コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月31日(火) 自由の風に吹かれて  -政治・経済 - 経済-

g989.jpg  自動車製造業の対外窓口業に勤しむからには工場視察の介添役たる機会には事欠かないが、自ら携わった経験則に著しく欠けるが故に門前の小僧にも及ばず解説に耳を傾けながら視察者の一員の如く金魚の糞である。
 それでも新たな発見は見出だせるもので、場内に奏でられるオルゴール風のメロディが「土曜日の恋人」に「スキー天国、サーフ天国」と明らかに他工場との相違が見受けられるのは管理者の世代の為せる業なのか。
 考えてみれば固定電話の待ち受けもわざわざ改変しない限り概ね数パターンに絞られ、耳に焼き付いて後から原曲に触れて驚く程だが、バリエーションに欠けるのはJASRACへの支払い使用料を抑制する為ではなかろうか。ならばたとえ場内の限られた利用であってもかく楽曲が多様性に富んでいては要らぬ出費を齋しそうだが、ふと気付くと聞き覚えのあるフレーズもまた奏でられているではないか。
 それは幼少時より馴染んだTV放送の刷り込み効果に違いないのだが、不可解なことには同一企業の帝都のオフィスにおいてまま耳にする楽曲と同一なのである。到底そこには不似合いなサザエさんの、しかも主題歌でも副主題歌でも無くほぼ毎話オンエアされている「磯野家の団欒1」という著しく緊張感の弛緩するBGMの採用は、どうやら工場現場からの転用であったとは使用料低減の観点からも漸く合点がいったし、恐らくはその使用方法も類推されたのである。
 肝心の自動車製造過程には何等の効能も施さない得心ではあったが。

 ただこのアテンダー業を買って出たおかげでかの細川政権の立役者との会食の機会に恵まれたのは、ここ十年来最も緊張する時間には他ならなかったが、現下の永田町周辺居住者業たる身の上を措いてなお若き日のヒーローに対面するが如き感慨に包まれた。
 「政権交替可能な二大政党制」を具現し、事実国民が体感した政権交替という壮大なる実験は、「政権交替可能だが政権交替の無い複数政党制」に回帰しつつある現下においてなお、貴重な授業料であったのではないか。やらずに後悔するよりはやって後悔する方がいい、と全てを過去の記憶たらしめるにはまだ早過ぎるのかも知れないが。

3月29日(日) トンネル天国  -地域情報 - 東京23区-

g986.jpg  世田谷のコロッセウム、大橋ジャンクションから五年、恰もポインターが飛び出して来そうな地下ハイウェイ・中央環状品川線を完工試走と洒落込んだ。
 とはいえ西新宿ジャンクションを右に折れ泉下へと潜れば大橋の螺旋階段の如くインパクトも無くするすると流れていくばかり。僅かにナビの混乱がこの地下道が環六山手通りと目黒川の下を微妙に相互しながら、針の穴を抜く様に周到に用意された様が伺われる。
 それでも漸く天空の光に辿り着き大井ジャンクションを駆け上れば、ガントリーと大井の車輛基地に居並ぶ新幹線の山が唐突に現れ、やがて至る羽田空港とともに陸海空の交通手段が勢揃いする光景は、遅れて来た近未来の絵柄の面持ちに他ならない。
g988.jpg 勿論、些か薹が立っていたとしても半世紀振りに近い首都高二本目の環状線の開通は、 一旦6号線と合流してから分離する堀切~小菅ジャンクション間、端から5号線と重複している板橋~熊野町間の両ボトルネックも拡幅が進められており、少なくとも都心環状線の渋滞緩和に資するのは疑い無く本来の「都市」高速の姿を取り戻し得るだろう。
 わが家の立地からして千葉、横浜方面への需要は多くは無くとも文字通りのネットワーク化の推進には、奪われつつある道路族の血が騒ぐというものか。

 久々の試合で公資のサッカーを観戦したが、小学三年ともなると素人目にも優劣が明解でかく幼少の砌から勤しめば、クラブチームからプロに至る緩やかな一元化構造と相俟って、対峙する職業野球の将来が愁えられる。
 当然、父母の血を受け継ぐ公資は後衛で一試合起用されたキーパー時に相手方に矢鱈とシュートを連発されていたのは些か不憫だった。敢えて巧者にボールを譲る傾向が見られるのは自らの技量を知るが故の奥ゆかしさかも知れないが、負けず嫌いのくせに末席に近くとも参画し続けているのは集団競技の魅惑の賜物なのだろうか。

3月28日(土) ラムネでも食べながら  -育児 - パパ育児日記。-

g984.jpg  駄菓子屋にはベーゴマやスーパーカー消しゴムを求めて訪れてはいたが、十円ゲームの類に狂喜乱舞したのはひと世代上になろう。従って、駄菓子屋ゲーム博物館を訪れるのも幼き日々への郷愁よりは、妻の実家に程近く子供達が訪れながら父はまだ実見していない対抗意識の現れであったろう。
 商店街の外れに存在する博物館には処狭しと遊具が並んでいるが、概ねはコインやボールが上から下へと左右に流れていくロードレース仕様か、コリントとスロットマシンの融合に倍々ゲームのベティング要素を加味した遊戯に大別される。要は後者はパチスロの簡易版であり、単価が著しく安いから駄菓子屋に相応しく見えるだけで、素人が遭遇する入門編のカジノの光景と構造は大差無い。
g985.jpg  公的には換金が是認されていないパチンコに"博打"感が漂うのに対し、親子で健全に楽しめるまさに「統合型リゾート」の先駆とは言い過ぎかも知れないが、適度に熱くなって気が付けば辺りは身動きも取れない程の家族連れの嵐である。
 十円とメダル一枚がほぼ等価だから粘っても財布は少しも軽くならないし、さすれば気も楽になるのか公資も「たこやきキッズ」なる機に熱中してしかも甘粕大尉の如く大博打に及ばず着実に小金を稼いでは換金ならぬ換メダルを繰り返しているから一向に終焉に到らない。
g991.jpg  帰路訪れたスーパーで「143円のガムが高く見える」と宣っていたが、遊戯における金銭消費が少なくともまた実利における射倖性が低くとも、人間の集積には寄与出来るという見本ではなかろうか。

 高まる公資のベーゴマ熱は遂に学内にベーゴマの薦めを啓蒙し同好の士と相俟って同志を増大させるに到り、結果として馬橋公園近隣には全国トップテン・クラスが群れなすというのは些か眉唾物だが、駒台の背格好との相性からしても小学校低学年が全国レベルに合致するのは事実らしい。
 その意気込みに乗せられた訳ではないが、角六より大きな裕旭・公資駒を更に追加発注し大角、更には花札の五光の化粧駒に謎のウルトラマン、果てはベーゴマ台に至るまでわが家にベーゴマ王国を構成するに至っている。父も難易度の高い男巻き=俗称チンコ巻きに挑戦してみようか。

3月25日(水) Our Forces  -政治・経済 - 軍事・安全保障・国防・戦争-

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富士学校体験入隊(02年)
 自らの所属する地域・組織を愛着を込めて「わが」たる冠を付して呼称する行為は、帰属意識の希薄になった民間企業においては今や少数派かも知れないが、こと永田町においては未だ健在である。
 「わが国」は勿論のこと政党ならば「わが党」であるし、嘗て派閥全盛期には政治部の各番記者がこぞって「わが派」の利害を掲げて紙面作りに及んでいたエピソードも懐かしかろう。
 この段に則れば総理が国家国民を守る崇高な使命を帯びた自衛隊を「わが軍」と呼んだのは所有の概念を示したものではなく、野党の「安倍さんの自衛隊ではない」との批判はナンセンス以外の何物でもない。残念なことに当該政党は自らを「わが党」と謳う程に愛着を抱いていないと談ずるのは失礼なのかも知れないが。
 勿論、自衛隊を「実力組織」として遭えて「軍」と定義してこなかった戦後民主主義の文脈の中で、改めて軍隊であることを明示した点に刮目するのは的を射ていたとしても、国際的に自衛隊は当然に軍隊として扱われて来たし、「わが隊」ではウルトラ警備隊の様で幾分コミカルに響こう。
 そもそもかの石原慎太郎氏の「支那」の如く敢えて露悪的にその言を用いるのでないならば、要らぬ批判に「軍」を封印したのは大人の対応に他ならないし、寧ろ最大野党の実力組織への忌避感を顕わにしてその日本社会党に由来する一国平和主義体質の欺瞞を白日に晒した効用は充分に鑑みられただろう。

g983.jpg  海上自衛隊の護衛艦が気象に加えて山岳に由来する艦名を戴いているのは、旧帝国海軍との連続性に鑑みればD=destroyerの識別を有していても、事実上駆逐艦のみならずワンクラス上の巡洋艦の領域も賄っているとの認識が伺われる。
 従って護衛艦初の全通甲板を持つ16DDが「ひゅうが」(写真)・「いせ」を名乗るのは戦艦級の位置付けの体現であり、世界中から「戦艦」たるカテゴリーがほぼ存在しなくなった現代において、その形状とともに航空母艦的に捉えられるのもまた当然であろう。
 今般更に近代化した新型「いずも」の就役を迎え、それでもなおDDの識別に拘るのが専守防衛の自衛隊らしさであって、敢えて国際感情に照らして地を低くして実利を採る強かさとも言える。
 総理が次期いずも型を「ながと」と名付けて「わが艦」と述べたら行き過ぎだろうが、報われることの少ない実力組織への愛情を込め島根の方は元より広く出雲大社に想いを馳せながら「わが艦」と呼んでみたいではないか。

3月22日(日) ナイアガラ・ムーンがまた輝いて  -音楽 - J−POP-

g980.jpg  リアルタイムで大滝詠一氏に触れたのはかの「A LONG VACATION」だが、厳密には「君は天然色」の間奏が「がんばれば愛」のメロディーと同一で、驚いて映画「がんばれタブチくん」のサントラ盤を確認して大滝氏作に気付いたのが、ファースト・ナイアガラ体験だったと言えよう。
 それは友人とコミック系ソングの自主録音に励んでいた小学五年時分から、YMOを経由しつつ歌謡ポップスにのめり込んでいく自らの音楽遍歴と期を一にしている。その反動だったのかも知れないが、大瀧氏が「ノベルティもの」と称する70年代の楽曲は馴染むには既に荷が重くなっていた。
 今般、毎年の恒例行事となっていた3月21日の周年記念再リリースの集大成たる「NIAGARA CD BOOK Ⅱ」の購入に及んだのも、メロディ・タイプ主体になった80年代以降の全アルバム網羅の謳い文句に誘われた為だが、併せてレコード・コレクターズの同BOX特集最新刊と過去の特集の抜粋本に加え、かの「分母分子論」はじめ執筆と発言に氏に纏わる文章を集めた「大瀧詠一Writing & Talking」と刊行が相継げば、財布の紐を緩ませるにも程があろう。
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写真はイグアスの滝
 実際、初版の「BEACH TIME LONG」や20周年の「EACH TIME」などCDそのものの所有は少なく大半はダビングであっても重複感は否めないし、同じアルバムでも再リリース毎に微妙に構成が異なり、「EACH TIME 」と「EACH TIME Single Box」の様に大瀧氏自身の手で繁雑に差し替えが行われた結果、解説書に基づけば検知される筈の相違も曖昧になっている。期待されたレア物も既に各周年版でボーナス収録されていた楽曲の寄せ集めで、御本人の突然のエンドマークがバラエティに富んだ内容たるに阻害となったのは否めなかろう。
 ただカラオケやストリングス・バージョンも盛り沢山の余り、逆に些かメロディアスに過ぎると感ずるのはファンの我が儘以外の何物でも無いがこうなると却って、混同しそうなタイトルだが提供曲を集めた「大瀧詠一 SONGBOOK Ⅱ」に溢れる音頭モノが懐かしくなってくる。
 想えば学生時代の最後に製作した友人のテーマソング「小樽の海風」が演歌というよりは音頭に近い曲想になったのも、強引に結び付ければ大瀧氏の思想が血肉となって発露された果実とも言えようか。
 「EACH TIME 」が遂に初版に回帰し「レイクサイド・ストーリー」の大エンディング・ヴァージョンが陽の目を見たのはまさにエンディングを示唆するものだろうが、恐らくまだまだ秘蔵されたままの楽曲は多かろうから、たとえ御本人の意向に必ずしもそぐわなかろうとも願わくばこれが最後のリリースにならないことを切に希望したい。

3月21日(土) はね駒  -育児 - パパ育児日記。-

g978.jpg  親と子が一緒に楽しむワークショップとは大仰な題目だが、多様な商店街による下町風味と革新・杉並の香りを共有する高円寺らしい「おやこのテラコヤ」イベントの「ベーゴマ教えて」に参画する。
 先月、友人とともに闖入した公資がベーゴマの魅惑に取り付かれ、改めて主宰者の思惑通りに父子で現れたのは父にもまた若き日の記憶が去来したからに他ならない。
 往事、高円寺と阿佐ヶ谷を結ぶ学区内の生活道路の五方向への結接点となる角地に俗称「五叉路」と勝手に名付けた駄菓子屋があり、度々通っては銀玉鉄砲の球とともに、まだ現役だったフラミンゴの本塁打王はじめ往年の野球選手の名を刻印されたベーゴマを買い求めた。
g977.jpg  残念ながらそれらは引越の際に敢えなく失われて仕舞ったが、三十数余年を経て拾う神あれ、オリジナル・ベーゴマ製作の鋳造企業を発見し祐旭・公資名義を作成して挑んだのである。
g979.jpg  ボランティアの高齢者が現れ指導に余念が無いが、鍛練に余念の無い公資は知人と合流して早速精力的な対戦を重ねている。されば父も昔取った杵柄とばかりに参戦してみたが、緩めの女巻きで怖々置きにいくばかりではゴルフ同様迫力に欠ける。一方で会場側のセブンイレブン経営者氏の水平チョップ宜しくスナップを効かした回しっ振りが際立っていたが、恐らくこちらも嘗ては駄菓子屋であったのだろう、あろうことか当該コンビニにてベーゴマを販売しており、かの「王」をはじめ長嶋、金田、柴田、国松、宮田ら巨人勢に加え稲尾に尾崎、果ては名誉回復前だったろう池永に至るまで、強く回せば潜航して他者を撥ね飛ばし得るペチャ駒に再会したとあらば、失われた過去を取り戻すが如くに感涙に咽びながら大人買いに走るしかあるまい。
 程無くして次たる演目に移行すると良くも悪くも如何にも純朴そうな東大ジャグリング部の面々が登場し、公資も初めて回転させた中国駒を紐を左右に張って跳躍させ、再び紐上に受け止めるディアボロなる競技に挑むと、凡ゆる駒と相性が良い訳でもなかるまいが、マイベーゴマに対峙するが如くにマイ中国駒を持参した御仁に負けず劣らず連続技を繰り出して、サーカスに売られた幼子を慈しむが如くに衆目の歓心を買っていた。
 ただ程無くして一同ベーゴマに回帰したから矢張りわが国伝統遊戯の児童訴求率の高さを物語っていようか。

3月17日(火) 明日もホームランだ  -グルメ - カップめん-

g976.jpg  OKマートに狙いを定めたのは中杉通りと新青梅街道の交差する中杉店にカップ麺のホームラン軒を発見したのが多胡麻に匹敵するもうひとつの誘因だったろう。
 古くはホープ軒とルーツを同じくするとされるホームラン軒もカネボウから加ト吉を経て今やJTの食品部門と化しているが、出会いが恒例の湯沢詣での際だったのは同社が南魚沼郡に生産工場を有するからに違いない。しかし残念ながら帝都においては滅多にお目に掛かれず、遂には中杉店からも消滅して仕舞ったのは、スーパーにも矢張りロットで一括仕入れを行う規模の論理が働くからだろうか。確かに新潟であっても外来の六日町ジャスコには不在で地元資本のスーパーのぐちには大量に山積みされていた記憶がある。
 考えてみればホームラン軒に拘る必然性も無いが、消えたとなると無性に賞味したくなるのも人情というものだろう。詰まるところアマゾンで探索して箱買いに至る。しかも定番の味噌とワンタン麺と長野限定信州味噌の実に三箱である。
 味噌汁を煮詰めて鍋を焦がして度々妻に怒られるのと同様に、カップ麺もまた汁を吸い捲った伸び伸び好みだが、ホームラン軒も通常標記4分のところ十分以上十分に待ちわびて垂れを泥々に絡めると必用以上に美味に感ずるのは生麺に近似するが故に吸収のよいノンフライ麺の効用なのか、果た又旅先の高揚感に基因する錯覚に過ぎないのか。三箱が尽きた頃にいい加減飽きが来るか、もう三箱注文したくなるかでその是非もまた判明しよう。

 要人のアポ取りに事務方相互の人間関係が左右するのは当然だが、単純に依頼するに留まらず然り気無く先方要望への回答と並列させバーターの雰囲気を醸成するテクニックを用いたり、場数を重ねると自然と狡猾になってくる。
 昨日もタイトだったり幾分間延びしたりは否めなかったが無事ビッグネームが並んだのは幸いであった。

3月15日(日) 大人借り  -音楽 - J-POP-

g974.jpg  一時は土日は平日の疲労快復に寝てばかりだったが漸く落ち着いてきて、にも拘わらず芝刈りの鍛練には誘因が湧かず、このところ久々に音楽CD漁りに精を出している延長線上に凡そ五年振りにレンタルのジャニスを訪ねる。書籍もアマゾン頼みだから神保町そのものも御無沙汰だが、「貸しレコード」時代からの老舗もライトメロウのコーナーを設けるなど時代の波に乗り遅れぬべく懸命の足掻きが伺える。
 それでも現代の若者はダウンロード主体でCDという固定メディアを敢えて物理的に借りるというアナログの混在した世界を厭うだろうが、CDのデジタル性に感銘を受けた世代としては、嘗ての細々と五枚ずつから一挙大量・宅配返送の大人買いならぬ大人狩り、ではなくて大人借りである。大量のダビング作業を厭わなければ当分BGMには困るまい。

g975.jpg  続いては食糧調達巡りだが、西友、ライフ、サミット、マルエツと帝都西部を根城とするスーパーをひと巡りして、詰まるところは胡麻だらけの煎餅「多胡麻」が常備されているOKマート系列に回帰しつつある。
 南口居住時代には近隣に存在したが、今般敢えて昨年オープンした宮前店に歩を向けると、途上信号待ちの瞬間上手に現れた水素ステーションに感慨を覚えている様ではワーカホリックも病膏肓と言うべきか。しかしながら既に2010年から稼働とは幾ら実証実験扱いとはいえ東京ガスの天然ガス併設とは訳が違って当面究極の閑古鳥だろうから、国策の片棒を担がざるを得ないエネルギー産業のフロントランナーたるJXの悲哀が伺えた。
 確定申告提出まで珍しく精力的な土曜であった。

3月14日(土) 焼鳥一丁  -グルメ - 寿司-

g972.jpg  学生時代に雀荘に入り浸った世代ではないが、寧ろ卒業後折に触れて集い、最盛期に温泉宿一泊二日三卓連動なる壮大なスケールで大会が催されていた。主宰者の多忙、メンバーの異動等により休眠状態だったのが、実に四年半振り、会の「理事長」の新築御披露目を兼ねての開催と相成った。
 しかしながらゲーム麻雀に慣れ親しんだ弊害か、面子各位に指摘された通り嘗ての面前主義から安易な泣きに走りがち、かつガードが甘く放銃の嵐で、一局休んで家主の御子息とウルトラマン談義に興ずる暇も無く只菅打ち続け、漸く三局目に満貫を自模ってトップにあり付くも、日付が変わり丑三つ時あたりに巻き返す不健康な体力主義も夕刻までの健全囲卓ではエンジンが掛かる前にタイムリミットで、巻き返せず微沈に終わった。
 時間短縮のため最終局は割れ目を採用し脳内を「ファンキー麻雀」のフレーズが駆け巡ったが、自身は一度も割れることなく割れ親満を眺めるのみで、ギャンブル性の高さこそ立証されたものの、これも制した家主の大勝に収斂したのは御祝儀相場とすれば順当な落ち着き処だったか。

g973.jpg  夜は寿司を所望するわが子達の要望を受け、定番の回転から贅沢に中級のカウンターに昇格を試みるも満席で、馬橋管内に手広く展開される地域では著名な幸寿司に建替後初の御目見えとジャンプアップした。
 卵や稲荷とコストパフォーマンス溢れる公資に対し、鮪主体の祐旭は近畿大学に派遣したくなる程だが、新装してなお平屋たる贅沢な奥座敷ならぬ奥椅子席にて叩くべき大枚も忘れて舌鼓を打つ。
 残念ながら典型的な甘垂れの煮穴子好みの父にとっては焼穴子でも無かろうが渋目の幸寿司穴子は今ひとつで、寧ろ駅弁の押し寿司か穴子飯の方がお似合いだろうか。高尚に慣れぬ味覚にも幸寿司のスノブ感は大枚に見合うだけ堪能させて戴いたが。

3月13日(金) 待ち人来る  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 丁度ひと月前も前出しだったから「白日」もまたそれに倣うのは道理であり、唐獅子牡丹宜しく義理に重たく努めなければならない。
 ただ不如意だったのは予算審議の真っ只中で夕刻に本会議がセットされる特殊な日程にかち合ったことだろう。金曜だから本来午後は地元への移動前提で日程を入れていないところに禁足とあらば、議員会館の行く部屋毎にほぼ確実に本人を捕捉出来て仕舞うのである。
 陳情の時節なら天の配剤に狂喜乱舞もしようが菓子折り抱えての廊下鳶、それでも女性議員への御返しであれば本旨に叶っていようものの、女性秘書に差し出す間もなくお部屋に招かれ、だからと言って男性議員に洋梨とも申し上げられず有り難きも時間ばかりが嵩んでいく。更にはバッチを外された大物にも期せずして対面と、御本人尽いたホワイトデーだった。

g971.jpg ただ妙に気忙しかったのは、更に後半戦として夕刻前の会場入りが控えていた為である。VIP入口はじめホテルマンの如く導線も御手の物なのはデジャブではなく、目隠ししても辿り着ける程に慣れ親しんだ栄典担当の杵柄であろう。それでも兵站の常として確認作業は欠かせず重役出勤もままならず、本会議の余波で待ち人来たりは早くとも三時間後とは些か時を持て余し気味である。
 大日本時代に由来する名を戴く五ツ星ホテルでの記者会見にレセプションと余りに縁遠くなった艶やかな世界に、肝心のイベントが始まっても所在無く立ち竦むのみだったが、幸い押っ取り方で現れた政府高官は喜色満面で帰路に着いたから接遇役としては立ちんぼの甲斐もあったというものだろう。
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