コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月29日(祝) プルメリアの伝説  -スポーツ - ゴルフ-

h17.jpg  カメリアヒルズを初めて訪れたのは実に13年前になるからアクアラインの開通が房総半島、就く結接点たる木更津市に開発の恩恵を齋すとの神話がまだ生きていた頃だろうか。勿論、現実には寧ろ千葉から都心や横浜方面への昼間人口の流出促進を招いただけで、かずさアカデミアパークなる産業団地に高付加価値研究開発拠点が続々と開設されたという朗報には往時も今も全く預かれていない。
 それでもわざわざオークラ経営のリゾートホテルまで宛てがわれ、アクアラインをひとっ走りすれば羽田空港に容易に辿り着ける立地が為に、地元に帰る代議士に愛されるゴルフ場として名を馳せていた。
 従って、比較的接待向けコースとの定評があったが、皮肉にも当初の約四分の一に引き下げられた通行料金がアクアラインの混雑を招き、取り分け潮干狩りやアウトレット客の復路とのバッティングが利便性とともにカメリアヒルズのステイタスを低下させているとの指摘もある。
h18.jpg  ただハイソ客の欠落を補う様に、たゆまぬファン・サービスの追求が国内ツアーの維持から更に拡大を齋した女子のモンダミン・カップを招聘した結果、幾分難関になったと感じたのは錯覚に過ぎず当方の技量の低下に依るものだろうか。
 事実、些かなりとも性根を改め打ちっ放しに活路を見出だしながらも、又もやドライバーが思想とは逆に左に引っ掛けばかり。それはそれで安定はしていても、OBには至らずともホールを分かつ立派な木立に遮られ端からツーオンの希望すら叶わないのでは自らとの闘いたるゴルフの本懐に欠けるし、何よりも深刻にならざるを得ない。
h24.jpg  それでも後半に至ってティーを低く球を真ん中に寄せると、惜しくもツーオンならずのバンカーから砂イチを決めたり、バンカーtoバンカーで苦しんでもミドルパットを捩じ込んで耐えたりと回復基調に入る。多分に幸運にも恵まれたものの幸運を味わい得る程度にはゴルフっぽいプレイ振りに、結局50は切れなかったが、次回以降とともに日々の鍛練に邁進すべく意欲惹起の灯火を繋ぐには先ず先ずの出来映えではなかったか。
 黄金週間初日、帰路既にアクアラインは数珠繋ぎで京葉道経由帰路を急ぐが、今やこちらの方が高額である。「鐵は国家なり」の最期の夢を体現した東京湾横断道路は高規格幹線道と一体化し、静かにネットワークの一員として第二の人生を歩んでいると言えようか。

4月26日(日) ディアボロの小冒険  -育児 - パパ育児日記。-

h14.jpg h15.jpg 大道芸と言っても浪曲を唸ったり香具師が口上を述べたりするわが国古来の放浪芸とは異なり、路上パフォーマンスの範疇に近いという意味で竹の子族や一斉風靡の世界に合致している。本年の高円寺大道芸も、例年通り又もやのジャグリング見物を目指すも、詰まるところは公園に拠を据えてのジャグリング体験にすり替わり、ディアボロにひと月振りで再会した公資は左手を固定して右でハンドリングと最早友人達への指導すら買って出て一端の玄人振りである。
 各拠点での実演が概ね時間的に重なっている為、公資友人の推挙に従いもうひとコマは人形を用いた手品、パントマイム乃至は物言わぬ腹話術師の風情である。マジック自体は子供騙しで小学三年生すら満喫には程遠い面持ちだったが、幼少時に刷り込まれた大正テレビ寄席チックと言うべきか、東京コミックショーのレッドスネークカモンを彷彿とさせるキッチュさを外国人が体現して却って伝統芸能らしさを感じさせたのは皮肉だったか。

h16.jpg 不憫だがザ・受験生の祐旭の息抜きと言えばカラオケが関の山だが、サピックスの往復にiPod擬きのウォークマンに「SEKAI NO OWARI」の楽曲を詰め込んでイメージ・トレーニングに励み、僅かにその成果を披露するのはわが家である。
 すっかり声変わりした兄に対し引き続き公資は高音を担う。ピアノ発表会に向け良き気分転換にもなるのだろう、多忙を割いてアドホックに行われる兄の「ルパン三世'78」演奏に耳を奪われたか唄版を熱唱し、勢い余って妻の「雪の華」にまで出張しているが、サビの高音が華原知美氏が化けて出たかと疑われる迄に、恐らくは倍音が少ない分過剰に響き亘るのは、「Lupin, The Third 」で鍛えた副産物でもあろう。
 ただ厳密には「真っ赤な薔薇は」で始まる79年版は一音下げてあるので「今年最初の雪の華を」の方が高いのだが、違和感無くソプラノを奏でていても中島美嘉の原曲に触れたことはなかるまい。嘗てカラオケとは唄番組で耳馴染んだ楽曲を再現するものだったが、今や先人から口伝えで継承される文化に変幻しつつある。
 歌唱力の向上には寄与しようが、万一御手本が誤っていれば不具合もまた反復増殖されるし、CDはじめ固定メディア衰退と期を一にして、歌謡曲もまた一子相伝であったろう放浪芸の様式に再び近似しつつあるとは牽強付会も甚だしきかな。

4月22日(水) あの夏の日  -音楽 - J-POP-

h13.jpg  伝統的な演歌よりは革新的であり、台頭するニューミュージックよりは保守的なグループサウンズが70年代歌謡曲のひとつの源流であったとしても、90年代に入ってなお友人とレンタルCDを漁ってせっせとGSの名曲をダビングしていたのは奇異な嗜好に違いないし、明確に自らの音楽遍歴のルーツ探しを意図していた訳では無い。
 ただ改めて振り替えれば"ジュリー"沢田研二氏を筆頭とする歌謡界のフロントマンとして生き残った残党勢力に留まらることなく楽曲製作においてもその影響力は看過出来ず、まさに代表例が加瀬邦彦氏であったと言えよう。取り分けスパイダース創設に携わり、寺内タケシ氏のブルージーンズを経たGS最初期世代でありながら、最期まで作曲家であるとともにワイルドワンズのリーダーのポジションを貫いた姿は、GSを更に遡るロカビリー期からのバンド主宰者の多くが後年、マネジメント能力を活かしてプロダクション経営という純然たる裏方に舞台を移す中では寧ろ異質だったろう。
 加瀬氏の退場はGSの時代の終焉を象徴するのみならず、病苦とはいえ自裁たる共通項を以て語ることが適切か否かは論を待たなければならないが、加藤和彦氏のそれを彷彿とさせる。加藤氏の如く音楽の将来に絶望を抱いたのかどうかは判らない。しかしながら加藤氏も加瀬氏もフロントマンでありながら、スター性の高い実演家を擁立して自らの音楽嗜好を広く万般に伝播させるプロデューサー的な側面に長けており、それは小室哲哉氏やつんく氏等による「音楽プロデューサーの時代」の先駆であったのかも知れないが、彼等はそれをパーマネントなバンドを率いる形で具現化していた処に特筆性があろう。
 1985年に最初の復活を遂げた際、一夜限りながらサディスティック・ミカバンドの二代目フロントマンとなったユーミンは、メンバー紹介において加藤氏をボーカルでもギターでもなく「バンマス」と称していた。今や打ち込み全盛により複数実演家による同時録音が減少するに留まらず、音楽グループそのものが流動化し縦しんばバンドを名乗ってもサポート・メンバーの参画を前提としなければ楽曲の再現を可能としない、ドラム、ギター、ベース、キーボードといった構成要素を欠いた編成が常態化している。
 この点からもアイドル性の要求から加入し再結成後は参画を見送った渡辺チャッピー氏こそあれ都合半世紀近くに亘り四人のメンバーを維持したワイルドワンズとともに、バンマスたる存在もまた終わりを告げるのかも知れない。

 「ソフト麺において」との発言に接し、学校給食における米国主導パン主食からコメ回帰に至る過程に位置したカレーうどんの意義、という食糧安全保障の論議だったかと一瞬錯覚したが、ここは国土強靭化。
 正しくは「ソフト面において」。

4月21日(火) 黒いものを白と言わない  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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在りし日のTBR、左は旧キャピトル東急
 三権の長の中でも長老の指定席たる衆参議長は嘗ては強行採決の代償として法案と引き替えの詰め腹ケースもままあったが、高齢故の病気辞任もまた少なくない。
 町村議長も会見を拝見する限り凡そ議長職が勤まらない程の重篤な症状とは伺えなかったが、総裁選からの途中離脱に続く派閥会長の座を明け渡して勝ち得た栄光のポストからの僅か四ヶ月での退場には忸怩たる想いがあろう。
 ただ清和会会長の細田博之氏への移行は、嘗て政策科学研究所の渡辺美智雄会長への代替わりが櫻内義雄氏の衆院議長就任とともに漸く成立した様に、実質的には安倍派への衣替えであったとしても伝統的な派閥継承の慣行に則っていると言える。
 1956年の第一回総裁選をその端緒とする自由民主党の派閥は、総裁候補を持たない「中間派」が徐々に先細り、72年の田中角栄・福田赳夫両氏による所謂「角福戦争」により整理再編され、何れも後に総理総裁たり得た派閥第二世代「三角大福中」五大派閥に収斂して、派閥とは総理総裁を目指す領袖の旗の下に集まるものとの定義が改めて是認された。 即ち本来は派閥とは領袖の浮沈と命運をともにするものであったが、第三世代への移行以降、派閥の継承が常態化し寧ろ代表者を集団の利益代弁者として掲げる、派閥の組織化が深化したと看做すことが出来る。それでもなお中曽根康弘氏の総理在任中とリクルート事件に依る離党時の二度に亘り中曽根派会長を勤めた櫻内氏が「何故櫻内派と呼ばないのか」と憤慨して見せた様に、或いは竹下総理在任時の経世会が金丸会長であっても、小渕総理在任時の平成研が綿貫会長であっても、マスコミはオーナーとも言うべき真の実力者の名称を以て派閥表記を定め、御丁寧にその旨注釈を紙面に掲載していた。その解釈に則れば大島派乃至は旧大島派であっても差し支えないにも拘わらず山東派に改められたのは、小選挙区制導入以降の派閥の流動化を如実に代弁していよう。
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在りし日の赤坂プリンス旧館内
 勿論、派閥解消を唱えて自ら八日会を率先して解散し、現在に至る清和会としての再結集が遅れたが為に現職総理にも拘わらず総裁選敗北を導いた福田赳夫氏のDNAに由来しよう小泉純一郎総裁による派閥離脱の申し合わせの総裁から党三役への拡大も大きく寄与しているが、今や派閥は雇われマダムであっても会長職という形式要件に依拠する、単なる党内組織に陥落したとは言えまいか。裏を返せば代表者を一本釣りすれば容易に総裁の意向で派閥の構成を変更せしめ得るし、今や最も派閥らしい派閥とされる志師会が二階氏の党総務会長就任においてなお会長職を空席として河村会長代行に留めているのは逆説的に象徴的であろう。
 大島議長就任のもうひとつの余波は、総理すら諌めながら些か古風かつユーモラスな名奉行振りを発揮した予算委員会の新たな風物を味わえなくなることだが、同時に党東日本大震災復興本部長職も退任となる。
 自民党本部五階に掲げられた、「大島部屋」の看板は、相撲博士・元大関旭國から受け継いだものではないようだが、来るべき再興の日に向け是非旭天鵬関に譲って戴きたい。 日頃永田町を回遊している煽りか、会社に居を据えると集中的に来客をこなす羽目に陥るが、流石に突発含め六連発、その間に取り零しもあり御詫び申し上げていては目が回ってくる。 おかげで分不相応に役員応接を独り占めしているのは多目に見て戴こう。

4月19日(日) de-briefing  -グルメ - B級グルメ-

h8.jpg  先週に懲りたと言うべきか、朝から定番の練馬区早宮にゴルフ練習へと向かう。週に一度の朝練から遠ざかっていたのは直接的にゴルフへの情熱が失せた為だったのか、精神的・肉体的疲労の蓄積が何事にも厭世感を催していた、その一環としての出不精だったのか。
 そもそも祐旭の受験モードに伴い子供と御出掛けシリーズも自ずと急減したが、あまつさえマッサージに赴くのすら億劫になっていた行動原理に鑑みれば後者たろう。多忙は必ずしも緩和されていまいが、漸く日常を取り戻しつつあるアベノミクスの地方波及よりは先ず穏当な回復振りに、わが事ながら少し安堵してみたりして。

 引き籠りは音楽鑑賞と読書には好都合だが、必然的に間食も増殖する。OK行脚で蓄えた多胡麻は言うに及ばず、湯沢で更に親和性の増した柿の種(写真)やらカウチポテトならぬベッド煎餅族では、腹回りが一層豊かになって次男と好取組になりかねなず出不精がデブに帰結などと悠長に構えている場合ではない。
 より深刻なのはコンソメである。そもそも幼少期に祖父に振る舞われた洋食のアラスカの濃厚なコンソメへの郷愁が、フライト時の飽くなき渇望として現れるならば可愛いものだが、残念ながら市販品は何れも薄味で、頓にこのところは味の素の固形コンソメニ箇をカップに湯を注いで飲み干すのが定例になっている。
h9.jpg  マギーブイヨンも同様に試飲してこちらは微妙な味わいだったが、固形コンソメも基本は出汁用途であり、幾ら濃縮好みでも無闇に飲料に転用すれば塩分過多が危惧される。勿論、味の素のレシピに「そのままお飲みになる際は」と水分比率との注意事項の記載は無いが、だからと言って製造物責任で訴える様な真似は訴訟天国の大陸人でも無ければ及びも付かない。
 それでも渇水状態で清涼飲料水の消費も進めばわが家におけるアルコール摂取を大幅に削減してなお健康には必ずしも芳しからぬ効用を齋そう。血液もコンソメ並に泥々にならぬよう運動にもマッサージにも励みますか。

4月15日(水) 夕張のことも夢のまた夢  -政治・経済 - 選挙-

h6.jpg  嘗て泡沫と一緒くたに扱うのは躊躇われる程に、必ず掲示板に名を連ねる選挙の風物詩とも言うべき候補者が居た。代表的なのは数寄屋橋に立ち続けた赤尾敏氏であり、性同一性障害というよりは"オカマ"の呼称が似合う東郷健氏だろうが、供託金という対価を払って自らの主張を伝えるという意味で、たとえ当選してバッチを付けるには到底覚束無くとも、彼等は政治家であったと言えよう。
 かの羽柴誠三秀吉氏をどう評価すべきなのかは棺を覆いてなお解らない。金持ちの道楽だとしてもドクター中松氏やマック赤坂氏ほどには大尽では無さそうだし、売名行為ならば充分にその目的は果たしているが、知名度の向上が事業に大きく寄与したとは思い難い。ただ2007年には財政破綻後、引き受け手が危ぶまれた夕張市長選では348票差の次点まで迫っており、発端は自己満足だったとしても継続は力なりを一定程度実証したのは事実だろう。
 盛り上がらなかった今統一地方選においては投票率の低下がなお憂えられているが、より深刻なのは全体の三割にも至るとされる無投票の増大であろう。地方議員の属性が嘗ての名望政治家、即ち功成り遂げた素封家が地域社会への奉仕活動としてその任を授かるものから、職業政治家へとシフトしていったのはやむを得ないとしても、たとえ国政へのステップであっても地方政治への参画を企図する候補者そのものの減少は由々しき事態に他ならず、それは現職の代替わりや国政の選挙区事情を反映した政党間の代理戦争が勃発する地域だけが妙に激戦で、その周囲は現職の無投票だらけという極端な構図に如実に表れている。
 加えて現実路線なのかコスト面からの成約なのか共産党が候補者を絞りつつあり、実質的には信任投票と独自の闘いの同居であったとしても、投票用紙に名前を自書されることにより附託を得るという「代議」たる通過儀礼を経ていない政治家の増加は、有権者の政治への関心の低さの体現であると同時に更なる無関心を促進させかねないという意味で深刻である。
 だから羽柴氏の如く存在にも意義があると短絡的に結び付けることは出来ないが、長期雇用というわが国社会の特色とその帰結としての政治への高い参入障壁を如何に調和させるべきか、その問題提起を喚起させるという点において、特異なキャラクターの退場には弔意を表したい。

4月12日(日) 粛々と  -政治・経済 - 選挙-

h5.jpg  松山選手の健闘頼もしいマスターズ三日目の放送を耳にしながら本年二度目のラウンドへと向かう。
 ただ結論から言えば付け焼き刃の練習では当然回復は能わず、前半こそ何とかダボ・ペース以内に留まったが、後半は前回同様先ず体力が続かずヘロヘロで、かつドライバーが全く当たる気配も無い。クラブの技術革新もあろうが昨今のプロゴルファーの飛距離は人智を疑う増進振りで、比例してマスターズは言うに及ばずコースの距離も甚大を極めているが、慣れ親しんだおおむらさきが矢鱈と遠い道程に映ったのは、長身の同伴御仁にまさにバックスピンを体現する打球の伸びを見せ付けられたからでは無い。即ちドライバー不調の帰結に他ならず、何よりもこれではゴルフが全く面白くない。
 愈々猛省して再び練習に励みたい、と先ずは褌の紐を少し締めた処である。

 粛々ととも迂闊に言えない唇の寒い世の中だが、敢えてその表現を用いたくなる程、一向に盛り上がりを見せないままに前半戦を終えた統一地方選である。
 勿論そこには衆院選を終えたばかりで国会議員が必ずしも選挙に身の入らない、言わば統一地方選直後の参院選において地方議員の選挙マシンが機能しないが故に組織政党に不利とされる12年に一度の所謂「亥年現象」の正反対の相克もあろうが、オール与党対オール野党の最大の激戦たる北海道知事選ですら予定調和的な結末に終始した安倍政権の磐石さと言うよりは野党の不甲斐なさの為せる業と言わざるを得まい。
 ただかくも耳目から遠ざかったのは、大阪に続き東京もまた「統一」から外れて仕舞ったのが最大の要因ではなかろうか。戦後、都道府県知事が内務省官選から民選に改められ昭和22年に文字通りの統一地方選としてスタートしながら、地方議会こそ黒い霧問題で自主解散した東京都議会の様な例外を除けば必然的に足並みを揃えているが、首長は不祥事や身体の不調がひと度生ずればすぐさま補選となり、二度と再び旧に復することは能わない。四年前には東日本大震災による延期も生じ統一対象は今や47+20政令市の2割強、10知事5政令市長に過ぎない。
 例えば愛知の様に現職の選挙戦術により戦後三度目の昭和30年から二ヶ月前出しになっている様な微妙なタイムラグであれば、本来は国政補選に倣って再統一すべきなのだろうが、地方分権の旗頭凄まじき御時世では中央集権的な危険思想と蔑まれかねず提起すら危ぶまれよう。
 逆説的に言えば都構想の正否は兔も角、住民投票を通じて地方制度のあり方そのものに議論が及ぶのを待つしかないのだろうか。

4月9日(火) 私がオバさんになった  -音楽 - J-POP-

h4.jpg  松田聖子氏という素材がアイドル歌謡にニューミュージックの要素を注入させ歌謡曲そのものの構造変革を招請したとすれば、従来のアイドルという存在そのものを戯画的に体現してみせたのが小泉今日子氏の「なんてったってアイドル」であったと言えよう。
 その解釈に則ればノベルティ・ソング的なコミカルな歌詞を自ら誂え、アイドル歌謡とアイドルという商品を更に止揚再構築させたのが森高千里氏だったのではないか。
 70年代以前のアイドルは年齢を重ねてなおアイドルであり続けることは許されず、芸能の世界に生き残る為には俳優に転向を図るコースしか用意されていなかった。これに対し結婚、出産を経てなおアイドル歌手であり続ける道を切り拓いた松田氏の功績は小さくない。ただその松田氏においてもスキャンダルの影響もまた否定は出来まいが、40の坂を越える頃には第一線を退きディナーショーの似合う昔ながらの、失礼を顧みないレッテルを貼り付ければ「営業歌手」の領域に入った雰囲気は否めなかった。また小泉氏は「あまちゃん」において対照化したアイドルを更にセルフパロディとして演じることで久々に歌手として復帰を果たしたが、これはアイドル歌手の復辟ではなく、松田氏のディナーショー同様に嘗てアイドル歌手として一斉を風靡した人物が懐メロの提供を以て生産力を継続する手段のリニューアル・バージョンを示したのに過ぎず、歌唱力に乏しい小泉氏だからこそ言わば70年代アイドルにアイドルのままに生き残り得る世界があったらという、もしものコーナー的な風刺が成立したのだろう。
 であればこそ歌手活動こそ小泉氏同様に現役であり続けて来たとは言い難い森高氏の唐突な復活には、山口百恵氏の様に古式ゆかしい日本的な夫唱婦随を礼賛する向きからはスワ夫婦仲はとゴシップ的な邪推に及びかねないが、WOWWOWのライヴ映像の放映に接して感想は、月並みだがいたく驚き以外の何物でも無かった。
 勿論ミニマル系の皿回しアーティストと組んだりジャズ・アレンジを用いたりと現代風の味付けを擁しているが、基本は過去の楽曲であり新たなファンを産み出すよりは嘗てのフリークに向けた活動に他ならない。にも拘わらず懐メロと言うよりは40代後半の現役アイドルたる新しい姿が眼前に現れたが如く感慨に囚われるのは何故かと自問して辿り着いた答えは、些か唯物的だがその美貌の為せる業に違いない。
 MCを伺う限り喋り方など充分に一般的なおばさんの要素が見受けられるにも拘わらず、恐らくは復帰に向けて鍛練を経ての登壇であったろう劣化が認められない歌唱力の果たす部分も小さくはないが、アイドルであり歌手である現役感に実に満ち満ちている。
 寧ろ歌詞と歌唱に準えたのか幾分人口的な装いの強かった初期アイドル時代より綺麗になったと感ずるのは、流石に加齢とともにアイドル産業消費者の女性の好みも年相応に高齢化していくが故かも知れないが、これはアイドルの新しいあり方の提示に違いない。
 但しそれは詰まるところ誰しも具現し得る術ではないということである。世の中所詮は容姿、と片付けている訳ではないのだけれど。

4月7日(火) ナショナル・アダルト  -アニメ・コミック - 漫画-

h7.jpg  今にして思えば島耕作氏の人生のピークは部長から役員に至る時分ではなかったか。課長時代は仕事よりも寧ろ女性関係の艶やかさを誇り、人間関係だけで左遷と飛び級を繰り返していた様な島氏も、古式ゆかしい製造業においては決して主流で無い宣伝畑でありながら、その出自を逆手に採ってワイン輸入やレコード・プロデュースに辣腕を奮い見事本社に凱旋昇進する過程はサラリーマンの夢物語に他ならない。ただ逆に言えば本業に従事しない身の上においてはこうした狭隘なる迂回ルートのみが栄達の途という、作者の自意識は別として現実が伺える。
 社長時代の業績不振は経済環境に拠る処も少なくなかろうが、実在のテコットの苦境を見るに付け仮想現実の近未来小説の主役が少しずつ池上彰氏の二番煎じ宜しくニュース解説の狂言回しに堕していく姿は、並行して係長以前学生に先祖帰りする迄のエネルギッシュな姿が描かれているだけに、些か蛇足的な印象は否めない。
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岩国基地(07年)
 今日は朝から弘兼憲史跡の講演に預かったがもうひとつの基地の街、岩国という出自、更には名政治漫画「加治隆介の議」の作者でもあることを重々踏まえてなお最新作「会長 島耕作」4巻を読了した身の上には焼き直しを超える内容ではなく、主張には賛同出来ても何故民間企業の会長に集団的自衛権を熱く説かれなければならないのかとの疑問符は打ち消せなかった。
 もうひとつの代表作「黄昏流星群」により色濃く顕れている様に、幼少期から漫画とともに育った世代に中高年を迎えてなお同時代性の高い漫画を提供する新しい文化、商品を築いた功績は小さくない。しかしながら同時に政治以上に経済界が男性社会であり、弘兼氏がその代弁者に他ならないのは女性同僚が図らずも述べた「あすなろ白書の旦那」という解釈に現れている。
 だからこそ島会長には徒らに政治に首を突っ込んだり年甲斐も無く老いらくの恋に励んだりせず、何故経団連を脱退して同友会代表幹事を目指すのか、そして美しく言えば財界のシンクタンク、その実個人資格を標榜するが故に企業組織という実働部隊を有せず「言いっ放し」と揶揄される同友会をして本務たる経済活性化に如何に寄与していくのかを語って欲しかった。そして何れの日にかは功成り遂げた企業人が老醜に囚われない晩年を生きる「相談役 島耕作」も是非描いて戴きたい。

4月6日(月) プレゼントの山 埋もれもがいても  -ヘルス・ダイエット - 検査・治療-

g997.jpg  会社の診療所から矢鱈と電話が掛かってくると思ったら再検査の通達である。先方も職務とはいえかねてから検査を強要する余り却って体調を崩しかねない杓子定規さには閉口していたが、医者の所見開陳の場さえセットすれば後は野となれとばかりに度重なる確認で患者の不安を煽るが如く物言いは、たとえ医務職ではなかろうとも医療に携わる身の上としては不適格ではないか。
 それでも深刻にならぬべく敢えて高を括っていたが、いざ医師に面会すれば右肺にポツンと白い点が認められ、一刻は争わないが大学病院へとの改めてのお達しに、何を疑われているかは明白なだけに、取調室で追い詰められた容疑者の如しである。勿論、肺に影ありの再検査で無罪放免となった事例は枚挙に暇ないから恐らくは大事に至るまいとの類推は働くが、定期検査で発見される様ではとの悪魔の囁きを完全に否定することは出来ない。
g996.jpg  かくして一抹の疑念を抱えながら本日の診察に至ったが、先ずは呼吸器専門の産業医氏に親元で再び見えると、患者に丸見えな電子カルテを考慮してだろう「物騒なことですが」と笑顔で「肺癌の疑い」と記載されれば、予想していた展開だから小便ちびりそうには至らずとも戦慄が体内を駆け抜ける。
流れ作業の大学病院らしく検査室に回され人生初のCTに、ベースロード電源重視派としてこの程度の放射能は許容しなければと軽口を叩く気力も段々と失せてくる。再び診察室に戻れば扉が開き順に名前を呼ばれる瞬間が恰も刑場へと誘われる最終宣告の如しと言えば大袈裟だが、長い待ち時間に段々と目眩が襲ってくる。
 そして運命の一瞬、「大丈夫ですね」に全身の力が抜けた。「大分食道が開いてます。逆流性食道炎に気を付けて」との間抜けな御宣託に、「こちとら承知の介」「あんたは消化器専門じゃないだろ」などと突っ込む気力も湧いてこない。考えてみれば単なる医師の見立て違いに過ぎないのだが、思わず「ありがとうございます」と頭を垂れて仕舞うのは権威に弱い国民性の為せる業か。
 夢遊病者宜しく言われるがままに会計を済ませ、写真を受け取り、虚脱したままビックカメラを回遊して家路に着く。この顛末を如何に面白可笑しく騙ってみようかと、漸く機能し始めた頭脳を少しだけ働かせながら。
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