コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月30日(金) 日本の恋とTin Panと  -音楽 - 懐かしい歌謡曲-

f955.jpg  嘗てベスト盤を作らない最後の大物と称えられた松任谷由実氏も、今やすっかり手を換え品を換えで数年に一度ずつ、投下資本を回収する後工程に入った感がある。
 それでも音楽生活40周年記念「日本の恋とユーミンと」を聴くと思わず鍵盤に手が伸びる名曲揃いであり、70年代以降のわが国歌謡界を担った足跡が伺えるのみならず、外連味溢れる数々のステージから代表曲を収録したDVDも附属しておりお得である。
 プロモーションも盛んで本日放送された特番における、原曲でもバックを務めたキャラメル・ママの面々を従えての「ひこうき雲」は後代に残る歴史的映像と言っても過言ではない。98年のベスト「Neue Music」収録の新曲二曲でも共演しているが、その際のTin Pan Alley標記が今般はキャラメル・ママに復したのもNHKらしい考証だろう。
 と言うのもキャラメル・ママは確かに細野晴臣、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆の四氏だったが、Tin Pan Alleyと改名して以降は、既に述べた様に実質的に先頃急逝された佐藤博氏がキーボードというのが定説になっている。
 ただ番組でも紹介されたセブンスターショーの映像では正隆氏に加え、実弟の愛介氏か斎藤ノブ氏かと五人でバック・コーラス兼ステップ・ダンサーを務めており、矢張りTin Pan Alleyは改名後は必ずしも固定メンバーに囚われない音楽集団と看做すべきなのかも知れない。

 すっかり失念していた政治資金収支報告を求め、遠征の帰路竹橋へと走る。選挙と重なったためか飛ぶ様に売れており、最後の一冊とは幸便だったが、途上、政府刊行物サービス・センターの名も併せて失念し、タクシー運転手氏に呪文の如く「官報、官報」と唱えると、「漢方薬ですか」と呟かれる。
 疲れていると余り笑えない。

11月29日(木) 出たとこ勝負

 元来私は自然に気配りの出来る質ではない。恐らくは今の祐旭の様に何事にも物怖じしない朗々たる性格が、様々な人間関係の軋轢の中に磨耗され、かつ社会人生活での只管揉み手に徹するが如く対外業務を通じて、必要以上に腰は低くなったものの、意図的に気遣いを心掛けない限り、自然に酒を注いだりする動作は生まれてこない。
 逆に言えば意識的に神経を尖らせていれば対応は可能だが、それは必ずしも自然には映らないし、何よりも始終気を張っていては疲れ果てて仕舞う。
 だから事前に気を回すのは最低限で良しとし、現場で生じたアクシデントにはアドホックに応対する「出たとこ勝負」で済ませて来たのは、これまで曲がりなりにも大きな失策を犯したことの無い経験則に裏打ちされていようが、薄々は感付いてはいたものの、どうやら秘書稼業にそれは御法度の様である。
 たとえ自らの落ち度でなく他者に帰責する事由であろうとも、それすら生ぜしめぬよう確認に次ぐ確認で不測の事態の生ずる僅かな芽をも事前に摘むのが秘書の要諦だとすれば、常に「省事」の精神で事後的に対処して来た私は、矢張り秘書向きとは言い難いのだろう。
 或いはそこには極端に不具合を忌避するわが国製造業らしい精神と、クレームがあれば即座に新品に取り替えれば良し、寧ろその方がコストは小さいと割り切る大陸的な構えとの差異を見出すことも出来るのかも知れない。
 ただ生粋のメロディメーカーが才能が枯渇すれば往々にして旧作の焼き直しに堕するのに対し、後天的乃至は人為的に体得された作曲手法はプロセスが明らかであるが故に長続きする様に、今後に向け新たな技術を培う過程と肯定的に受け止めるべきなのだろう。
 この怒涛の日々が終わって、何か得られるものが生まれていることを、自ら切に祈りたい。

f954.jpg  一般的に飛行機と新幹線の分水峰は時間距離二時間とされるが、福岡の如く空港から市街地までが至近なら兎も角、広島駅まで一時間弱の広島空港では東広島に欠くべからざる用事が無い限り、現実には4時間掛けても新幹線の方が利便性が高い。岡山もまた空港から30分とあらば行って来いで広島同様である。
 確かに大阪なら盲目的に新幹線を選択するが、実際に移動してみると新大阪―岡山間の至近さには驚くばかりであり、改めてわが国の大動脈、東海道・山陽新幹線の偉大さを実感した。国内航空会社の悲哀もまた。
 なお初めて「さくら」に乗ったが、指定席が2列+2列シートと豪勢なことを除けば外見上はのぞみ、ひかりと特段の差異はない。写真が駅と電車ばかりというのは些か寂しいが。 写真吉備団子

11月28日(水) ゼロゼロナンダフル  -アニメ・コミック - アニメ・感想-

f952.jpg  一般的には「赤いマフラー靡かせて」でお馴染みだが、私の世代には「誰が為に戦う」の幾分抑えたトーンが印象的なサイボーグ007がリメイクされるらしい。
 第二次アニメ化の79~80年は再放送からウルトラ・シリーズに三度火の点く時期に当たっているが、実際には子供向けTV番組は特撮からアニメ主体に切り替わる過渡期で、御他聞に漏れず今に至る特撮フリークたる私ですらアニメに軸足を移しつつあり、かの009も熱心な視聴者だった記憶がある。
 そもそも石森章太郎氏のTV作品はキカイダーやイナズマン、ロボット刑事Kにしろその大半が特撮番組として放映されているが、009に限っては既に60年代の時点でアニメとなり、未だ実写化は実現していない。
 ただ人間になれないロボットのピノキオ的な要素や、一般人と異なる使命を与えられた戦闘用人間の悲哀を描く石森作品が、殊更に「改造人間」を強調していた仮面ライダーですら平成作ではそれを糊塗して仕舞った様に、医療の進歩により人間の改造が現実的なった昨今ストレートなTV放映が難しくなる中で、「サイボーグ」を名打つ009がその命脈を保ち得たのは、アニメ故のソフトさにより機械らしさが必要以上に喚起されなかったこととは無縁ではあるまい。
 画風の変わる新作を見たいとは思わないが、石巻市に掲げられた「石ノ森萬画館」の看板を見て、ふとそう思った。

 009には007が登場しその名もグレート・ブリテンなのは本家に敬意を払ったものだろうが、殺しのライセンスを得た009もMI6に存在してよさそうなものの、007シリーズにその描写は無い。
 間もなく4年振りの新作の公開される007に付いては稿を改めて言及したい。

11月27日(火) 見えない未来  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

f953.jpg  亀井・河村の反原発で一段落かと思っていたら、雨後の筍のしんがりにこんなどんでん返しが控えていようとは矢張り侮れない。
 確かに維新とみんなの候補が都市部で思い切りバッティングし、橋下代行の「じゃんけんで決めて」発言が槍玉に挙げられた第三極に対し、国民の生活が第一は減税日本と反TPP、更には友党たる大地と見事に住み分けを図っていたのは事実である。とはいえその「オリーブの木」戦術の帰結が、太陽との合併で原発へのスタンスが曖昧になった維新へのアンチテーゼ、かつ地域的にも維新に至近な滋賀県知事を担いでの新党設立とは、誰しも予想だにしなかったろう。
 選管が投票促進ポスターの「未来」の二文字を削除するため対応に大童になったのも、振り替えればそもそも民主党のキャッチフレーズだった「国民の生活が第一」を本家はこちらとばかりに奪取したのも、話題作りも兼ねた周到な戦術なのだろう。
 ただ水面下の力業には脱帽するものの、現実にはポスターの張り替えすらままならない候補者も続出するだろうし、ただでさえ民主との相討ちで自公を利するばかりか、「第四極」の登場は今ひとつ盛り上がりを欠く維新に打撃は与えても、結果的に一極・二極を利する効果しか斎さないのではなかろうか。
 或いは未来・大地・みどりを併せればギリギリで新政権たろう自公の参院過半数確保のバーケニング・パワー足り得るという計算なのか、果た又太陽と再分裂した維新と組んで早くも逆バネが予測される来年の参院選で勝負するのか。
 小沢一郎という希代の政治家の為す事柄であるからこそ、又しても議席を減らしての純化路線であっても壮大な構想が隠されているのではと識者を疑心暗鬼にさせるには充分なからくりかも知れないが、今はまだその胸中は読めない。

11月24日(土) 二つのリング  -育児 - パパ育児日記。-

f949.jpg  多忙極まりないからこそ更に自らを追い込むが如くに、三連休唯一の休日は6時に一家を叩き起こして常磐道を滑走し、まだ開場前のツインリンクもてぎへと赴く。
 練習中のレースカーを尻目に一路モビパークへと急行すると流石にガラガラだが、折角レース場仕様の本格派ゴーカートをと目論んだ割に幼児の公資でも乗車可なのは遊園地のお猿の電車に毛の生えた様なギミックばかりとは失策であった。
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 祐旭こそひとり乗りカートを疾走し、事故に備えての誓約書付きの上のクラスにも移行出来そうだったが、こちらも小学四年以上の壁に阻まれる。二人とも体格が良いので年齢査証も可能だったが、「嘘も方便」より「嘘は泥棒の始まり」と頑なにサバを読まないのは真摯と讃えるべきか、柔軟性に欠けると言うべきか。
 午後は何故か書初めに参画し、ひとり一文字ずつ「天高く匠の描く花乱舞」のキャッチフレーズを認める。夕刻からの花火の祭典の冒頭に放映される由で、道理で矢鱈と入場料が高かった謎が解けたが、撮影に時間を取られたにも拘わらずわが家は肝心の晴れ舞台には預かれないのでは画竜点睛を欠こう。子供達は意外に楽しそうだったので望外の余録には違いなかったが。
 モビパーク高台の部にとって返し、シュミレーターに続き、運転しながら射撃する遊具でライセンスを取得出来なかったと嘆く祐旭。悪路走行でも祐旭は再三ハンドル取られて路肩にぶつけ捲り、父が補助した公資も全くクリアに満たぬ難しさで、父同様矢鱈と勝ち負けに拘るわが子には不評だった。
f951.jpg  最後に祐旭はドリフト走行に変わったカートで、無事尻を振る運転も体感出来た様で、新兵器のキャノン砲擬きを遠路持参した甲斐もあったというものだろう。
 本格カートに乗れる年頃になれば大半の遊具は子供騙しに映るだろうから妥当な選択だったのかも知れないが、閑散期対策、或いはレース客の家族集客に資するという意味では、富士スピードウェイも見倣うべきなのかも知れない。尤も近隣に富士急ハイランドの聳える富士と孤高の茂木では前提条件が異なり、自動車アミューズメント事業とひと括りには出来ないのかも知れない。
 博物館も駆け足で一周したが、ドル箱たる二輪の存在以上に、子供達が夢中になったアシモ君とモビパークに安置された航空機に、今後の自動車産業の行く末が暗示されていたと受け止めたのは、企業人らしい感想だったろうか。

 恒例により途上、ホルムの里で温泉に浸るも帰路は既に守谷から渋滞で三時間コース。些かハードな忙中忙ありだった。

11月23日(祝) ア行の喜び  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

f947.jpg  昨日は愈々残業中に出前を取るに至ったが、今日もまた何事も無かったかの様に出勤では豊穣を祝う余裕も無い。
 ただそこは製造業の特異性と言うべきか、本社機能は旗日に拘わらず稼働しているし、販売店は土日が稼ぎ時だから、返って日常業務に惑わされず純粋に連絡調整に専心出来るのでかく切迫時には便利である。
 しかも選挙事務所はじめ永田町関係者は須く活動しており、カレンダー通りに確実に休みの訪れるサラリーマン稼業の安楽さに改めて直面するが、緊急事態であるが故の休日出勤は、電話一本でも「休みの日にわざわざ」と感謝され、下世話な物言いが許されるならばアピール度抜群という別の効用もある。
 何よりも周辺居住者であっても自らもまた永田町に関わる者として、到底惰眠を貪ってはいられまいというのは、幾分自意識過剰なのかも知れないが。

f946.jpg  自身の現役引退後20余年を経て指導者経験なくしての監督就任でいきなりのリーグ優勝に続いては、高校野球監督経験者のヘッドコーチ登用とは、まさに本邦職業野球の有り様に一石を投ずる試みになるのかも知れない。
 その阿井コーチは栗山監督以上に実績、知名度ともに乏しいが、個人的にはその名前には非常に興味を覚えていた。参議院比例区が現在の非拘束名簿式に改められて以降、舛添要一、竹中平蔵といった目玉候補や民主党の固定的な労組組織票を持つケースを除き、如実に表れるのは五十音順の優劣である。
 即ち特定の意中候補なく、しかしながら支持政党を有する有権者は、無意識の内に名簿記載の筆頭にある候補者に投票する傾向が伺える。勿論、生まれ持った名前による有利不利は本来到底容認出来ない要素であり、電子投票導入の暁にはランダムに順番が入れ替わる記載方式も検討されているが、現行の紙媒体を基盤とする限り有効な対処方は存在しない。
 詰まり阿井新コーチが有力政党から出馬すれば当選間違いなし、しかも対抗馬を立てようにも名前も英二郎だから、親族に伊之助や上男といった人物が存在しない限り先んじるのは不可能である。
 実父が政治家で越智通雄氏ばりの「下から読んでも」を授かった元毎日選手・スカウト三宅宅三氏の如く事例もあったが、恐らく生まれてこの方、学校では殆ど席順一番だったろう阿井コーチも予想も出来ぬ効用ではなかったか。ここで知名度を上げて一躍政界進出へ、などと夢想するのは政治兼野球評論家の私ぐらいだろうか。

11月21日(水) マニフェストにさよなら  -政治・経済 - 衆議院解散・総選挙-

f945.jpg  マニフェストという言葉を最初に世の遡上に乗せたのは北川元三重県知事だが、選挙戦術として最も功を奏したのが去る2009年の政権交替選挙であったのは間違いない。そこには従来の総花的な政権公約に変わるマニフェストの数値目標的な合理性が民主党に色濃く残る革新気質と合致したがため余計に有権者に好評を博した要素はあったとしても、小選挙区導入の目的のひとつであった党営選挙のひとつの帰結でもあったろう。
 しかしながら三年有余ヶ月を経て、残念ながらマニフェストは既に過去の流行語のひとつと化しつつある。勿論、民主党も稚拙ではあってもそれなりに真摯に、少なくとも政権獲得後の希望も込めてマニフェストを掲げたのだろうが、18.5兆円の薔薇色の玉手箱が元の木阿弥の消費増税に還元されては、有権者に裏切りと捉えられても致し方あるまい。
 ただ今選挙においてマニフェストが話題性を欠くのは、その存在への懐疑以上に、税・社会保障一体改革における三党合意に象徴的な、主要政党間の争点不足の賜物であろう。従って、亀井静香氏の「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」は政党のネーミングとしては無粋だし、荒唐無稽には他ならなくとも、アジェンダ設定としては的を射ているとも言える。
 確かに選挙の効用のひとつに争点の明確化があるのは疑いない。しかしながら戦術として過剰な打ち上げ花火を掲げては国民を惑わせるばかりだし、だからと言って余りに現実の延長線にある振れ幅の少ない未来ばかり語られても夢が無い。
 嘗ての「上げ潮」論争においても長期金利を上回る成長率の持続をはじめ楽観的に過ぎるとの指摘が相次いだが、それが政治の意志と姿勢を示す行為である限り、厳密な数字の実現可能性を論ってみても仕方無かろうし、今再び安倍総裁の、対日銀批判は些か攻撃的に過ぎるきらいはあるものの、成長路線が早くも円安と株高を喚起している。
 政治に過度の科学的合理性は似合わない。マニフェストから歴史と伝統に基づく保守への回帰もまた民主主義の試行錯誤の一環なのかも知れない。

11月20日(火) Reflections in a Palace Lake  -地域情報 - 京都-

f941.jpg  忙中閑ありと言うよりは忙中に忙を求めるが如くに、再び京都へとやって来た。
 ライトアップされた高台寺に程近い瀟洒な店で河豚三昧に、ヒレ酒を煽り続け、観光客満載のため豪奢かつ至便な京都駅グランビア泊とは贅沢極まりないが、その替わり今回は自由時間に乏しく、尻に火の灯る中、到底映画村まで羽根を伸ばしたりは能わない。
 結果、まだ夜も明け切らぬ内から洛中を闊歩して西本願寺を尋ね、本堂も垣間見つつとは観光客モードだが、当然必勝祈願も忘れないのは職業病だろう。
f942.jpg  東本願寺はパスして早々に都に別れを告げたが、久々に朝っぱら好奇心溌剌に活動した煽りで風邪を引いた模様、嵐の日々を前にここは自戒すべきだったか。

 過去にも取り組みが中断され結果として取り直しで処理したケースはあった様だが、相撲規則にも無い「やり直し」という超法規的措置を捻り出した元関脇・多賀竜の鏡山親方は、咄嗟の判断にも拘わらず「取り直し」との脚韻も踏んでおり当意即妙としか言い様が無い。
g033.jpg  一方で指し違えで進退伺が慣例とされているのが立行事のみならば、"誤審"で「やり直し」を招いた平の湊川審判委員がお咎めなしでも間尺は合っていよう。
 現役時代、便所の蓋との酷似を指摘され、思わぬ人気を博した大徹への久々の注目は余り褒められた形ではなかったが、寧ろことなかれで見過ごすよりも敢えて審判員の責務に忠実だったが故の勇み足と、氏のキャラクターに免じて好意的に受け止めておくべきか。

11月19日(月) インパールと水島と  -海外情報 - ミャンマー-

 嘗て共産主義からドイモイによる実質資本主義に転向した頃のベトナムがそうであった以上に、世は挙って、勤勉な国民資質と勃興する産業需要を背景に、遅れて来たフロンティア市場として花咲かんミャンマー詣でである。 取り分け人権外交を標榜する米国の方針転換がサインとなり、その最終的な"お墨付き"が今回のオバマ―アウンサン会談であったのだろう。
 ただ解放のシンボルであったスーチー氏がそのまま新生ミャンマーを率いていく構図は、同じく民衆運動の指導者を父に持ち、軍政からの転換を導き、しかしながら大統領としては経済発展を有効に舵取りし切れなかったフィリピンのコラソン・アキノ氏を彷彿とさせなくもない。
 名選手必ずしも名監督ならず宜しく巧みなチェンジ・オブ・ペースが図れれば望ましいが、国家の勃興期における「英雄」への希求を、民主主義に慣れて仕舞った我々は最早実感出来ないだけなのかも知れない。

f944.jpg  キム・デジュンよりは金大中というのは的確な表現ではないかも知れないが、ジンバブエは南ローデシアとまで遡らなくとも、ホーチミンがサイゴンである様に、ヤンゴンよりラングーンの方が耳馴染む。
 勿論ビルマの竪琴の世代ではなくとも、歴史や伝統よりも植民地時代を想起させる旧国名を拭いさりたいとの思惑が先に立つのは保守主義者にも理解出来なくはない。
 旧英国植民地同士との縁なのだろう、ミャンマーには今も多くの印僑が存在するが、油の多いミャンマー・カレーよりは就く印度系のスープに近いカレーが個人的には好みである。
 ただ凡ゆる丼物と穴子・稲荷を除く寿司を忌避しながら、カレーに限っては恰もスープに浮かぶ具と御飯の様相がベストなので、通例の印度料理店の少量のルーでは白米に白い余地が残って仕舞う。
 従って、バイキングが望ましく、過日は久々に新宿の印度屋を尋ね、溢れんばかりのルーを堪能した。
 話が反れました。

11月18日(日) 最後のトトロ  -育児 - パパ育児日記。-

f938.jpg  初めて幼稚園のバザーを訪れた際には、全て手作りのイベントに家族的雰囲気を醸成すべく幼稚園の確固たる方針を感じたものだが、時を重ねればそれが保護者の無償労働の賜物であり、現に妻も終日売り子として駆り出され、父兄会幹部が夜なべして作成したバザー商品の売上も、勿論園児に還元される前提とはいえ全て学校法人に帰属する構造が透けて見えて来る。
f939.jpg  しかも出し物は毎年同じで、砂場に宝袋釣り、離れで大混雑のトトロ作成と、園児は入れ替わるからマンネリズムを指弾される恐れも無いし、公資ばかりかOBの祐旭も充分満喫しているのだから注文を付ける謂われも無いのだが、親にとってはデジャブの如しである。
 事前に千円分の半券を売り付けられるのも大学時代、サークルの入会金に五月祭のチケット相当を上乗せした新歓担当者としては天に唾すると言うべきか、同病相憐れまなければならないのかも知れないが、焼きそばやら綿菓子やら出店の好回転率に寄与しているのは疑い無い。
f940.jpg  それでも消費し切れず園内を彷徨っていると、木工工作コーナーに出会した。二人とも早速金槌片手に作業に入ったが、残念ながら園児児童では到底手に負えぬ頑強な木片に早々にガムテープ仕様に転向する。しかしながらふと辺りを見渡せば、何と園児なら充分使用に耐える椅子を拵えている御仁が見受けられるではないか。
 勿論、父親の手も加わっているのではあろうが、ではひと肌脱いでと釘打ちに挑戦して見ると、四十過のわが身にも一本釘頭が隠れる迄に精力を使い果たす始末とは、もしかしたら一家揃って腕力に欠ける証しなのだろうか。
 疲労感嵩む両腕を労りながら、これで六年に亘ったバザーも見納めかと、最後は幾分の寂寥に駆られながら幼稚園を後にした。
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