コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月30日(金) 二歩進んで三歩下がる  -スポーツ - ゴルフ-

g270.jpg 忙中閑ありには些か肉体的に高負荷だが、先週からの好調を維持して今日もドライバーが200ヤード超えも屡々の"まっすぐに、まっとうに"振りである。キャディー氏によれば今日のピンポジはわざわざS字上に切ってある様で、慣れ親しんだコースの割に気前よくパットは決まらなかったが、これも前回通りアプローチ安定、ウッドのチョロもなく4ホール目までボギー3つにパーとは遂に大仏宜しく開眼かと惚れ惚れする。
 イン・スタートの14番で第二打を右に打ち込みトリプル、名物池超え16番でギリギリその池に落としてダボ以外はボギーでまとめ47とは前半では自己歴代二位ではないか。
 ところがまさに好事魔多しで後半二番でOBを頂戴す。毎度のドライバー・シングルと褒め殺しに遇ったおかげで欲が出たか、ウッドも右に左にぶれ始め、アプローチ・シャンクも登場、取り分け稼ぎ所のショートの双方ダボが痛く、結局百も切れないとは僅か二時間でおめめも閉じて仕舞った。

 反省頻りで帰着するととんねるずのスポーツ特番とは幸便なのか、皮肉と言うべきか。
 しかしながら定番の池に浮かべた小島での捕球のみならず、壁越しのウルトラ・ロブショットにも藤田寛之選手の技ありには刮目せざるを得ない。だからこそ170cmに満たない小柄にも拘わらず不惑を超えて賞金王にも輝いたのだろうが、小技対決では明らかに戦力としては劣っている池田勇太選手にいざ外遊に挑めば凌駕されるのは、矢張り圧倒的な飛距離の差は何物にも替え難いということか。
 技量には天と地の差こそあれ人ごととは思えない。同世代の星の奮闘を刺激に、私もまた精進を重ねるべく心持ちを新たにしたと、日記には書いておこう。

6月28日(金) いい日旅立ち

 昨年12月は突然の事態で文字通り全国を走りながら方策を模索し、明日の日程を洗練させていく自転車操業だったが、幸いその経験則に加え、端から大日程の存在する今夏は幾分の余裕を持っての参戦である。
 五年前にも微妙に異なったポジションで訪れた勧業銀行、谷津遊園、千葉市庁舎と変遷を経た由緒正しい建屋も、機能優先なのか古と近過去の混在した面妖な逸物に変容している。
 時は流れ、螺旋階段を登って今回もまた始まった。某先生から「国会議員みたいだね」とからかわれた、分厚くて取り出す際に背広の胸ポケットを破りそうになる名刺入れが更に膨らむ、文字通り暑い季節がやって来た。

g269.jpg  ハワイからの帰路、偶さかに遭遇した映画版からの導入になった「テルマエ・ロマエ」も遂に原作が大団円を迎えた。著者も後書きで述べている様に伏線たる現代側のストーリーが宙に浮いた感はあったが、却って枝葉が削ぎ落とされ予定調和的ではあっても心地好いラブ・ストーリーに帰着したのは解り易い結末だったろう。
 等しく高温多湿の古代ローマとわが国に風呂文化が異様に発達しながら、後者のみ現代に至るまで栄華を誇っているのは「避暑」という行為が庶民文化として定着しなかったのも一因かも知れないが、少なくともローマにおいて大規模浴場が衰退したのは帝国の崩壊により奴隷という安価な労働力を駆使出来なくなったことと無縁ではあるまい。
 或いは主人公たるルシウス氏のノブレス・オブリージュとも言うべき健気さも選ばれし者の矜持の為せる業だったのかも知れないが。

6月26日(水) Electric Love  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

g268.jpg 曾て会期末の風物詩だった内閣不信任案が自民反主流派の造反でハプニング解散に至った80年とはスケールが違い過ぎるとはいえ、捻れ国会の昨今新たに定番となった問責決議がその命運も風前の灯火とばかりに惜別の可決に至り、成立に与野党合意済の法案が廃案の余儀無くに及んだのも、些か醜態と言わざるを得ないものの等しくアクシデントには違いない。
 取り分け国民経済に将来的に多大な影響を齋すのは電力事業法の改正ではないか。恐らくは改めて臨時国会にて成立が図られようが、発送電分離に向けたプログラム規定を含む電力改革の第一歩も、猛暑のなか何等かの電力トラブルにでも見舞われれば見直し案の台頭を全否定は出来なかろう。
 等しく公共エネルギーサービスの概念にある電気とガスの最大の相違は前者に存在する安定供給義務が後者にはなく、従ってガス会社は不採算地域にはガス管を引かず消費者にプロパン利用を求め得るが、電力会社は遍く電線を架設・維持しなければならない。
 言わば同様にユニバーサル・サービスである不採算の郵便事業が郵貯・簡保の収益で補填されていた構造と近似する部分があり、曲りなりにも競合相手の存在する郵便と異なり、送電事業を事実上の公営に位置付けたのは二転三転した郵政民営化の経験を活かしたものとも言える。
 ただ一方で未だ大規模蓄電技術の存在しない現在、電力事業の羊蹄が日々の発電のベストミックスの匙加減にあるとすれば、雨後の筍の如くに現れるとの仮定の是非は兎に角、全量買い取りの新エネルギーに加え純商業ベースの売電事業も受け入れた上であるからこそ、調整弁となる旧九電力系の発電会社には何等かの需給調整のコントロールが及ばざるを得ず、結果的に現況の半官半民的な体制に大きな変容は得られまい。
 鉄道はじめ電力利用者が自前の電力を携え、その余剰を近隣に売買することから始まった戦前の電力地図は競争原理が働く分、需給調整不足による予期せぬ停電やその際のバックアップという過剰投資を招いていた筈である。
 この小休止に際し、今一度冷静に見詰めたくなるではないか。

6月24日(月) 前哨の全勝  -政治・経済 - 選挙-

g266.jpg  都議会議員選挙が直接に政変に結び付いた事例は無いが、93年の日本新党の躍進が直後の解散・総選挙の前触れとなった様に、取り分け12年に一度の巳年は参議院通常選挙の前哨戦として国政を占う大きなメルクマールとなる。
 確かにアベノミクスによる好調なわが国経済に裏打ちされ、与党の優勢は伝えられていたが、綿密な候補者調整による堅実極まりない選挙戦を党是とする公明党ならばいざ知らず、寧ろ保守系無所属も含めた党内の競り合いをエネルギーに転化させてきた自由民主党の全員当選は当事者も驚く結末だったろう。これを神の見えざる手の欠如、過剰設備による内部抗争への序曲と看做すのは些か早計かも知れないが、実質的な野党なき世界の齋す影響は皆無とは言えまい。
 一方深刻なのは民主党で、下馬評では橋下発言による維新の凋落に伴い反自公票の民主回帰により20議席台半ばは確保も見られたにも拘わらず改選前の三分の一の惨敗で、逸早く維新と手を切ったみんなが地方組織に一日の長で辛くも踏み留まったのと対象的だった。
 ただ低投票率が組織という基礎票を持つ政党に有利に働いたのは事実だとしても、共産党の躍進は第三局や民主でなく一定の浮動票の受け皿となったことも示していよう。
 曾て高度成長期における革新自治体が都市部における一過性のブームに留まり、結果社会党が自民批判票を糾合出来ず共産党が躍進した72年衆院選から40年を経て再び自共対決の時代と位置付けるのは早計で、健全野党の不甲斐なさを如実に物語っている。
g267.jpg  政治の安定、機動性の確保のためには参院の捻れ回復が先ず急務であり安易な判官贔屓は禁物だが、壮大な実験であった筈の政権交替が本当に実験に終わった後、基盤政党と批判勢力という二大政党とは似て非なる55年体制同様の枠組みがわが国の求める姿だったのか、新たな実験の幕開けは迫っている。

 都議会議員と相前後して富士山も世界遺産に当選、美保の松原の逆転登録も都議選並みの大勝であったと言えよう。
 富士山を選挙区とする先生のパーティが恐ろしいまでの混雑振りに恒例の焼きそばで暑さも極まれりだったのは、わざわざ改装中の憲政記念会館の通常とは逆サイドの狭い部屋を会場にしたが為には違いないが、何となく御祝儀相場の雰囲気も醸し出しタイムリーだった。

6月23日(日) 前半、行ってみよう  -スポーツ - ゴルフ-

g264.jpg  久々に装いはお仕事とはいえ半ば気のおけない仲間内に近いラウンドだが、幸いにして今日もドライバーが須く安定している。
 しかも特筆すべきはドライバー・シングルなる異名を頂戴した身の上、長ものが好調だと鉄に文字通り鉄槌を喰らったりするものだが、実にウッドもアプローチもパターもそれなりに順調でダボが4つにボギー5つの49とは、神憑り的なパッティングに救われたりしていないだけに後半に期待を持たせるではないか。
 気を良くして昼に飲み過ぎほろ酔いを通り越してへべれけで臨んだ後半も、焦りからか苦手意識に基づくイップスの為せる業か往々にして奈落への誘い水となるアプローチ・シャンクを発症しないばかりか、珍しくチップ・ショットにも当を得て、最初に叩いたトリプルを吸収してなお余りある、寄せワンのパー2つで何と46とは、〆て95の自己ベストタイ。我ながらミスが少なければ自ずと結果は付いて来ると大上段に構えたくなるスムーズさだった。
 慣れぬ新サンドに果たしてサンドらしく開いて打つべきなのか、バンスを活かしてアプローチ同様に低く出しても構わないと割り切るべきなのか課題は残したし、初参戦のノブナビは、ティーグラウンドが微妙に位置を違えているが故なのか、必ずしも距離がコース表示と一致せず幾分混乱を来したが、終わり良ければ全て良しだろう。
 この調子で何れのクラブも可もなく不可もなく大きな失態が無ければ、今日はノー勘も少なかった替わりに長めの距離が吸い込まれることも無かったパッティングが調子付けば本年中のブレイクスルーも夢想ではなくなってきた。
 ここはひとつ鍛練に励みますか。

6月22日(土) ギャラクシアンになりたくて  -育児 - パパ育児日記。-

fg260.jpg  愈々子供と御出掛けシリーズもネタ切れを極めてきたが、目を皿にしてネット上を漁れば掘り出し物も見付かるもので、足立区の科学館ギャラクシティを訪れる。
 科学館と言うよりは昨年の黄金週間に赴いた栃木のおもちゃ博物館に近い、高尚な児童館の様相である。恐らくこうした改装が奏功したのだろう、猛烈な混雑で並んで漸く網が三段構えになった「スペースあすれちっく」(下左写真)に潜り込む。残念ながら保護者は外から眺めるのみで映像が撮り難い。
g262.jpg  次いで矢張りブームなのか既に品川埠頭にて体験した人工壁、ボルダリング「クライミングぱーく」も長蛇の列で、本体ドームの裏に回って「ものづくりガレージ」の中でもマイナーな絵本製作でお茶を濁した後に、入口付近に誂えられたこちらは命綱付きの上級版「がんばるウォール」に挑み堪え性の足りない祐旭と実直な公資の毎度の好対象が伺えた。
 驚くなかれこの何れもが無償であり、恐らくはボランタリー主体なのか御世辞にも段取りが巧みとは言い難くとも矢鱈と大量に投入されているスタッフといい、原資たる郵貯の偉大さ、皮肉な物言いをすれば必要以上の好収益の一端が伺えよう。
fg261.jpg  これ程の繁昌振りに鑑みれば幾ばくかの代価を求められる替わりに多少なりとも混雑が解消されればと邪推したくなるものの、科学館たる名残りであり「ギャラクシティ」のネーミングの由来でもあったろう、プラネタリウムと180度映像を混成させた「まるちたいけんドーム」だけが、確かに映像こそ在り来たりとはいえ、唯一無二の有料故にガラガラとは世知に長けた土地柄の為せる業なのかも知れない。
 小学四年生には幾分子供騙しだったかも知れないが、東京北東部に御住まいの方にはお薦め、まだまだ子連れの旅路は奥が深そうである。

6月21日(金) ご利用は計画的に  -政治・経済 - 経済-

 ネット販売が解禁されても人は急に病気にならないというのは鳴り物入りの成長戦略に対する判り易い皮肉には違いないが、必ずしもスムーズに法案を通し難い参院選までの政治環境の中で、手頃な規制緩和策の代表例が些か小振りに過ぎたのは事実だとしても、逆説的に言えば捻れ解消後には本格的な経済活性化の処方箋が齋されようとの観測は、国民にとって真っ当な期待権の行使に他ならない。
 ただ一方で、例年年末の協議に限定される来年度税制改正論議の秋への前倒しの最大の眼目が投資減税と喧伝されると、投資に先行減税されても需要は後から貨車で付いて来ないと、同じ様な反論をものしたくなる。
 恐らくそこには単に投資を誘導し、雇用を促進して所得増に結び付けるという教科書的な絵図面に留まらず、電機に代表される国内メーカー間の過当競走を排除するために政府主導で再編を図り、極論すれば一業種一社に近い形で事業統合させ付加価値の高い分野に投資を誘導し、国際競走に立ち向かわせるとの、思惑が透けて見える。
 電機三社の半導体分野を統合したルネサスエレクトロニクス社は震災を経て寄合所帯が過剰投資の温存を招いた実態が明らかになり、事業体の整理と国家主導の事実上の関連企業による救済の方向性が描かれた。勿論これを先駆とすべきではなく、国内需要に乏しいが故に矢張り国家主導で輸出攻勢に邁進した韓国製造業が念頭にあるのだろう。
g265.jpg  「トランジスタのセールスマン」と揶揄された高度成長中期の反動か、70年代以降のわが国が過剰に政経分離を貫いてきた姿勢は、ソフトも含めたパッケージでのインフラ輸出が強調される昨今、厳に改められなければならない。
 しかしながらウォン安の改められた韓国が一業種一社に近似するからこそ、財閥が風邪を引いたら国は重篤に向いかねない脆弱性を内包している事実に待つ迄もなく、恰も国策企業が如く様相は見果てぬ「官僚たちの夏」、通商産業省の積年の悲願であったとしても、過度の市場原理主義が格差の拡大を助長する恐れがあるのと正反対に、社会民主主義的な多元主義の美風を損ない、色眼鏡で見れば国家社会主義的な道筋への危険性をも齋しかねない。
 或いは自ら率先して合理化、再編の音頭を採るべき財界総本山の力量不足なのかも知れないが。

6月19日(水) あんな日はもう二度と  -ビジネス - ビジネス-

g258.jpg  ひとつの部局にひとつの窓口は対外折衝業においては大原則である。そうでなければ先方に混乱を招くし、逆に複数窓口を案件や応対の巧拙に拠り使い分けられる危惧も生ずる。しかしながら組織が巨大になるに連れAとBに分別されていたセクションが職責の充足を図るためか、或いは自らの権益を拡大し生き残りを企すかは別として、互いに相互乗り入れに及ぶケースは稀ではない。
 その際、双方には協力関係よりは近親憎悪にも似た感情が生ずるのも否めず、偶さかにその何れにも身を窶した人物には、やがて時を経て両者の力関係に一定の決着を見てなお必要以上にその双方の言動が琴線に触れるべく映り過剰反応に及んだりもする。
 今日のお仕事もまた一連のアポ取り大臣の結実のひとつと言えばそれ迄だが、所謂官庁への挨拶周りを大臣から幹部官吏まで一網打尽にする初めての試みで、結果的には大団円を迎えたものの、形が整うまでは紆余曲折で気を揉むこと頻りであった。
g259.jpg  結論としてギリギリの出た所勝負でも何とかなると片付けて仕舞うのは些か早計で、この仕切りは何の因果か政と官のカウンターパート、呉と越双方に在籍した者だからこそ為し得たとの自負は恐らく呉越の長年の事情に通底した人物にしか理解されなかろうが、かく人物が越の側になお存在して初めて為し得た快挙でもあろう。
 呉越同舟といい国共合作といいこうした状況を示す故事が取り分け大陸国に由来するのは、同族社会とされるわが国には必ずしも相応しくないエピソードと云うべきなのか。

 考えてみれば政府における政と官という選挙の洗礼を受ける者と事務方たる峻別以上に、更に限定された政治の範囲の中での議員と党職員たる事務方という区分けに由来した、昨夜の偲ぶ会は、更に呉と越両者の領域がオーバーラップする部分であり、未だグレイゾーンに身を投じている自らを過ぎ去りし日々への憧憬を裁ち切れぬ未練と捉まえるか、思想的には忸怩たる譬喩ではあるが長征中の毛沢東の如く国共合作後をも見据えた中長期的な大義に基づくと読むかもまた恐らくは理解され難い心情であり、それでもなお国民党の側にも同志が居続けて呉れるのではないかとの淡い願望に依居しているのも否定出来ない。
 或いは未だ巡り会えない四人組が何処かに現れるのだろうか。

6月18日(火) 円谷の星光るとき  -テレビ・ラジオ - 特撮ヒーロー-

g257.jpg  黄金週間にビックロで時間をもて余した際、玩具売場に「ウルトラ・エッグ2体でDr.エッグのソフビ進呈」のキャンペーンを発見し、限定品に眼の無い性癖から即座に購入したが、思えば玩具箱にプレミアム品含め大量在庫の存在するウルトラ・ソフビも新規導入は久方振りである。それは既にわが子らが特撮視聴を卒業する年代に入ったが為には違いないが、同時にゼロ以降、新たなウルトラマンが生まれていないという状況にも帰因しよう。
 勿論、手を変え品を替え新たな玩具展開は模索されており、現にウルトラマンや怪獣を卵型から変型させるウルトラ・エッグは一定の評価を得、CMで謎の科学者Dr.エッグを登場させたのもあわよくばのTV放送を視野に入れたものだろう。ただ作品よりも商品を先行させざるを得ないところに、バンダイが大株主となった円谷プロダクションの現況が伺える。同時に、過去作品の焼直したる「ウルトラマン列伝」の中に映画先行のゼロを主役としたミニ新作「ゼロファイト」を盛り込み、放映から二年の地均しを経て漸く来月には新たなウルトラマンを誕生させるに至る経緯は、残念ながらウルトラ・シリーズ自体の新規顧客獲得への遡及力の小ささを証明する形になっている。
g263.jpg  今更ながらに円谷英二氏存命中の最後期の作品にあたる「恐怖劇場アンバランス」を見てみると、スポンサーが付かず三年間御蔵入りになったとの風評にも拘わらず、現代の眼から見れば「世にも奇妙な物語」の怖い話の先駆けとも映る。恐らくはともに視聴率的には冴えなかったとはいえ特撮と現代戦記モノの融合たる「マイティジャック」よりは、「怪奇大作戦」や「アンバランス」に円谷プロがウルトラ一辺倒から脱する鍵があったのだろう。
 ただ一方で、早逝した円谷英二氏の長男、一氏の子息の著した「ウルトラマンが泣いている」からは、東宝やTBSとの関係悪化から新作放映が難航したのも同族会社故の所産であり、であるならばマーチャンダイスを視野に敢えて「偉大なるマンネリ」を貫くべきだったとの指摘も現実解ではなかったかとも読み取れる。
 中年フリークにはダン=森次氏のハヤシライスに同梱されたウルトラアイを装着してみるのが関の山とは少しばかり寂しい気もするのだが。

6月16日(日) Flying Public Relations  -テレビ・ラジオ - ドラマ-

g251.jpg  原作もかく恋愛色濃いドラマ運びであるかは寡聞にして知らないが、少なくとも元広報マンの経験則に照らせば、男性記者と女性広報の組み合わせはまま耳にしてもその逆を聞かないのは、記者と広報という現実的過ぎて物語には描き難い厳然たる力関係が作用しているのかも知れない。
 ただ驚かざるを得ないのは航空自衛隊の広報セクションが舞台であるから当然とはいえ、番組自体が空自のPRと言っても差し支えない構成になっていることだろう。元より富士火力演習観艦航空観閲(上写真)を綜嘗めにするのみならず、わが子とともに練馬の陸上自衛隊広報センター(下写真)にも再三訪れた、わが国安全保障の根幹たる自衛隊への信奉は人後に落ちない私にしてなお、取り分け左右対立激しかりし60年代には些かも自衛隊を肯定的に描くドラマは新旧左翼勢力の攻勢に放映前に御蔵入りに追い込まれた幾田のケースに鑑みるまでもなく、時代の変遷に感嘆せざるを得ない。
g252.jpg  勿論、逆に与党やスポンサーたる防衛産業の示唆により、反戦を掲げ自衛隊を悪役として用いるストーリーが陽の目を見なかった事例もあろうが、「野性の証明」や「戦国自衛隊」といった必ずしも自衛隊にプラスの側面を齋すとは限らない角川映画にも、認知度向上に繋がれば御の字とばかりに撮影協力に応じていた時代とも隔世の感がある。
 確かに良くて「独立愚連隊」、ストレートに構えれば「海行かば」と戦前の記憶を想い起こざざるを得ない陸海に比べ、既に映画「ベストガイ」の実例もある様に後発の空には、軍という実力装置の生々しさよりはスポーツにも通ずるアクロバティックな機体運用など、若者向けドラマに活用し易い土壌があったとも言える。少なくとも密室の護衛艦内で隊員と女性記者のロマンスに花が咲いては洒落にならなかったろう。
 東日本大震災の復旧・復興における自営の存在意義が広く万般により受け入れたのも後押しにはなったろうし、広報にも拘わらず宣伝マンの如くパブリシティばかりに現をぬかしてネタをよこすまで帰らないと居直る記者に平身低頭したりも、社会部と押し問答になったりもしない多分に恵まれた身分には違いないが、来週には大団円を迎える「空飛ぶ広報室」、これを契機に国民の国防意識の更なる醸成を目途に、駐在武官が暗躍する「地を這う諜報官」がドラマ化される暁を待ちたい。
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