コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

8月31日(金) 御本と言えば  -本・雑誌 - 読書-

f807.jpg 子供の頃から「本の虫」だったので、今でも月に10冊から15冊は確実に読了している。それでも昨今は収納事情と相談して可能な限り古本店へと売り飛ばしており、何れ80の坂を迎えても蔵書はおろか読了二萬冊も覚束なかろうから、矢張り経団連会長は偉大である。
 それでも記録を紐解いてみると21世紀に入ってから月20冊を超えたのは計15ヶ月のみとは、今月の実に36冊の異端児振りは目立つ。ひとつには愛知県方面への新幹線移動が毎週の如く多発した所産に他ならないが、幾ら豊富な移動時間があっても集中力を欠いては書籍に没頭出来ないから、比較的心平らかでストレスに縁遠い夏を送っていた証しでもあろう。
 従来の最高値は27冊、中途からは記録更新が視野に入り、意識的な速読と言えば美しいが半ば流し読み傾向に陥りがちだったのも否定はし切れない。逆に30の大台を超えてからはペースダウンした感もあるが、政治関係が10冊を占めた中でも、パーティーの引出物として頂戴した「政治家本」は更に読書スピードを増進せしめていたろう。
 ただ商店街関係3、鉄道2を含む都市変遷家業で8冊、特異分野の音楽・特撮に笑いをテーマとするもの各3冊、意外と少なかった野球を含むスポーツと経済が2冊ずつ、後はマスコミ、事件、歴史(大東亜戦争関連)、将棋、小説各1とバラエティに富んでおり、比較的厚い単行本も少なくない。
 音楽鑑賞同様、一冊をじっくり読むことに体が耐えられなくなっているとすれば喜んでばかりはいられまいし、手当たり次第、似た様なテーマに飽きもせず接して記憶の定着を図りながら、その蓄積が好奇心の面的拡大、新しい知識との出会い、発見による感銘という好循環に寄与しなければ効用も限られよう。
 折に触れ読書感想文を本コラムに認めることを自らに責務と課し、数打った中から意識的に当たりを拾い出していくのが、より読書の恩恵を高めるべく今後の課題か。

8月30日(木) 閉めましてさようなら  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 最後まで揉め続けた首相問責決議の採決は、当初予定通り可決の顛末を迎えた。国民の生活はじめ各党の提出した問責が反消費税を謳っており、三党合意遵守を掲げた自公両党がこれに合流し難いという理屈は道理であり、識者には通用しようが、何方の問責でも同じ結果が斎されるならば、国民一般の眼からみてその拘りに必ずしも共感が得られるとは思い難いばかりか、そもそもより効力の大きい衆院の不信任案には欠席の形で実質的に否決側に回り、お盆が開けたら問責という行動自体が―党利党略でなく早期解散こそが決められない政治を覆しわが国を救う道との大義名分に個人的には賛同出来るものの―非常に解り難い。
 一方で政府も今国会の実質閉会により特例公債法の成立が早くとも10月の臨時国会となる事態を受け、地方交付税の配分の一時抑制で応ずるのは、成立の見通しも無い公職選挙法改正案の強行採決とともに、国家運営の責務への認識不足とも言うべき行為ではあるが、残念ながら未だ現政権にシンパシーを抱くマスメディアの論調と相いまって、恰も野党にその責を押し付けるが如く世論誘導を図るのでは情けない。
 反消費増税を含意する問責に欠席を決断した公明党は筋を通し、男を上げた形だが、次期政権を担うべく両党の足並みが更に乱れ、現在の二大政党から国民の支持が失われれば、かの郵政解散、政権交替解散の二の舞、刹那的な政治家の粗製乱造を斎しかねない。
 最早ことここに至れば、総裁選の後の臨時国会において、自由民主党は問責を受けた総理・閣僚が次の国会を迎えたことはないという先例に則り、審議拒否を連ぬいて「近いうち」を真に近くして戴きたい。たとえ世論の非難を浴びようとも、悪評もまた国政を担う責任感と力の裏打ちであると自認し、寧ろ代表選と内閣改造を経て些かでも現政権の支持率が回復し、政権与党に解散権を行使させる好機と割り切る位の度量が必要だろう。
 後は国民の冷静な判断に委ねる他はない。

8月29日(水) 泡の気配  -政治・経済 - 経済-

f806.jpg アマゾンのお薦めを連々と眺めていると、唐突に「新・東京いい店ヤレる店」との標記に出会した。調べてみると女子高生が株式投資を学ぶ漫画や"おべっか"の指南本だったりと、またぞろホイチョイ・プロダクションズの作品が世を賑やかし始めている。
 「OTV」や「見栄講座」といった初期の名作が発表されたのが80年代半ば、85年のプラザ合意で製造業は大きな痛手を被り、所謂「円高不況」が訪れるが、その対策たる景気刺激策により消費文化が華やぎ程無くバブル景気を迎えた様に、そこそこに小金持ちの中堅サラリーマン層の思惑を捉えた書籍の内容に照らしても、ホイチョイとバブルは親和性が高い。
 その証拠にスピリッツに連載していた「気まぐれコンセプト」が23年振りに単行本化され、その一部を原作とした映画「バブルへGO!」の公開された2007年は実質的なバブル再来であり、リーマン・ショックさえなければ今頃はとうにプライマリー・バランスも黒字化され、消費増税分は純粋に社会保障費のみに充当されていた筈である。
 このホイチョイの再策動は何を意味するのか。前作「東京いい店ヤレる店」の出版は94年、現在の感覚で振り返れば恰もバブル崩壊後の苦難に咲いた仇花の如しだが、実際には再び景気は回復基調に転じ、98年の金融危機までは小康状態にあった時期である。
 これ等事実を踏まえれば、ホイチョイの蠢きは消費の拡大指向を先取りしており、言わば景気の先行指標の役割を果たしているのではなかろうか。であるとすれらばわが国にとっては福音であり、無事消費税も8%を迎えよう。
 前作に比して、些か笑いよりも飲食店・飲食物の蘊蓄そのものの分量が増え、料理本に近付いた印象があるのは世相の厳しさをなお反映し遊興性を控えているのか、或いはかのホイチョイ集団も年月を重ね性欲を食欲が凌駕したのだろうか。衣食に留まらず電化製品も航空運賃も価格破壊は留まるところを知らないわが世に鑑みれば二極分化の様相をまた呈しているのかも知れないが、純経済的に幾分奢侈的な消費の動向もまた注視していきたい。
 残念ながら本の中身は少しも実践に活かせないのだけれど。

8月28日(火) 秋の気配  -学校・教育 - 小学校-

f805.jpg 八月も末というのに暑さも衰えを知らぬ中、祐旭ははや二学期の始業式、しかも休み呆け覚めやらぬ初日からいきなり四時間授業とは小学生稼業も過酷である。
 悪名高きゆとり教育からの揺り戻しは望ましいとしても、昨年度時点で既に旧来より学年当たり平均三十数時間の授業増とあらば休みが短くなるのも致し方ない。確かに今更土曜半ドンを復活されてもお出掛けにも習い事にも支障が出るが、学校単位での増加は自由なので、地域差のみならず同一区内でも始業式はバラバラとは世相も変わったものである。
 勿論、横並びを廃し独自性による競争原理を働かせることは、兎角底辺の底上げばかりに傾注してきた戦後教育のあり方に一石を投ずるものであり、逆に言えばそうでもしなければ学習塾や公文式の類いで先行している児童にとっては授業が馬鹿らしく溜まるまい。
 杉並も23区の大トリで漸く冷房も出揃ったので、今や昔の革新・杉並とは異なった、住宅地らしい先駆性を発揮して欲しい。

 昨日は夕食会のためだけに名古屋に赴き、泊まる気満々だったのに21時半で雲の子を散らす様にお開きになり、最終列車で帰還とは猛烈サラリーマンの如しである。
 して本日は京都関係者とお昼とは地域性豊かだが、偶々関係者に縁の人物が多く再三訪れた山口事情に精通して来た様に、一度でも纏まって地域事情を伺うと朧気ではあっても文字通り土地勘が生まれ、次に断片的な情報に接した際に芋蔓式に知識が蓄積されていく好循環の端緒として、有難い機会である。
 この勢いで何れ300選挙区事情をスラスラ述べる歩く国會議員要覧を目指したい。

8月26日(日) 宇宙逝く  -テレビ・ラジオ - 仮面ライダーフォーゼ-

f802.jpg  バンダイから巨大な箱が届いたのはお盆の最中であった。前作・オーズのメダルもガチャガチャが目に付く度に購入には及んでいたが、食玩を含め売り切れが頻出したために玩具メーカーとして心構えを改めたのだろうか、フォーゼのスイッチは商品に接する機会が増えた分、気軽に入手に及んだのも事実だろう。
 ただ加えて1~40と明確に番号を付したのが収集癖をより刺激した面は否めない。当然、ソフビ同様にクリア・バージョンもあらば、番外の歴代ライダー仕様ありで到底網羅出来る筈もないが、少なくともナンバー・スイッチは網羅したくなるのは人の性であり、勢い余って限定生産のスイッチ板まで注文したのが、番組が大団円を迎える今になって到着したのである。
 確かにこれで折角集めたスイッチを紛失する危険性は薄れたが、今更確認するとコンプリートになお3個ほど足りず、改めてネットで漁る羽目に陥ろうとは本末転倒ではないか。
 結局、番組自体は思い出した時にチャンネルを合わせる程度で本日の最終回にも特段の感動は無かったし、子供達も番組の「仮面ライダー部」そのままのスイッチ板が自室に現れても「お父さんの趣味」と覚めたもので、オブジェとしても巨大に過ぎる。
 次作・ウィザードの指輪には努めて平静を装いたい。

f803.jpg f804.jpg  昨日に続く阿波踊り鑑賞、三年前に祐旭が豪雨のなか出場した「杉の子連」は拘束が少ない分北口のみ回遊で出演時間も少なく、小学校の友人の出番をその目に捉えるため日頃マイペースな祐旭も人の群れを掻き分けて移動に次ぐ移動である。
 年齢制限の祐旭に替わり、明年は愈々公資が「杉の子」塔壇か。久々に真面目に祭り気分に没頭するのも、地元民であっても乙なもの。

8月25日(土) 恵比寿は遠くなりにけり

f801.jpg  年に一度の大学時代のサークルの同窓会だが、そもそも大学単位とインカレ部分の複層的な構造に加え、本会はバブル期に予算5000万の国際会議を運営した事務局の集まりなので、本体側に依拠した当方はここでは傍流である。
 たからドバイ事情を伺ったり、新たに登場されたメンバーの配偶者氏の役所話に耳を傾ける方が、寧ろ旧交を温めるより建設的に感ずるのはやむを得ない面がある。
 当該団体の学生が渡航先で事件に巻き込まれた件についても、勿論嘗て大なり小なり恩恵を被った一員として、事態処理に奮闘する方々には頭が下がるが、OBが口を出さないのが良き伝統と斜に構える以前に、最早そこまでの情熱を注ぎ得ない自らの、輝かしかったであろう学生時代との距離感を思い知らされる光景だった。

 50年の長き伝統を誇るこの団体は、1$=360円の貴重な円の海外持ち出しすら不如意だった時代、インターンシップの名の下に学生の外遊を可能とする"事業"を生業としてきた。やがてそれだけでは飽き足らず、前述の通りバブル期には様々な国際活動に手を染めたが、不況に伴い再び本務主体に再編されたと言っていい。
 しかしながら海外とのパイプさえ提供すれば後は学生個人の自己責任たる構図は不変であったとしても、現実には幾ら失速するわが国であっても学生が数ヶ月外遊する手段なぞこと欠かないであろうから、安全性やインターンシップの質そのものへの配慮なくしては最早他団体との競争には対抗出来ないのだろう。
 或いはある一線以下の世代には、所詮NPOの事業に企業程の木目細かな対応を求めても詮ないとのコンセンサスが通用せず、「NPO」という題目が錦の御旗を超えて一定のステイタスを斎して仕舞っているのかも知れない。にも拘わらず実態は学生のサークルであり、そして無力なOBとしてはNPOである前にサークルであって欲しいと自らの経験に基づく願望を込めて申し上げるならば、残念ながら当該団体の存在意義が時流に見合わなくなったと言わざるを得ない。
 わが国も大学生活も、あの頃は良かったで終わらせてはいけないというのは重々承知なのだけれども。

8月24日(金) 侵略者を撃て  -政治・経済 - 韓国について-

 わが国は竹島の帰属に付き国際司法裁判所への提訴の方針を固めたが、相手国の同意が無ければ効力を有しないとはいえ、提訴の非同意こそが第三者の判断ではわが国に正統性が斎される蓋然性を暗示したものであり、国際社会へのアピールに寄与しよう。
 より深刻なのは天皇陛下の謝罪や従軍慰安婦問題を含む国家賠償の再要求であろう。確かに大東亜戦争までの両国の最終処理たる昭和40年の日韓基本条約は客観的に見てわが国に有利な条件であったのかも知れない。だがそれは陸士出身という朴大統領の出自に依るものではなく、クーデターを経て成立した軍事政権が所謂開発独裁により経済力を高め早期に正統性を得るために、わが国からの資金獲得を優先した帰結である。
 にも拘わらず今これを蒸し返すのは、勿論来る大統領選に向けての李政権の焦りの為せる業にもまた違いないが、わが国を組み易しと踏んだ上での確信犯に違いない。
 79年、日中平和友好条約の段階では寧ろ中国側から「棚上げ」を確認した尖閣諸島も同じ構図だが、鑑みるに所詮外交とは軍事力や国際社会のバックアップといったバーゲニング・パワーは元より、一国の経済力が重きを為すという冷徹な事実を物語っている。だからこそ我々は毅然とした姿勢を貫く一方で、両国を凌駕し、万が一に経済交流までにも亀裂が走ったとしても泰然とし得るのみならず、先方がわが国との交易を求めざるを得ないまでの、揺るぎない経済力を再び取り戻さなければならない。

 しかし他国の国家元首に謝罪を要求し、親書を返送するなど世が世なら国交断絶から宣戦布告に至っても可笑しくない傍若無人振りである。
 残念ながら仮想敵国を構築し、国家・民族を挙げて排撃に取り組む姿勢は、こと国際社会からの奇異の眼に関知しなければ先方が一枚上手であり、国会が「決して容認出来ない」との決議を認めても痛くも痒くも無かろう。
 徒らに官邸を取り巻きコップの中の嵐に勢を出すエネルギーが余っているならば、ドラマ・歌謡の文化面から工業製品に至るまで国民一人ひとりが出来るところから自主的なボイコットに立ち上がるべく、静かに矛先を振り向ける運動に我々は立ち上がらなければならない。そうすればこそ結果として「寝た子を起こす」行動による損失の大きさに愕然としたかの国を王道に回帰させ得るのではないか。

8月23日(木) がんばれば、愛  -アニメ・コミック - 漫画-

f800.jpg  いしいひさいち氏の存在を初めて認識したのはまだ小学生の時分、年の離れた従兄から雑誌「くるくるパーティー」を手渡された時であったろう。未だ知る人ぞ知るの存在だった「がんばれタブチくん」は程無く大ブームとなり、映画館に赴くのみならず何故かサントラ盤まで購入する程入れあげたものである。
 佳曲「君は天然色」を初めて聞いた瞬間、間奏のメロディに既聴感を覚え、タブチくんの「がんばれば、愛」の作曲者が大滝詠一氏であることに気付いたのも良い思い出である。
 他方、アニメ「おじゃまんが山田くん」やその後継たる朝日新聞の「ののちゃん」には然程の感慨は抱かなかったが、長じていしい氏を、おこがましい物言いではあるが再評価したのが「大政界」「問題外論」から現在も続く「大問題」に至るに一連の時事4コマであろう。
 取り分け政治の分野は、歴代総理は元より時の実力者を極端にデフォルメし、人にスポットを当てたた強烈な風刺画であり、当然必ずしも好意的な眼差しではなかろうとも、為政者はこれを笑って受け止める度量があって欲しいと思わせる描き振りである。
 それは引っ込み思案で内気な人物と想像される氏故の、憤怒よりも愛情の優先するキャラクターの扱い方に所以するのではなかろうかと、今般改めて「いしいひさいち 仁義なきお笑い」とのムック本にて氏の足跡を振り返って得心した。
 残念ながら流石のいしい氏を以てしても近作に至るに連れ破天荒さが薄れていると感じさせるのは、ネタが尽きてきたという要素も否めなかろうが、あくの強いキャラクターが消え失せつつある、政界の人材不足をもまた物語っているのかも知れない。

8月21日(火) グリーングリーン  -趣味・実用 - 鉄道-

f799.jpg  思えば印度まで赴いた折には、未だ組合員であったにも拘わらずビジネスの恩恵に預かったが、翌年のブラジルは予算の都合上、丸一日エコノミーで、鶴でない航空会社様の有難い御配慮で最前列だったために九死に一生を得た記憶がある。
 嘗ては管理職は一律グリーンという優雅な時代もあった様だが、今や新幹線も役員に登り詰めなければ三等である。それでも三列の真ん中だけしか残っていないと言われると、僅か一時間半強の名古屋からの帰路でもグリーンに走って仕舞うのは、「グリーン車の不思議」という鉄分の強い本を読了したからではなかろう。今では湯沢までならば、搭乗するのが常に繁忙期で満席に近いとのエクスキューズもあろうが、寧ろグリーンが通例になりつつある。
 体型から相当な席幅を必要とした祖父との移動はグリーン必須で、ひとり足乗せに座っていた自らの幼少時が懐かしく回想されるが、今や身銭を切っても体力温存を優先するお年頃になったということだろう。
f798.jpg  勿論、往路の失策が尾を引いた要素も否めない。電話に出たり小水に赴いたりの身軽さを優先して原則は通路側を選択しているが、空席が多ければ窓側でひとり優雅にと浮気したところ隣人が巨体で迂闊に飛び越えられず難儀したのである。加えて窓側には電源を利用出来る特典があり、それも見越してグリーンにしてみたら大枚叩くだけあって全席完備とは豪気ではないか。
 しかも電源の在処が解らず、図らずもグリーン初心者を露呈したが、確かに肘掛け装着は便利である。と言うのもカメラの電池を充電したまま充電器ごと忘却した苦い経験があり、手元ならばと安心していたのだが、充電中に電話が震え外してデッキに赴いたのが運の尽き、今度は充電器だけ置き去りとは間抜けにも程がある。
 矢張りグリーン慣れするのはまだまだ分不相応な様である。

8月19日(日) 水 Misty Boys  -育児 - パパ育児日記。-

f795.jpg  アスレチックには自らの幼少児より変わらぬそこはかとなき憧れがあるが、現実には一日仕事になるし、加えて夏場とあらば体力の衰えた父には翌日も睨んだ相当な時間的余裕と一大決心を以て臨まなければならない難物である。ところが既に大半訪れ「済」の刻印の押された"子どもとお出掛け"本を穴の空く程に捲り直して水のアスレチックを発見したのだから、火事場の馬鹿力は恐ろしい。
 到着して早速挑んだそれは、実際には猛烈に豪奢なじゃぶじゃぶ池の佇まいで祐旭よりももう少し下世代、園児向けの代物には違いなかったが、二人とも滝を潜ったり手漕ぎボードに勤しんだりで、最後には膝下に過ぎぬプールに浮かぶフロート物を渡り歩いてお約束の濡れ鼠と、所定の一時間を満喫していた。
f796.jpg  ゴルフでは再三訪れている寄居に「川の博物館」なる公共施設が存在するとは盲点だったが、大層な博物館本体には河川が物流の基幹であった時代、川を塞き止めて放水により木材を搬出した鉄砲堰の四分の一大レプリカが据えられ(右写真)、実演に際し堰を開く紐を引く係に当選した祐旭は、肝心の水流を実見出来なかったにも拘らず興奮気味であったのだから、矢張りなんとなくクリスタルと歴史を尊ぶ保守の精神は相容れないのだろう。
 館を取り囲む、水源から河口に至る全荒川のミニチュアは流石に巨大過ぎて全容が把握し難かったが、今更ながら荒川が埼玉の大動脈であったことはよく理解出来た。

f797.jpg  して帰路は毎度の如く風呂を物色し、パンフレットの目に付いたゆうパークおごせに足を伸ばすとは好循環である。
 そもそも越生を"おごせ"と読むことすら寡聞にして初耳だったが、寧ろ風呂より温水プール主体とはこちらも男女共同参画の公共施設に相応しいと言うべきか。
 土曜を休日にしたらゆとり教育の揺り戻しで小学校も9月を迎える前に始業するため、お盆休み最終日のみならず実質夏休み中最後の水浴びはなかなかヒットだったのではなかろうか。
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