コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

9月30日(火) 私の彼女は左向き  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 平等性を演出するが故に却って闇のヒエラルキーの存在を誇張するかの如き肩書き呼称の排除には違和感を禁じ得ないものの、土井たか子衆院議長の首班指名結果を報ずる「細川護煕さんを」のひと言には、帝国議会以来の君付けの伝統が打ち破られた革新気質への反感以上に、時代の変わり目を明確に意識させられたものである。
 元より昨年来に至る参院の与野党捻れの端緒となる「山が動いた」89年参院選も、政治とカネや女性スキャンダルはさておき、二桁を迎えようとする消費税も脂身の多い嗜好品として地位を確保している牛肉も、オレンジに負けなかったみかんも今や昔であり、日本社会党最期の切り札は党再興は果たせず平たく言えばひと時の仇花に終わったと断ぜざるを得ない。
 学生時代、サークルの面々を政治家に準えた内輪の実録小説においては、首都圏各大学に対峙する反主流としての関西勢、取り分けその雄たる同志社大の憲法学講師を務めた氏の経歴に鑑み、同大の大人たる女性を「土井たか子」に見立てており、不謹慎ながら思わず当人に弔意を述べて仕舞いそうになったが、このエピソードひとつを取っても曾てのスター振りが伺えると言うのは個人的な感慨に囚われ過ぎだろうか。

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2年前第一回の反原発公演
 ただ土井氏の衆院議長就任が社会党左派に対する細川政権参画への誘い水となったのは疑い無い事実であり、引いてはそのアンチテーゼとしての村山自社連立内閣を喚起し、結果的に自衛隊の合憲、韓国の承認といった20年を経て振り返れば55年体制の遺物としか思えない空想的社会主義からの転換を往時の第二党に齊した意義は、逆説的には違いないが国家としては小さくないものだったのかも知れない。
 同時に社会党はエネルギー政策においてもまた一大転換を果たしたのだが、三年目を迎えた去るNo nukesイベントにおいて、病欠した坂本龍一氏に代替するが如くに曾ての小泉政権の首脳陣とともにかの細川元総理の姿が見られたのは、「原発」もまた原水協や原水禁といったイデオロギー的な市民運動の世界から政策論争に名を借りた政争の域に入った象徴という意味で、社会が健全な方向に向かいつつあるとミナスのは余りに不健全だろうか。

9月27日(日) 旅立ちの日

g844.jpg  想えば遥か16年前の自らの宴では、仲人たる上官に雛壇にありながら配席の序列で叱責を受けながら、二次会の段取りで頭が一杯で上の空だった記憶がある。
 時は流れ、友人の御成婚もひと亘り落ち着き、久々に同僚の華燭の典にお招きに預かれば、21世紀を迎えてからの虚礼廃止の風潮に則ってと言うべきか、当然の如くに仲人も立てず牧師も神父も神主も、あまつさえ坊主の欠片も見当たらず人前式が当たり前田のクラッカーである。
 着席すれば見慣れた顔ばかりで恰も部内会議の如しだが、ひと口に職場結婚、しかも同部局と言っても双方の所属セクションが合併していきなり正真正銘の同僚と化した展開は当人達こそ驚きだったろう。
 既に上官の役回りからは退役しているものの、何と無く電報センター係を率先して務めたおかげで、社外の要人含め滞りなく祝電披露が過ぎれば御役御免、後は飲むだけである。
g844.jpg  洋装から和装で新郎新婦の不在が比較的長かった為でもあろう、バブル期の如くヘルメットやら凡ゆる附属品を器に見立てての一気三昧といった過剰な展開に陥ることもなく、適度に主役と触れ合い得る微笑ましい宴席だったのでは無かろうか。
 ただ寄る年並みなのか、新郎新婦の紹介ビデオを眺めているだけでも涙腺が緩んで仕方が無い。ともに上官の秘書役として他に公言し難い事情や公言しても共感を得られなかろう職責上の小さな成功や小さくない苛立ちを共有出来る人物が新たな門出を迎えた姿を目の当たりにして、年格好からすれば全く見合わないし実際には存在しないから想像の域を超えないのだが、何と無く娘を嫁に出す様な心境に駆られる綱町の午後だった。

9月24日(火) 金属疲労  -コンピュータ - パソコンな日々-

 名古屋から帰還して夜半、スイッチを押してもPCが立ち上がらない。このところ内蔵ハードディスクの反応が滞る頻度が高まり危険な兆候は見せていたものの、俄かの無反応は想定を超える事態である。
 幸い14年前の初めての大クラッシュ以来、データは外付けハードディスクに待避させ、かつマメなバックアップに臨んでいるから被害は最小限だとしても現機も既に五年、更新に及んでも可笑しくない頃合いである。何しろセイフモードにすら至らず真っ暗なままアクセス灯だけが虚しく点滅を続けるのでは対処の仕様が無い。結果、おっとり刀でビックカメラに駆け付ける秋季皇霊祭と相成ったのである。
ところが仰天したことに売り場面積の大宗を占めるのはノートでデスクトップはデルやHP、IBMが中国に売られたレノボと外資系のタワー型ばかり。東芝、日立の重電組を中心に民族資本はほぼ画面一体スタイルなのは良いとしても、何れも円盤のドライブが横に飛び出す構造では肝心の省スペースに支障が生ずる。
 既に買う気満々で購入ソフトの算段まで着けていたが思案しどころで一旦退散して再びPCに相対すれば、見様見真似で診断プログラムなるものまで漕ぎ着けると、再三の再起動を経て不安定ながら通常のウィンドウズ画面が到来するではないか。立ち上がったが百年目、かくなる上は不要なソフトを外して身軽に務め、騙し騙しパンクするまで使い続けるにしくはない。
g842.jpg  珍しく早合点せず冷静な対処が功を奏した事例、泰山鳴動して山動かず。

 米国では肉三昧だったにも拘わらずミラノ風カツレツにお目に掛からなかったのは柔らかい肉は矢張り欧風由来なのだろうか。わが国では伊太利料理に分類されるが、本場ウィーンで初お目見えした身の上にはウィンナー・シュニッツェルの名が馴染み深い。ともにハプスブルグ治世下のオストライヒ由来だから同一物件に違いなかろうが。

9月21日(日) 科学と学習  -地域情報 - 名古屋・愛知-

g839.jpg  子供達の体格も年々増殖し、来名の際も宿地を擁する様になってきた。しかしただでさえ観光の素養に乏しい地域の上に住宅地とあれば、近隣に家族向けホテルは著しく欠乏している。
 従前はより郊外に結婚式場を兼ねたリゾート形式を求めたたが、今般はより繁華街方面に、しかも大浴場の存在だけを手掛かりにけちったおかげでダブルベッドふたつ、御目当ても共同浴場風情のビジネスホテルと気勢の上がり難い旅と化したのは失策だったろう。

g841.jpg  恒例の墓参は矢鱈と坊主が群れを為してお出迎えと思いきや、彼岸であることに全く思慮が及んでいなかったが、帰路までの空き時間は平凡に科学舘に居座ることとした。こちらも飛び石連休の為、矢張り混雑著しい。
 丸でお台場のフジテレビが陥落したかの如き景観の中央に陣取るプラネタリウムは既に満席だったが、再三増築を繰り返し鰻の寝床ながら複雑怪奇な建屋を練り歩く。
 建替が進んだためだろう科学技術館の様なレトロ感にも乏しく今ひとつ特色に欠けたのは事実であり、屋外には宇宙ロケットに路面電車と些か雑多な取り合わせだったが、中心市街地にかく広大なスペースが確保されたのは都市計画と戦災復興両面が相まった産物に他ならず、地方産業都市らしき公共機関の有り様だったのではないか。

9月20日(土) 尾張名古屋は  -地域情報 - 名古屋・愛知-

g836.jpg  大阪城との相違は戦前か戦後かというたかだか四半世紀の再建時期にも拘わらず、名古屋城に歴史的建造物たる威厳を感じ得ないのは、その僅かな物理的な時間のズレが天守閣のみの再建に留めた後者の不運に依るものだろうか。
 しかしながらわが国経済のバブル崩壊の傷みも漸く癒えつつあるのだろうか、漸く本丸御殿の復元も始まり、産業都市たる中京圏の好景気のひとつのシンボルともなりつつある。
g837.jpg  幼少時を愛知県にて過ごしていない為、父母の実家訪問の行き掛けの駄賃として足を伸ばした事例があったのかも知れないが、遠足や社会科見学の類での公式訪問の機会には預かっていない。
 ただ今般、改めて一家で闖入してみると、城下町の一日体験とは大仰にと構えたら単に三階が暗くなりスクリーンに浮かぶ街並みと城内の喧騒が放送されるだけだったり、石垣の石を引いて人足気分を味わったりでは矢張り些かイベント感に欠ける造詣だった。
 幼少時から金鯱の価値を刷り込まれなければ体得出来ないステータスなのだろうか。

g838.jpg  歩き疲れたので喫茶を求めて徳川園に移動する。六年間通った学校の近くであるだけにより縁遠い世界だが、立派なお庭を少しだけ散策してみる。
 こちらも2005年の愛・地球博に併せて造園されており、期せずして尾張徳川家の足跡を巡る旅路となったが、日本史教育の始まった祐旭にも時代的には少し先乗りで、実感の湧き難い上にエンターテイメント性にも薄い行脚だったろうか。 再建途上の迎賓館擬きに招かれた要人を待って屋外に待機したITS世界会議も遠き昔。

9月16日(火) ダブルヘッダー  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 帰路殆んど睡眠を取れなかった報いか、帰国後三連休だったにも拘わらず寧ろ時差呆けが出てかつ緊張の糸が解けたのだろう、風邪の症状まで及ぼしてはビジネスマン失格である。
 おかげで休み明けの、御付きを断っての某先生を囲む会の代々木から踵を返してになる、凡そ22時からの送別会はパスしようかと萎えていたが、案内の入っていた同僚のその時間からでも参加するとの意気込みに殉じて、一席目のオーラスをまいて麻布へと急行する。
 馬齢を重ねるだけでも段々と陪席や新参者としての参画が億劫になるが、逆に周辺居住者生活が長くなると、こうした内輪に近い会となると自然に中央に近いポジションが与えられ、問わず語りの気楽な時が流れていく。おかげで体力的には疲弊したが憂さを晴らし得る心地好きダブルヘッダーとなったか。

g833.jpg  臨時国会を前に野党にとっては責めて人事で存在感を示したいところだが、永田町のインナー・サークル的な視点からは、半ば片肺飛行であった執行部から挙党体制を整えたとの評価は得られようとも、一般的には「昔の名前で出ています」の域を超えられない民主党人事ではあった。
 しかも維新・結いの合併は兔も角、みんなの内紛に話題を浚われて仕舞っては、わざわざ盛岡まで足を運んでの両院議員総会も立つ瀬が無い。
 悪名は無名に勝る、と片付けては政治部を批判出来ないが。

9月14日(祝) 奇妙 奇天烈 摩訶不思議  -アニメ・コミック - アニメ-

g831.jpg  再三述べている通り、ドラえもんに対する違和感はスラップスティック劇の引き立て役に過ぎなかった筈ののび太が、79年以降のコロコロコミックとの連動に由来する番組の爆発的なヒットの中で、依存心の強い落ちこぼれのキャラクターのままにヒーローと化さざるを得なかった構成に由来するものではないか。
 取り分け映画はドラえもんの舞台を借りた冒険活劇である為に、のび太の英雄性がより高められているが、今般敢えて画調も違えた「STAND BY ME ドラえもん」を拵えたのはスラップスティックの中の一服の清涼剤とも言うべくドラえもんの持つもうひとつの資質をプレイアップしたものだったのだろう。
 最初期の公式コミックス版ドラえもんが6巻で終了しているのはよく知られた事実であり、このドラえもんの未来への帰還と7巻冒頭の再来を軸に源しずか氏との恋愛譚をサイド・ストーリーに織り混ぜた構成は確かに感動を誘うものだったに違いない。
 ただ先に述べたコロコロコミックを原体験に持つ世代にとってはこれら内容は既知のものであり、寧ろドラえもんの新たな世界観に触れたが如き感慨を抱いたのは、その前後の世代だったのではなかろうか。
 作者たる藤本氏が単なるドタバタ劇であった筈のドラえもんが何時の間にか国民的大人物に持ち上げられたことを如何な想いで眺めていたのかは最早解らない。
g832.jpg  ただパートナーでありライバルでもあった我孫子氏が年長者向けのブラックな笑いに転じていく一方で、自らの限界をもまた自認していたのだろう。だからこそ松竹新喜劇の様なペーソスの味付けとして配された幾つかの物語ばかりを集積した映画が、必ずしもドラえもんとともに歩んでいない世代に最上級の評価を以て受け止められたのは或る意味皮肉な巡り合わせとも言えなくない。
 ドラえもんが藤子不二雄両氏の手を離れた原作とは別の世界に旅立った今改めて、原作に忠実に描かれたこの映画は、ドラえもんから父・藤本氏への別れの挨拶だったのかも知れない。

 母や祖母の話題に影響されたのだろう、何と無く川島芳子氏と混同して仕舞いそうになる山口淑子氏は物心付いた時分には既に女優でなく参院議員だった。
 7年前の大陸視察にあたって訪問先の希望として大連を挙げたために、上海には赴きながら蘇洲の夜を味わえなかったのは今にして想えば悔やまれるか。
 御冥福を御祈りします。

9月12日(土) テニスコートの誓い  -テレビ・ラジオ - テレビドラマ-

g834.jpg  帰ればはや金曜の夜だが、現地でのトピックスを振り返ると先ずは錦織選手であろう。
 丁度デトロイトのヘンリーホテルに荷物を紐解いた折に全米オープン準決勝の放映が重なり、日本人初の決勝進出を本国ライブで視聴したという高揚感から旅が始まったが故余計に邦人の偉業を身近に感じられたのだろう。
 アナーバーでの夕食はわざわざTVのあるバー擬きを充て決勝観戦と洒落込んだが、私が到着した折りには既に敗色濃厚で隣りの画面、直前に生で冒頭拝察したタイガース戦に見入って仕舞った。なまじ期待感が高まったが為に一抹の寂寥こそ残ったものの快挙であることには何等の相違無い。

g835.jpg  もうひとつの話題は意外にも「同窓生」だったが、渡米中に最終回を迎えるからでもドラマ談義に花が咲いたからでも無く、実は主役の近親者が存在したからに他ならない。 そもそも「同級生」や「東京ラブストーリー」をスピリッツ連載時から読んでいた世代として時々の登場人物とともに時代を歩んできたという想いがあり、今や自らが逆に年齢的には追い越した形だが、最新作もまた期待を以て眺めていた。 ただ結論から言えばバブル崩壊後の世相に照らしても原作以上にトレンディドラマの再来の如く生活感の無い40歳の物語は、漫画では場面に応じて若作りさせることは可能であってもこれを役者で再現させるとなると所々痛々しさは否めない。 しかも解り易さを優先したのだろう、当事者同士の接点が過剰でより人間関係がストレートになっている割りに、連続ドラマの性として毎週起伏を齋さざるを得ず、にも拘わらず一向に話が進まない。 原作も副題にある「三度目」の出会いはとって付けた様だったが、不倫を全面的に肯定も出来ないのか家庭内暴力の旦那までも最後は善人にして仕舞ったが為に、二度目の別れの必然性までも希薄になっている。 勿論、主人公のひとり薫子のキャラクターが原作と微妙に異相にあったりと配役に起因する問題もあったのかもしれないが、これでは不惑を超えて恋愛にうつつを抜かさない様にとの逆の教訓すら導き出されかねない。財界活動に邁進する島会長同様に柴門氏もまた時代と寝ることが叶わなくなったと受け止めざるを得ないという帰結だろうか。

9月11日(金) Are the craves of Iwo Jima  -海外情報 - アメリカ縦断/横断の旅-

g827.jpg  最終日は遂にひとり、いきなり羽田改め佐藤栄作空港などと言われたら困惑しようが、これも米国らしき国内線ロナルド・リーガン空港へと赴く僅かな暇を散策に充てる。
 ジュリアス・シーザーもかくあらんデトロイトにシンシナティと度重なる渡河の旅路に相応しく最後の宿もまた河を跨いだアーリントンであり、フリーウェイの朝の渋滞を眼下に見下ろし、緑地へと歩みを進めた。
g828.jpg  程無く「硫黄島記念碑」が見える筈だが案内板は「海兵隊記念碑」の名称ばかり。先の大戦における硫黄島占領の際の海兵隊の栄誉を讃えたもので、有り体に言って米国版肉弾三勇士だが、以降の派兵実績もつど追記され南北戦争以来の海兵の歴史を物語る象徴となっている。余りに日本人には刺激的なネーミングを敢えて薄める配慮と読むのは気の回し過ぎか。
 そこから更にひと区画進めばそこはもうアーリントン墓地、わが国の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にあたる存在であり、靖国神社の有り様に想いを馳せるべきかも知れないが、奇しくも今日は9月11日、勝敗も宗派も問うことなく手を合わせるに留めておきたい。

g829.jpg  リーガン空港のデルタ・ラウンジに佇み、慣れぬビジネス仕様に些かの気後れを感じながら民族資本と異なりコンソメの不在を確認して食物を漁りつつ旅を反芻する。
 最早カナダに赴いたのも遠い昔の出来事で二つの球場のカクテル・ライトばかりが目映く甦るが、ETC以来技術的には高い評価を得ながらコスト面からも実用性に乏しいとされて来たITSは、自動運転という新たな潮流を得て再び時の人に踊り出るのだろうか。
g830.jpg  良くも悪くも金融や運輸の如く閉じられた競争領域に無い自動車産業は、こと税制による誘導措置を除けば独立独歩を維持して来た。その中で国家・地域というパブリックとの共同歩調を要し、取り分け車の両輪とも称された道路行政との関わりの中で永田町周辺居住者の立ち位置もまた存在するからこそ今般の旅路に預かった筈である。
 何時の日かこの家鴨の水掻きの如く長年の積算が、単に自動車産業の利得に留まらずわが国引いては世界の道路交通の高度化に資する日が訪れるのだろうか。
 往路とはうって変わって眠りに就けず所々の早送りを交えながら立て続けに七本の映画を鑑賞し続け、ヘッドフォンで物理的に耳が痛くなったフルフラットの身の上にかく想いが去来する。その答えを探し続ける責務を私は背負わなければならない。

9月10日(水) もうひとつの永田町  -海外情報 - アメリカ縦断/横断の旅-

g820.jpg  空路の旅の最大のネックは時間の浪費である。しかも搭乗案内の早いデルタはより早々の出立を求められ退屈の余りマッサージに浴して仕舞った。
 旅も押し迫り最果ての地は首都ワシントン。ブラジルへの途上、時間潰しの半日観光にホワイトハウスを垣間見て「外から見てちゃ駄目だね」と笑っていたお二人も今や副大臣とは光陰矢の如しだろう。
g821.jpg  時間調整のためNational Galary of Art(右写真)を駆け抜ける。生憎絵画には全く造詣が深くないが、スミソニアンともどもかく展示が何れもロハたるは強きアメリカの象徴なのかも知れない。
 して長かった旅もここに至り遂に二人芝居、最早気兼ねも無く俄か主賓扱いを満喫して有り難く国会見学の御上りさんと化す。議院内閣制のわが国と大統領制における立法府の位置付けが異なるという注釈を措いてなお、議員会館の広さには彼我の差を痛感せざるを得ないが、気心の知れた事務所から通行証を借りれば蛇の道は何とやらに変わりは無い。地元を潤わせ雇用拡大に資する企業関係者とあれば新米秘書が案内に駆り出されるのも同じ絵柄である。よく指摘される会館から院内への通行地下鉄が上院の特権で下院はてくてく徒歩の長旅とは、院の独立性と言うべきか参議院の矜持に改めて直面した感があったろうか。
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 余りに立派なわが国に照らせば議面に当たる勝手口に民主主義の成熟を見るか、衆愚制の成れの果てを感ずるかはさておき、いざ議事堂に闖入して先ず面食らうのは銅像だらけの広間であろう。勿論そこには47州を形而的に平等に扱わざるを得ない合衆国の性も介在していようが、少くとも四人目の空白のまま恐らくは未来永劫推移するであろうわが国と対比する迄もなく、偶像崇拝の国らしき艶やかさと受け止めたい。
残念ながら本会議場は開会中で拝察出来なかったが、古の小振りなプレナリー(右下写真)や三権分立にも拘わらず何故か鎮座した 旧最高裁等が観光目途に保存されており、予算委用に第一委員会室に転用すればとの余計なお節介は国土の狭いわが国らしい貧乏性なのだろう。
g824.jpg  絶対にある筈と踏んだ歴代大統領の似顔絵入りマグカップもオバマ饅頭も見当たらず、近隣の土産物屋でそれらしきを調達して超大国の永田町に極東の似非ロビイストは別れを告げたのであった。

g825.jpg  ワシントンに旨いものなしなのかも知れないが、数少ない日本料理店に内輪で舌鼓を打つ。イタリアンを挟みながらの連日の肉料理に、確かに脂身が少ないからこそ量を消化出来るのだろうが、パサパサの牛肉を日々塩漬けにしながらも存外に胃腸は適応し、ウォシュレットの世話にもならず快食快便が続いており、寧ろ繊細な日本料理よりもこと食生活に限っては大味な大陸仕様の味覚が幸いしたろうか。
 ただアルコールははやわが国が恋しく、遂にワイン三昧を離脱して焼酎の水割りを人にも自らにも注ぎ注ぎ旅路初の宿酔いに痴れる。長旅もエンドマークが見えてきた。
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