コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月30日(木) 異国情緒  -地域情報 - 東京23区-

g869.jpg  来月半ばの新型燃料電池自動車の正式発表を前に、昨年来ここお台場にてひっそりと試作車を要人のご試乗に供する、水素にまみれた日々も遂にひと区切りである。
 度々試乗コースを一般消費者差止めにして関係会社の売上減に貢献しながらも、エネルギー国産化の大義名分に基づき、平日の真っ昼間にお台場に佇む、それだけ聞けば甚だ優雅に響くイベントではあったが、改めて隣接するビーナスフォートに闖入して、後任たる「青島だあ」に敢えなく御蔵入りに追い込まれたかの世界都市博を企図した鈴木俊一元東京都知事の新宿・渋谷を上回る第三の副都心構想、即ち嘗て都庁の存在した有楽町近辺を想定したのであろう商業施設とオフィス街の混在とは些か位相を異にした形の「都市」が成立している様が伺えた。
 そもそも昨日酔っ払ってお二方ほど夜分悪戯電話の如きを施した御詫び伺いに、一旦永田町に帰還するついでに菓子折りでもと所望したところ、お台場土産の類しか見当たらず妥協の已む無くに陥ったが、当該販売店たるラオックスのレジに赴けばいきなり中国語で捲し立てられるではないか。幸い先方は日本語も解説したとはいえ辺りを見渡しても店員にも客にも邦人らしきは認められない。これでは表現は悪いが、一歩転んだら隣国たる半島国家に半ば席巻されつつある対馬を彷彿とさせかねない。
 確かにビジット・ジャパンを通じた外貨獲得策には寄与していようし、恐らくはシンガポールのチャンギや韓国の仁川といったハブ空港を抱える近隣商業地には然るべき光景なのかも知れないが、サービス収支の改善と引き換えた文化・風土の変容には驚嘆を禁じ得なかった。
 午後再びお台場にとって返すと、今度は試乗最終回を期してオーラスに当該関係会社への御礼をと促され、しかしながら手ぶらは気まずかろうと今度は正真正銘の菓子折を求めてえっちらおっちら橋を超え、マダム・タッソーレゴランドの鎮座するデックスビーチ横のマルエツまで遠征する羽目に陥った。目を開かされ、悩まされ、土産に翻弄された一日。

10月27日(月) 誕生日にはボールを添えて  -育児 - パパ育児日記。-

g864.jpg  平等や公平という言葉は左向きの香りがして好むところではないが、三年次しか離れていない男児が席を同じゅうしていれば同一労働同一賃金ならぬ、同一家庭同一待遇を希求するのもやむを得まい。
 だからと言うべきか、わが家においては祐旭・公資の各々の誕生日に、該当しない側にも祝いの品を贈呈するのが慣例となっている。
 従前は双方の要望を踏まえながら著しい較差を生ぜしめずかつ主賓が引き立つべく、同時に可能な限り二人してともに活用出来る逸品をと斟酌していたが、このところは妖怪ウォッチのゲームやカードと労せずして横並びが成立し、頭を悩ませる事態も少ない。
 加えて腹回りの脂肪分を父と競うに至りつつある公資には、今般は貰い物の引換券から強制的にバランスボールが供与された。元より豊満な体質を父から受け継いだ上に祐旭もまた小学二年の時分にはぽっちゃり体型だったから必ずしも本人の帰責ばかりとも言い難いが、母が多忙を割いて蹴球に駆り出してなおわが国経済もかくあらんとアベノミクスの恩恵に未だ預かれぬ非都市部の怨嗟の声に見舞われかねない程に体重計の針は着実な成長軌道を示しているとあらば、屋内においてもまた地道な尽力は欠かせなかろう。

g863.jpg  超芸術トマソンとは昭和56年に来日し20本塁打で読売巨人軍の日本一に貢献しながら、翌年は僅か14安打、単価100万円以上という不経済振りを見せ付けたゲーリー・トマソン選手に因み、嘗ては実用に供されていたが、その用途が消滅したにも拘わらず恐らくは撤去コストが当該空間を再利用するメリットに見合わないのだろう、そのまま放置され恰もオブジェの如くに君臨する物品の総称で、建屋本体が失われそこに通じていた階段だけが残置されたケース等が典型的である。
 祖父の巨大な旧家は増改築を繰り返した為に、扉だけ健在ながら開くとコンクリートで封じられていたり、階段を降りると物置小屋にしか見えないが、奥には嘗ての生活空間だった日本間が覗いていたり、果ては電話交換スペースやら女中部屋やら華やかりし時分の縁を色濃く残す空間に溢れ、取り毀しの際に全貌を探索してまさにトマソンの宝庫たる感慨に溢れた記憶がある。
 赤瀬川源平氏の御冥福を御祈りしたい。

10月26日(日) 四年経たずにまた会いましょう  -スポーツ - ゴルフ-

g865.jpg  元同僚諸兄との久々に気楽なラウンドは、いきなりの五連続、怒濤のワンパットにてボギー・ペースの快調な出足である。
 確かに 前回に引続き寄せのアプローチも好調を維持してはいるものの、ミドルパットがズバズバ吸い込まれていくのだから些か神憑ってはいまいか。
 残念ながら以降は前回以上にドライバーが当たらず、頼みのスプーンにもチョロが現れ心身ともに緊張の糸が切れると、パッティングも残り僅かな神無月に舞い戻り平板な成績に終わったが、とはいえ酔いどれの後半も鬼門のロングで寄せワンのパーあり、貯金がモノを言ってオリンピックでは大勝したのだから先ずもって満足を表明せねばなるまい。

g866.jpg  メンバーの大半が東京西部在住だった出向時代は関越方面に特化していた為、ゴルフと東京9区、埼玉13区のポスターが抜き難く脳裡に焼き付いているが、仕事柄千葉主体の昨今はこちらも久方振りの玉川カントリーだった。
 ところが生来の方向音痴に加えコースを覚えようという気概に欠けるから、少しとして記憶が蘇えらない。流石にホール間の長めの移動時に遭遇する、矢鱈とバンカーの広いアプローチ練習場とオーラスの断崖絶壁の如く岩が積み上がりながら半ば干からびた池に遭遇して、漸く糸が繋がった。
 三年経っても数字には大差無かったが、総じて左右の狭い構造の中、記憶という地の利にも頼らず健闘したとは言えまいか。

10月25日(土) 悪霊退散  -ビジネス - ショップサーブの評判と評価について-

g862.jpg  わが国にハロウィン・パーティが齊されたのは何時の時分だったろう。学生時代のサークルは国際交流がひとつのお題だったから、既に欧米由来のこの祭りが既定路線としてイベントに組み込まれていた記憶があるが、邦人留学生が撃たれて不幸にも亡くなられ「フリーズ」たるフレーズが人口に膾炙したのも近接するタイミングだったのではなかろうか。
 世代の為せる業も環境もあろう、サークルの同僚同士で結ばれた夫妻が、戸塚の瀟洒な住宅街の広大な庭に毎年関係者を招き、息子達ばかりか父までも、嘗ての友人達の御成婚二次会プロデュース業を彷彿とさせるには至らずとも、 毎度扮装を凝らして集結していたが、今年は兄弟揃って友人の家へと駆け出していった。ハロウィンのわが国文化・風土への定着振りを基督教の布教戦術の一貫と敵視する謂れも無かろうが、少なくとも子供達の生活環境が親の人脈から自らのそれへと確実に巣立ちつつあるのは疑うこと無き事実であろう。

 何と無く手づからのセルフスタンドには恐れを為して有人のそれを求める性癖には時代とのギャップを憂うべきかも知れないが、環七沿いを探索して辿り着くと、いきなりボンネットの開放を求められ、なおかつ降車してエンジンオイルを確認させられる羽目に陥り閉口した。
 人件費見合いの価格への上乗せを追加サービスを以で代替しようとの心意気は理解出来なくも無いが、日曜ドライバーには走行距離も短く、現に店員氏も次回点検時に販売店に確認下さいとの御告げだけで運転者に何等のメリットも無いばかりか、隙あらばオイルを売り付けようとの要らぬお世話すら伺える。
 国内自動車保有が減少する一方の中、円安による価格高騰で一層経営の厳しいスタンド業界がアフターサービスへの進出による生き残りを図る業界事情を勘案してなお、迷惑顔の顧客に余分な負担を与えるマニュアルの域を少しもはみ出ないサービスには冷笑を禁じ得ない。

10月21日(火) こわれもの  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 ひと月半前、第二次安倍改造内閣が発足した際に、この事態を想定し得た人物が存在しただろうか。
 勿論、内閣改造とは多くの待機組には憤怒を、再任されなかった前閣僚には疎外感を与える割に喜悦するのは数少ない入閣者のみであり、前内閣がオールスター・キャストであっただけ余計にリスクの大きい試みであったのは事前に示唆されていた通りであろう。
 だからと言って凡ゆるスキャンダルの芽を最少の被害で乗り切ってきた安倍内閣にとって、政治とカネの問題が雨後の筍の如く到来したのは、マスメディアの反政府志向を割り引いてなお脇が甘かったと言わざるを得ないのではないか。
 確かに、わが国の伝統的な文化規範に鑑みれば支持者への手厚いもてなしや、儀礼の範疇にある贈答は寧ろ讃えられて然るべきサービス業の心得に他ならない。
 ただ良くも悪くも合理的な社会はこうした説遇を煩わしい虚礼として否定する傾向にあるばかりか、米国由来の杓子定規なコンプラアンス概念は、閉じられたインナー・サークルにおける濃密な人間関係とそれを基盤とする取引の活性化は奨励しても、広く社会万般においてはゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの形而的な移行を促していると断じても過言ではあるまい。
 にも拘わらず同時にゲゼルシャフトにおいてなお許容されている使途不明金的な潤滑油を、本来ゲマインシャフトの延長線上にある政治という世界において、マニア的に原理主義を気取るプロ市民に留まらず、マスメディアがこれを全否定する行動は、元より安倍政権下の二年間が主流・反主流のコップの中の争いにも乏しく「安倍後」を占う伝統的な政治部的記事に恵まれなかったからこそ内扮の種に飛び付いたのだとしても、それは社会部由来の一過性の事件記者たり得ても、政治と読者を媒介するメディアの役割のひとつを放棄する行為に結び付かないだろうか。
 しかしながら後戻りは出来ないだろう。願わくばコンプラアンスという名の亡霊がわが国に特徴的な良き紐帯を破壊し経済の活力までも奪わんが為に、打ちてし止まむ時の訪れんことを。

10月19日(日) 籠に乗る人、入れる人  -スポーツ - バスケットボール(日本)-

g867.jpg  バブル期にプロ化を為し遂げた蹴球に対し、一歩乗り遅れた排球・籠球は選手個人のプロ契約化には踏み切っても実現リーグ全体としてのプロ化の歩みは混迷を極めている。
 それでも東洋の魔女程のネームバリューには欠けたとしても、今もなお視聴率を稼ぎ世界大会の大半がわが国にて挙行され、企業のバックアップもそれなりに手厚い排球はプロとアマの中間とも言うべき鵺の如く立ち位置を保っているが、籠球は企業からのスピンアウトを余儀無くされグラブチーム化した一部球団が逆に営利目途の完全プロ化により生き残りを企図し、社会人スポーツに留まる冠スポンサー球団と袂を分かち二リーグ分立ならぬ二リーグ分裂に至ったのは既に10年前である。
 社会人球団を出自としながらプロ化に際しては敢えて地域性を盾に企業名を排除したJリーグに範を取ったのかも知れないが、社会人チームの枠内に留まるべくJBLと袂を別ち、親会社を持ち得ないが故にプロ化=チーム名以外のスポンサーシップに活路を見出だすbjリーグの悲壮な決意が伺われるが、企業名を掲げるJBLが自治体主催のリーグ戦で地域経済に貢献し、地域密着を標榜するbjリーグが親会社による経営補助を宣伝費として費用処理する職業野球の智恵を放棄した替わりに、それを補填すべくユニフォームを宣伝媒体に充てることで独立採算を演ずるとは皮肉な交差に他ならない。
 個人的には、親会社名を名乗った方が経営母体の推移も明確であるのみならず、経営基盤の安定に寄与し合理的と思うが、親会社から見放された球団にしてみれば怨嗟の声にも満ちようし、こうしたわが国に特異な企業スポーツの態様が諸外国に理解され難いが故に混迷を倍化学させた側面もあろう。
g861.jpg この降って湧いた統合騒動に依って集めた世間の耳目を、籠球は災い転じて福に結び付けることが叶うだろうか。

 実質的にYS11以来となる量産型国産旅客機MRJの御目見えした昨日、そのイベントの露払いとして又もや要人を豊田市に迎える手筈だったが、政局風雲を告げるなか沙汰闇となった。
 おかげで妻の会合子守り対応にも滞りなく、定番の東京飯店から転向した韓国料理ながら国産牛の「かぶり」が思いの他ヒットであった。ビビン麺がカップ麺すら一味唐辛子で真っ赤にする私にしてなお猛烈に辛かったのは中和すべき垂れを埒外に置いたからかも知れないが。

10月16日(木) お客様第一  -スポーツ - プロ野球-

g860.jpg  今日は珍しく午前中の予定が無く資料と頭の整理に費やす貴重な時間を過ごしたが、午後は来客に続きパーティ二本を梯子し、とって返して野球観戦である。
 シンシナティにて御相伴に預かったのは望外の極みとして、法人接待用スイートはコミッショナー主催の日本シリーズは別枠だが、CSはホームゲーム扱いなのだろう、巨人軍が二位以上でプレミアム・チケットが増幅するとは購入サイドにも応援によきインセンティブが働くというものではないか。
 結局、巨人軍は澤村が打たれ井端しか打てずで最初から最後までよいところなし、阪神の勢いに終始煽られた形となったが、プロ野球評論家として特筆すべきは四日前、阪神がファイナル・ステージ進出を決めた試合ではなかったか。
 CSは日程の都合上、日本シリーズの如く"第八戦"が存在し得ないため同勝敗の場合、引き分けは上位チームの勝利とカウントされる。従って既に一勝して王手を掛けている阪神はこの試合を引き分けに持ち込めば、たとえ大三戦に敗れても二勝一敗扱いとなるため第一ステージ通過が確定する。
 問題はそれがどの時点かであって、12回表まで引き分けであれば、後攻の阪神が12回裏無得点で引き分けても、サヨナラ勝ちしようともCS第一ステージの結末は左右されない。詰まり最早12回裏の存在価値は無く、ホームチームの九回裏の攻撃が割愛されるのに準じて、12回表終了時の引き分けコールドが成立したのである。
 興味深いことにCSの勝敗規定は同一ながらパ・リーグに引き分けコールドは存在せず、現に三年前にはソフトバンクが12回表で日本シリーズ進出を決めながら、今か今かと胴上げに逸るなかサヨナラ勝ちを収めたが、出来レースではないとしても守る西武側のそこはかとなき配慮の賜物だったのかも知れない。
 丸で衆参の院の独立性の如きこの相違、セ・リーグも丁度昨年末の規約改訂が功を奏した形、CSだけにカスタマー・サービスという趣旨でも無かろうが。

10月13日(祝) それで身上潰さぬ様に  -育児 - パパ育児日記。-

g858.jpg  このところ祐旭の勉学待ちで退屈そうな風情の公資をお伴に買い物に赴く。従前は量販店の類を特段の目当ても無く屯したりしていたが、物理的にも心情的にも余裕を欠く昨今は、新宿まで足を運ぶにも自らを駆り立てる大義名分を必要とするのだから難儀である。
 ただ肝心の公資の蹴球靴が探索の最初の店舗で、新宿は百貨店が子供靴から撤退したので街全体に在庫なしと切り返され、嘘か誠かデパートメントストアの周辺商店への波及効果の大きさを今更に認知させられたのを皮切りに、ビックカメラのレンズも山野楽器のキーボードも押し並べて獲物に見えず、空回りの旅路だった。
 しかも昼間のバイキングは料理の絶対量が不足していて、配膳された瞬間に高橋留美子「笑う標的」の餓鬼の如くに人々が群がる光景は余り食欲をそそられるものではなかった。
g859.jpg  更に更に歩き疲れてお湯に浸ってとわざわざ東中野に降り立ってみたものの、二拠点を回遊して須く銭湯は15時以降に開館するものであり、小原庄介氏の朝湯三昧は往時においては内風呂を有する贅沢の為せる業であろうかと知恵の習得には寄与したものの、足腰の疲労は増すばかりであった。
 夜は祐旭も合流してのぷっくり餃子で漸くひと息付けたか。大山鳴動して鼠現れずの一日。

 遍く秘書の職責に慶弔があるが、時と場合を選ばない弔事に重きが置かれるのは左右を問わないだろう。
 政治家の訃報についてはアプリオリに回送され弔電なり会葬なり対応を迫られるが、大半は対応なしに落ち着く。岡田利春氏の訃報に触れ「安保五人男」のフレーズが脳裏に浮かぶ御仁も少なかろうが、失礼ながら石橋政嗣元委員長が卒寿を迎え御健在であることには驚きを隠せなかった。
 非武装中立死すとも石橋死せず。

10月9日(木) ウイング過剰  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

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 御厨貴氏が火付け役なのかも知れないが世はオーラル・ヒストリー流行りである。政治家に限らずありと凡ゆる自叙伝の類は意図的か無自覚かを問わず当人に都合の良い解釈に満ち溢れているのが通り相場だが、逢えて質疑応答の形を採り趣向を凝らさず言葉のままに当該回答者の描いた世界を世に問い掛け、是非判断の解釈は別個の研究者に委ねるところにオーラルの意義があるのだろう。
 何分市民権を得たのが最近だからつい数年前でも古式床しい「回顧録」が幅を効かせているが、三年前の村山元総理の「証言録」は既にオーラルの体裁を持ちつつある。
 しかしながら頁を捲るに連れ、非武装中立・自衛隊違憲論のみならず大韓民国や原子力発電の是認といった戦後わが国の革新勢力の中核を担った筈の日本社会党の政策の一大転換が事実上、村山総理ひとりの手で為された経緯が審らかにされているのには、今更ながら心肝寒からしめられた。
 勿論、社会党崩壊の引き金を引いたに等しい自らの所業に伴う内面の葛藤を墓場まで持っていくという元総理の矜持なのかも知れないが、字面を追う限り多分に安易さが漂うのもまた否めない。
 ただ四年程前に刊行された河野一郎氏の伝記を手にして、こちらは著しく同時代性に欠けるにも拘わらず想像力にも逞しからず何故に今更編み出されたのか理解に苦しむ一篇ではあったが、日蘇国交回復の立役者たる河野氏が真に容共主義者であったのかは定かではないものの、滋賀県知事への初当選が非自民の枠組みだった武村正義氏ともども村山・河野洋平・武村たる顔触れの自社さ連立が中道・左翼政権であり、これに共鳴した河野家のDNA乃至はノスタルジアがかの河野談話を導いたのだとすれば、時代の仇花との位置付けでは片付けられない罪作りな政局であったという想いもまた禁じ得ない。

 個人的な好悪の別はさておき、今年も前評判のみに終わったノーベル文学賞の是非を論ずる程に村上春樹氏の著作には知識を有していない。
 しかしながら同じノーベル賞にわが国戦後憲法が候補とされたが如き報道に溢れたのは、如何な左向きのわが国マスメディアと謂えども流石に勇み足だったのではないか。
 そもそも戦後わが国の平和を担保したのは米国の核の傘の賜物であり、憲法九条は寧ろ本来国防に資するべきコストを経済発展に供与せしめた功績を讃えて然るべきだろう。
 即ち平和賞でなくノーベル経済学賞こそ相応しい、とは些かエスプリの効き過ぎた物言いか。

10月8日(水) 月はどっちに出ている  -学問・文化・芸術 - 自然科学-

g854.jpg  2673年前の神武大帝即位より遡ること五代、皇祖天照大神に対しその弟君たる月読命の存在感は乏しい。それはアマテラス様が天の岩戸にお隠れになるという寓話、即ち太陽光の喪失が現世の豊穣に著しい災禍を齊す自然の叡知を逆説的に示唆しているのに対し、恒常的に満ち欠けを伴う月の視覚における有無に人間社会が特段の配慮を示さない事実と符合していよう。
 現に二年前の日蝕は小学生にして既に一大イベントと位置付けられ、偏向眼鏡まで調達し父もわざわざ出社を遅らせて屋根裏の踊り場から一家で鑑賞したが、今般の月のそれには何等の前触れにも預からず、会社を出た瞬間に道端に屯する同僚に促されて暫しのお月見と洒落込んだに過ぎない。
 実際、人里離れた漆黒の地ならばいざ知らず、ネオン瞬く都心部においては凝視しない限り光量を以て月の満ち欠けを知覚するのは、今や相棒ひと筋の水谷豊氏でもない限り難しかろう。
 それでも見逃して仕舞えば悔やまれようものだから、タイミングよく出会し得たのは矢張り月の御導きか。

 月と聞いて思い浮かぶのはそのままだがレベッカの「Moon」ではないか。
 「Love Is Cash」が「Material Girl」の翻案である以上に一部コード進行を弄れば丸々マドンナの「Papa,don't Preach」を唄えることで有名な楽曲だが、二番のBメロに入るところで「先輩」なる叫びが聴こえるとの怪談擬きの指摘も話題を呼んでいた。
 かの岩崎宏美氏の「万華鏡」同様に空耳の類には違いないが、わが世代においては名高いエピソードであったろう。時は流れ、NOKKO氏の声量とともに「Moon」もまた忘却の彼方に消えつつあり、それを嘆く輩も聞かない。月の欠けるが如くに。
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