コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月31日(金) 人徳の限界  -スポーツ - スポーツ・格闘技全般-

g569.jpg 公益法人移行に伴い「理事候補」選となった二年に一度の相撲協会のお祭り騒ぎは、今回もまたドラマが繰り広げられた。
 五つの一門から2ポストずつという派閥全盛期の自由民主党も吃驚の均衡体制が崩れたのが平成10年、境川理事長の親方株改革に反旗を翻した無所属の高田川親方の立候補に乗じた形で最大派閥の二所一門が3ポスト獲得を狙い、大荒れの理事選となったが、これに懲りたか以降は弱小一門間の合掌連衡が進み監事(現・副理事)を含めポスト配分の異動こそあれ、平成20年には事前調整による無投票に復帰している。
 ところがリンチ事件や八百長問題など協会を揺るがす事案が相次いだことから、貴乃花親方が若手を中心に事実上の新グループを結成して理事に名乗りを挙げ、現に立浪・伊勢ヶ浜一門では総帥であるべき立浪親方が貴乃花グループ入りするなど派閥再編の波が襲ったのも、「人が三人集まれば派閥が生まれる」の原理に則れば新陳代謝の一環と寧ろ賞賛すべきなのかも知れない。
 ただ今般の波乱は世代間闘争や急進改革派対漸進派、或いは他力本願ながら実現の運びに及びそうな親方株改革の余波と言うよりは、希代の大横綱たる世俗における高い人気とは裏腹の協会内部における九重親方の求心力不足を端的に示す出来事なのかも知れない。確かに平成10年の大乱に際しては総帥の高砂との一門内での理事候補争いに破れた元横綱・北の富士が廃業に追い込まれるなど、嘗て後継争いに破れた元横綱・千代の山が分家許さずの出羽一門から破門され高砂一門の客分となった経緯から、外様の悲哀の要素も勘案すべきかも知れないが、既に元大関・朝潮の高砂は朝青龍廃業の責任をとって理事を外れており、同じ九重系かつ後輩にあたる元横綱・北勝海に敗れた事実は本人の不徳の為せる業としか言い様があるまい。
 これで北の富士と二代続けて理事長ポストを逃すこととなるが、元横綱理事が漸減しつつある中で四年後の北の湖理事長引退時に45歳の貴乃花理事長が若過ぎるならば、北勝海の八角理事長が視野に入ってきたのは歴史の皮肉と言うべきだろうか。

 参考 大相撲理事変遷

1月29日(水) 兵站の矜持

 「業務秘書」という言葉が一般的なのかは定かでないが、日程調整や身の回りの世話役たる狭義の秘書業に対し、被対象者の職権の半ば代替執行者との位置付けを指すと言えよう。わざわざ新たな範疇が設けられる所以は、所謂秘書業務は足回り主体の小間使いに過ぎず、到底中身には関与し得まいという侮蔑のニュアンスが多分に含まれていることは否定出来ない。
 全体日程に始まり移動手段や飲食の提供に至る兵站の軽視は「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち」と揶揄された西南の役以来、大東亜戦争における帝国陸軍においてなお残念ながらわが国の伝統であり、調整は旨く回って当たり前、事を成し遂げて尚手柄は実践を預かる歩兵や騎兵ならばまだしも、大本営参謀に油揚げを浚われること屡々だったろう。
g571.jpg  勿論、我ながらよく噛み合ったと唸りたくなる要人ばかりの困難な宴席を効率的に成立させれば、それなりの自負も生じようが、その喜びは相手先が異なれば同業者であっても正確には理解され得ない孤独な商売でもある。「兵站を制する者は世界を制す」とまで持ち上げるのは陽の当たらぬロジスティクスへの過剰な媚びかも知れないが、「兵站を笑う者は兵站に泣く」ぐらいは些かの真実も含まれるのではないかと控え目な主張をまた胸に秘めながら。

 時の経過とともに体内の熱の高まりを感じながら、三味線引いて神楽坂から練り歩く約6時間。久々の銀座はホステスのお相手が疲れました。

1月27日(月) 読書のひみつ  -育児 - パパ育児日記。-

g574.jpg  学研のひみつシリーズを今更ながらに大挙セットで購入したのは、ひとつには小学校低学年の時分、貪る様に読む耽った自らの経験則に基づく措置に他ならない。ただ既に30有余年を経過しているから幾度か版も改められており、他の出版社から同工異曲の教育書も多数現れてはいるものの本家に勝るものはあるまいと実物を手にすれば、驚く程簡略化されているではないか。
g573.jpg  取り分け印象深かった「発明・発見のひみつ」も中身はかくあれ、発明者・発見者の人物譚が大幅に割愛され、その労苦に共鳴し難くなっているのでは片手落ち極まりない。これでは祐旭は元より世代的に合致する見込みだった公資ですら、次々にパラパラ捲っては読破して仕舞い、繰り返し熟読するには到底至らない。
 そもそも本の虫だった父に比してゲーム世代の賜物か活字離れ著しい息子達に、責めて漫画混在からでもと与えたにも拘わらず、これでは書籍への意欲惹起に結び付き様が無い。
 インフルエンザでさぞ暇を持て余していようかと多湖輝氏監修に惹かれて「頭をよくするひみつ」も追加してみたが、「頭の体操」由来の廉価版クイズが申し訳程度に付されているだけで期待外れだった。
 勉強浸けの兄待ちが長い分、ひとりっ子だった父の様に、自ら人生ゲームを複数受け持つ「ひとり人生」(公資談)はじめひとり遊びに長けた公資も、五年から始まる歴史教育に際して「漫画日本の歴史」全十巻に漸く取り組み始めた祐旭も、「ひとり読書」への道は未だしである。

1月26日(日) お熱いのがお好き  -育児 - パパ育児日記。-

g567.jpg  昨日は飯田橋から昼過ぎに帰還する迄は一族郎党元気溌剌だったにも拘わらず、俄かに公資が発熱し阿佐ヶ谷は河北病院へと駆け込んだ。
 かの寺山修司氏が最期を迎えたことでも名高い地域救急指定の中核病院だけに、年末の早朝に眉に血糊だらけの父が訪れた際よりも遥かに混み合い、新たな病を頂戴しないか不安な程だったが、結論は発熱から時期尚早のため頓服だけ貰って退散と相成った。寧ろ救急医が余りに綺麗で、公資も気圧されたのかは定かでないが、食欲満載との回答では病人とカウントされなかったのもやむを得まい。
 ただ結局今日に至って更に熱が上がり、河北を回避して無理矢理地場の診療所に押し掛ければ鼻の粘膜を抉り取られた挙げ句、見事インフルエンザに当確である。結局ワクチン接種が一回に留まったからウイルスを抑制出来なかったのか、半分でも効能あらたかで熱の上昇が緩やかだったのか、そもそも今年の流行りは高熱を齊さないのか、因果関係は皆目不明だったが、皆勤賞を狙う公資には病欠でなく出席停止に輝いたのは好都合だったろうか。

 組織内における幹部機構と現場の対立の産むドラマツルギーは、帰って来たウルトラマンから踊る大捜査線に至るまでの定番に違いないが、公安を警察内のエリートに位置付けたのが「血の轍」である。その見立ては間違いではないが、左翼勢力の退調とともにカウンターパートたる公安自体も縮小傾向にあり、少くとも特高の末裔の如く描写は些か時代錯誤の過大評価と言わざるを得ない。
 同じく日曜放映の「最後の警官」は、漫画オリジンとはいえ実在の急襲部隊SATを悪役、一般の警察官との中間に位置する架空の組織を善玉との配役だが、些かマニアック過ぎる内部対立の中に反体制礼賛とヒューマニズムをごった煮にした上でアイドル仕様の若年視聴者志向も加味されて、主題が拡散していよう。
 そもそも並べて見ていると、何故公安とSATが対立していたのかと、あらぬ錯覚に陥りそうではないか。警察ドラマ流行りもここに極まれり。

1月25日(土) ユークリッドになりたい   -育児 - パパ育児日記。-

g565.jpg  このところサピックス三昧で休日も迂闊に外出すらままならなかったが、久々の御出掛けシリーズも機関誌「さぴあ」の紹介先とは学問熱心な親子ではないか。
 赴いたのが東京理科大とは仰々しいが、更に大儀なことに由緒正しい建屋に聳える近代科学資料館である。実態は昔のPCやレコーダー、電子計算機等が並んでおり、この種展示は好みには違いないものの、子供達には正直なところ初期のファミコン程度にしか感心を齊さないだろうというのが第一感だった。ところが歯車ベースの機械式計算機を解説付きで体験してみると、二人とも夢中で日頃の勉強嫌いも何のその計算に明け暮れている。実のところ資料館は目の前に鎮座在していたので足を伸ばした正に行き掛けの駄賃にも拘わらず、望外の成果だったろう。
g566.jpg  して本丸、地下の数学体験館へと歩を進めれば、確かに体で数学の原理に触れる趣旨宜しく所狭しとギミックが並べられ、豊富な説明員の配置とともに、若者の理系離れに悩む理系大学としては切実な試みには違いない。ただコリントゲーム型の確率論、素因数分解に基づく最大公約数、最小公倍数、実際に球を走らせてのサイクロイド曲線、「嘘」を見破る確率論ゲーム、円錐角錐をばらしての円周率とは何ぞやと、何れも脳裡にピカリと閃けば数学への興味の促進に結び付きそうだが、残念ながら文系頭には遊びから学問へと繋がる回路が錆付いていて遊戯を超える発展性に乏しい。
 実際、松下のりす~ぴあの如く寧ろ物理・科学への拡がりがあればイメージも湧き易かろうが、数学に限定されると日常との連関が稀薄になる上に、そもそも公文式の弊害であるかは別として、揃いも揃って幾何に弱い一家には敷居が高かったかも知れないし、逆に計算機に被り付きだったからくりも代数好みの性癖に鑑みれば合点が得られよう。
 これもりす~ぴあ同様に撮影厳禁だったのは同巧の後続を許さない趣旨だろうが、責めて秋山仁館長の実物模型が幾何学的に変幻するギミックくらい拵えて、そこだけでも宣材を兼ねオープンにして欲しかったところだが。

1月23日(木) 東京物語  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g564.jpg  議会は65年の自主解散で外れながら知事は一貫して統一地方選と歩を一にしてきた東京都において、石原慎太郎氏の新党設立・衆院選出馬で一昨年12月16日に衆院選と同一選となった時、僅か一年余りで再び知事選を迎えようとは誰が予想し得ただろうか。
 猪瀬前知事の末路は、詰まるところ政治のプロで無かったとの御本人の弁に集約されようが、より平たく解析すれば窮地に陥った際に氏を支えようという"友人"が居なかったことに尽きよう。
 この観点からは新たなる自民党推薦候補は、09年総選挙で野党に転落した同党が乾坤一擲、実のところは敵失で衆参の捩れ状態を作り出し、今日の復辟の端緒となった10年参院選直前に離党・除名に至った経緯において多くの友人を失ったであろうし、残念ながら女性人気を得られるとは言い難い経歴書もお持ちではあるが、新進気鋭の政治学者として東大助教授の座を擲ち、朝まで生テレビにて口角沫を飛ばしていた印象とは必ずしも相容れない政策マン風情が、新党の不発と引退に追い込まれた挫折を経て、マイルドな案配に落ち着いたとも言える。
g572.jpg  従って消去法の選択ではあっても当初は舛添氏の楽勝見込みだったが、情勢を混沌とさせたのは細川元総理の出馬に他ならない。確かに氏は93年非自民八党派連立内閣の首班であり、98年には現在の民主党成立の立役者でもあったから、打開策の見えない民主党再生に向け旧日本新党の残党が政界再編のシンボルとして細川氏を担ぎ上げ、そこに細川内閣の産みの親たる小沢一郎氏が合流したというシナリオには一定の説得力がある。
 ただそれだけでは氏自身、15年振りに轆轤を置くメリットが感じられないし、「自民党をぶっ壊す」再びの愉快犯だったとしても俄かにタッグを組んだ小泉元総理の意図も判らない。幸いなことに安易に反原発に煽動されるのはコアな反体制層から過剰な拡がりを見せなかったのは、逆説的に都民の五輪への期待をもまた物語っていようが、元総理コンビも年齢には勝てなかったという単純な結論が存外に的を射ているのかも知れない。

1月22日(水) 大関にかなう  -育児 - パパ育児日記。-

g563.jpg  このところ時間が合うとサピックス帰りの祐旭の迎えに赴いているが、上級のαと他のクラスの建屋を分別しているのは、物理的な制約故で意図的なものでは無かったとしても、無意識の内に子供達自らの競争心を育む効果を齊しているのではないか。
 二回連続で平幕に留まった祐旭も三季振りにα復帰を迎えたが、あと一点でα2という毛沢東も吃驚の大躍進で、寧ろ牛後となるとも鶏口となるなかれの父のモットーにはそぐわないものの、研鑽を讃えるにしくはない。
 驚異の乱高下も実力が安定していない証しではあるものの、極めて肯定的な見方をすればまだ伸びる糊代があるとも受け止め得よう。ただ都合三度目のクラス・トップの表彰状を獲得したのは、紛れも無くエレベーター戦法の賜物であり、αには大関の如く二場所連続負け越さない限り陥落しないと迄は言わないものの、10勝で大関復帰の特権宜しく次回偏差値57程度をマークしたら自動的に再α昇進制度の導入が待たれるところである。
 愈々サピックス学期ではひと足早く二月から五年生になる祐旭の貪欲さへの目覚めもまた待たれるところである。

 朝から急な日程調整で無理矢理人を呼び付けたり、一転して日程連絡の不行き届きで怒りの避雷針と化したりと、本日は近来稀なる疲労感に苛まれた一日の最後に中野からの僅かひと駅でも、わが子と肩を並べて歩けば些かなりとも心平らかになったろうか。

1月19日(日) さあ、燃え上がれ  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g561.jpg 国歌斉唱に著名歌手を招く風潮はスポーツ・イベントにおいて定着しつつあるが、戦後左傾教育の賜物として日の丸とともに忌避的感情の対象の地位に貶められていた君が代の、本来あるべき姿への復権には隔世の感とともに日本国民たる感慨がある。
 昨年は年末の政権復帰で四月にずれ込んだ自民党大会も今年は通常国会前に復し、何となく華やいだ面持ちが並んでいたが、冒頭を飾る松崎しげる氏の君が代がより一層花を添えていたと言えよう。
 しかしながら所定の議事次第を終え、ハンマー投げの室伏選手を凌ぐパラリンピック成田選手の巧みな話術に接し、大団円と思いきや時ならぬ「ボ・ラーレ」のプロモーション・フィルムが大音響にて奏でられる。勿論「淡麗」の即売会が始まる訳もなく、終盤に至りジプシーキングスにユニゾンで加わるのは再び登場、生松崎しげる氏の歌声であった。
 更に日本語版「ボ・ラーレ」と続き「さあ、燃え上がれ」の連呼が頭にこびりついたところでオーラスは期待通りの「愛のメモリー」。迫力充分ではあったが、大半の参加者は、総裁や幹事長の演説、或いは直近に控えた長崎県知事選、都知事選を皮切りに明年の統一地方選に向けた国政選挙の狭間における体制の引き締めよりも何よりも、松崎氏の圧倒的な歌唱力だけが強い印象を残したのではないか。
 アベノミクスの高揚感とその裏返しとしての幾分の"はしゃぎ過ぎ"をもまた象徴するひと幕と言っては皮肉が過ぎるが。

g562.jpg  親類縁者の新年会で子供達が覚えたての大富豪に興じているが、8が切り札扱いで流れたり、シークエンスで例えば3、4と続くと後続は5、6に拘束されたりと矢鱈とルールが細かい。
 そもそも大富豪が陥落したら大貧民まで堕ちるというバブル紳士的な規制ですら腑に落ちないのに、これでは徒らにギャンブル性を高めるだけだろう。勿論、老若男女に勝機を与えるべく配慮だろうが、実力の反映され難いシステムには納得出来なかった。勝負に拘り過ぎなのだろうが。

1月18日(土) 上官の命令で  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 「上官の命令」で比ルバング島から小野田元少尉が帰国した際の騒動はうっすらと記憶がある。既に二年前の横井元伍長の「恥ずかしながら」がブームを巻き起こしていたが為に失礼ながら二番煎じ感は否めなかったが、今にして想えば下士官に過ぎなかった横井氏が終戦を認識出来なかったのはまだ理解出来るとしても、中野学校経験のある情報将校の小野田氏が、事実短波放送すら傍受していたにも拘わらず米傀儡政権による戦後日本との見立てを30年以上維持し続けたとの主張は些か奇異にも映る。
 勿論、帝国陸士の思想教育の確かさを逆算的に物語るものかも知れないが、参院選出馬をはじめある意味華やかな後半生だった横井氏に対し、ブラジルに居を据えた小野田氏は静かに孤累を守った感がある。
 昭和史の謎がまたひとつその重要な証人とともに永遠の謎になったということか。

g560.jpg  土曜の真っ昼間から新橋で酒盛り、今日はほぼ年に一度の七夕状態に収斂されつつある大学時代のサークル面子の新年会である。
 過去には家族連れホーム・パーティ形式も試みたもののホスト家人の負担に鑑み当人のみ居酒屋形式としたが、某政治学者氏の四歳の子息が妙に利発で同類としてウルトラ談義に花を咲かせたりしていると、寧ろ小学校低学年から園児を目処に同伴を募る手もあったかと、父の顔になる。
 不思議と矢鱈に男児持ちばかり多い集団となったが、男児は長じれば親の手を離れるものであり、既に無口な高校生となった家庭もチラホラ見られる。一方で果たして小学校高学年は何時まで母と風呂に入り続けるかとの命題も浮上し、ひと回り大き目を選択したにも拘わらず流石に三人は満杯になって来た、わが家の父か母かと入浴している小四・小一兄弟に想いを馳せるのであった。

1月16日(木) 草木も眠る丑三つ時  -グルメ - ドリンク-

g559.jpg  夜のお仕事なので会食に明け暮れる日常生活も約20年に及ぶが、幸いにもその場で眠りこけた経験は少い。実際には前後不覚になる事態はまま訪れるが、たとえ記憶は失ってもしっかりタクシー・チケットを渡し御辞儀して見送っていたと後から聞いて胸を撫で下ろすケースが大半である。
 加えて加齢に伴い更にアルコール許容量が下がり、取り分け焼酎やウイスキーの杯を重ねれば早々に気持ちが悪くなり、嘔吐してまた宴席に復帰するのが肝臓に望ましいかは別として、酔い自体はその時点で相当に覚めるので泥酔には至らないのが常だった。
 しかしながら問題なのは、職務柄よりアルコール度数の高い日本酒の登場する宴席に直面する機会の増加だろう。目の前に注がれれば口寂しく喉を潤して仕舞うというのは言い訳だったとしても、少なくとも日本酒以外はコップを満たしておけば無理に杯を開けさせられる局面は頻繁には訪れない。これに対し日本酒は注ぎつ注がれつが基本の上に、そもそも口に合うので杯が進み、脳内の酔いよりも消化器の分解が遅れて訪れるので、幸か不幸か当日中に嘔吐感が込み上げる前にへべれけになるのである。
 結果として宿酔いに悩むのは翌日の報いだからやむを得ないとしても、記憶を失い熱く語り合った時間だけがうっすらと脳裏に甦るならまだしも、今日ついぞ眠りこけて仕舞う羽目に陥ろうとは対外担当業として失格以外の何者でもない。
 確かに冒頭から40度の金粉入り泡盛一升瓶をテーブルにどんと据えられ、コップ酒の様に勧められた展開も些か異例には違いなかったが、程無く空になり日本酒に切り替わる頃には既に正気を失い、目が覚めたのは午前3時半。辺りは人気なく女将の書き置きだけが虚しく添えられていては青くならない方が可笑しかろう。
 飛行機に乗り遅れたり、転んで負傷したりと年々酒に飲まれる事例には事欠かなくなって来た。深く自戒したい。
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