コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月31日(日) サンモール中野くん  -地域情報 - 東京23区-

g143.jpg 昨日も春期講習後の祐旭と中野駅で合流してのお出掛けだったが、俄かに中野との御縁が深まっている。
 確かに学生時代は高円寺駅から庚申通りを突き抜け、早稲田通りを越えた中野区民だったし、息子達が計六年間通った幼稚園もほぼその隣だったが、感覚的には高円寺の商圏であって、拡大東京市の35区体制以前、合併前の旧野方村には明るくても、本拠たる旧中野町が近くて遠い街だったのは、環状七号線という物理的な分水麗の為せる業だったろうか。
 ただ改めて中野を訪れると、江戸時代には将軍綱吉のお犬様係留地だった中野から高円寺にかけての北側一帯は、戦前には市川雷蔵氏でお馴染みのインテリジェンス組織、陸軍中野学校が聳え、戦後大学校や病院と警察関連の公的機関が継承していたが、漸く大幅な再開発の手が入ったものの新街区は整然としたオフィス、大学、住宅であり、大仰なペデストリアン・デッキまで拵えて駅の構造もリニューアルされながら、幕張新都心の如く無機的な香りが寒々しい。
g2.jpg  今やサブカルの聖地のひとつと化したブロードウェイや丸井本店はじめ南側中野通り沿いが相変わらずの賑わいなだけに彼我の差が目立つが、この中で敢えてSAPIX中野校が喧騒の最中に居を構え続けるのは、勿論駅からの利便性が第一としても「田舎の学門より京の昼寝」の精神を体現する様で頼もしい。
 その換わり普段はひと駅なので単品行程の祐旭を所要あり20時の塾終了時に祐旭を迎えた際は保護者の群れが歩道を塞がん勢いで、煩い程に自動車での送迎厳禁が謳われるのも合点がいったのである。
 その日、入口で待機していたらいきなり祐旭が別の棟から現れ驚いたが、聞けば上位二クラスのみ第二会場に隔離されているらしい。ここにもSAPIXの有力者偏重主義が顔を見せていると受け止めるのは下衆の勘繰りかも知れないが、その時点で既に次期編成変えでの陥落が確定的だっただけに、父としては一抹の寂寥は禁じ得なかった。
 ところが本人は捌けたもので逆に項垂れる父母を励ます始末とは、少しはクヨクヨしない祐旭を見倣うべきなのかも知れない。サンモールで拉麺でも食べながら。

3月30日(土) 散る桜  -育児 - パパ育児日記。-

g136.jpg  東京西部の岩盤は頑強と端から高を括っている割には本所防災館ソナエリアと制覇して来たのは、防災の観念を楽しみながら若年層に学ばせる為にエンターテイメント要素を導入する手法が溢れているからだろう。
g138.jpg  だからこそここ池袋防災館に戯れる時ならぬ異人の群れも、本国では滅多にお目に掛かれない地震を筆頭とする災害もまた、異国情緒のひとつと受け止めていると邪推するのは穿ち過ぎだろうか。
 ツアーはお約束の映画に始まり、恰も臨海部や旧住宅の密集地域は被害が出ても致し方無しと暗に主張するが如しで切なくなるが、リニューアルにより本所を超える最新鋭の謳い文句に拘わらず、消火体験に煙体験とギミックも貧弱で、祐旭は解説が為になったとひとり納得していたが、ワンサイクル二時間には説明の冗長さが寄与しているのは否めなかろう。
g135.jpg  早く到着し過ぎて肝心の地震体験(左写真)を冒頭にこなして仕舞ったのも尻窄み感を増幅したか。消防コスプレを撮影し、幾分の物足りなさとともに池袋を後にした。

 防災館の途上、急速な陽気の訪れに早くも満開を過ぎようとしている桜に遭遇し、即席の花見も味わったが、この分だと例年通りの花見設定では間に合わなかろう。そもそも色弱故か桜の艶やかさに感応出来ないのみならず、今年は到底優雅に花を愛でる様な気分にはなれないから、却って好都合とも言えようが。
 散る桜、残る桜が、散る桜。

3月29日(金) まるで少年のように  -アイドル・芸能 - 芸能一般-

g133.jpg アイドルに目覚めたのも遅かったから、出演者目当てにドラマを見るという経験は小学校高学年の「池中玄太80キロ」が初めてだったと言ってよい。
 往事既に坂口良子氏は20代も半ば過ぎで、ひと回り以上下の世代からすれば随分とトウは立っていた筈なのだが、寧ろ後年再放送を見た若き時分の「新サインはV」より美しく映った記憶がある。
 恐らく勝ち気で男勝りな役柄とも相まって、自らの"好み"の容姿が形成されていく端緒でもあったろうが、単なる憧れと言うよりは多分にエロティシズムを想起させる対象だったのだろう。
 それだけに後年バブル崩壊後、不動産会社社長氏との離婚にあたり「お金が彼を変えたんです」と泣き崩れていたワイドショーの映像は痛々しかった。テレビ出演も減った坂口氏に特段の感心を抱き続けて来た訳ではないが、突然の訃報には若き日の記憶が刺激され、不謹慎かも知れないが何となく甘酸っぱい想いを禁じ得なかった。

g142.jpg  アフリカ篇を五回も続けられ些かマニアックに走り過ぎ感の否めなかった坂本教授の「スコラ」第三部だが、BGMの異同による映像の受け止めの変化こそ比較的言及される実験だったかも知れないが、楽器の配置により交響楽のバランスを敢えて崩すという発想は、クラシックからポップス、実験音楽にまで携わった氏の豊富なキャリアの発露として相応しいものだったろう。
 ただ音符に基づかず、例えば「長く伸ばす」「止める」といった一定の法則に則った指揮者のサインにより各奏者が自由に音響を奏でるという試みは、楽曲の文脈の範囲内でプレイヤーが個々の技量に応じたアレンジを加味した結果に合奏のカタルシスを感じる立場からは、そもそも過剰なハプニング性が安楽な音楽製作の手法としか映らないし、更に言えば元来のコンセプトが楽器演奏の叶わない人も参加出来るオーケストラという時点で猛烈な違和感を覚える。
 万人にアクセス可能な民主主義を装おいながら、その実指揮者の著しい示威性に依拠した民主集中制の体を為しているところに、被災地の名を借りたネーミング以上に濃厚なレフト・ウィングの香りが漂っていると解釈するのは、深読みのし過ぎだろうか。
 個人的にはシーズンを追う毎にYMO色が薄れていくのは、愈々この実質的な再結成も終焉に向かっている状況を正確に反映している様で寂しさは隠せなかったが。

3月26日(火) よい品をどんどん安く  -政治・経済 - 経済-

g132.jpg  嘗て中内ダイエー会長が流通業初の経団連副会長に就任した際、往事の斎藤会長が「スーパーの親爺が何でここに居るのか」と言い放ったというエピソードは恐らく事実ではないだろうが、重厚長大の代名詞だった財界に新興産業の雄として乗り込んだ流通業の立ち位置をよく示している。
 自らの後任に業界四位の西友高丘会長を押し込み、ライバルたるヨーカー堂鈴木会長の栄達を阻止したのも、好意的に見れば産業の勃興期における獰猛さの現れと解釈出来よう。
 そのダイエーが産業再生機構管理を経て現在の筆頭株主たる丸紅が株を手離し、イオン・グループに子会社化されるとは時の流れは残酷なものである。それは「主婦の店」らしく繁華街や駅前に立地したダイエーに対し、郊外を基盤に展開したジャスコの店舗戦略の勝利であり、ダイエーに近い路線だったヨーカ堂も都市部の小売りを寧ろ系列のセブンイレブンにシフトしていった経緯からも伺える。
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武蔵野、六日町ジャスコ
 或いはスーパーたる出自故からこそかも知れないが銀座にプランタンを構えるなど百貨店というブランドを目指したダイエーが駆逐され、スーパーの延長線上にショッピング・モールという形態を確立させたイオンが覇者たり得たのは、流通業の有り様そのものの変容をも物語っていよう。
 湯沢に赴く度に六日町ジャスコに通っている身の上としては郊外型GMSの有用性は充分理解するものの、結果として全国何処にも同じ様な絵柄を生み落とし商店街を死滅に追いやったとの批判に臆することなく、イオンは越谷レイクタウン(右写真)に代表される街造り、即ちデベロッパーの領域にも地歩を固めつつある。
 価格破壊が寧ろデフレを助長し薄利多売ならぬ「適正利潤」たる概念の再評価、価格支配力を持ち過ぎた川下の流通業の是非が問われる中、名実ともに流通のガリバーとなったイオンは安さ、利便性に留まらない新たな文化を生み出すことが出来るのだろうか。

3月25日(月) 無辜なる無効  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 国富の効率的な配分が進まないのは突き詰めれば議員定数の地方偏重に行き当たるというのは都市部住民のエゴイズムなのだろうか。
 勿論現実に二倍を超える一票の格差が非合理的だとしても、それを理由に国権の最高機関たる国会の権能たる解散権を制約するのは如何に法治国家と謂えども司法の濫用と言わざるをえない。従って一部の尖鋭化した地域の判事が選挙無効を狙う特定層に御墨付きを与えることはあったとしても、最高裁が必ず差し戻すであろう責任能力の小ささから、そのまま判決の確定する蓋然性が高ければ到底許容されない裁量という名の自由に身を踊らせたが故のひとつの解釈に過ぎなかろう。
 ただそれでも国会の側においても可能な限り国民の権利を等しく保つべく試みは必要であって、所謂0増5減に加えて区割りの微調整を行っても次期国勢調査まで格差二倍以内を保ち得るかも定かではないし、英国の如く第三者による自動調整システムを構築すべきと説くのはひとつの道理である。
 実質的な各都道府県への一人別枠方式の維持には当然批判もあろうが、都道府県という明治以来の地方制度の根幹を揺るがしかねないだけに、道州制はじめ話しは選挙制度に留まらなくなる恐れもある。
g141.jpg  本来二大政党を企図したにも拘わらず第三党への配慮から優先枠を組み合わせるという比例版ゲリマンダーも到底筋が良いとは言い難いが、こうした弥縫策の是非よりも、バナナの叩き売りの如き定数削減ありきでなく、先ずわが国のあるべき国会議員の数から冷静な議論をお願いしたい。その上で代議制において地域という単位に如何な意義を置くべきかを勘案し、一票の差の許容範囲に再び向き合うべきではないのか。

 選挙無効は効力を発揮しなかろうがこちらの解雇無効は控訴断念というから驚くではないか。
 プロ野球において84年に解雇通告の遅れたロッテ高橋博士捕手の復帰が認められたケースも最終的には任意引退=金銭で解決されており、蒼国来関が実際に名古屋場所の土俵に上がるとなれば前代未聞だろう。
 如何に二年前の八百長問題の処理の手際が良過ぎたかの証明でもあろうが、ただ純粋に個人競技の大相撲だから可能な処理であって、長期雇用からの転換を図りつつあるわが国社会の先駆事例と捉えるのは些か早計に過ぎよう。

3月24日(日) デフレ期待  -スポーツ - ゴルフ-

g140.jpg 年末以来三ラウンドに亘り百獣の王続きで冷却期間をおくべしとの自戒を忠実に具現した訳でも無いのだが、実に2ヶ月以上の空白は平時では2008年以来とは私も見上げたゴルフ熱であろう。
 しかしながら暖気も増し、ゴルフ・シーズンに向けそろそろ引き篭ってばかりもいられまいと居住まいを正したところに有り難いお声掛けである。
 昨日の久々の練習も功を奏したか、冒頭から力を抜き脇を締めたゆったりスイングが好調で4連続ボギー・スタートは美しい。しかしイン13番で折角ニアピンの権利を得ながら3パットで逃したのは不吉な予兆であったろう、次のロングからトリプル、トリプル、焦りフェアウェイ・バンカーでもウッドを握ってダブルパーと撃沈する。生命線3Wがチョロ、アプローチはトップ、パットもノー勘では浮かばれない。
 それでも散々だったドライバーがアベノミクスまでは至らずとも回復基調だったのは溺れる者に藁で、昼を麦酒一杯に控えたのも寄与したか、後半は距離は出ずとも総じて真っ直ぐに飛んでいる。3番ショートでアプローチ・イップスに掛かりトリプルで萎えそうになったが、ここから連続ボギーで建て直し遂に6番、四階建てになったショートで綺麗に160y強をワンオンのパーで勢い付いて、オーラスは3オン・バーディ逃しのOKパーの47。
 短いパットも拾いオリンピックは後半だけで実に+17とは接待ゴルフにあるまじき行為だったが、総じて距離こそあれ霞ヶ浦に程近くインは文字通りのリンクス、アウトは林間風情だがフェアウェイの広さに救われたか。ショートアイアンのチョロ、シャンクが現出しなかったのは一歩前進と信じたい。
 カーナビに記載の無い圏央道を滑走したところ、流石に道路のプロは名ナビゲーターだった。帰路、圏央道のカーブを曲がるといきなり現れた牛久大仏のお召しぼしだったか、このところの不遇続きに救う神ありか。

3月23日(土) 帝都の残り香  -地域情報 - 東京23区-

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階下の小田急は既に廃線
 渋谷に続いては下北沢も地下化である。前者が地下鉄との相互乗り入れからの要請であったのに対し、小田急は輸送力向上の為の複々線化と開かずの踏切解消が目途である。
 大学の前半が井の頭沿線だったから、下北沢に下宿する友人も多く度々足を運んだが、地上の小田急と高架の井の頭両線がクロスする狭隘な空間を基点に演劇や音楽の香り溢れる街並みは往事から異彩を放っていたと言っていい。
 特筆すべきは駅舎も一体となった両線の構造で、経営母体が異なるにも拘わらず両者を別つ改札が存在しなかったのである。
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地下新駅
 もう時効だろうから洗いざらい白状するが、井の頭線の定期券を所有していれば、極端な話し小田原で最短距離の切符で乗車し下北沢経由定期で降りれば堂々とキセルが可能であったのだ。
 それは戦前の帝都電鉄井の頭線が小田急傘下にあり、大東急としての戦時統合後、再分割するに当たって京王本線のみでは経営が危ぶまれたため井の頭線をお土産とした故事来歴に基づく。
 九段下駅同様、今や企業体が異なっても改札を跨がなくてはならない筋合いは著しく薄れているから地下化後もその構造は変わっていないが、矢張り縦距離が開いた分、幾分乗り換えには時間を擁しそうである。
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新・廃線跡を臨む
 何れもうワンセットのトンネルも完成し現行ホームは急行専用になるらしいが、廃線跡となる地上空間は生活道路兼駅前広場、駐輪場等様々な用途が検討されていると聞く。今や地表を走る線路は街を分断する旧弊でしかなくなったとすれば時代の流れは切ないものと述べるのは、その地に根差さぬ者の勝手な言い分に過ぎないのだろう。

 ひと月遅れまで追い込まれた本コラムの執筆、掲載を加速する。作曲にしろ執筆にしろ創作活動はストレスの捌け口たり得るが、勢い余って筆が走ったり周辺情報を取り零して行間が希薄にならないよう連作には慎重であるべきだろう。
 多産が寧ろ品質維持に寄与する面も無しとはしないが、心平らかで排出する憤りに欠ける方がどんなにか望ましかろうか。

3月20日(祝) 明日を捜せ  -地域情報 - 東京23区-

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 大学から程近い渋谷は学生時代の溜まり場という意味で想い出深い土地だが、先週末に旧東横線渋谷駅が廃駅となり、既に稼働している副都心線のそれに一本化されたのは渋谷の構造を又もや一変させるだろう。
 商業圏という観点からは寧ろ西武・東武沿線住民を奪われかねない池袋、新宿の方が危機感は強いのかも知れないが、地下鉄以外に乗り換える人々にしてみればいきなり地下五階に降ろされて右往左往しかねないし、事実ヒカリエは文化会館、マークシティは井の頭線と何度も拳拳服膺しないと自らが何処に居るのか皆目解らない。
 漸く命辛々地表に辿り着けば、東横線の蒲鉾屋根こそ健在だが、東急東横店東館が今月末でお別れセールの真っ最中ではないか。どうやら周辺から始まった大改編も遂に駅本丸に及び、まさに渋谷の「谷」構造の実証たるべく虚空を走る銀座線も、東急百貨店と一体化している現行から丁度ヒカリエからその雄姿を俯瞰し得る渡り部分が駅化されるらしい。
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在りし日の東横渋谷駅(12/8)
 一方でスペース不足から縦に並んで南方に大きくはみ出していた埼京線ホームも山手線の隣に再配置されるから、完了は平成33年度と気の長い話しとはいえ、少なくともJR、東急、メトロ間ではそれなりに凝縮が図られることになろう。
 割りを食うのは井の頭線で、ただでさえマークシティ誕生で西に後退した上にひとり疎外感が強まろう。山手線ホームが横付けされ細い階段で銀座、井の頭両線を結んでいた歴史の生き証人たる玉電ビルも等しく解体される。
 生まれ変わる渋谷を祝福すべきのだろうが、迷路の如く猥雑さの薄れることに何となく一抹の寂寥もまた禁じ得ない。

g126.jpg  同じく16日には地下鉄九段下駅の壁も取り払われた。九段下・神保町間の並行している半蔵門・新宿両線は九段下では両線ホームが同一平面にありながら中央で分断されていたが、この度一体化されたのである。
 同一ホームによる方向別乗り換えには赤坂見附駅の銀座・丸の内両線の実例があるが、地下構造物である以上、建設当初からその運用を視野に入れておかなければ事後的な対応は難しい。
 副知事時代からの猪瀬氏のメトロ・東京都交通局合併論の論拠のひとつとされてきたが、確かに運営母体の相違が壁を築かせた理屈だったとしても、自動改札更には共通乗車カードの普及がキセルの発生をほぼ潰滅したが故の具現化であって、合併の是非は別の経営判断に基づくべきとメトロ側が合口を突き付けたとも言える。
 何れにしろ著しく利便性を高めたのは事実だから、先ずは素直に知事に軍配を上げておこう。

3月19日(火) 哀しき白血球  -スポーツ - プロ野球-

g122.jpg 落合前監督の意向と親会社同士の鞘当てから前回非協力姿勢を貫いた中日が漸く宗旨替えしながら、怪我の影響こそあれ最終選考において一挙に三人も落選したひと月前の時点から、何となく不穏な雰囲気の漂っていたWBCは、結局呆気なくも後味の悪い結末に落ち着いた。
 球数制限から「第二先発」に拘り過ぎた投手起用も、米国に利潤を吸い上げられる枠組みへの選手会の反発に始まり、二転三転の末の消去法の監督選考、急拵えの首脳陣といった紆余曲折に鑑みれば、痛恨の盗塁失敗を含め誰を責め立てる謂れも無く、負けるべくしての敗北と言えよう。
 日の丸における大リーグ勢の不在に象徴的である様に尚一層米国におけるWBCの存在感は薄まろうし、韓国・台湾もまた同様だろう。また一方でドミニカ、プエルトリコ、オランダという顔触れからして野球が短期決戦にそぐわない証しとミナされれば、五輪復帰も険しい道程となるのか。或いは欧州勢にもメダルの道が拓けたとして幸便に働くのか。

 恐らくわが国にとってはこのWBCは事実上"無かったもの"の如くに扱われ、サムライ戦士個々の胸に幾分の罪悪感を残しつつ、淡々とペナントレースに突入していくのだろう。
 今年の名鑑を連々と眺めると、矢鱈とソフトバンクが分厚く、「育成の」を標榜した清武路線から修正を図りたい読売を逆転しているのが印象深かったが、個人的にはスポニチに加え日刊スポーツ版にも球団職員の記載が加わりマニア度が増していたのには好感が持てた。
 それよりも久々に力士名鑑も購入してみたら、現役はおろか遂に親方勢からも馴染みの名前が稀少で愈々相撲評論家の看板を下ろさざるを得ないかと危惧された。
 勿論、年寄株改革から生まれた準年寄制度も短い命脈を絶った今となっては若者頭、世話人を含めても絶対数の限られる相撲協会の名鑑では到底「相撲周り」の人々を網羅することは出来ない。ただよしんば野球同様に解説者一覧を加えたとしても、そもそも需用が少ない上に嘗ての玉の海梅吉氏の域には至らずとも若瀬川、出羽錦といった部屋住み親方時代から解説で名を為した御仁や、現在も理事長の目が無くなって廃業した北の富士氏の例はあるが、大半は親方の兼務である。
 情報源たる相撲協会の意向には必ずしもそぐわないのかも知れないが、元幕内力士の廃業後の足跡をも包含する相撲人一覧の如き資料は現れないものだろうか。関係者の叡知に期待したい。

3月17日(日) 遠きにありて  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

g119.jpg 政治の羊蹄のひとつは「日程」であるから、年初は政府幹部を除いて国会議員は地元に張り付くために永田町は神無月の如しで、通常国会の開会する20日頃、その直前に設定された党大会を皮切りに皆"上がって"来て神有月に切り替わるという年中行事は、周辺居住者であっても体に染み付いている。
 翻って本年は師走の総選挙から予算・税制も丁度ひと月に後出しとなり、夏の参院選の総決起集会を兼ねる自民党大会もお屠蘇気分から遠く離れた、些か季節外れの開催となった。
 傍目にも波長の合わない経団連会長の姿こそ見えなかったが、立錐の余地すらない千客万来の光景は毎年変わらぬ新高輪プリンスに野党時代も変わらず足を運んだ身の上には些か現金に映る。
g120.jpg  例年ならば入口付近に陣取り、出入りする旧知の関係者との新年挨拶に精を出していたが、皆一様に永田町の住人に回帰した今日、今更この場で捕捉する必要も無い。思想を反映した訳でも無いが右翼後方に陣取り座して大人しく会の進行を見守った。
 三年三ヶ月に亘り何となく同病相憐れむの風情だったのが、先方だけスターの座に返り咲いてこちらは置いてきぼりの様な幾分の淋しさもまた感じながら。

g139.jpg 夜は地元商店街で一家で飯を食べたが、何故か電器店で3D眼鏡を掛けた子供達の写真が残っている。
 量販店まで赴かずとも気軽に赴ける店舗の存在は有り難いが、実際に購入に至るケースは皆無に近いから飲食を除く商店街の前途は矢張り多難である、などと評論家気取りは兔も角、撮影はおろか店舗に寄り道したことすら記憶に無い。
 当然子供達と風呂にこそ入れどもそのままバタンキュー、朝が早くとも夜半まで活動して深い眠りに落ちる行動パターンだったのに、これでは四十代も半ばにして年寄りの如しではないか。健康的かも知れないが、人生を浪費している様な切迫感は禁じ得ない。
 宴席で尋常なく日本酒を煽るのも考えものだが、責めて真っ直ぐわが家に帰れる夜は幾分控え目を以て戒めよう。
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