コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月30日(金) それが私の生きる道  -グルメ - B級グルメ-

 良き前線の兵隊たるには斥候により対峙する先方への到達ポイントを確定しなければならない。当然相手方の動静を眺めながら火器を抱えつつの交渉に臨むゆえ思うが儘に部隊を進め得るとは限らず、寧ろ間口を拡げても中には空振りが生じ待機時間をもて余して効率性一辺倒には御し切れないのは常日頃であろう。加えていざ遥か将官クラスの御出座しとあらば事前の下見は元より当座の足回りに資するべく輜重兵にも早変わりしなければならない。
 たとえ蝶々蜻蛉と蔑まれても前線に情報が行き届かなければ少なくとも戦術的な敗北は明らかであり、その情報を以て大本営の意向を嗅ぎ取り僅かであってもパイプを繋ぎ保つ処に、師団のコマとしての兵站の生きる道もまたあろう。 幸い今日も明日も要人のアポイントに成功したのは密やかな得心であった。

g939.jpg  厳密に言えば野菜嫌いであってもノンベジタリアン=肉好きと短絡的に理解されるおかげか、宴席と言えば焼肉、すき焼き、しゃぶしゃぶに特化される傾向にある。勿論精進料理で責められるよりは余程有り難いし、昨日も今や河豚の肝並にアングラ扱いの牛のユッケにまで賞味に預かったのは幸いだったろう。
 取り分け現にマスから微細までメディアに直に接する御仁との一懇は、ネット上には溢れ返る情報であっても真偽の沙汰がスクリーニングされて齋されるから効率性に鑑みても非常に有り難い。
 今般の人質事件が結果としてわが国の在り方に一石を投じることになるのかはまだ解らないが、ダッカ事件の呪縛から脱却出来るかと大上段に振り被って検証するには些か普遍性の乏しいものだったのかも知れない。
 二次会は特異性の大きい、こちらは社内情勢に終始し、今週は元選手の方とのマニアックなカープ談義に始まり、参議院の懐古譚から現況と体力的にはいざ知らず、有意義な日々だったか。

1月27日(火) ひかり号と三原脩  -音楽 - J−POP-

g946.jpg  ライトメロウに首を突っ込んでみたのはコンピレーションの首謀者、金澤寿和氏の書籍に端を発している。実際、この種ディスクガイドに基づいて聴き漁ってみても大概は失望の方が大きいのが常で、現に発掘された佳作群は必ずしも琴線に触れなかったのは既に述べた通りである。
 しかしながら「流線形」という明らかにユーミンを意識したネーミングの集団に、その思惑通り触発されたのは一期一会と言うべきだろう。ひと口で言えば需要がありそうで存外に見受けられ難いニューミュージック、都市型ポップスの後継であり、ただ残念なことにはそのものズバリのタイトル「シティ・ミュージック」の発表が丁度ひと干支回り前、祐旭の生まれた羊年だからディスコグラフィが積み上がっていても可笑しくないところ、寡作に留まっている事実だろうか。
 結局クニモンド瀧口氏のひとり立ちとなり、女性ボーカルを次々と差し替える中で「流線形」の看板は半ば下ろして、辿り着いたのが一十三十一氏の「City Dive」という構図になっている。
g947.jpg  確かに元メンバーの林有三氏もまたサノトモミ氏らのプロデュース業に従事しているし、好事家の高い称賛は得られてもフロントマンたる女性ボーカルのキャラクターを前面に掲げなければ大衆の支持は得られないという現実的な要請は否定出来まい。
 近似した立ち位置にある冨田ラボ、宮川弾アンサンサブルらの音楽工房的な名称も、半ば裏方に徹することで自らの嗜好性を追求する試みとも言えよう。
 言うまでも無く想い起こされるのは嘗ての細野晴臣氏率いるTin Pan Alleyであろう。フロントも兼ねていたキャラメルママからの移行に伴い松任谷正隆氏が妻ユーミン氏との二人三脚主体に脱落するなど、必ずしも長続きせずかつ商業的な成功も収め得なかったが、そのトータル・プロデュースの試みが今に至る都市型ポップスの遺伝子を残したのは異論の無いところだろう。
 一十三十一氏も連発されているここ数枚のアルバムではメロウと言うよりは些かきらびやかに過ぎるきらいこそあれ、徒らに刺身の褄の如くバラードを配置したりせずとも、クニモンド氏が一職人のスタンスに退いた分却ってバリエーションが豊かになったと受け止めることも出来る。
 プロデューサーや作曲者の名前を伺いつつ対照を拡げて片っ端から耳に入れていく行為は、当たり外れはあったとしても良盤発掘の過去を追い求めるよりは、自称歌謡曲評論家にとっても余程健全なのではなかろうか。

1月24日(土) 謳って跳ねて  -育児 - パパ育児日記。-

g934.jpg  久々にWiiUのチケットを購入して自宅カラオケに勤しみ驚いたのは祐旭の声変わりである。勿論、平素から幾分ハスキーになった感はあったが歌声に接してみると明らかに野太くなっているではないか。
 それでも若さを隠せないのは公資に合わせてハイトーンボイスを試みれば立派にソプラノも対応可な利便性だろう。想えば父も学生時代には女性ボーカルに裏声でハモるのが特技で、持ち歌はプリプリの「世界でいちばん熱い夏」だったが、経年劣化により高音はおろか男性歌手の一般声域たるソの音程すら継続かつ安定的な発声は危うく、にも拘わらず絶対音感の弊害として移調には支障少なからずだから、今やもやもや病から復帰を果たした徳永英明氏の「ボーカリスト」状態、女唄を一オクターブ下げての歌唱で無ければ長続きしない。
g928.jpg  「SEKAI NO OWARI」オンパレード状態の祐旭には喉と肺を大切に、男性ボーカリストを目指して欲しい。

 けん玉協会によれば、剣玉には「集中力とバランス力を養う」教育効果が認められ、クラブ活動のみならず学習塾の休憩時間においても活用されていると聞く。
 確かにリズム感も必用だろうし、ゴルフではないが膝の屈伸が鍵になりスリム化の求められる公資にはお手頃な軽運動に違いないが、けん玉検定準初段を獲得した友人に触発され自ら「もしかめ」50回を"足切り"と認識し確かにリズム感も必用だろうし、ゴルフではないが膝の屈伸が鍵になりスリム化の求められる公資にはお手頃な軽運動に違いないが、けん玉検定準初段を獲得した友人に触発され自ら「もしかめ」50回を"足切り"と認識し、専門用語を駆使しながら既に「世界一周」も成功に漕ぎ着けている。
 確かに穴の方向性を安定させるべく「ふりけん」に臨んで球を回転させる事前準備があることは認識していたが、殆どけん玉に触れた経験も無い父にとっては、かく玄人擬きの手筈が眼前の児童に依り、あまつさえわが家において繰り広げられる事実は驚愕以外の何物でもない。
 実際に協議に及ぶ際は勿論のこと、暇を見付けてはひとり渾渾と鍛練に余念の無い様はまさに集中力の賜物に他なかろう。勿論、けん玉に挑んで集中力が研ぎ澄まされるのが、持って産まれた資質が発揮されるのかはまた別の議論があろうが。

1月22日(木) 華盛キューバン・ボーイズ  -スポーツ - プロ野球-

g938.jpg  キューバ危機をリアルタイムで体験した世代ではないが、第三次世界大戦が憂えられる程に嘗て共産主義が輝きを以て受け止められた時代が存在したことは、判官贔屓こそあれ今もなおチェ・ゲバラのTシャツが信条の東西を問わず広く流布している事実をして裏付けられよう。
 そのキューバと米国が国交交渉を開始したとのニュースには隔世の感がある。勿論、米寿を迎えたカストロ議長後を模索しなければならないキューバ側の事情にも依拠しようが、わが国において最大の影響を被るのは本邦職業野球ではなかろうか。
 アマチュア球界にその名を轟かせたキューバの衰退の一因が有力選手の相次ぐ米大リーグへの亡命にあるのは論を待たないが、キューバもまた手を拱くのみならず嘗て中華人民共和国が外交官兼情報要員として「ピンポン外交」を展開した政治的思惑とは大いに異なり、国家公務員たる野球選手の輸出に依る外貨獲得策に転換しつつある。
 その前触れとして21世紀初頭にはリナレス選手が中日に送り込まれたが、既に一度現役を引退しており往年の「キューバの至宝」たるに相応しい活躍は臨めなかった。
 それから十年を経た昨年、キューバ政府は正式に国外における職業スポーツ活動を容認し、DeNAグリエル、ロッテ・デスパイネと現役バリバリの大物が出稼ぎ輸出されて来たのは記憶に新しい。
g940.jpg"
今は亡き西宮球場
 彼等は公務員として西側の野球閑散期は地元ウィンター・リーグに帰参し野球先進国からの技術導入に務める責務もた負おうが、米大リーグ経験者以上にわが国野球協約における保留条項には捕らわれず、次年の所属はイチから御破算でキューバ政府が再検討するとの指摘もあった。
 かくあらば例えば読売なら亡命組のアンダーソン選手と派遣組のセペタ選手の扱いが異なり混乱もと懸念されたが、幸い揃って前年通りにて落着したところで今般の一大転換である。
 当然、等しく出稼ぎに赴くならば極東の果てよりは近隣超大国の方が望ましかろうし、メジャー級はひと握りだとしても米国のお墨付きが得られれば市場は中南米全域に拡大しようからわが国のキューバ詣でも一過性のブームに留まるのかも知れない。
 昭和30年来日時には寒さに震える日々を送り、キューバ危機による西側との断行でついぞ帰国の叶わないまま長らく関西弁の阪急名物通訳を務めたチコ・バルボン氏は今、何を想うのだろうか。

1月21日(水) 子供たちを責めないで  -育児 - パパ育児日記。-

g929.jpg  大学時代のサークルの恒例の新年会も近頃の話題は子育て一色である。幸福にも押し並べて子宝に恵まれ、かつ都市部全般の傾向に逆らうことなく比較的遅めの子育て世帯が揃っているが、当然中でも世代差はあり男児も高校生ともなれば親との接触が途絶えがちになるのは自らの経験則からも伺われよう。
 確かにわが家においても祐旭の受験モード突入に伴い「子供とお出掛け」シリーズは激減しており、かつ僅かな空時間においても子供同士の交流が優先されつつあるものの、哀れまだ二人とも父とのお遊びが疎まれるには至っていない。
 興味深かったのは矢張り同世代の男児を有する母親の声であり、昨年丁度この席で「男子は何時まで母と風呂を伴にするか」が話題となったがそれから一年の間に情勢は一変、ある日突然父が家族会議宜しく母との同衾に否定的な見解を開陳し、子もまた友人に実情を調査した結果、二度と再び浴槽を同じく能わざるを得なくなったとの言であった。
 確かに親世代に比すれば実践性が加算されたとされる性教育もまた実情を聴き齧る限りにおいては凡そ児童の必用以上の好奇心を煽る域には無く、保守派ならずとも一面では心撫で下ろす要素でもあろうが、第二次性徴を迎えんとする時期に幾ら肉親とはいえ異性と裸の付き合いを長らく継続することには議論の余地はあろう。
 振り返ってこちらも幸いと呼ぶべきか、わが家は二人とも父とも母とも未だ衒い無くひとっ風呂浴びている。本人達から異論が出るまではそっとしておこうか。

g930.jpg  もうひとつの主題は時節柄からも当然受験である。土曜の昼間から盃を空けつつのこの日もサピックスにおける保護者のサポートの重要性、実質的な導入となる三年時の半ばエンターテインメント要素と本格化する四年時における一変など示唆に富む指摘は少なくなかったが、これを踏まえ会合には不参加だった同年の長男を持つ御仁と改めての会談に及んだ。
 平日は母に委ね土日に勉学対応に及ぶ勤勉なサピックス父の逸話には拡く事欠かず、妻に任せ切りな不埒な我が身に頭の下がる想いだったが、驚くべきは土日の何方は学校巡りに充てているという氏の熱の入れ様ではなかったか。
 しかも基本単身の視察とは余程本人の趣味嗜好、性格行動様式を掌握して恰も一体化するかの如く強い自意識が無ければ成立し得なかろう。
 小学校ほどではなかろうとも中学受験もまた本人は元より家族の営みということか。

1月18日(日) 一票の格差  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g931.jpg  振幅の著しい小選挙区制において二回連続で惨敗を喫した政党は大幅なチェンジ・オブ・ペースを謀るのが包括政党の知恵たろうが、忖度するだに支持母体への配慮も存分に垣間見えよう野党再編よりは純化路線を選択せざるを得ない処に野党第一党の苦悩が伺われようか。
 事前には統一地方選を前に取り分け地方票の細野氏優勢が盛んに伝えられたが、蓋を空けてみれば昭和31年、自由民主党第一回総裁選の、二三位連合に依る七票差の大逆転劇に倣うには及ばず結末は半ば予定調和で、三位票が二分されて接戦が演じられたのも却って演出の匂いが漂いかねない波瀾無き大団円であった。
 空っぽの投票箱の確認手順が恰も場末の手品師の如く映るのは思想の左右を問わないが、僅かに投票者の読み上げが「さん」付け呼称であるところに平等を重んじる保守中道政党の特性が慮られよう。登壇者が少ない分決戦投票に及んでも展開が思いの外早かったのは数多からぬ招待席には好都合だったのかも知れないが。
 しかしながら密かに注目を集めたのはたったひとりの国政選挙予定候補者氏ではなかったか。総選挙を経たばかりで参院選まで一年半の段階で支部長に事欠くのは致し方ないとしても、問題は代表選挙のシステムである。例えば三票かつwinner takes allの組立てが小泉圧勝を斎したとされる2001年自民党総裁選宜しく、地方票の換算が死命を制する恐れこそあれ、現職の二票扱いに対する候補者の一票は明らかに大勢に影響を与えない員数外に留める意図に他ならない。
 であればこそ予定候補者氏が誰に一票を投じようとも何等の関心も払われずして然るべきにも拘わらず、ひとり立ちであるが故に稀少な奇数ポイントの帰趨が誰の眼にも明らかなのである。仮に予定候補者が名の知れた人物であったとしたら唯一の事実上の記名投票の是非が問われたかも知れず、超法規的に二票扱いとする方便が得策だったのではないか。
 それでも規定を貫く原理主義から再興を図るという強い決意の表れと、国民は受け止めるべきなのだろうか。

1月13日(火) 新劇の巨人  -テレビ・ラジオ - テレビドラマ-

 二十面相から洋モノ・ミステリーに目覚める時分だったのだろうが、幼年期に視聴した「そして誰もいなくなった」は子供心にも、それはないだろうという唖然たる感想を抱いた記憶がある。
 程無くクリスティー作品は定番の「Xの悲劇」から手にしたが、乱歩の美文に慣れた身の上には翻訳口調が如何とも馴染めず、YZはおろか夏樹静子氏のWにすら到達出来なかった。
 だから「オリエント急行殺人事件」も「そして~」の正反対の構造は寧ろ人口に膾炙し過ぎて承知の介であっても映像にも文献にも全貌に触れる機会に恵まれず、従って今般の三谷翻案がお初となる。
 そもそも"オリエント"なるネーミングからも、またバブル期には遠くわが国までシベリア鉄道経由到来した経緯からも、本来は欧州と東洋の窓口トルコを結ぶ豪奢旅客鉄道でありながら、満鉄に置き換えたが如く舞台設定には親和性があると言えよう。
g937.jpg  ただ多くの視聴者がトリック自体は既知のものであることを前提に、敢えて刑事コロンボ的な謎解き仕立てとした意気込みは理解出来るものの、それでも殺人事件本編はひと亘り描かざるを得ず、予定調和にしか映らない前編は何時三谷節が現れるかと待ち構えたまま二時間が経過する冗長感は否めない。しかも二夜連続にて勿体を付けた様な肝心の解決譚にも笑いの要素は少なく、これでは松嶋菜々子、沢村一樹の両氏が出演した番宣のスター千一夜擬きの方が余程期待を煽る内容だったのではないか。
 恐らくは伝統芸の雄たる野村萬斎氏に新劇のパロディとしての翻訳劇をとの見立てから端を発したのではないかと推察されるが、些か企画倒れと断ぜざるを得なかろうか。

 意図的なのかは判然としないが相前後してWOWWOWにて放映された「君となら」再演の方が余程充足感は大きかった。
 まだ結婚前に初演を鑑賞した際の妻の記憶では、美丈夫の代名詞として角野卓三氏が用いた「草刈正雄」の台詞を当の草刈氏が発する楽屋落ちもあれ、舞台慣れしていない竹内結子氏よりも斉藤由貴版が、相手役の今は亡き佐藤慶氏含め味わい深かったとしても、個人的には丸っ切り忘却の彼方にあり単純に楽しめた。
 矢張り三谷幸喜氏は舞台演出が腕の魅せ処と言うべきか、愈々野田秀樹氏宜しく旧作こそが脚光を浴びる年恰好に至りつつあるとは、まだ思いたくない。

1月12日(祝) 風呂とストック  -地域情報 - 東京23区-

g924.jpg  かの「アナ雪」こそその著しい話題性からも拝察に及んだが、幾らわが国に縁浅からぬ舞台背景とはいえ、アメコミもディズニーも明快に過ぎる勧善懲悪資質に耐性を覚えない身柄に「ベイマックス」は些か重荷で、子供達をユナイテッドシネマズに送り届けて雲隠れする。
g925.jpg  成人式のこの日、豊島園の入口には某先生の幟を認めたが、そもそも一票にもならないし未だ小学生の息子二人では青年局にも入れまい。
 やむを得ず単身向かった先は庭の湯である。都心部近隣のスパ、スーパー銭湯の類は粗方網羅したが、小学五年の祐旭はまだしも幾ら人間性も体格も大人びていようとも二年の公資は中学生未満お断りの鑑札には対抗出来まい。おかげで初の御目見えとなったが、幼年者の嬌声も無く昼間から男ばかりひとっ風呂浴びる絵面は然ながら健康ランドの如しでテーマパークに付随するには却って違和感がある。
 よく見れば若き男女の交遊に資するべく中間のバーデゾーンが異彩を放っており、少子化の進展に伴い生き残りを模索するとしまえんの試行錯誤もまた伺われよう。
g927.jpg  上階から眺めれば辺りには荒れ果てた日本庭園が拡がっており、練馬城時代の遺構紛いの趣旨か或いはまだ開発の余地があると捉えるべきかは定かで無いが、あと数年したら公資に中坊と偽らせて改めて水着持参で参上したい。

 練馬繋がりに拘った訳でも無いが、夜も東京飯店の豊玉店に足を運ぶ。地元のそれに比べ心なしか豪奢な店舗だが、肉質には恐らく相違無いのではなかろうか。

1月9日(金) 紀元二六七五年の誓い  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g923.jpg  今年も実質的な仕事始めは6日、永田町に始まり赤坂、虎ノ門と新年互例会の梯子である。本来は御付きの身の上に他ならないが、自らの新年御挨拶も一網打尽で便利極まりないのは例年と同じである。
 ただ本年は微妙な変化もある。ひとつには新たにこの永田町周辺居住者渡世に否応無く落とし込まれた御仁を関係者に照会する責務が追加されたことだろう。逆に晴れて卒業した先達からの引き継ぎも生ずるがこちらは謂わば営業マンの担当換えの如しで、概ねサブ扱いでも既知の方々が大半だから今更気後れすることは無い。
 それでも改めてご挨拶にと回遊すればこれまで霧に包まれていた部位が明らけくなる様な、或いは半ば新たな出会いに近い再会もあり四十代も半ばにして新鮮である。
 もう少し前を向いてみますか。

g945.jpg  年末に遂に完結した「平成政治史」全三巻を読了する。ひと月の倫敦滞在中に中高弁論部の創始者にして大先達が海部の前に海部なしとばかりに唐突に首相の印綬を帯びて以来、嘗ては市井の政治評論家として、ここ15年は永田町周辺居住者を兼ねての四半世紀強の記憶がまざまざと呼び起こされる。
 昨今改善の痕が伺えるとはいえ縄文土器にばかり詳しくなって戦後は御座なりな日本史教育とは逆に、現在に近付くに連れ微細に亘るのは当然の摂理だろう。それでも兎角平板になりがちな通史としての体裁を逸脱することなく入門書としても手に採り易い構造を維持しながら、同時に稀にしか著者本人が登場しないノンフィクション性を担保しつつ所々に開陳される裏事情が好事家の探求心をもまた満了させる内容には、圧倒的な知識量に留まらず著者の誠実さを実感させる。
 次作は一般には流布し難いのかも知れないが、平成の「平成研」史を是非お願いしたい。

1月5日(月) 少し熟して、長~く熟して  -音楽 - J−POP-

g922.jpg  今では半ば死語に近いが嘗てAdlut Oriented Rock=AORなる音楽ジャンルが存在した。概ねハードロックに対しより主旋律が明確で、弦や管による装飾も可とした"大人向け"のロックを示すとされるが、昨今新旧織り混ぜたコンピレーション・アルバムが大量に現れ新たな潮流と化しつつある「ライトメロウ」がその後身に当たるとの解釈が施されている。
 ただ模範例が山下達郎氏であったとしても、発掘されたso niceの「光速道路」が往事、達郎/シュガーベイブ・フリークを唸らせたのはよく理解出来るが、改めてアルバムを購入してみると矢張り経年による旧さは隠しようも無い。
g936.jpg  或いは竹内まりや氏自体は新人賞の西内まりや氏と並んでレコード大賞アルバム賞に輝く程に現役バリバリであっても、氏のアイドル時代の佳曲「September」の作者である林哲司氏の復刻アルバムは歌唱力が著しく物足りない。そもそも村田和人、安部恭弘といった還暦前後の男性陣は、シンガー・ソングライターとしてフロントに立つには華に欠けるが故に半ば職業作曲家を主戦場への転向を余儀なくされたのかも知れないが、現代の耳を傾ければ四畳半と迄は言うまいが些か叙情フォーク臭さを引き摺っており、ユーミンや山下夫妻ら「ニューミュージック」の波に乗り切れず、発掘対象に留まった理屈も理解されよう。
 人脈的に交差するYMO周辺も既にほぼ網羅している細野/ティン・パン系から更に敷衍拡大してわざわざタワーレコード限定の高橋ユキヒロ氏プロデュースのラジを四枚も買い込んでみたが、坂本龍一氏の奏でるエレピの音色にカクトウギ・セッション的な古き良きフュージョンの香りは味わえたが、それがメロウなのかと問われればストレートには結び付き難い。
 畢竟、感受性高き若かりし日に耳馴染まず、熟してからでは遅すぎるということか。
次のページ

FC2Ad