コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月26日(土) 代理の代行  -スポーツ - プロ野球-

g774.jpg  体面を重視するわが国において、職業野球の監督の休養とは事実上の解任を表面上コトスル隠語に過ぎず、事実今期の西武・伊原監督の復帰もあり得ないというのが通り相場である。
 ただ例外は存在し、昭和37年「指揮官の悪い舞台は全滅する」の名言とともに退いた鶴岡監督は蔭山代理監督のもと復調した南海ホークスを再び指揮したし、大洋時代末期の三原監督が休養と復帰を繰り返したケースも挙げられよう。 而して今般の星野楽天監督は昨年の日本一から一転しての不振もまた一因には違いなかろうが、自身の体調が主因であるだけに復帰を前提とした希少な事例であった。
 しかしながらその経緯は迷走と言わざるを得ないものだった。ヘッドコーチたる佐藤代理から更に大久保二軍監督という二度に亘る政権交替は、後者が西武コーチ時代に暴力行為を取り沙汰されただけに、幾らオーナーの覚え目出度き著しいとはいえ奇異に感じられる要素無きにしもあらずだったが、それ以上に昨年のリーグ覇者としてオールスターの監督人事にまで混乱を齋したのは新興球団の無責任さと糾弾されても致し方無かろう。
 勿論、昭和53年に矢張り胃炎休養中の上田阪急監督に替わり前年二位の広瀬南海監督が指揮を採り、阪急からは西村代理がコーチとしてオールスターに出場した他にも前年の優勝球団が監督を譲った事例は存在する。ただ本年は前例に倣うべき伊原氏が既にグラウンドから消えており佐藤代理がオールスターもまた代理を務めることで合意されていたにも拘わらず、自球団の事情で佐藤代理を葬り去りあまつさえ大久保氏には更なる代理を受諾させなかったのである。
 結局、前年三位の伊東ロッテ監督が渋々引き受けたが、奇しくも旧西武勢間にて繰り広げられた迷走劇は折角の星野復帰にも後味の悪さを残したと言えよう。

 芝上で現をぬかす心持ちが湧かず二ヶ月半振りとなったゴルフはドライバーが全く当たらなかったにも拘わらず、後半は50を切れたのは一応の成果と言えようか。

7月24日(木) 夢から覚めた夢  -海外情報 - 世界遺産-

g712.jpg  標記上は三泊六日になる慌ただしいバカンスを駆け抜け、改めてパラオという選択を振り返ってみると、ハワイやグアムは言うに及ばず恐らくは他のリゾート地に比して圧倒的に「田舎」であると言って良い。ともすれば一生に一度しか接しない観光客の戯言であったとしても、もう20年も前だから幾ばくか開発の手が施されてはいようが、奄美を訪れた際にも同様の過度に観光地化され過ぎていない穴場感に包まれた。勿論、島国であるから最大の収入源が観光であるのは論を待たないとしても、必ずしも第三次産業として確立されていないが故に、システマチックに留まらないホスピタリティーを受け止め得る一方で、現実にコスト高に陥る事実もまた否定し得ない。
g724.jpg  道理で南の島らしい若者同士のカップルも少なければ、若夫婦には恐らくは大蔵省兼務なのだろう老父母の同行比率が異様に高い。
g716.jpg  実際、自力で世界遺産に足を踏み入れるのはほぼ不可能だからツアーが必須となり、例えば詰め込みロックアイランドはパラオ南部の主な景勝地を戦跡を除いて総嘗めにするコストパフォーマンスの高さは賞賛されるべきであろうが、その分ジェリーフィッシュ許可証含め大人一名約二万円と立派な出費を余儀無くされる。即ち食費を含め逐一金目を財布と相談している様では優雅なリゾート・モードには浸れない構造に直面する。
 従って、確かに海は美しく他島では味わえない魚類との邂逅を堪能出来るが、買い物や観光は推して知るべし以下の水準であり、海に特段の思い入れのある層以外にはアピール・ポイントには乏しく、逆に言えば広く量産効果による費用低減も期待し難い。
g704.jpg  空港や新首都のあるバベルダオブ島の観光資源化を進め、いい加減海疲れした一見客に陸路コースの提供を増大したとしても、恐らくは宿泊を一日伸ばす程度の効用に留まろう。
 どうやらパラオは旧南洋庁における戦略拠点の座をサイパンに奪われたまま、知る人ぞ知る幻の楽園チックなポジションを維持するに留まり、結果的に世界遺産の自然は少なくとも人為的な破壊からは免れる、と結論付けられようか。

 真夜中2時半のフライトは往路同様更に遅れ、既に空港からうつらうつらとなりながら機中爆睡に努める。
 一旦帰還し早々に踵を返して出社すれば、夜の宴席まで陸の日常が待っていた。

7月23日(水) Nanyo-land,Island  -海外情報 - 世界遺産-

g703.jpg  最終日も父と公資が味付け海苔まみれになるバイキングから始まる。平熱に回帰したとはいえ流石に祐旭の海水浴は憚られ、結局ビーチに戯れたのは初日に留まったが、兄弟写真を収めて名残り惜しんでみる。
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 今更の様にコロール・ツアーに赴いたものの、正直見処が多くないのは初日の散策で検証済みで、珊瑚養育を目途とした水族館の過剰に丁重な解説は半ば時間潰しの要素も否めないものの、ヒトデに海月と妻と祐旭も些か矮小ながら昨日の疑似体験に預かり、恐らく日米両国の支援に依るものなのだろう、はためく三国の国旗に南の島の数日間を反芻するのだった。  70年前にならんとするわが国委任統治時代の遺構は少なくなく、初日にも街中で崩れかけた戦車に遭遇したが、旧南洋庁支庁舎(右写真上)に続いては今や国立博物館の倉庫と化した旧気象庁(同下)を拝む。寧ろ南洋庁期においては現下のコロール以上に整然とした街区が整備されていたとのストーリーは流石に面映ゆ過ぎるきらいは否めないものの、ほぼ米国南西端の一離島に過ぎない大戦後に比して南の絶対国防圏の一翼を担った帝国期の方が地勢学上の重きを為した構造は容易に想像出来よう。
g707.jpg ホテルの各コテージもこれを模していた三角屋根の「バイ」は後代の複製だが、集会所として時には数日に亘る小田原評定が繰り広げられたとは、今やバベルダオブ島に遷都され民主主義の手順も確立されたであろうパラオの悠長にして旧き良き時を感じさせる遺構であった。
 昼はマラカル島のターミナル港に面したパームベイ・ビストロと残り少ない時間を精力的に回遊し、宿に戻り丸で併設されたが風情の日本大使館を眺め、結局祐旭もプールに浸かってみたが、大事をとって程無く人気の無いジャグジーにて暖を取る。最後の海詣でを前にもうひとイベント、桟橋脇の海の男向けの小屋にて宿泊客には無料のカクテル・パーティが振る舞われるとは豪気だが、アルバイト風の幾分やっつけ感こそ漂いながらも地元の躍りも無償で鑑賞に預かったのはここに来てパラオ随一のリゾートの名に相応しかっただろうか。
g709.jpg  オーラスはもうひとつの宿の選択肢であった内陸のパラオ・プランテーション・リゾートからナイトカヌーに繰り出す。祐旭の体調に鑑みカヤックから動力のあるカヌーに切り替えたが、陽が落ちればマングローブすら判然としない旅路だったから再びの手漕ぎで更に体力を喪うよりは正しい選択だったろう。
g710.jpg  ゼロ戦こそ拝めなかったが、帝国海軍の小船や米軍飛行機の残骸に見えてペリリュー島への後ろ髪を断ち切り、遂にスコールに塗れ鼠にもなりながら、ジャングルバーで気前よくシャコ貝の活け作りに余剰ドルを放出して盛り沢山の最終日にもエンド・マーク、眠気に負けず荷物を詰めて我々は空港に辿り着かなければならない。

7月22日(火) Rock'n Fish  -海外情報 - 世界遺産-

g695.jpg  パラオ第二のホテル、マラカル島はロイヤル・パラオ・リゾートから船出する三日目、結局華氏百度を超えた祐旭は養生、妻はその付き添いを余儀無くされ、文字通りの二人旅である。
g696.jpg 先ずはロックアイランドに囲まれ、事実上外洋と切り離された入江に浸食されたそのロック、即ち石灰岩が沈殿し海水までが乳白色と化したミルキーウェイにやって来た。美肌効果抜群で化粧品化もされている白泥を全身に塗りたくり山海塾の如く、怪奇大作戦第三話の如く白い顔、白い人に身を窶し、そのまま海で洗い落とす。海水の透明度で名高いパラオにして混濁を売りにした、これも定番に他ならない。
 冒頭、船首に腰を据えたおかげで疾走するボートのジェットコースター宜しき激しい上下動に落涙滂沱していた公資も、最後尾に移り禿頭のガイド氏の講釈師の如く巧みな話術に笑顔を取り戻し、再び滑走して訪れる先はロングビーチであった。
 元来発祥元にはなっても通過するだけだった台風の直撃に見舞われたりと、ここパラオにおいても温暖化の影響は顕著で、砂が拡散して干潮時に大海原に忽然と表れるロングビーチの御尊顔を拝することも年間数十日にまで落ち込み、深刻な観光資源の滅失が憂えられている。幸福にも快晴のこの日は砂浜沿いに停泊したボートを下船した一行が一斉に徒歩揚陸に臨む、ノルマンディー上陸が如き絵柄が具現した。
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 事前の予報では須く雨と八甲田に佇む神田大尉の如く悲愴な決意を抱いての渡航だったが、実態はパラオに天気予報は無いも同然で雨季はスコール含みで常雨表示になることを赴いて初めて知覚した。勿論、着島前日も帰国日も悪天のなかわが方の旅路のみほぼ晴天続きだったのだから僥倖に違いなかったが。
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オーラスのシュノーケリングは撮影者がお疲れ君
 これも定番の砂浜をジャンプする情景を収めて更に南下、わが国治世以前に独国がリン鉱石の移送のために珊瑚環礁を掘削して外洋への回廊としたジャーマン・チャネルを拝む。ここまで来れば先の大戦の激戦地となったペリリュー島も目と鼻の先だが残念ながら踵を返し、次はジェリーフィッシュ・レイクだから盛り沢山さもここに極まれりである。
 マカラカル島の山岳を登り下りして内海に辿り着けば、外洋から切り離されたが為に毒性を失った、うようよと気持ち悪い位に彷徨う海月達との邂逅が待っている。かく大量だと有り難みも薄れかねないが、最早塩湖自体が黄色く発光した様な独特の光景は壮観以外の言葉を喪うではないか。
 ロックアイランドの等しく無人島のその名もイノキアイランドにて昼食に預かり、温泉の様に温められた内海では女子高生宜しく父子の自己録りに勤しみ、小型一眼の広角度合いを再認識した。
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 午後に至り再びのシュノーケリングはメッカとも言うべき、パラダイス・コーナーだが既に疲労困憊、公資にすら泳ぎ置き去りにされかねない。殿を務める筈の現地女性が付きっ切りかつビート板を与えられひとりサポートに預かっている始末では優雅に魚を眺める余裕も失せ、命辛々ボートに帰還した。

 幸便にも帰路はホテル桟橋に直接乗り付け宿泊に大枚を叩いたが故の優越感とともに、部屋までの足の運びも短絡される。
 片肺飛行に陥ったのは痛恨の極みだが、これも旅のひと幕、想い出と記憶する他あるまい。丸半日寝リゾートで何とか回復した祐旭も合流し、ホテル域内の広大な池における亀とエイの餌付けは漸く一家四人に復帰。高台のレストラン・エリライからライトアップされた日本橋を遠く眼下に眺めて長い一日に終わりを告げた。

7月21日(祝) BLUE TRITON  -海外情報 - 世界遺産-

g689.jpg  実質二日目のパラオは愈々「公式行事」がスタート、今や外交における開明派として再評価の気運すらある蘇我氏とは何等の関わりも無い海豚である。
g690.jpg  マラカル島から赴くのはロック・アイランドに囲まれたドルフィンベイ、湾全体を海豚養育の施設として独立させている。マングローブは海水から否応なしに吸収した成育に不必要な塩分をひとつの葉っぱに集め、その葉ごと切り落として体内調節を図っており、その帰結として簡易な柵で仕切られただけの外洋と繋がった園内にも大量の黄色い葉が降り注がれる。しかしながら海豚は植物を消化出来ないため、葉を飲み込まずインストラクターに提出すれば替わりに餌が与えられるべく調教を施したとの解説は、些か長過ぎる前降りの中では白眉だったろう。
 確かに盲目に近い海豚は偶に間違えて観光客たる我々にも葉を差し出すが、素早く係員が魚を供出し蟒蛇の如く飲み込まれていく。事実海豚に味覚はなく喉越しの感触のみを満喫しているので、日にバケツ四杯にも至る餌量のコントロールと水分補給を兼ね、適宜氷を以て代替するとは餌付け体験に興ずる息子達にも良き社会勉強になったろうか。
g691.jpg  学びの時を経、一家揃って右手を挙げてその合図に呼応して跳び跳ねる海豚とともにファインダーに収まる。散々練習した割には素人コンダクター宜しく実際のサインはインストラクター任せの疑似行為だったが、思い切り水飛沫を浴びて海豚より前に海水に馴染む羽目に陥る。総額40ドルで計6カットのみだった筈の公式写真が帰国して確認するとCDRに数十枚も収められており、アバウトさが却って観光立国途上のホスピタリティーを感じさせた。
 メインエベントは我々も入水して城みちる宜しく海豚に股がる絵柄こそ叶わなかったが、眼前を往復する海豚に触れてナス擬きと教授された肌の感触を味わい、頬に口付けを受けてワンサイクル終了となった。
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 ここから昼休みが長く半ばうとうとしながらも子供達は沿岸部をプールに見立てて魚と戯れれば、午後は本日第二段、グアムやサイパンではダイビングに及んで深く潜行しなければ出会えない魚達に素人のシュノーケリングにて対面出来るパラオの特質を最大限活用すべく海に臨む。外洋まで船で遠出するのかと思いきやいきなりカヤックをえっちらおっちら漕ぎ出すところもまたパラオらしく、兄弟息を揃えてイチニ、イチニとオールを操作する光景は頼もしい。
 遥か昔、卒業旅行で訪れた、等しく旧南洋庁傘下のサイパンでは一同お面を被ったまま命綱を頼りに徒歩行軍しつつ沿岸部から入水して、小振りな魚群を眺める苦行の様な行程だったが、四半世紀を経てシュノーケリング自体が進化したのか、矢張り周囲をロックアイランドに囲まれ波浪穏やかなパラオの特質か、小学生からはライフジャケットに身を包めば泳ぎながら顔を水に浸すだけで色鮮やかな魚は元より珊瑚に海鼠まで簡便に御目に掛かれるとは有り難い限り、休日を謳歌した某大臣を責められまい。
g694.jpg  子供達の水中カメラを抱えて一台は静止画、もう一方は動画と使い分けつつ、水面下の映像を収め続ける毎度ながらの多忙ではあったが、タイトル通りの「欲張り」ツアーに一同満悦ではなかったろうか。
 ただ朝から元気溌剌だった祐旭が帰路、洋上からぐったりしていたのは明らかに不安な兆候で、トレーニング設備の探訪こそ太り気味の公資に相応しいかったかも知れないが、ホテル最南端部にひっそりと佇む嘗てわが国が設営した飛行場跡の視察も二人三脚を余儀無くされた。ベントウやデンワなど日本語がそのままパラオ語になったものも少なくないが、取り分け微妙に訛った「スコウジョウ」の語はわが国が本格的な群島開発の端緒となった歴史認識をよく体現しているとも言えようか。
 そのまま小高い丘に登れば肝心の夕陽こそ半ば雲に隠れて臨めなかったが、広大なリゾート・ホテルを一望に収め、この時ばかりは結果的にビュー・ポイントに近接することとなった部屋への長き導線に感謝しなければならなかった。

7月20日(日) BEACH TIME LONG  -海外情報 - 世界遺産-

g683.jpg  眠い眼を擦りながら空港から送迎バスに揺られ、パラオ随一とされる、アラカベサン島はパシフィック・リゾートに辿り着くが、先ずは一泊と言うより仮眠に近い状態で、早速朝からプライベート・ビーチに繰り出していく。
g684.jpg  戸建て仕様のホテルは広大な敷地を誇り、割り当てられた部屋が余りにその南端に位置する為にフロントまで移動するだけでもひと苦労だったが、浅瀬でも魚に巡り逢えるパラオ最大の利点に早くも遭遇することとなった。ただ幾分の波立ちとゴツゴツとした岩作りの足場、更には海水の塩辛さに音を上げた子供達は贅沢にも早々に地繋ぎのプールに引き上げ、南洋に赴いた有り難みこそ少しも感じられなくとも何の変哲も無い空間で水遊びに興じている。現代の水泳教育ではいの一番に飛び上がって息継ぎを繰り返すボビングという行為の指導があり、おかげで到底足の届かない領域でも大禍無く過ごせるべく誂えられていることを初めて知った。
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 敷地内のハンモックに揺られたり、ベランダからの豪奢なオーシャンビューを眺めつつ、午後は早くもSPAへと誘われる。バリでは大胆にも一家揃って揉まれていたが、ホテル北端への遠征は親二人に留め、優雅に脱法でないハーブの香りに包まれ、リゾート・モードも高まってきたところで、南洋庁の実質的な庁都であり、独立後も2006年まで首都だったコロールへと繰り出した。
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 アラカベサン・コロール両島を結ぶ国内の大動脈とも言うべき架け橋は日本統治時代に起源を持ち、わが国ODAにて再整備された証しとして、中央にパラオ国旗とは色違いのコントラストを為す様な日の丸が刻印されている。
 ただ肝心のコロールは最大のメルクマールたるWCTCショッピングセンターすら街のスーパーの域を超えるものではなく、過度に観光地化されていない穴場気分満載と言えば美しいが、渡英したプリンス・リーブー像や遷都に伴い地方支分局の如く位置付けになったのだろう、掘っ立て小屋の様な官庁街を眺めるに留まった。
 そもそも早朝から意欲的に活動し過ぎで早めの夕食にありつく時分には一同グロッキーで、早々に宿にとって返して翌日からのツアーに備えるのであった。

7月19日(土) 島行かば  -海外情報 - 世界遺産-

g679.jpg  第一次世界大戦の結果、わが国は敗北した独逸から継承する形で南洋群島の委任統治に預かった。グアムバリ沖縄ハワイを歴訪した恒例のわが家の夏の南の島巡りにパラオが選択されたのは、パラオの地勢学上の利便性、対日好感情と日本語の流通度合いは元より、嘗て南洋群島の中核であった先人の歴史と記憶が作用した要素は否定出来ない。しかも先の大戦から70年を迎える明年、天皇、皇后両陛下もまた慰霊の旅路に向かわれるとあらば、些か思い込みの域は超えないとはいえその露払いを任ずるのも恐れ多くも国民の努めに他ならなかろうか。
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 明らかに経済的には非合理には違いないものの、夏休み冒頭の三連休の初日を出立に設定したのは、祐旭の塾通いの閑散期がこの期とお盆のみというサラリーマン顔負けの多忙さに由来する。幸い夏休み期間に限り直行チャーター便が運行されており、所謂JALパックの一員と化すのは対峙する「青」側に親和性の高い父としては幾分忸怩たる想いは打ち消せなかったものの、現実に空の選択は豊富とは言い難い。
g682.jpg  20時のフライトに合わせて成田エクスプレスで空港入りするが、この期に及んで公資のカメラを新調したり、車中腹拵え済にも拘わらず寿司を摘まんだりと早くも観光客仕様の散財モード全開である。とくに公資のカメラは耐水性を優先する余り祐旭のペンタックス版と瓜二つのリコー製に落ち着いたが、要は後社による買収に伴うブランド名を違えた後継機に他ならず、兄弟で操作性が同一であるのは実利用には好都合だろうが、折角未曾有のメーカーに手を出す機会を安易に喪ったのは準備不足を問われても致し方無かったろう。事実、荷物を詰め始めたのは今日になってからで移動中に地球の歩き方を読み始める始末では、買い替えたスーツケースこそその軽量に驚きを禁じ得なかったが、慌ただしい旅路そのものである。

 こうしてわが家は機中の人となった。給油の都合により出鼻から遅延した機中は今更の様に「レッド・オクトーバーを追え」を鑑賞して何故か宇野重吉氏の顔が脳裏に浮かびつつ、南の島に降り立つ頃には奇しくも明治大帝が東北巡行から横浜港に帰還された旧「海の記念日」を迎えていた。

7月16日(水) 肉体の門  -スポーツ - プロ野球-

g737.jpg  破竹の勢いだった田中投手が突然の肘痛に見舞われ、先達たるダルビッシュ投手が米大リーグの中四日登板に疑念を呈したことが波紋を呼んでいる。
 確かに日本時代の概ね週一日に比べれば勤続疲労が生じて然るべきかも知れないが、厳格に百球プラスαを堅持する米国に対し先発投手の本旨は完投たる思想に基づき好調なら球数に左右されないわが国では自ずと対処が異なるのはやむを得ない。
 勿論、ピッチングマシンというインフラの普及に伴い飛躍的に向上した打撃力に対処する為に、変化球を多投せざるを得なくなった帰結として球数が増えるばかりか肩や肘に余計な負担を余儀無くされた投手は、消耗品たる肉体を過剰に酷使出来ないが故に登板間隔を増大して休養を求められて来たのは歴史の流れであり、昭和30年代の「雨、雨、権藤」は元より、全盛期の江川投手が中四日を休み過ぎと揶揄された様な過去に回帰することは不可能であろう。
 ただ身体の慣れを勘案してなお先発の和田投手はおろか救援の藤川投手に至るまで日本人投手の故障続発に鑑みれば、少なくともメジャーの公式球の手触りやマウンドの傾斜が何等かの異質な負担を斎しているのではないかとの疑念も生じよう。
 或いは中六日で百球縛りと極端に過保護になりつつある本邦球界の現状には異論があろうとも、ダルビッシュ投手が現職であった時分の如く、たとえ百球を遥かに超える投球であっても中五日以上の間隔を擁すれば肘は回復するとの主張に利があるのかも知れないが、ならば邦人以外の大リーグ在籍者の大半が中四日を基盤としている事実を是認出来ない。
 実際には西洋人においてもトミー・ジョン手術が増大しつつある現実を警告として受け止めるべきなのか、或いは矢張り肉体的に東洋人の限界を示唆するものなのか。民族的に中庸なダルビッシュ投手の発言だけに本邦職業野球においても考慮すべき要素は少なくなかろう。

7月15日(火) 大人の階段登る  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

g743.jpg 今にして想えば要人の試乗日程が固まらないと嘆いていた昨年後半が嘘の様に、通常国会が延長も無く終幕に至り、永田町的には長い夏休みを迎えて俄かに水素の季節がやって来た。
 要人の企業来訪とあれば単に新たな車に載るには留まらない筈だが、国民経済・産業の統括者の地域経済の実情視察の一環との位置付けだから疾風迅雷を余儀無くされる。ただよく考えられたもので新たに着任した事務方の重鎮が露払い宜しく事前に到来し、説遇部隊も普段は立ち入れない社内の技術部門の回遊随行の恩恵に預かった。
 昨年、九州大に闖入した際のデジャブの如く水素スタックや頑健な水素タンクが並んでいるが、旧来の燃料電池車が発電所を体内に構えるが故にSUV仕様の大振りな躯体を余儀無くされていたのに対し、新たな逸品はセダン型の面構えに処狭しと構造物が納められている、その開発者の苦闘の一端はよく理解出来た。
 いざ要人が到来すると説明も早々に発売を数ヶ月後に控えた新車の滑走を見守ることになる。押し並べて自らハンドルを握ることを禁じられる政府要人は運転の機会が与えられると童心に帰るが如くに天真爛漫な走りに興じる傾向があるが、それを割り引いてなお大層なスピードである。
 しかもご丁寧に直後を警護車が随走していくのだが、どう見ても後続の方がアップアップに映るではないか。勿論、3000ccの立派な高級車に他ならないが、なる程燃料電池車は加速感が体感出来ない程に加速に優れているという特色は、逆説的ではあるものの外野から見物するだけでも立派に実証されたのである。
 事実、電気自動車も同じ構造だが、如何なオートマチックであってもローギアから順次トルクの上がっていくエンジンに対し、モーターは端からフルパワーであり、かつエンジン音も欠如しているから、実に何の苦労も無く疾走を果たすべく見受けられる。
 水素は爆発するというヒンデンブルグ号以来の先入観も多分に作用していよう多彩な規制に加え、現実に燃料電池自動車が普及するまで採算の採れないであろうステーションはじめインフラ整備の遅れたる鶏と卵の課題は山積されようとも、いざ水素は走り出した。ならば走り続けるしかない。

7月13日(日) 我は湖の子  -政治・経済 - 政治・地方自治・選挙-

g734.jpg  地方自治の本旨に鑑みれば、首長選は国政とは一線を画すものであって然るべきである。確かに首長と謂えどもその施政範囲が小さくなればなるほど国政選挙の一端たる要素は反比例的に大きくなろうが、本来選挙戦術として重要視されるべきは国政選挙の手足となる議会議員選に他ならない。
 勿論、再選以降相乗りに流れがちな県知事選においても、与野党対決型となれば浮動票の占める度合いが大きいだけに、時の政権への支持を図るひとつのメルクマールにはなろう。ただだからこそ歴代自民党政権は敗北に陥った際に「地方選に過ぎない」とのエクスキューズを用い得る様に、過度の中央の関与を避けてきた筈である。
 滋賀県には京都から夜半足を踏み入れたのみでその風土については寡聞極まりないが、武村正義氏の合成洗剤追放等、琵琶湖を有するだけに環境志向の印象は強いものの、大阪や京都の如く反自民の伝統とまでは言えなかろう。新幹線の新駅が真にメリットの少ない投資であるかを語るだけの材料も持たないが、前知事が「未来の党」に雇われマダムとして担がれた迷走が記憶に新しい限り、原発の是非という対抗軸こそあれ、反動として現与党に回帰するであろう予測は当然成立した筈である。
 だからこそ沖縄までの対決三知事選挙を来春の統一地方選の前哨戦とする見立ては滋賀の勝利が前提だったに違いない。集団的自衛権は兎も角、都議の不規則発言は不測の事態だったろうが、国政選挙の狭間の年であるからこそあたら選挙選に注力し過ぎ、投票日直前の幹部大動員が無党派層に火を付けた結果の逆転負けとも言えなくはない。
 戦術的には与党は勝ち目の薄い福島からは撤退、転戦を図るのかも知れないが、この結果が知名度勝負という現代の選挙戦のひとつの悪弊を更に加速化させることは懸念材料として挙げておきたい。
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