コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月31日(祝) 父ちゃんのためなら  -音楽 - 昭和の歌謡曲-

g001.jpg  毎年上達していく子供達に煽られる様に、ゲレンデを目の前にすると「スキー天国」宜しく高揚する程度にはスキー慣れしてきた父ではあるが、実際滑走してみると幾分急傾斜でもボーゲンならば何等の支障なくすいすい進む祐旭を追い掛けることも、漸く初心者を脱しそうな公資を妻の様に抱き抱えてサポートすることも能わない。
 ターンを繰り返す熟達した若人の群れに「まだ子供じゃないか。これが雪国か」等と呟きながら、自身は転んでは自らの重みに耐えられず再びポジションを採るのもひと苦労で、学生時代猫も杓子ものスキー合宿に駆り出され、嗚呼吹雪吹き荒れ宿でまったりの合意が形成されないものかと不埒な願望を抱いた日々が想起される。
g002.jpg  取り分け苦痛なのは靴である。元来、下着やベルトに至るまで締め付けられることを嫌悪し、ゴルフでも帽子すら被らない性癖には、足先に余裕があると板のコントロールに支障が生ずるのではといった有難い諫言は無用の長物でしかない。寧ろ一歩間違えれば脱げそうかつ柔らかい靴に、華麗に疾走するには本来御法度かも知れないが着脱無しで立ち上がるに際しては足腰の力量を擁しないであろう短尺板という軟弱者向けスキーが流行れば、かく私めももう少し積極的に挑めるのだろうが。

g003.jpg  このままゲレンデでカウントダウンを迎えたりするとバブリーだったが、デフレ下の昨今であろうとあるまいと、わが国の大晦日は紅白である。
 独立騒動で落選した小林幸子氏を引き継ぐ水森かおり氏の衣装はインパクトに欠け、ともに年々目が細くなっていく感のある郷、森両氏は不可解ではあったが、矢張り最大の魅せ場はいきなり黒髪で現れたシスター・ボーイ美輪明宏氏であったろう。つい数年前までは事実上の放送禁止歌であったヨイトマケの唄を堂々お茶の間に届けたのはNHKの英断だが、世界的歌手に昇進しピンク・マルティーニを従えて登壇した由紀さおり氏や、悪い宗教にでも嵌まったかと心配されそうなコメントと巨額を擁したであろう砂漠中継こそ疑問だったが特別枠のMISIA、矢沢永吉両氏と、所々に話題性に富む出演者を配する一方で、可能な限り「今年のヒット」に徹する姿勢は、一時期の前半は現代、後半は懐メロに二分された捻りの無い構成を脱し得たと論評出来よう。
 その分メドレーが増えたのはメガヒット無き時代を象徴していようが、それなりに人口に膾炙した楽曲を総浚い出来るという意味ではお得だったのではないか。
 国営放送の自覚に基づきわざわざ「時節に配慮し」と表面した上で国産紅白を貫いた姿勢と併せ、NHKの尽力を評価したい。

 今年もありがとうございました。

12月30日(日) いつも幸せ過ぎたのに  -音楽 - 昭和の歌謡曲-

f999.jpg  年末年始は例年湯沢であるが、ひと足先に妻子を送り出し、京橋の伊勢廣という老舗焼き鳥の支店で昼に仕事納めの会食を経て、夜はその折り詰めを肴にひとりレコ大鑑賞と相成った。
 大晦日の風物詩であったTBSからNHKホールへの歌手の大移動はカウントダウンTVに御株を奪われ、レコードというクラシカルなネーミングのみならず「記録物」という観点からも、ネット配信が主体になりつつある昨今、コンテンツの優劣を如何なる指標を以て測るべきかという大きな命題を持ち出す迄もなく、今もなお「輝く!」の冠が些か色褪せたレコード大賞である。
 大賞のAKBは予定調和で意外性に欠けるとしても金賞各曲の顔触れは、少なくとも大衆性と古式ゆかしいレコード会社の論理との調和が奈辺にあるのかを伺うには有意義ではあったが、矢張り現代に遊離しつつある歌謡曲評論家としては、新曲を発表することもなく合理的に、悪く言えば懐古趣味に特化して再結成した特別賞のPrincess Princessに惹き付けられよう。今なおふくよかな奥居改メ岸谷香氏に老けは目立たたず、音程を下げることもなく変わらぬ蛮声を張り上げていたのは立派だったが、流石に寄る年並みか演歌歌手の如くに小節が回っていたのは御愛嬌だったか。
 それにしても新垣結衣氏は如何なものだったろうか。初登板で緊張していたのかも知れないが、下手は致し方ないとしても著しく覇気に欠ける上に殆ど笑顔も見られないのでは司会失格だろう。
 古希もとうに超えたムッシュかまやつ氏が老体に鞭打ってスパイダースの楽曲を奏でる絵柄は老舗番組の矜持を感じさせたが、同じく功労賞のマチャアキ氏の「さらば恋人」の歌声に預かれなかったのは、15年務めた司会を退いたことと併せ残念であった。

12月28日(金) 暮れるまで  -スポーツ - プロ野球-

 総選挙を終え、不眠不休に近くあろう霞ヶ関諸兄に比べれば休日こそ取り戻し得たのは幸いに違いないが、例年の11月後半から年の瀬がひと月遅れ、かつ凝縮して訪れる日々に最終日にしてなお優雅に机上の整理に費やす暇も無い。
 普段はガラガラで漸く利便性の高くなった議員会館の駐車場も一旦席を開ければ再び確保することも叶わない満車状態で、第二から第一に移送することすら叶わず居を据えたままカレンダー配りにも従事しなければならなかったが、本来ならば年末の御挨拶を兼ねひと部屋ひと部屋ゆったり回遊したいところ、効率性を重視すれば団体の資料配付宜しく機械的な絨毯爆撃に終始せざるを得ない。
 それでも随行の合間に単品となる断続的な隙間を縫って、主にカムバックした御仁のまだ什器備品もままならぬ真新しい部屋を訪ねるのは感慨もひとしおである。出向時代、一回生議員と若手サラリーマンとして過ごした日々に再びまた異なった立場で巡り合った日々を想定しなかったと言えば嘘になるが、現実に先方が政府要人や党の部会長クラスで続々と現れると、たとえこちら側はそれなりに馬齢を重ねただけであっても、何となく文字通りの無駄飯を喰っていなかったことが想起される。
 夕刻、会社に戻り最終退場者として部局に鍵をかける。慌ただしくも少し充実した年の瀬が暮れていく。

f998.jpg
松井選手(96/11/10)
 たとえ記録という面からみれば必ずしも成功を収めたとは言い難い現役生活であったのかも知れないが、任意引退という横車を押しての渡米やチームの成績を度外視した孤高の人に堕することもなく、愛される野球人生を全うした松井選手に忠心より万雷の拍手を送りたい。
 たとえそれが868本塁打の更新や三冠王、或いは米国における長距離砲といった見果てぬ夢を叶えられなかった期待権の代償としての憐憫の情にもまた依拠するものであったとしても、マスメディア引いてはプロ野球ファンに常に真摯な姿勢を貫いたからこそ、客観的に見れば必ずしも美しくない引き際も否定的に受け止められなかった筈である。
 こうした立ち居振舞いこそがわが国において肯定的に評価されるという打算も十分に働き得る松井氏のスマートさが、岐路に立つ本邦プロ野球の再活性化に寄与していくであろうことを、市井のプロ野球フリークのひとりとして切に望みたい。

12月26日(水) 人事の要諦  -政治・経済 - 安倍内閣-

f996.jpg  人事に際して事前に情報が漏れるのは常套手段ではあるが、今般は些か安倍、石破両陣営が既成事実の積み上げと観測気球を放ち過ぎた結果と言えるのかも知れない。ただ鬩ぎ合いの所産だとしても、オールスターキャストとも言うべき重厚な布陣に至ったのは僥倖であったろう。
 一方で抜擢された中堅、若手に安倍色が濃いのは、幾分第一次内閣時のお友達批判を想起させなくもないが、総理のリーダーシップ発揮との観点から捉えれば、思想性の近い顔触れに落ち着くのもまたひとつの帰結と言える。 事実上の総幹分離を防ぐための石破包囲網の如く党役員人事にしても、安倍・石破に加え閣内に顔を並べた総裁選出馬経験者、派閥領袖クラスとともに現下のみならず次代をも担うべく人材の豊富さを体現していると受け止めれば、派閥や政策集団が各々の支持層の意向を体現しつつ切磋琢磨して来た、自由民主党の多元主義の肯定的要素と看做すことも出来よう。
 勿論党役員も含め幾分参院選シフトに過ぎる人事と揶揄されるきらい否めないだろうが、であるからこそ尚更に安倍政権の当面の最大課題は党内引いては自由民主党を支持した有権者間にも異論の無い日本経済の再活性化に違いない。苦言を呈するならば新自由主義という呼称は懐疑的に響くのかも知れないが、嘗ての上げ潮的な理念乃至はスローガンと、短期的な景気浮揚効果が少なくともケインズ的には大きくかつ民主党政権へのアンチテーゼ、更には防災と更新投資という大義名分を有するインフラ整備との両立を要求されながらその指針となるべく方向性が、人事からは明確に読み取れない点だろうか。

f997.jpg  大河史上最低視聴率記録を更新した平清盛を、最終回に至って久々に鑑賞したが、壇之浦やらドラマツルギーに豊富なエピソードが後日譚として十把一絡げに扱われる構成上の選択の巧拙以上に、源氏も平家も皇室も皆善人に描いたために解り易い勧善懲悪が成立しなかったのが敗因というのが、妻の見立てである。
 そもそも同世代の女性の多くが史実を踏まえて大河ドラマを見たりはしないという妻の実感が正しいのならば、利家とまつや篤姫、江の如くに舞台設定だけを借りたノンフィクションとも言うべきホームドラマ大河で無ければ視聴率を稼げ無いことになり、復興支援からの要請もあろう来年の新島襄夫人もまたこの観点からは些か中途半端に映ろう。
 世界史に続き中高等教育機関で日本史と言うより郷土史の必須教科化が進みつつある中、時代に伴い変容しつつある日本史の解釈変遷を踏まえた建武中興と足利、楠木らをゴダイゴの主題歌でといった、NHKの範を超えず、同時にまた国営放送たる使命に則った歴史ドラマとしての大河復興を期待したい。
 それは参院選を超えた後の安倍政権の本来の課題とも期を一にするのではなかろうか。

12月25日(火) 49再び  -音楽 - シンセサイザー-

f994.jpg  Wardorfのblofeldという些かマニアックなキーボードを選択したのは、幾分重いタッチの鍵盤も魅惑的には違いなかったが、一重に短い49鍵でなければ収まらない物理的なスペースからの要求だった。勿論、個性的な音色は中国男の公演でも太いベース音等で活躍したが、元来シンセサイザーの音作りに疎い私には、所謂PCM音源主体でプリセットでピアノやエレピ、オルガンにあり付ける「初心者向き」の方が正直有り難い。
 しかも現役のもう一台、ボコーダー仕様MS2000BがKORGなので本来はROLANDかYAMAHAを所望していたところに、後者からお誂え向きに49鍵が登場するとは、ソフト全盛時代の中のPC付設にも転用可能な、こうした短駆型オールインワンに新たな需要が発生しつつあるのだろうか。
f995.jpg ドラムとキーボードの隙間から出入りするに当たり、僅かに体が触れるだけで本体が右往左往するのは、軽くて持ち運びにも利便性が高い特色の裏返しであり、CDミキサーがCDと併せ二チャンネルだったために、本機のAUX入力を活用すればダブル・キーボードによるCD同時演奏が成立するのも有り難い。
 個人簡易スタジオ整備も自らへのクリスマス・プレゼントで漸く一段落か。

 夜が明けえて必ずしも望み通りでないレゴを枕元に発見した息子達はそれなりに納得していた様である。たとえ恰も全能であるかの如く讃えられるサンタクロースにおいて、なお凡ゆる要望を叶えることは出来ないと知ることから、望洋と人間社会の限界を捉え始める、と読むのは些か好き解釈に過ぎるか。

12月24日(祝) We Want to Ride My  -育児 - パパ育児日記。-

f992.jpg  三年振りに神宮外苑を訪れ、勢い勇んで早過ぎて待機時間を日本青年館のハワイ料理店で過ごすのもデジャヴの如し、成長しないせっかちな父である。
 三年前、殆ど独力で自転車を操った実績の皆無だった祐旭に対し、曲がりなりにも短時間ながら補助輪無し走行を経験している公資は、到底園児とは思い難い体格からも成人も参画する上級コースに編入され、早速ペダルの無い自転車で足漕ぎしつつ滑走時間を伸ばしていく行程に突入する。
f993.jpg  妻と祐旭は勉学のため一旦退散し、完封吹き荒ぶなか単身見守る父を余所に、一時間もすれば立派にカーブすらこなしているではないか。程無く係員氏に呼び止められ、ペダルが敷設される。足漕ぎ滑走に熟達してもいざペダルでの回転に昇格すると戸惑うケースもまま見られる様だが、何等の葛藤も無く乗りこなし、開始から二時間で合格である。
 同じくバランスの産物たるキックボードの成果かも知れないが、そもそも兄の経緯を見様見真似で自然に体得出来る次男は何事にも要領が良いものなのか。祐旭の際は漸くスムーズに運航する時分には冬の早い陽は既に暮れ始め、隣接する神宮球場に漂う日本サッカーの応援歌が感動を誘うBGMとして機能していたが、妻と祐旭が帰還する頃にはすっかり外苑の周回路を回遊しているのだから、経費節減からか教室の修了証が割愛されたことも相まって、正直なところ親の感慨も程々の案配だったろうか。
f991.jpg  これも三年前同様に第二球場流用の高額なゴルフ練習場に駐車したため元を取るべく打ちっ放して神宮を後にした。

 もうひとつ、今般はまた新兵器を投入した。 キャノン砲と見紛う望遠、二台の一眼レフ、ビデオ、三脚までも収納するキャスター付きカメラバッグを引率する姿は旅行者の如しで些か大仰に過ぎようが、寧ろカメラマン擬きを気取ってみたかったというのが心情か。

12月23日(祝) 賀状の苦悩  -育児 - パパ育児日記。-

f989.jpg  体操教室を終えた祐旭を迎え、その足で近隣の中学校グラウンドへと向かう。<曾て在籍し、勉学に専念と言うよりは体操、水泳との共存が物理的に叶わず引退した地域のサッカー教室に、戴きものの江戸川コナン仕様のユニフォームを身に纏い、現役の公資に熱い声援を送る祐旭の姿は、ともすれば昔取った杵柄とばかりに会費も収めず競技に闖入しそうで気が気でならない。
f990.jpg  兄同様体格の良さから重量級選手として期待を受け、誠心誠意球は追い掛けるものの、いざ近付くと尻込みして仲々ボールに触れられない公資も、そこはコーチ陣の巧みな配慮でドリブルからゴールまで持ち込ませて貰ったりと、麗らかな天長節であった。

 年々少しずつ製作サイクルが後ろにズレ、遂に今年は選挙で暮れも後一週間に至って漸く完成した年賀状を、プリンターフル稼働で印刷に入る。
 年を追う毎に写真の枚数が増え、当然一枚当たりサイズは縮小を重ねたおかげで、旧知の御仁に「何時も虫眼鏡で楽しんでます」と言わしめた反省を踏まえ、写真スペース自体を拡大してみる。ただ極力大き目を心掛けながら結果的には枚数そのものが、流石に今日のそれこそ間に合わなかったものの、増殖しただけの様な気もしなくはない。
 しかも以前は年賀状を貰った側から逸早く名簿のメンテナンスに努めていたものの、昨年はいざ宛名書きの段階に至って年初に文字通り棚上げした賀状の束を紐解く有様で、今年に至っては蓋を開けてみれば最早その猶予は些かも無い。早め早めの選挙支援体制作りに務めた積もりでもいざ解散してみると目の回る状態に陥った様に、人は〆切を眼前に突き付けられり迄手を拱く生き物なのかも知れないが、万一住所不明で舞い戻り不義理を為す事態が生じたらすみません。必ず正月明けに再送することを誓います。

12月22日(土) plastic? pragmatic!  -趣味・実用 - 模型・プラモデル・フィギュア製作日記-

f986.jpg
四年程前にはこんな光景も
 サンタクロースの存在を信じていたのは小学校も半ば頃までだったろうか。勿論、齢を重ねる毎に自らが親に求めた要望がストレートに反映される事実に対して疑念が増していったのは否めない。詰まり逆算すれば、今年になって息子達が父母にサンタへの依頼を隠蔽する様になったのは、ひとつには現時点では親に容認されそうにないゲーム機を遠く北海の偉人に求める後ろめたさの表出かも知れないが、まだ朧げながらサンタクロースの実存に望みを抱いているとも言える。
 曾てマンション時代にはわざわざサンタの装束を纏い、ベランダ越しに現れるといった手の込んだ段取りを組んでいた父の対応も随分と簡略化され、少なくとも昨今お気に入りのレゴがウォント・リストに含まれていたことを確認し、喧騒著しいトイザらスへと出陣となった。
 ただ確かに昨今のレゴは本物を極めて厳密に翻案しているが、忠実さを追求するならばプラモデルの方が望ましく、小学校も半ばの祐旭にはそろそろ転向を促してもと追加で物色してみたところ、驚く勿れガンダムのそれしか存在すら認められない。恐らくは専門店へと赴けば戦車やら船やら軍事モノは根強い需要があるのだろうが、少なくとも子供向け汎用品の世界ではプラモデルとはガンプラの代名詞と化したと言っても過言ではない。
 幼き日々の我々はポピーの超合金と並行してマジンガーZやらライディーンやらを組み立て、やがて卒業してゼンマイ動力の車はじめモビリティへと進化していったものである。特段プラモデルに嵌った記憶の無い私でも、今は亡きLSの拳銃にはグリップに粘土を詰めて重量を増したり、プラカラーで彩色したりと友人と技巧を競い合ったものである。大仰だがモノづくりの原点に触れる機会がひとつ失われた様で些か不安とも言えまいか。

f987.jpg
World Hapiness 2010より
 プレゼント選択を省力化したのは多忙の為せる業でもあったが、再び二週間振りの休暇に腑抜けになったか、未だ日常に回帰し切れていない証左か、選挙前に取得していた高橋幸宏還暦記念公演を思い切りすっぽかして仕舞った。
 元より単身文化村に赴く積もりだったから特段の支障は無いし、そもそも幸宏氏の楽曲への関心は、その後も自身のYMO熱の振幅に従い思い出した様に新譜を購入したり、また遡ってみたりと形ばかりは継続しているものの、事実上YMO現役期の「薔薇色の明日」までに留まっている。
 とはいえ「音楽殺人」から「Radioactivist」が披露されたなどと聞くと矢張りその場に居合わせたかったと一定の悔恨も募ろう。古希の祝いは忘れないように今から心掛けようか。

12月21日(金) 素材を活かさぬ  -グルメ - 焼肉-

 故山中貞則氏曰く「年末は皆風邪を引く、ゼイゼイ(税、税)」の時期がやって来た。三年振りに与党として開催出来る自民党税調が手薬煉引いて待っているというものの、選挙のお陰でひと月遅れ、かつ正月は挟むし補正と並行だしで短期決戦の様相を呈する税の攻防である。
 選挙同様、短期凝縮でも通常通りサイクルを回そうとすると当事者も周辺も多忙を極めることとなるが、どうせ凝縮されるなら総消費時間が短い方が合理的との見方もある。
f985.jpg  曾ては夜半ひっそりとが定番だった引越しもかく大量とあらば最早事務的に進めるしか無かろうが、エレベーターが半分運搬用で占められた喧騒の議員会館にて終日回遊、今年も始まりました。選挙が終わっても仲々落ち着けません。

f984.jpg  それでも本日は選挙中、苦楽を共にした同僚の御仁と打ち上げに興ずる。牛の様々な部位が登場し話の種とともに食感を味わうべしとの趣旨だろうが、毎度の如くタレ塗れにして同僚から指摘を受けた。
 確かに昨日折角戴いた鰻の蒲焼も白焼きにも充分耐えそうなところタレ尽くしだったし、これでは幾ら素材が新鮮であろうと無かろうと固いか柔らかいかの二者択一位しか判然としない。
 考えてみれば揚げ物はソースの海に漂う浮遊物の如くして口に運んでいるし、カレーを白米の白い部分が見えなくなる様大量のルーを供するのも同じ嗜好のもとにあると言ってよい。鍋となれば一食で胡麻だれを一本消費する程だから出汁が何であろうと味に大差はない。
 実に作り甲斐の無い食べ方だが、だからこそ好む飲食物であれば調理の巧拙は問わない便利な舌とも言える。今日の肉が充分柔らかかったことは、何とか把握出来たのだが。

12月20日(木) CDJ  -音楽 - DTM、宅録、ミックス、レコーディング、機材-

f988.jpg  キーボードを椅子周りに再設置した際に、歌謡曲評論家の責務よりは人間カラオケたる熟達、と解釈すれば気丈に響くものの、その実気軽に楽曲に併せて演奏すべく既存のミキサーに簡易CDプレイヤーの編成を企図したが、残念ながらプリメインが分割された古式ゆかしいステレオ・システムに組み込まれそうな立派なCDデッキで無ければラインアウト端子を備えていない。それでも強引にフォーン・アウト経由繋いでみたがホワイト・ノイズだらけで、アバンギャルドだと喜ぶ趣味趣向も無いから到底実用に適さなかった。
 そこでCDプレイヤーとミキサーが一体となった機材を求めると、必然的にDJ仕様に行き当たる。元よりDJという職種を否定する謂れは毛頭ないし、繋ぎ等のミクスチュアも含めて楽曲を巧みに選択する創造性には音楽家として大いに敬意を払いたいが、個人的には演奏とは鍵盤や弦を掻き鳴らすことであって、キュキュキュとお皿を回したりする光景は最も縁遠い世界である。
 学生時代にアルバム作成を試みた相方が、オケを作り終えてからメロディを当て嵌めると宣った際に衝撃を受けた私は、美しく言えばメロディ・メーカーであり、従って感性でしか楽曲を編み出し得なかったから、DJにも通ずるアレンジャー指向の、幾何学的な音作りには兜を脱がざるを得なかったのである。
 その私が今更の様に、プレイヤー・ミキサー一体型の、言わば初歩のDJ向け機材を手にするとは歴史の皮肉でしかないが、この世界でも一見CDプレイヤーを内臓していそうでも「お皿」だけ乗ってる「コントローラ」なる逸品が大半だから、漸くGEMINIなる大仰なネーミングの企業のCDMP-6000にあり付いたのは幸いには違いない。ただダブルCDにダブル外部入力と思い込んでいたら、CDと外部入力の選択制とは一本取られた面持ち、道理でミキシングのの摘みが二つしか無い筈である。
 それでもキーボードを先ず一台接続して贅沢なCDミキサーの体裁は整ったので、お笑い番組のジングルの真似程度にはスクラッチも試みる。丁度、初めてサンプラーを手にしたら「わ、わ、わ、わ〜」等と遊んでみるのと同じ感覚だが、レコードの様に実際に針と板とが接触している訳ではないから、CDを瞬時に読み取りサンプリングして皿回しと連動して「キュッキュ」と鳴らしているのだろうか。
 また宝の持ち腐れが増えました。
次のページ

FC2Ad