コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月29日(金) 思えば遠くへ

 長年、同じフィールドに屯し続けると、幾ら自ら戒めようと知らず知らずの内に丁重さを欠く傾向に陥るのは避けられない。それは美しく捉えれば勘所を抑えた「自信」の現れでもあろうが、驕りと捉えられかねない要素も持っている。
 無論私はそれを他者に指摘出来る程、卓越した人間ではない。だから組織とは独立した個々人が報酬をはじめとする見返りに応じて、応分の労力を拠出するものとの観点からも、自らを棚に上げてなお上官面をして「指導」申し上げるなど、許容すべきものでもないし、望んでそうした局面に邂逅したいとも思っていなかった。
 しかもその説諭は、判り難い表現ではあるが、嘗てともにプレーヤーとして同僚だったにも拘わらず、立場を違え編成担当宜しく引導を渡す、より正確に言えば確固たるレギュラーに育成選手として再契約するから以て他日を期せとする申し渡しに組み込まれていたのだから、図らずも時流に乗ったわが身の変転を嘆ぜざるを得ない。
 結局この日は自らの職責の有為転変を、手を替え品を替えならぬ相手を替え河岸を替え、恰も大陸で製作された三國志映画の如くに、ハイライト部分を断続的に懐古譚から現在まで問わず語りする夜だった。
 ただ懐旧に散りばめられた、思えば遠くへ来たもんだという嘆懐には図らずもというニュアンスが込められており、半ばおどけて、半ば諦観を交えて意図的にこのフレーズを用いてきたが、果たしてこの皮肉な巡り合わせが早晩訪れることは予見可能であり、だとすれば指導されかねないポジションから足早に脱出した「転向」もまた、意識下ではそれを半ば是認していた既定路線と捉えるべきではなかったのか。
 肩で風を切って歩いてといるという切っ先は寧ろ自らに向けられて然るべきであり、それを立場の為せる業と抗弁するならば、たとえ過去の道程の否定に繋がろうとも、恰も仮初めの身柄であるが如く「図らずも」の枕言葉に、私は別れを告げなければならない。
 ここはもう「遠く」ではない。

6月28日(木) もう少し水を  -グルメ - 日本酒-

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こちらは韓国の酒
 年中行事のアポ取りの季節がやって来たが、回を重ねると勘所も判って来て、適度な並び度合いと感覚に基づき、丁重な中にも幾分の押しの強さをまぶして、比較的トントン拍子で埋まっていくと、恐らく明日からもこのペースで快調に進むのではないかとの類推が働き、気が楽になる。
 人間関係構築には時間と積み重ねが必要という教訓の裏返し。

 夜は珍しく当方1対先方2の組み合わせとなり、喋り続けるしか無い展開のなか議論に花が咲いたのは有意義だったが、秘書の方が黙々と水割りをお作り戴き、本来ホスト側ながら取って替わる暇も無く、恐縮しつつ話が興ずるままに杯が重なっていく。
 しかもその水割りが相当に濃厚で、頂戴するだけに薄めにと注文も付けられず、折角エリート談義で意気投合して盛り上がりながら、その中途から後は如何なる話題が展開されたか皆目記憶にない。
 毎度ながら粗相はしていなかった模様だが、幾ら体質的に日本酒の方が悪酔いし難い、嘗て焼酎を煽り過ぎて鍋のうどんを平手によそったことがあると主張してみても、適量を遥かにオーバーすれば何方でも同じである。
 結果、また眼鏡を無くして仕舞った。わが国経済ともども「成長」路線には程遠い。

6月26日(火) 枠組み  -政治・経済 - 政治・時事問題-

f2.jpg 凡そ合意に至ろうとは思い難かった税・社会保障一体改革を遂に衆院通過まで漕ぎ着けた、その原動力が「政治生命を賭ける」と言明した野田総理にあったのは言う迄もない。
 しかしながら追い込みの段階に入ってからは野党・自民党の"助け船"が功を奏した部分が大きい。実際、大枠の方向性は一致して細部の詰めのみ残された消費増税に対し、民主党マニフェストの全否定に繋がりかねない社会保障は、恰も日ソ共同宣言の如く民・自双方とも都合良く解釈出来る実質的な棚上げという、長年の与党経験に基づく自民党の知恵が、剣ヶ峰の合意を斎したと言えよう。
 果たしてこれは自民党サイドが誇らし気に語る様に「捻れ時代における新たな政策決定のあり方」なのだろうか。確かに小渕政権の金融国会において、野党民主党案を丸呑みにした決着とは様相を異にしているのは事実である。
 ただ歴史を振り返れば、300議席を抱えた中曽根政権の売上税が頓挫した後、竹下蔵相が自・公・民をベースとした税制改革検討の場を細々と維持し続けたのがやがて自らの政権における消費税導入として結実し、半ばその代償として陥った参院の過半数割れ=捻れ現象において、宮澤政権のPKO解禁で再び自・公・民の枠組みが機能した。そしてこの経験則がやがて時を経て自自公連立政権に結び付いた推移を踏まえているからこそ野党・自民党も、消費増税には反対であった筈の公明党にもまたルビコンを渡っても内から政策に関与すべきとの選択を採らせたのだとすれば、歴史に照らして行動を律する知恵、即ち保守の精神が最終局面にして消費増税を為さしめたと看做すことも出来る。
 勿論、パーシャル連合に時間コストが大き過ぎるのは論を待たない。早晩訪れるべく総選挙への過程において、"疑似連立"はひと度は崩れざるを得ないし、増税が総じて選挙にマイナスに響くとすればこの選択が如何なる結果を斎すかは定かではない。歴史は繰り返し新たな自・公・民政権による"プロの政治"が甦るのか、それを二大既成政党の野合として世論が許さないのか、わが国の命運は国民の手に委ねられている。

6月25日(月) 造形の美  -海外情報 - 韓国-

 宴席にお声が掛かるのは商売柄有難い限りなので可能な限り馳せ参じる旨をモットーとしている。加えて既に十数年前に離任した元広報担当者に、往時の記者氏の転勤ご栄転の送別会への白刃の刃が立ったのは光栄の極みだった。
 だから既に随員として二次会まで散々日本酒と水割りを煽った挙げ句に、おっとり刀でダブルヘッダーに駆け付けたのも自らの意志に他ならないのだが、流石に月曜から1時半お開きはバカボンのパパより年長かつ7時半出社の身の上には、自らの酷使だったかも知れない。
 それでも往時から今も変わらず団体広報の責にある、言わば元同業者氏とも久々の再開を果たし、今よりも幾分得手勝手に暗躍していた若き日を思い起こすとともに、もし万が一に現在の年格好で記者対応の職にあったならば、とあり得るかもしれなかったイフにも思いを馳せる、濃密な一夜だった。

f690.jpg  本席の二次会は女性の居る店、場所柄某隣国の綺麗所が犇めいていたが、驚いたのは代わる代わる現れる女性陣の容貌である。
 元来、飲み屋で人の名前を覚えない質ではあるが、交替して名乗られてなお先程と同一人物であるのか無いのか、判別が付かない程の一様の酷似振りではないか。
 例えば企業においても採用担当者の嗜好が反映される為か、"同期"にはそこはかとなく共通の面持ちが伺えるケースがあるが、整形を厭わないお国柄だけに、何となく人工美の為せる業かとも邪推して仕舞う。
 爺婆の団体客ばかり目立った麗水(写真)にはそうした傾向は確認出来なかったが。

6月23日(土) 近くて遠い未来  -海外情報 - 韓国-

f637.jpg 一介の田舎漁村には到底そぐわぬ、万博が終われば閑古鳥囀ずるかと経営の危ぶまれよる立派なMVL=Most Valiable Life ホテルに目覚める。確かに万博会場と関係者の滞在する万博村を除けば僅かな商店街のみの街並みだが、朝から敢えて散策に繰り出さないところに好奇心の減退を実感せざるを得ない。
f687.jpg 本日は会場西部、メインゲートから奥に位置する企業出展スペースだが、恐らくは光と映像、人力の調和を訴えたいのだろう、近代サーカス擬きでイメージ広告の三星に、所狭しとミニチュア車や部品が並べられコングロマリットたる自意識がストレートに醸し出される現代と、韓国産業パワーの発露も対照的である。
 これでもかとロボットの山溢れる大宇こそ、愛知万博にもその残滓溢れていた産業見本市的な万博の本旨に叶っていたが、泳ぐ魚ロボットを両腕に抱える「後ろはハトヤの大漁園」の絵柄には惹かれたものの、半ばアニメの世界の如くもあり、退場するとUNHCRの看板とともにマジンガーZを模したとは口が割けても指摘出来ないテコンVにお出迎えされたのも奇妙な符合だった。
 漸く闖入した問題の海洋ベスト館は、ガラパゴス諸島の展示がわが国に対する皮肉でないとすれば、如何な展示が領土問題の機微に触れたのか皆目判らず、わが国が過敏になり過ぎなのか、サブリミナル宜しく判然としないままに刷り込み効果を図るのが巧みな外交手法なのかは定かでないが、心して赴いただけに拍子抜けには違いなかった。

f688.jpg f689.jpg  空港で話題のカタツムリ・エキスのクリームと顔パックを行商人の如くに買い漁るが、怒涛の勢いで売り子諸姉が群がり閉口す。未だ隣国と休戦中だからやむを得ないのかも知れないが、荷物検査官も矢鱈とつっけんどんで、先進国らしいソフィスティケイトされた振舞いとは相反する率直さに、国民性とともに成長途上の有り様を再び感じさせられ、半島を後にした。

6月22日(金) 麗らかな水  -海外情報 - 韓国-

f681.jpg 目覚ましの鳴る直前、5時に起床し、豪雨の中、会社で土産をピックアップして羽田へと向かう。海外出張が5年振りならば万博は7年振り、議員のお付きから役員随行に横滑りである。
f682.jpg 今やアジアのハブに君臨する仁川でなく金浦を経由したのは直ぐ様国内線にて南の湊町・麗水へと乗り継ぐためであり、麗らかな漁村が一大観光地と化したのは、「生きている海と息づく沿岸」をテーマとする一般博が行われているからに他ならない。
 足を踏み入れるといきなりLEDの超巨大スクリーン、エキスポ・デジタルギャラリー(右)を天井に配したメイン回廊が圧巻のお出迎えである。巨大な鯨が回遊する中、個々人の顔写真が風船に包まれ浮かんでは消えていく構図(左)は、未来を映し出すべく博覧会の本質と必ずしも相容れるかはさておき、のっけから圧倒されること請け合いである。
 ただいざ各国館を回遊すると、中心街に位置する日本館も復興のコンセプトがアングラ劇団の如く舞台に集約され幾分主張が散漫に映るし、最後にスクリーンが上がって謎のアイスダンス擬きが醸し出される中国、クリントン国務長官とオバマ大統領のメッセージしか印象に残らない米国と平板である。
f683.jpg 事実平日とはいえ会場はガラガラで優先入館の有り難みが感じられない始末、最早絶望的な800万の予定入場者数に少しでも近付けるためにコンサート等イベントの類で必死にカンフル注射を打ち続けているらしい。偶々見かけた「浮かぶ人」の謎のパフォーマンスの方が集客に寄与しているのではと疑われるかねない長閑さである。
f684.jpg 流石にメインゲート前の絶好の位置を占める韓国館は、マスゲームあり180度半球画像を以てエネルギーの未来を語る高度成長期のわが国を彷彿とさせる造詣でウォン安と良くも悪くも国家社会主義的な経済成長の威力を伺わせた。

f685.jpg 職業訪問なので夜も当然会食だが、韓国の同業者氏が見るからに若いと思ってたら私と一歳しか違わず、嘗て自らが20代の時分にそうであった様に、夜な夜な記者と飲み歩く日頃の鍛錬の成果を見事な接待役振りとして発揮していたのに感服させられた。
 国威発揚と海外来訪者への国力のデモンストレーションたる博覧会そのもの以上に、氏のバイタリティに隆盛する韓国を実感したと言っても過言ではない。
 再び会場にとって返し、メインエベントたる「ビッグオー」の光と水のショーを堪能して麗水の夜は更けていった。

6月20日(水) 現代・過去・未来  -車・バイク - ドライブ-

f680.jpg  私はタクシーが好きな質ではない。取り分け夜半、眠い頭に世間話を降られて閉口したり、乗車地柄自動車に関わる職責と見破られ、自動車に詳しいものと誤解されてタクシー仕様車に纏わる陳情を受ければ、無下にも出来ずちんぷんかんぷんのまま相槌を打ち続けなければならない。
 だからつい数年前迄は宴席の帰路も電車さえ動いている時間なら必ず駅まで足を運んでいたが、寄る年波か睡眠時間の確保を優先せざるを得なくなってきた。加えて昨今は極力携帯電話に応答出来る環境を維持しなければならない上に、移動中に電話で社内を遠隔操作したり、相手先との調整事を進める局面も少なくないから、日中もタクシーに頼るケースが見る見る増えてきた。
 ところが規制緩和の失敗例として再三紹介される通り、急激な増車が不況期の雇用の受け皿となったのが唯一の理由でも無かろうが、必ずしも道路事情に明るくない運転手氏に当たり、黙っていれば悪意はなくとも奇想天外なルートを余儀なくされることも日常茶飯事である。今日も水道橋から日比谷に向かうにあたり、九段下を右折する大胆な迂回ルートを選択されそうになったが、哀しいかな私はそれを上官の指摘を受けるまで微塵も不可解に感じてはいなかったのである。
 点と点を結ぶのに複数のルートのあることを机上では理解しているものの、いざ路上に出てみると曲がり角とは須く回転角90度との空間認識しか出来ないから、ひとつ路地を間違えれば最早迷い道クネクネである。従って、道一本を隔てぬ固定ルートを幾度なく繰り返し移動して記憶に叩き込まなければ道案内など到底及びも付かない。
 果たして代数は得意でも幾何が不得手だったのは今に至る方向音痴の前兆だったろうか。その感覚はカーナビゲーションという文明の利器に頼るようになってより退化したが、旧来は唯一の手掛かりたる道路案内をひとつ見逃して縁もゆかりもない土地に出くわしていたの比べれば生き易い時代になったものである。
 勿論、道路族の端くれを自称し、都市変遷フリークを自認しながら未だ首都高の環状C1の全体像すら把握出来ていないし、会館のエレベーターを登って左右何方に進むべきか立ち往生し、アテンダー資質の乏しさを噛み締める日も少なくない。
 ラウンドアバウト構造の新京に生まれていたら極寒のなか程なく凍え死んでいたかも知れない。

6月19日(火) 公人の営み  -政治・経済 - 尖閣諸島問題-

 尖閣諸島の東京都購入に注文を付けた丹羽大使は結局召喚されることもなく実質的にお咎めなしに収まる様である。これを現政権の事勿れ主義の帰結、或いは極端な"官"排除人事による負の側面の表出と位置付けるのは必ずしも的外れではない。
 勿論、靖国参拝等を巡り日中関係が冷却化したとされる小泉政権期にも、経済界サイドから政経分離を訴えるという形で市場としての中国を維持・拡大したいと思惑を寄せる声は少なくなかったが、今や原料に留まらず製造工程においてもわが国製造業と中国の結び付きは欠くべからざるなりつつあろう。
 だからこそ大使がかの赴任国に何等かの形で所謂「睾丸」を握られている訳でも、逆に社会主義市場経済イデオロギーに共鳴、心酔して一線を超えて仕舞った訳でもないとすれば、外交関係におけるバーゲニング・パワーにはいざ一戦交わらばの際の戦力と同等に経済力が物を言うという冷徹な事実認識に基づく発言であり、単に旧所属企業の取引促進が念頭にあったと見るのは邪推だろう。
 ただ惜しむらくは政治に携わる者は一定の方向性を描きそのゴールへの道程に見合う発言を織り成すべくであり、プラグマティズムに依拠した第三者的な見解が取り分け生き馬の目を抜く外交の世界では相手方に利を為さしめる恐れもあるという論理を、経済財政諮問会議委員まで歴任した同氏が必ずしも理解していなかったということだろう。チャイナ・スクール出身の大使ならばお里が明らかな分意図も明確であり、返って不偏不党を推定される民間出身者の方が一私人としての主観につけ込まれかねないだけにより質が悪いと言われてもやむを得ない。
 "西側諸国"の一員たる米国スタンダードとそのアンチテーゼという選択肢の小さな外交からの脱皮を模索しつつある過程と甘受しなければならないのだろうか。

6月17日(日) 父の日は家にいて  -ヘルス・ダイエット - 健康管理-

f678.jpg  恒例の幼稚園の父親参観は父が子を背負うリレーありとの公資からの情報に腰と相談しながら戦々恐々半分だったが、いざ朝目覚めると後ろから前からならぬ上から下から、グリとグラならぬゲリとゲロで七転八倒である。
 体質柄か辛味好きの効能かはさておき下痢気味は日常茶飯事だし、飲み過ぎれば意図的に嘔吐して宿酔いを防ぐのも毎度の光景だが、食中毒とも思しき惨状は初体験である。忖度するだに単品大量主義のなれの果て、多胡麻の食べ過ぎが直接の要因なのかも知れないが、極端な偏食にも拘わらず大病なく生き長らえているのも持ち前の胃腸の強さ故と高を括ってばかりはいられまいとの思し召しか。
f677.jpg  しゃがんだり便器に顔を突っ込んだりを繰り返していたら腰や脹ら脛にも痛みを生じ、結局一日で林檎二切れしか食べられなかった。幼稚園で木工の腕前も奮えなかったが、公資から父の絵とメッセージを貰ったのが責めてもの救いか。

 リミックスやカバー、トリビュートの類は原曲に親しんでいればいる程、原曲を改めて聴きたくなる効果しか斎さないケースが大半だが、一月に出た野宮真貴氏の「30 ~Greatest Self Covers & More!!!~」は玉石混淆、冒頭と〆めの「帰って来た酔っ払い」が如く紹介コメントこそ余分極まりなかったものの、総じて玉の方が多かった感がある。
 50の坂を超えてなお変わらぬイコン性を維持しているのもその独特な声質故だろうが、だからこそまな板の上の鯉として数多のプロデューサーに料理されるオムニバス形式には絶好の素材なのかも知れない。

6月15日(金) 梅雨はお別れの季節です  -ビジネス - ビジネス-

f679.jpg  株主総会そのものには、前部局で当日も現場に控えた記憶こそあれ、政官対外活動に質問が飛び交う様な不穏な企業行動はしていないから、不測の事態のために待機して出番無く無駄足を踏むのが良い報せに他ならない。
 勿論、実際の企業活動は会計年度がベースだから、役員の就退任、配置換えこそあれ個々の社員の一挙手一投足まで甚大な影響を与えることはない。企業の人事異動は通常国会閉幕時がひとつのメルクマールとなる官庁とも異なり、四月を区切りとする社が多く、寧ろ実質的な役員人事も総会を待たずに四月に前倒しする事例も増えて来た。
 勿論、年度始めからいきなりの大異動では職務に支障を来すからと七月をルーティンとするケースもあり、私が禄を食む企業では慣例として一月異動のため、子息の学業との微妙なズレが悲喜劇を生むことも少なくないと聞く。
 ただ現部局は、職務柄役員の動き主体であり、従って無事総会を終えたその瞬間を節目として、わが身そのものには特段の変化は無くともグループのメンバーにも異動があり、一寸した卒業ムードが訪れる。
 「卒業写真」をはじめ卒業を題材とした歌曲は枚挙に暇ないが、菊池桃子の「graduation」も捨て難いものの、印象深いのは「じゃあね」であろう。私自身、最後の小学校は一年の腰掛けだし、中高一貫の高校は受験シーズンで欠席が当たり前、20数年振りで安田講堂の開放された大学は些かの感慨こそあれ、卒業式で思い切り湿っぽくなった記憶はかけらもない。
 だから卒業とは「階段を登るだけ」なのである。何時の日にか「大人」になれるのかは解らないけれど。
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