と人とが接するサービス業の最先端こそが国家と社会の縮図という訳でもなかろうに。

 今週はバッヂ組述べ12氏含め16名の関係者と会食する。うちカラオケ二回、うちケツ出し一回。
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