コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

10月31日(水) 筆を採る  -小説・文学 - 文学・小説-

f910.jpg 祐旭が公文式からサピックスに転向してひと月余、予想通り単純な計算問題には圧倒的な強さを見せているが、文章題には戸惑っているらしい。確かに複雑かつ学校毎に細分化された昨今の中学受験事情を踏まえれば、受験テクニックという欠くべからざる要素を踏まえても妥当なステップアップの道筋だったろうが、公文式の弱点要素を勘案しても文章題に苦しんでいるのはそもそも文章を書くことに慣れていないのではないかというのが、妻と辿り着いたひとつの命題である。
 確かに息子達は二人とも読書好きには違いないが、幼稚園に"フィクションの日記"とも言うべき作文を提出していた公資に比べれば、兄は筆より口が回るタイプである。
 煎じ詰めれば文章力とは感覚であり、お題を拵えて「枕」の掴みさえ気を付ければ、自然と何等かの「結論」が導き出される、言わばタイトルを与えられてそこはかとなく日常生活の中で思案していると、机に向かう頃には自然と歌詞が出来上がるという松本隆氏の域に達するのがベストには違いない。
 ただそこに至る過程においては、主語と述語まで遡らなくともひとつひとつの短文の始まりと終わりの整合性といった基礎能力に始まり、読ませる為の美しいリズム感は当然のこと、そもそも何が言いたいか、即ち「結論」が無ければ文章は成立しない。
 恐らく世に溢れるネット文章の大半は結論の無いままに認め始め、結果尻切れ蜻蛉に終わっているのは、この「言いたいこと」がはっきりしないままに頭から筆を運んでいるからではないのか。
 勿論、私も常に結論を意識して文章を編んでいる訳ではないが、恐らくは自然とそこに収斂させるのが慣わしとなっており、逆に言えば自らの関心事項には常に何等かの視点なり対策なりを念頭に置いているからこそ、執筆によりその「結論」が纏まるという効用も得られ、同時に文章として世に送る為には事実関係の確認を必要とし、その作業が情報の蓄積を育み、新たな関心に繋がるという副次効果も生ずる。
 学生時代、サークルの月刊誌編集長を務めて痛感したのは文章の巧拙以前の問題として執筆を尻込みする輩が余りに多く、それは取り分け職責に伴う報告よりも寧ろ、「紀子さま御成婚」「音楽」といった機関誌には到底似つかわしくない特集のエッセイにおいて顕著だったのは、たとえ特定層に限られても自らの文章を披歴するメディアの存在に悦びを隠し切れなかった私にとって頗る意外に映った。
 自らテーマを選択し得る散文とお題を与えられた回答では条件が異なろうが、畢竟他者に読まれることを意識した文章の数をこなせば必ず文章力は向上するし、そのためには好きこそものの上手なりの論理ではないか。

10月29日(月) ラグタイムを聴きながら  -音楽 - 音楽-

 YMOフリークとして細野晴臣氏の足跡は隈無く追ってきたが、日本のロックの草分たるはっぴいえんどに纏わる文献、音源は数多かれど、その両者に挟まれたティン・パン・アレーへの言及は思いの他少ない。
 メンバーは細野氏を筆頭にギターの鈴木茂氏、ドラムの林立夫氏に加えユーミンの旦那でキーボードの松任谷正隆氏というのが通り相場だが、固定バンドであった前身のキャラメルママ時代は確かにそうであったとしても、初期YMOの細野構想にも通ずる多数ミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参画する音楽製作集団とも言うべきティン・パン・アレーにおいては、実質的に松任谷氏に替わり佐藤博氏がレギュラー・メンバーだったと解釈されている。
 その証拠に、後段はティン・パン・アレー再々結成の趣きだった昨年5月の「HoSoNoVa」公演にも佐藤博氏が登場し、細野氏のアルバム『泰安洋行』収録曲のみならずアンコールの「はらいそ」でもブギー・ピアノを披露して呉れたが、思い起こせばB面冒頭の「ファム・ファタール」に坂本龍一、高橋幸宏両氏が顔を揃え、YMOの契機となったアルバム『はらいそ』もメイン・キーボーディストは佐藤氏であり、当初予定通り佐藤、林両氏とのYMOが実現していれば、結果的に初期YMOの特色となった意図的な匿名性と無機質とは大いに様相を異にしてはいただろうが、「海外から見た間違ったオリエンタリズム」というコンセプトに忠実なもうひとつの可能性を秘めていたかも知れない。
f909.jpg  近年はラップのSouJa氏から敷衍して青山テルマ氏の「そばにいるよ」のプロデュースでも知られ、何よりも一般人でも「細野さん」と敬称を付して仕舞う細野氏を、周辺の音楽家で唯一「細野くん」と呼称出来た佐藤氏の急逝は残念極まりない。御冥福を御祈りしたい。

 微妙に開幕した国会の喧騒を他所に、昼は関係者の送別会で久々に永田町の四川飯店を訪れる。
 嘗て三人で中盆を三皿頼んで店員から訝しまれたこともあったが、何となく辛さが薄れ、汗の出方も目減りした感。加齢に伴い新陳代謝が悪化したのかも知れないが。

10月28日(土) 男はタフでなければならない  -スポーツ - ゴルフ-

f907.jpg スタート・ホールに佇むとキャディー氏からいきなりの「2010年のIDC大塚家具レディース最終日のセッティングを再現しています」との無体な御宣託に仰天した。改めてコース・レイアウトを眺めれば、そもそもが長めの道程が更に延伸されているではないか。
 しかもタフな設定に人気が集まり今日は混雑と言われても、出向時代、北は北海道から南は沖縄まで、ツアープロの如くバックの飛び交うのは日常茶飯事だったが、ツアープロに成り替わってプレーするのでは百前後のアベレージ・ゴルファーには災難以外の何物でもない。
f908.jpg のっけから打ちのめされた上に振り仕切る雨の中、何れも170y超と有難い前振りのあった最初のショートでワンオンと意地を見せたがスリーパットでは締まらない。雨のお陰で異様に速いグリーンに悩まされる事態こそ避けられたが、最終日らしく見事に畝った先にカップが切られており、ラウンドを通じてオリンピック1点のみとは過酷である。
 それでも冒頭こそドライバー・シングルだけは維持していたが、16番ロングで生命線のそれを引っ掛け、山の上からの第二打以降は生い茂るラフに天婦羅ばかりとは、日頃意識しないフェアウェイの有り難みを今更ながらに思い知らされる始末である。
 午後は遂にドライバーまで崩れる深刻さで、長い距離、大量の池とバンカー、剛毛のラフ、常に砲台、かつ曲がり放題のグリーンに雨を加えれば、わが国経済並みの六重苦に翻弄されたとはいえ、「10打位は割り引いて」換算と互いを慰め合っていても仕方無い。
 実に三年弱振りのラウンドを通じてのパーゼロだった。コース選択は慎重に。

10月27日(土) ひと桁の最後に  -育児 - パパ育児日記。-

f904.jpg 毎年友人主催のハロウィン・パーティーのお招きに預かっているが、今年は見送りを余儀なくされたのは、昨日祐旭が友人達のそれに闖入し、兄弟で一昨年来使い回しの南瓜とスパイダーマンという珍妙な取り合わせを披露して仕舞ったが為ではない。
 まだ物心も付かない時分から「羊の会」サークルのOB会そのものであるとか父或いは母の友人の子供達とのアドホックな交流に駆り出されて来たが、そろそろ祐旭も自ら固有の友人との時間を優先したいお年頃に差し掛かって来たのではないか。
 成る程公資という良き相棒の存在はひとりっ子だった父の境遇とは大きく異なるとはいえ、父もまた幼少の時分にはお出掛けの類において友人同士のそれに憧れ、偶々旅先で―恐らくは社宅住まいであったから企業の保養施設における邂逅であったろうが―友人と出会した場面には明瞭な記憶が残っている。
f905.jpg 受験に向けての勉学も本格化して来れば遠出も物理的な支障を生じよう。あと少しお父さんと遊んで欲しい。祐旭、9歳の秋である。

 もうひとつ、本日をオフにした理屈は、毎夜の如くに宴席が連なり、日中は永田町近辺を飛び回っているから、夕刻出動しない日は夜半までのデスク・ワークが恒常化し、遂に昨日は会合後に還俗して0時過ぎまで猛烈サラリーマンと化した日々の賜物で終日自らの慰労に努めざるを得なかった日常がある。
 確かに高級官僚ならその程度は朝飯前かも知れないが、アルコール漬けの職務執行は非効率極まりないし、何よりも齢40を超えてのかく生活は楽じゃない。

10月26日(金) 脱空洞化  -スポーツ - プロ野球-

 昨年の菅野投手の強行入札は本邦職業野球への人材供与を減ぜしめる暴挙に他ならなかったが、今般の大谷投手指名は丁度その反対に、安易な米大リーグへの人材流出、空洞化に一石を投ずる蛮勇であったと申し上げたい。
 営利企業としての日本ハム球団の狙いが奈辺にあるのか、優勝争いに参画し得る程度の戦力を低人件費で維持するためには、敢えてドラフト一位の指名権を溝に棄てても、そのニュース・バリューによるマスコミ露出で充分にお釣りが来るという皮算用なのかも知れない。
 確かに大谷投手にとっても同様の境遇から国内残留を選んだ菊池投手が西武入団後一向にウダツの上がらない様を見れば国外脱出を唆す声に踊らされるのも宜なるかなである。
f903.jpg  ただ大谷投手個人には何等の恨みはないものの、結果として米国に道を定めれば、日米の紳士協定を名実ともに破綻せしめた張本人という汚名は生涯消えることは無かろうし、縦しんば日本プロ野球において任意引退扱いで米大リーグ入りした明らかな脱法行為が渡米後の活躍を以て掌を返したマスコミに葬りさられた野茂投手同様に、万が一米国で好成績を上げ、今行動が正当化されたとしても、本邦職業野球の発展を期する者は決して恩讐を超えることは無かろう。法の精神を乱す者への懲罰―渡米後の一定期間の日本野球への関与の禁止―の更なる厳格化こそが思惑は如何なるであれ、日本ハム球団に蛮勇に応える術ではないか。

 月曜の焼肉に続き昨日はすき焼きだった。このところベルトの穴も緩み気味、些か余裕のあり過ぎたスーツがどれであったかも判然としなくなって来た。ゴルフスイングだけでは体格を維持出来そうにない。

10月25日(木) 太陽をもう一度  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

f900.jpg
6月のたちあがれ日本パーティーにて
 政治家・石原慎太郎氏に関するリアルタイムでの記憶は89年「山が動いた」の参院選敗北後、本命・海部氏の対抗馬として亀井静香氏に担がれる形での総裁選出馬だが、印象深いのは25年永年勤続表彰における突然の衆院議員辞職であろう。
 それから4年を経ての都知事選出馬は、多様なアクターの主張の糾合を放棄すれば民主主義は容易に衆愚政治に陥るという、恰も現代の先駆けの如く「橋の哲学」に敗北を喫した若き日へのリターン・マッチには違いなかったとしても、外形標準課税に始まり、結果的な是非は今後の推移に待たなければならないかも知れないが、尖閣諸島の購入に至るまで、帝都を壮大な実験場として国家に合口を突き付ける手法は、東京都知事よりは東京府知事、東京市長チックではあっても、政治家のそれであったと言えよう。
 ただ残念ながら13年半の長きに亘りその地位にあったことが寧ろ不思議なのかも知れないが、このタイミングでの新党は些か峻を逸した感があり、候補者乱立の都知事選における満を持しての後出しじゃん拳の再現を狙ったと言うよりは石原伸晃氏の総裁選が惨敗に終わった結果と短絡的に結び付けられかねない旗揚げは、恐らくは都知事選との12月ダブル選狙いの宛てが外れそうな情勢とともに、今ひとつ「太陽の季節」程の爽快感に欠けるきらいがある。
 文章のリズムという点では江戸川乱歩氏を以て最高峰としても、実際の私の文体の手本のひとつは、読者の恣意的な解釈を許さぬが如く過剰に説明的であるが故に長文の、石原慎太郎氏に他ならない。
f901.jpg  願わくば既成政党批判による第三極の旗手たるよりは、保守再結集の受け皿として、中道を目指した新自由クラブとは逆の意味で、再興すべく自由民主党の補完に、わが国に殆ど唯一の文人政治家の最後の力を振り絞られんことを。

 偶然の符合以外の何物でもないが、もうひとつの第三極の雄たらんとする政党の結党記念パーティーも本日であった。
 この日に併せ現職以外の追加公認が発表されたが、選挙区は未発表とはいえ多くは地方議員乃至は国政選挙出馬経験者であり、一定の得票を見込めれば少なくとも比例区には大きな力となろう。
 かく顔触れが新党設立後の数ヶ月で出揃ったとは考え難いから、小沢氏は常に候補者予備軍を抱え持っていたということになる。
 数を擁しなければならない民主主義社会における政党指導者のひとつの姿を改めて仰ぎ見る想い。

10月24日(水) 方舟に曳かれて

 サラリーマンに身を窶して以来、対外職務において自分より高位・高齢の御仁と応対し続けて来たから、必然的に上官に如何に振る舞って貰うかばかりに長けて来たきらいがある。
 幸い何れの上官も旨く御輿に乗って、いざ緊急事態には責任だけ引き受けて呉れるタイプだったので、静謐な事務官時代を送らせて貰ったのだろう。
 時は流れ自らが管理職というポジションになり、ステージが些かでも上がったためなのだろう、必ずしもお膳立てを整えれば舞台は役者に任せてという段取り屋で済まなくなって来たのも当然である。
 ただ職務柄もあろうが、自らもまた舞台に登る役者を兼ねるのであれば、当然に俳優兼付き人として常に配役を求めるのでなく、寧ろ舞台は主演に委ね、裃を脱いで黒衣に舞い戻る局面との峻別が必要ということなのかも知れない。
 それはそれで俳優を目指して劇団に入ったのに君はまだ大部屋のままでと諭された様で寂しいお達しだし、名優を志すならば場数を踏まなければならないのも事実だけれど、役を演ずる物理的な時間の節約にはなろうと割り切るべきなのだろうか。
 何時までも、何処に行っても下っ端で、仲々自らを振り付けるべく有能な配下に恵まれ難い世代的な悲哀は兎も角、俳優兼座長たるに相応しい経験を積むに能わざるならば由々しき事態ではあるのだけれど、黙って自己コントロールに徹するのがサラリーマンの姿と以て銘しよう。

10月22日(月) はやてに乗って現れて  -趣味・実用 - 鉄道-

f898.jpg  東北新幹線の開業によりJR東日本の牙城となった仙台は、今や羽田からの空路も消滅し、寧ろ名古屋よりも時間距離の小さい土地と化している。
 恐らくは新青森延伸に伴い誕生した「はやて」にグリーンよりも更に高級なセミフラット仕様のグランクラスを備えたE5系が投入されたのは、経営が二社に亘る上に現実に東京―博多間を乗り切る顧客が希少であろう東海道・山陽に対し、あわよくば札幌まで一気痛感の乗車を目論む東日本の策略であろう。
f899.jpg  ただ実際には旺盛なビジネス・ユースは仙台までなので、グランクラスの矢鱈丁重で段取りを踏んだ接客対応は、勿論三等車の私はその光景を垣間見ただけだが、却って一時間半では気忙しく感じるらしい。
 それでも普通車の窓側を選んだら仙台まで微動だも叶わず、東京―仙台間の混雑振りは実感出来た。だからと言って読書に飽きて書類でも、或いは本コラムの執筆をと思い立っても東海道と異なりトンネルばかりなのでネットに繋がらず執筆に向かないこと夥しく、うとうとすれば寝過ごしそうとは中途半端である。通路側に陣取った帰路の如く調整事ばかりでメールと電話の応酬で気付けば東京駅も切ないが、狭い日本そんなに急いでも仕方無いとも思えて来る。
f902.jpg  余談だが、渋谷経由の仙台だったので、新幹線のイメージから危うく品川で乗り換えそうになった。本来、オーバーキャパの東京駅の代替としてぞみ・ひかり増発のための起点として設けられながら効用を発揮していない品川駅の有り難みを、逆説的に初めて体感した。
 東北・東海道両本線の接続は進んでも、東海側に何のメリットはないから東北・東海道両新幹線は永遠に繋がらないだろうが。

 仙台で牛たんを食いそびれたからではないが、夜は神楽坂で焼肉と洒落てみる。少し食べ過ぎ。

10月21日(日) Be A Superman  -音楽 - 音楽-

f2.jpg  今にして思えばYMOカヴァー・バンド「中国男」の成立過程は、大袈裟に言えばそれ自体がひとつのドラマツルギーであったと言っても過言ではない。
 駆け出しの永田町周辺居住者となった私がお台場という凡そ宴席には不似合な場所で同好の士と邂逅し、大学時代の友人を誘い、その友人がまた友人を巻き込み、更に応時はまだ盛んだったネット上のYMO系掲示板でドラマーを公募し、更に妻の高校時代の同級生が加わり本家のライブ仕様と人数的には等しい六人が勢揃いしたのは、年代として時間的・精神的な余力という点でもベスト・タイミングな天の配剤だったろう。
 また上記を含む大学時代の友人計3名で構成したニセYMOがMidiファイルから手弾き部分を除いた自動演奏ベースだったのに対し、脱シーケンサーを第一コンセプトとしたのは、幾多のコピーバンドとの差別化を目指した所産には違いないが、同時に演者個々の独創性が積み重なった時に初めて生まれるバンド演奏の斎すカタルシスに飢えていたからだとも言える。
f896.jpg  ただその目論見は、確かに本家YMOも少なくともライブではフュージョンに近似した演奏だった初期楽曲においては成立しても、やがて中期以降の楽曲に手を染めるにあたり、手弾きでは再現し得ない音の存在に悩まされることになる。結果、バンドとしての"ノリ"よりも音を埋める作業を優先せざるを得なくなり、同時にメンバーの嗜好性の拡散と相まって、スタジオ現場で自ら演奏しながら全体像をチェックし、鳴るべき音を追加しまた鳴ってはならない音を変更、消逸させるに当たり、プロデューサーたる私ですら原音を須く脳内で再生させることも能わなくなってきた。
 平成16年から18年に掛けての計四度の公演には毎回新"カヴァー"曲を盛り込み、その後も何度か練習は試みたが、実に6年振りとなる今御披露目が、確かに本家の先祖還りに倣い幾ばくかの新たな味付けこそ加味したものの、過去の演奏曲からの抜粋、平たく言えば焼き直しに留まったのはかく理屈が介在する。
 詰まるところ彼我の甚大なる技量の格差を割り引いてなお、毎度同じ様な演奏ばかりでツアーに飽き、スタジオ作業に専心していった本家の轍を極めて短絡的に再現しているとも言えよう。
f897.jpg
リハーサル映像
 当日も音のバランスは甚だ不安定であり、美しく言えばプロデューサーが細野晴臣個人から「YMO」に移行していった様に、中国男という固有の人格が楽曲を支配する域に至ったともカンコせようが、プロデュース業を半ば棚上げして自らをプレイヤー個人に徹し、或いは収束しめた帰結であるならば、指弾されて然るべき行為だろう。 ただその替わりに、パッケージとして纏まっている「中国女」やエレピのバッキングで遊び得る「春咲小紅」においてはとくに、恰も発表会における祐旭の如くに、バンドのグルーブを味わうのみならずノリノリで楽し気な演奏風景を手の入れたのではなかったか。
 勿論対バン出演という有難い機会に預かったからに他ならないが、最早直近最後の公演で得られた「大衆受けの必要性」という命題は霧消し、極論すれば確実に記憶に残る年恰好になった子供達に、表現者たる父の映像を刻印するのが「再稼働」の最大の誘因だったのかも知れない。
 解り難いであろう比喩だが、一代を極めた横綱輪島や北の湖が、衰えてなお蝋燭の灯りが消える直前宜しく散り際の優勝を遂げた様な一幕と言えば美し過ぎるのだろうが。
 折角の歌謡曲バンドの「トンネル天国」はじめ異色のラインナップもリハーサルで垣間見たに留め、自らの出番を終えると早々に北千住を後にした。腹案は無くともさて次なる一手は如何にと脳裏を過る、自らに残るバンマスたる矜持を噛み締めながら。

10月20日(土) 赤い激流  -音楽 - 音楽-

f892.jpg  昨夜、20時からの公演前最終練習を終え、家探しして判明したのは衣装の紛失である。
 はや14年前の自らの御成婚二次会に登壇したカヴァーバンド・ニセYMO以来、現行中国男においても本家由来の赤い人民服擬きを使い回して来たが、引越し時の整理により恐らくはロフトに積まれた段ボールに梱包されたままなのだろうが、今更ひとつひとつ開陳してみる気力はない。
f891.jpg  結果、アメ横のステージ衣装店を訪ね、人民服のみならず気が大きくなってラメ入りの黒ズボンも購入し、裾上げまで仕立てる大出費である。14年前はニセYMO以来のメンバーと竹下通りを練り歩いて発掘し、紛れも無くその方が安価だったろうが、確実性には替えられまい。これも大人買いというものだろうか。

 金銭コストと引換に買物が午前中で一段落したため、地元の中古レコード店を漁って衝動的に手が伸びたのはビートルズの所謂Get BackセッションのDVDであった。
 元来は崩壊直前のバンド再建のためにマッカートニー氏が封印していたライブ活動の再開を提唱し、紆余曲折の末アルバム製作過程のドキュメンタリー・フィルムに落ち着き、結果行われたアップル・スタジオ屋上のライブをハイライトに映画「Let It Be」として結実した経緯はよく知られていよう。
f893.jpg  高校生の時分に深夜放送されたこの映画を録画して、而来当時は海賊盤、今では演奏状態のよい楽曲は「アンソロジー」に収められている当該セッションを様々な機会に耳にしてきたが、権利関係故か未だDVD化されない「Let It Be」本編に他に転用されたフィルムも糾合されてみると、如何にレノン氏に付き纏うオノ・ヨーコ氏主導の謎のジャム演奏に他の三人が困惑しながら追従していたかが伺える。
 逆に言えば天才であり過ぎるが故に、ハリスン氏に駄目出して揉めたりと映画では悪役を演じる羽目になったマッカートニー氏の、一旦御蔵入りになったこの「Get Back」の後に、更に「Abbey Road」を製作させたバンド継続への執念が浮かび上がって来る。
 最後にビートルズを法的に解散の断に導いたのもまたマッカートニー氏であったのは、リーダーたる自覚の為せる業だったと受け止めておきたい。
次のページ

FC2Ad