コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月31日(祝) 私をボードに連れてって  -育児 - パパ育児日記。-

g539.jpg  「私をスキーに連れてって」世代ながら足腰の弱さからか雪山には弱く、増してや二本しかない足をひとつの板に括り付けて下半身に負担を掛ける様な競技には凡そ御縁に預かろうとは思えなかった。
 しかしながらひと足早く湯沢へと到来した息子達は、昨日早速の初スノボーで、現代の都市部小学生平均に鑑みれば明らかにスキー技量には経験則から秀でていよう四年生の祐旭よりも、寧ろ一年の公資がボーダーに目覚めていたとは、ずんぐり体型だけに重心が安定しているのが功を奏したかは定かでないが、何事も見様見真似の幼少期からの刷り込みが有用という好事例だろうか。
g540.jpg  ほぼ完徹の父は最早形だけでもスキーを穿くにも至らず、海の家ならぬ雪の家で喰っちゃ寝うつらうつらの大晦日だったが。

 それでもズックで雪道を闊歩するだけでも少なからず負担は訪れるもので、紅白を完遂することすら叶わなかったのは情けない。
g541.jpg  レコード大賞のEXILEは余りに予定調和的と言うべきか、果た又メガヒット不在の歌謡界の象徴と見るべきかだった が、紅白も取り分け前半戦は、曲層以上にメンバーの容貌の著しい近似やと言うよりは意図的な統一性から韓国からの出稼ぎ組にしか見えないE girlsや、紅白対抗という「歌合戦」の本旨が完全に過去のものとなった象徴としてのAAAの鞍替えなど、まだ見ぬ異国の世相の如しだった。
 漸くあり付いた耳馴染みがサカナクションとは偏りも感じられようものの、クラフトワーク型のラップトップ総立ちスタイルから一時休符後にバンド形式に早変わりする演出は歌番組らしく好感が持てたろう。ただ汎用品で紅白仕様ではなかったとすれば、歌謡番組が希少になったが為の紅白の視聴率回帰たる現象と期を一にするものかも知れない。
 北島三郎氏の引退式とこれも予定調和の白組勝利は録画鑑賞したことを付記しておきたい。

12月30日(月) 不肖の不詳の負傷

g538.jpg  目が覚めると右眉の辺りが真っ赤に染まっている。しかも打ち身なのだろう、右コメカミガ妙に痛い。昨日は運転の負担が無く既に昼間から飲み過ぎた上に、帰路焼肉を賞味しながら更に深酒して又もや中途から、正しく言えばカルビが焼ける頃には既に記憶が無く、わが家近隣に届けられた際の断片的な印象しか残っていない。
 ただ既に一家が湯沢へと旅立った藻抜けの殻のわが家で、階段にポタポタと垂れ落ちた赤色の物体を塵紙で拭ったのは事実だから、転んで頭部を負傷したのは疑い無く、にも拘わらず強引にそのまま寝て仕舞った経緯が脳裏に甦る。幸い救急指定の河北病院に駆け込むと既に傷口も塞がっており化膿止めだけで充分との診断で、当直医と看護士のやり取りが妙に軽妙で自らがスチャラカ社員の類の軽喜劇のひと幕に出演しているが如き不思議な感覚を味わって気持ちは安らいだ。医師はしかめ面ばかりでは患者に悪影響を及ぼすという逆説的な教訓、と落ち着いてばかりではそれこそ本末"転倒"だが。

 年末押し迫りなお賀状の整理から始めている様ではケツカッチン窮まりないが、昨年はそれすらもパスして住所変更未達が相次いだから準備不足は否めなくともまだ誠意があろう。 ただ不測の病院行も加わり結局夜を徹して印刷に明け暮れる羽目に陥った。明日は湯沢だからまた紅白を見ながらコメントを認めてなお元旦の投函すら危うい。行き当たりばったりの年末。

12月29日(日) カットなし  -テレビ・ラジオ - テレビドラマ-

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写真はいわて花巻空港
 出世作の「振り返れば奴がいる」を除けば「総理と呼ばないで」や「今夜、宇宙の片隅で」など三谷幸喜氏の連続ドラマは総じて精彩を欠いていると言ってよい。それは回顧録を読む限り氏自身もまた自覚されているところだが、異形のシチュエーションの織り成す凝縮された展開が映画や舞台という時間の限られたドラマツルギーに即しているということだろう。
 反面映画は秀作揃いで、伏線たる幾つもの人間ドラマがひとつに昇華されるグランド・ホテル形式「有頂天ホテル」はTVのシットコム「HR」の系譜にあろうし、偽りのキャラクターへの擬制によるドタバタ劇が笑いとペーソスを齋す構成は既に「王様のレストラン」「合い言葉は勇気」と連続ドラマでの成功を踏まえ「ラヂオの時間」「みんなの家」「ザ・マジックアワー」と繰り返し用いられている。
 そこには脚本家としての先達、山田太一氏や市川森一氏へのオマージュも伺え、集大成として満を持しての超大作が「ステキな金縛り」と位置付けられよう。
 使い回しが多くなるのは自らの特色をよく弁えているが故でもあろうが、その財産を活かす一方で映像技術の面から新奇性を狙ったのが今般の「大空港2013」ではなかったか。既に二年前の「short cut」でもワンシーン・ワンカットは実験済だが、出演者は三人のみであり移動という要素を除けば演劇の延長線上にあったと言ってよい。これに対してまさにグランド・ホテル形式の「大空港」は並大抵の労苦ではなかったろう。勿論、それを可能にするカメラマンはじめスタッフに恵まれてこそには違いないが、現下の三谷氏の名声を以てして初めて成立させ得るとの自負と同時に、得意分野で細部の笑いに不安要素が少ないから冒険し得るとの計算も働いていよう。
g514.jpg  残念ながら時代劇についてはまだ懲りていない様で、新作映画の「清州会議」は芳しい評価を聞かないが、御本人的にはマンネリズムを揶揄されないよう克己心も当然あろうものの、過度に捻り過ぎず得意分野での直球勝負を今後とも期待したい。

 〆のラウンド、先週とは打って変わってパットが全然入らない替わりにドライバーがまずまず、ウッドとアプローチが安定しており、二つ目のショートを崖に落としてのOBが痛かったが何とか50は切る。
 しかし昼に飲み過ぎ、後半はフラフラ状態でドライバーも悪化、よく53で抑えられたが、これで丁度今年平均の102とは話しが旨過ぎよう。人生四度目のラウンドという某先生が見事に100数ヤードのチップインを決め、滑り込みの当確は矢張り何かを持っていると唸らざるを得なかった。

12月28日(土) LAST DAYS に  -音楽 - Yellow Magic Orchestra (YMO)-

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World Hapiness 2011よりプラスチックス
 ひと口にテクノと言っても21世紀に入ってからのミニマルに近似するメロディ感が希薄でリズム主体のものから、昨今Perfume等でまた市民権を得つつある電子音楽の系譜に属するものまで振幅が激しいが、個人的に魅了されたのはテクノ「ポップ」の部分である。
 だから敢えて技量の高いプレイヤーが機械ベースに楽曲を奏でるYMOと、素人が下手旨的要素で機械頼みに行き着いたニューウェイブのプラスチックス、ヒカシューらには決して相容れない隔たりがあるというのが私の解釈である。
 この段に則ればプログレの四人囃子のベーシストを経て、プラスチックスにおける唯一の"玄人"となった佐久間正英氏は、両者を繋ぐべく存在であったとともに、その玄人としての立ち位置が後のプロデューサー業にもまた結び付いていたとも言えよう。
 取り分け前二作と明らかに顕著な音の相違を齋し、実質的な再デビュー作とも言えるBOØWYの第三作は、硬質で以降の本邦バンドの音を規定したと言っても過言ではなく、同時に後年の作品から逆算しても必要以上に過剰な装飾を施していないという点でもプロデューサーのひとつの姿の提示であったろう。
 氏が後のGLAYやJUDY AND MARYらにおいて果たした役割は正確には解らない。ただ余命幾ばくも無くなった佐久間氏がその特集番組において、残された期間に選択した音楽が生音を基盤にしたフォークの範疇だったのは、人は若年時に馴染んだものに回帰するという一般論で片付けられるものなのか。所詮テクノとは技術による擬制に過ぎないとしても、そうであるからこそプロデューサーの意義の大きさを逆説的に物語っていると思いたい。

 しんちゃんの「バカうまっ!B級グルメサバイバル!!」をDVDで見たが、公資のヘビーローテーションになっているTV版同様のSEKAI NO OWARIの主題歌はさておいても、映画は大分と嘗ての神通力が喪われている様で少し残念。

12月26日(木) 次の一手  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g534.jpg  些か唐突な総理の靖国参拝の評価は難しい。特定秘密保護法騒動で支持率を下げた政権としては選挙公約を果たして確たる支持層である伝統的保守主義者にアピールしたいとの思惑もあろうし、集団的自衛権の容認や憲法改正を見据えても隣国との適度な緊張関係は寧ろマイナスではないのかも知れない。
 確かに分祀の是非を靖国神社の姿勢に委ねるのは必ずしも妥当とは思えないが、戦禍に倒れた国家の先達の英霊を敬う姿勢は一国の指導者として当然のものであり、靖国が現下のわが国において最大の戦没者慰霊施設である以上、 参拝は当然の帰結とも言える。
 ただ米国の「失望」報道が正鵠を捉えているや否や以上に、信条たる参拝を中韓の過剰反応に否定され次年度以降は沈黙する、或いは隣国との緊張関係解消を次政権への課題として残し、より靖国参拝がタブーとなる繰り返しでは建設的な帰結は齋らされまい。中曽野、小泉という安定政権において初めて問題提起し得る課題に如何な次のステップを描いているのかこそが問われよう。

g535.jpg  日本相撲協会の公益財団法人化を契機とした親方名跡の証書提出がまたぞろパンドラの箱を開けつつある。既に現役力士に売約済の間垣が退職に追い込まれたのみならず、売買を巡る訴訟の存在など年寄株に纏わるトラブルも改めて公になった。
 嘗て境川理事長が提起し、所謂「高田川の乱」で敗地にまみれた年寄株の協会一括管理という積年の懸案を公益法人改革のもとに強行する腹積もりだろうが、先代たる元横綱隆ノ里未亡人に部屋を追い出された形となった現鳴門親方は場所前に田子ノ浦への慌ただしい名跡変更を余儀無くされた。
 ただ当面は親方の定年退職で空部屋となった前三保ヶ関への移転で対処出来る様に、相撲部屋経営が縮小傾向に追い込まれ、親方株自体にも余剰が生じて大幅に値崩れしている昨今たれば、協会による一旦買取りも是認され得るのかも知れない。伝統芸能たる大相撲が過剰に身綺麗に収まるのもまた些か寂しくはあるが。

12月25日(水) 3Ds LL's are coming to us  -育児 - パパ育児日記。-

g533.jpg  昨年はサンタに「Dsをお願いしたのにレゴと間違えられた」と一年経ってもボヤき続けていた公資は、戦術を改め一位のDs以下、サンタへの要望を順位付けして明示し、なおかつコメント・通信欄まで用意してサンタとの密な意志疎通に余念が無かったが、その心根が功を奏したのだろう、見事3Dsが齋され早速朝から兄弟でゲーム三昧である。
 従前はサンタ装束に身を包んだ父がベランダから現れて却って困惑を招いたりもしていたが、流石に小学四年の祐旭は強い懐疑を示してはいるものの、そのからくりを明かせばプレゼントが手に入らなくなるのではと勘繰る程に計算高くはなくとも、黙って贈り物を手にしていた。
 残念ながらDsはプレステに比べて大人向けソフトは少なく、父の玩具には不向きな様だが、任天堂の再奮起に期待したい。

 年末の風物詩、カレンダ配りは年末の挨拶を兼ねているのだから本来一軒一軒丁重に回遊するべきだが、どうしても効率性との戦いで事務的な散布に留まり、来年こそはと再考を期してなお改められない。
 思えば今年は春には片翼を奪われ、夏から秋、更に冬へと仕事は嵩むばかり、心根は荒むばかりの虚しいひと歳であった。来年こそはと再考を期してなお改められることを強く願いたい。

12月23日(祝) 三世の反対なのだ  -アニメ・コミック - 名探偵コナン-

g532.jpg  漫画を中心に名探偵コナンは一定量読破したが、読み重ねると些かマンネリズムのきらいも強く御無沙汰になりつつある。一方でアニメは端から縁遠く、この種長期シリーズの常として、定期的に製作される映画版は登場人物の基本設定だけ借りた外伝風の作りが多い中で、コナンは事件の規模が拡大する以外は予定調和的にTVの延長線上にあり、クレヨンしんちゃんの如くわざわざ映画館に足を運ぶには至らなかった。
 今般はルパンの名に惹かれ、かつ妻子に誘われ新宿ピカデリーの長いエスカレーターを延々八階まで昇ったものの、「ルパン三世vs名探偵コナン THE MOVIE」と先達に敬意を表してト書きこそ上位だが、実際はコナンの世界にルパン一味が闖入した装いで、不覚にも半分以上眠りこけて仕舞ったのは天長節に不謹慎だったろうか。
 ただ映画に先立ち再放映されたTVスペシャルが、逆にルパン・ベースで笑いの質も幾分のお色気とブラックさを交えたものだったことに鑑みれば、この四年間の間にルパン自体の立ち位置が大きく変容した経緯がもまた伺えよう。
g531.jpg  親世代からすれば現在に至るルパンの基礎となった77年からの第二期シリーズを幼少期に刷り込まれ、ルパンとしては異質ながら宮崎駿氏の出世作となった「カリオストロの城」の印象は未だ鮮烈だが、翻ればルパン映画そのものが17年振りであり、TVスペシャル時からも五エ門、不二子、銭形の声優は一新されている。しかも逆に不動のルパン、次元の方が同一人物かと疑われる程に声質が衰えており、山田康雄氏の急逝と物真似の栗田貫一氏の昇格に驚かされた世代としては隔世の感がある。ルパンも遠くなりにけりか。

 私程ではなくとも偏食傾向の強い子供達には好都合なバイキングは観光地のホテルでも無ければ御目に掛かれまいと思っていたら、スイーツパラダイスなる店舗が誕生していて驚く。
 その名の通り発祥はケーキ・バイキング主体の様だが、カレーと各種パスタが取り揃えられお子様味覚の父にも使い勝手が良い。金子悦元コミッショナーばりの子供達の「強い要望」で二日連続となった妻は余り嬉しそうでは無かったが。

12月22日(日) 観音様に会いたくて  -コンピュータ - PC周辺機器-

 珍しくアウトからで気分の替わった久能カントリーは、いきなりミドルパットを捩じ込みパーからのスタート。3番ショートでもパーを拾い、4番ロングまで全てワンパットと神懸かり的である。しかも6番ショートでは二階建てとなった、宮中席次では相当に上位の相手方御仁のニアピンの権利を、第二打で乗せワンパットの消しゴムと到底接待ゴルフとは思えぬ真剣なプレーに終始していては対外折衝役としては失格だろうか。
 しかし調整を図った訳でも無いのだが、後半はその神通力も消え失せた上に前半こそ辛うじて維持していたドライバーが当たらなくなり、前半47にも拘わらず100を切れないとは哀しさ極まりないではないか。

g530.jpg  初期不良で頻出した「廃インクパッドが限界」標記が五年振りに現れ、賀状印刷を前に修理は厳しかろうと気前よく更新に踏み切ることとした。
 予備知識もなくビックカメラを訪ね売れ筋を所望した結果、気分一新とばかりにEPSONからCANONへと宗旨替えに落ち着き、旧機の限界とインク在庫の終了を待って賀状印刷も中途から乗り替えである。微妙なレイアウトの変更は想定の範囲内だったが、CD・DVDのラベル印刷ソフトまで更新を余儀無くされるとは余分な手間を招いて仕舞ったか。
 しかも思い起こせば二代続けてのEPSONの前はCANON機ユーザーであり、EPSONに靡いたのは経団連に見切りを付けたからではなく、ラベル印刷トレイが別立て外入れ方式のCANON機には耐久性に懸念があったことを、いざ印刷に及んで思い出した。今のところ当然印刷は綺麗だが、不安を抱えての船出に。

12月21日(土) アコースティックYMO  -音楽 - Yellow Magic Orchestra (YMO)-

g528.jpg  World Happinessにひと区切りを付けた代替と言うべきか、細野・高橋両氏のスケッチ・ショウに坂本氏が加わったHASとしての再々結成に範を採ったのか、今般は細野・坂本という現役時代の確執の伝えられた二人が看板という捻り技である。
 冒頭、細野さんのギターに教授が如何にも練習しましたという感じで合わせる「恋は桃色」で期待を持たせるが、ゲスト・ギターの伊藤ゴロー氏には申し訳ないものの細野さんから教授へと主役の入れ替えも経てのボサノバ3曲は幾分退屈と言わざるを得ない。曲層からしてここら辺りでは座りたいところだが、寿司詰めのアリーナに立ちっ放しでは労苦も倍化されよう。
 更に教授単独の「TANGO」ではピアノ・コンサートと変わらないし、教授の御気に入りなのだろうゲストの青葉市子氏のヘタウマ的な歌唱も正直不可解な人選だった。定番の「美貌の青空」は兎も角、「Perspective」でYMOフリークに配慮したのはサービス精神の現れかも知れないが。ユザーン氏のコメントが笑いを誘いほのぼのとした雰囲気を醸し出しており、肝心のタブラは本来もっと音数の少ない楽曲向きの楽器だろうが、World Happinessでもサポート・メンバーのひとりは音の隙間を埋めるのが役割だったから、内耳に明確に知覚されなくとも奏演には貢献しているのだろう。
g529.jpg  漸く「日本の人」で8曲振りにタイトルの二人が揃うと続いてお待ちかねのユキヒロ氏登場である。考えてみれば判り易い選択というか、既に「再生」の時代から三人でアコースティックというプランは再三遡上に上ったと聞くし、実際World Happinessの仰々しいアレンジ以上に聴衆も求めていただろうか、ドンピシャリの「チベタン・ダンス」には素直に感激する。次の「放射能」こそ蛇足と言わざるを得ないが、これも想定の範囲内とはいえ、12年振りイエローマジック・ショー以来のほぼ三人だけの生演奏に等しい「雷電」も感涙に咽ぶものだったろう。
 ただ残念ながら初期のライブ同様に教授の演奏負担が大き過ぎるのは明らかで、更にキーボーディストもひとりとあらばこの辺りの楽曲が限界で、大仰にアコースティックYMOを名乗ってのワンステージ賄うのは難しい現実も伺える。
 アンコールも細野さんの「Smile」に皆が音を乗せた形で大満足には至らなくとも程々の案配ではなかっか。EX THEATER ROPPONGIの 落しに相応しい大物をという思惑は理解出来ても、高い年齢層に鑑みればオールスタンディング主体は会場選択を間違えたのではなかろうか。それでも次回はこのパターンでの「新曲」をと期待するのはファン気質というものか。

12月19日(金) 保守政治の刷新  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 圧倒的に選挙が強くフリーハンドの二世と都市部という70年代後半の新自由クラブに近似した構造故に、歴史に照らせばみんなの党もまた分裂は宿命的だったのだろうか。
 しかしながら浮動票が多数を占める都市部は新自クの文脈に則るならばニューライト、即ち保守の範疇においても反権・左傾しがちだから、論理的には中道、野党寄りになって然るべきだろう。にも拘わらず神奈川を基盤とする結いの党が伝統的な保守主義色を強く有する維新の会との合流を期するのは整合的でなく、どうしても政党助成金目当ての駆け込み結党にしか見えない。
 ただ一方で比例選出議員は離党するなら議席を返納すべきとの渡辺代表の主張に合理性はあるものの、会派離脱には代表者の届出が必要との申し合わせを楯に離党した議員の院内における活動を制約する行為は些か大人気なかろう。
 新自クとの対比に鑑みれば渡辺氏が曾ての西岡武夫氏ばりの「保守二党論」に組みする方が論理が一貫しており、だからこそ維新との共闘も理解が得られた筈なのに、このままでは素敵なひとりぼっちに逆戻りしかねない。
g526.jpg  所詮、選挙を前に浮き足立たなければ野党再編は見込めないと言うのであれば野合そのものだし、維新が憲法改正を視野に現政権の第三の補完勢力を目指すならば二大政党制自体の否定であり、それこそ西岡「自民党基盤政党論」の再来に他ならない。野党の混迷を見る限り、その方がわが国の為と思わざるを得ないのは些か寂しい気もするのだが。

 愈々徳州会問題が火を噴いてきたが、個別の選挙違反や政治資金規制法違反に問われかねない巨額の献金、多数議員への五月雨式の援助の何れもにおいて、振り替えればタレント候補を大量擁立した政党・自由連合や長年の保徳戦争に終止符を打って住み分けを図ってからの毅議員の自民党入りに至るまで、果たして徳州会は政治に対して如何なる影響力を具体的に行使したかったのかについて、地域医療を担う営業時間の長いユニークな病院という存在意義とは別に、問われなければならないだろう。
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