コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

4月30日(祝) 相撲取りへの鉄路  -地域情報 - 東京23区-

f611.jpg  「鉄っちゃん」に非ず都市変遷評論家としての行動であると幾ら強弁してみても、黄金週間前半戦唯一の遠征が舎人ライナーでは最早誰の賛同も得られないだろう。
 しかも西日暮里から終点の見沼台親水公園まで単に「乗り鉄」だけの当ての無い旅では、幾ら最前列に陣取って車窓を堪能していた祐旭をしても「イベントがあるのかと思ったよ」と嘆き節を宣まわれて宜なるかなである。
f612.jpg  勿論父とてそこは抜かりなく常時見学可の境川部屋という隠し球は用意しており、いきなり川沿いの戸外で四股を踏む人々の絵柄には圧倒されたものの、祐旭も公資も「おすもうさん」には関心が薄かったと見え、父は父で現役力士の容貌には疎いから、理事名跡の境川を継いだ元両国関の前途は洋々かなどと反芻しながらも、ぶつかり稽古を堪能する前に早々に辞去して仕舞った。
f613.jpg  一番取り終わる度に若い衆が関取の次の手合いを求めてワッと群がる絵柄は蟻地獄の様で面白かったし、足立区という下町的な印象とは様相を異にする瀟洒な新興住宅地の佇まいを実見出来たのは、まさに都市変遷の研究対象と両評論家業には幸便だったが、これだけでは子供達にはフラストレーションが残ったろう。

 そこで妻が機転を効かせ、おたふく疑惑でパスした公資の遠足先、サンシャイン水族館を目指すこととなった。
 漸く黄金週間らしい混雑振りに邂逅し、富士美ら海名古屋港と全国を股にかけ、かつ思い起こせばグアム、更には遥か独身時代にも日米財界人会議の帰路、加州バークレーにも足を運びと、何故かフリークの如く水族館巡りに勤しんだ身の上には今更の感無きにしもである。
 とは言えリニューアルから一年、流行りの360度水槽の回廊擬きを設けたり、屋上のアシカショーにペンギンの群れと狭小な空間にボリュームを感じさせる技術には確かに感服したし、父とは打って変わって生き物に敏感な息子達の琴線に触れたろう。
 遅めになった昼食で蟒蛇の如く焼肉を食べ続けて祐旭が、おすもうさんに関心を抱かなかったのは好都合だったのかも知れない。

4月29日(祝) 111歳

f2.jpg  おたふく疑惑の公資は結局熱も上がらず、単に太って首が膨らんだだけではないのかとの別の疑惑も生じたが、その余波として恒例の湯沢もパスする地味な黄金週間と相成った。
 ただわが家に居を据えたおかげで積み上がった漫画を売ったり、愈々尻に火が付いて来た6月の同窓会事務に従事したりと作業処理には好都合だった。同じく来月のピアノ発表会に向け、漸く連弾の楽譜に向かい合ったものの、鍵盤歴40年をして未だヘ音記号が読めない身の上は、先ず片仮名でドレミを書き入れるところから始めなければならないから難儀である。
f610.jpg  それでも昨日に続き、レフト・ウィング色豊かな中通りに比して、より猥雑感溢れる東通りでまたしても別のジャグリングを見物した後は一家でカラオケと、穏便ながら有意義な昭和の日ではなかったか。
 祐旭に亡き昭和陛下はご存命ならばお幾つと尋ねられ、即答出来なかったのは保守主義者として失格の極みだったが、正解は御生誕111年であるとここに記しておこう。

 高円寺で焼鳥と言えば駅前に増殖し続ける「大勝」が著名だが、祭りモードのなか訪れた「串焼き処Dizz」は正解だった。取り分け往々にして薄味に流れがちな浅利酒蒸しが妙に煮込まれていたのがわが家向きである。
 食物にイデオロギーは無いとはいえ、当たり外れが大きく入れ替わりも激しい中通りだけにお得な気分。

4月28日(土) 進化するお手玉  -地域情報 - 東京23区-

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楽市で描いて貰った似顔絵
 黄金週間は期せずして大道芸で幕を開けた。
 高円寺と言えば今年57回を数える阿波おどりを嚆矢とするが、昨今は秋の高円寺フェス、冬の演芸祭と併せ四大祭りと称するらしい。その春バージョンとして本年三度目となるのがびっくり大道芸2012である。
 わが家に程近い北公園がバザー会場となるので毎年、「祭りの後」の侘しさを見届けていたが、開催中に訪れてみると革新・杉並の残り香とも言うべき幾分左巻きの香り漂うアート楽市が繰り広げられている。
 更に駅へと歩みを進めれば至るところ僅かなスペースを舞台に見立てて日頃の鍛錬の発露に余念の無いが、子供にも解り易く目に付くのを割り引いても、印象としては何処もかしこもジャグリングの嵐ではないか。
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 それもパントマイムあり、客弄りを交えて現代風パフォーマンスありで、凡ゆるジャグラーが一同に会したかの如くの盆と正月振りである。ロータリーでは中国雑技団擬きの大仰なステージも繰り広げられていたが、バリエーションの多い割に投資・流通ともにコストの小さいジャグリングは、まさに体ひとつで身を立てる大道芸の王道なのだろう。
f608.jpg  中央公園では即席のジャグリング教室も催され、到底器用とは言い難い祐旭が数分でコツを掴みつつあったのは意外だったが、練り歩けば同一人物に別会場で邂逅したり、ガード下でわたらせ渓谷鉄道主宰のミニ電車も満喫し、祭りの非日常性を堪能する一日だった。

 サンフランシスコ講和条約の発効がわが国のひとつの転機であるのは事実だが、それを殊更に重く受け止める様になったのは何時の日からだったろう。しかも不可解なことにと言うべきか、寧ろ「保守」の側から喧伝している様に伺える。
 勿論、日米関係を基軸とした西側諸国との"片面講和"は明らかに正しい判断であり、曲学あせいの徒に堕す謂われはない。
 ただ"独立回復"の強調は戦前との連続性を回避するには好都合でも、同時に戦後民主主義の歴史を大向こうから肯定する帰結を齋しかねない。60周年の今、我々は吉田茂の決断に秘められた苦渋の部分にももう一度目を見開かなければならないのではないか。 写真 戻り書店経て似顔絵を引き取り

4月26日(木) 野球するなら  -スポーツ - プロ野球-

f603.jpg 野球と政治と言えばわが評論家業の二大範疇だが、両者が交錯するのは例えば大映球団オーナーだった永田雅一氏が岸、大野、河野、佐藤の政権委譲の密約に立会人として介在したり、清和会と西武系の長らくに亘る濃密な間柄等、如何にも古き良き時代的な関係性に限られる。
 だから本日の朝食会の講師が井上パ・リーグ理事長であったのは些か奇妙な光景ではあったが、両リーグ事務局がコミッショナーに一元化された今、嘗てのパ・リーグ総裁時代とは丁度逆にセの長は各球団持ち回りであるのに対し、パは楽天のオーナー代行が5年に亘り理事長職を務めているのは、「ビジネスとしての職業野球」を強く意識したものなのだろう。
 話し自体は横浜球団の売却騒動でも問題とされた球場ビジネスとの連携、放映権やマーチャンダイズを含めた球団個々に留まらぬリーグとしての商売の必要性という特段目新しい内容ではなく、野球評論家としては蹴球に人気を奪われつつある野球の底辺拡大のためにも、永田ラッパ氏に倣う逆転の発想で球団拡張に踏み切れば、寧ろ選手間の技量格差を拡大して大記録誕生にも資するのではないかと質問したくなった。
 職業野球がタニマチと旦那衆の世界から脱しつつあるのは喜ぶべき近代化に違いなかろうものの、同時に野球も政治も堅実ではあるがスモール・ビジネス化している現実に依拠せざるを得ない、一抹の寂しさもまた感じさせる。
 大洋漁業の中部謙吉社長が鯨一匹売れば球団ぐらいと豪語した世界は最早過去のものには違いないのだけれど。

4月24日(火) 鶏対決  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

f602.jpg  そもそも明らかに人選ミスで野党にすら憐憫の情を抱かれた防衛相に留まらず、所管大臣が業界団体に特定候補支援の文書を配布するという、55年体制下でも憚られたであろう所業に堂々と及んだ国交相とは、国家百年の計を左右する消費税上げの審議に及ぶ政府として、問責決議の如何を問わず緊張感が欠如しているとしか言い様が無い。
 言葉を替えれば、政権交替から二年数ヶ月を経てなおかの政党は、野党時代の、少々のグレー・ゾーンは見逃されるだろうという感覚から脱皮出来ていない、詰まるところ結局は与党慣れしなかったと結論付けることが出来るのではなかろうか。
 ただ一方で「審議は国会で」と事前協議に応じなかった経緯からも当然世論の反発が予想された全面審議拒否を掲げ、二大臣の辞任に応じない政府とチキン・レースに突入した筈が、僅か三日で戦術転換を余儀なくされた自由民主党もまた、振り上げた拳の落とし所を描けぬまま、今や懐かしき国対用語を用いれば「起きる」算段なく「寝た」という意味では、実に野党慣れしていないとも言える。
 だからもう一度入れ替わった方が良いというのは質の悪い冗談だし、法案を「吊るし」たり「おろし」たりして「お経読み」に至れば先が読めるという先例に則った儀式の如く国会運営が必ずしも望ましいとは言えないが、過渡期における民主主義のコストを我々は否応なく体感させられている。

 このところは会食を経てオフィスに戻る官僚商売に陥ってきた。しかも役所でこの年格好なら小人の靴屋宜しく会食の間に配下の人物が仕立て上げて呉れるのかも知れないが、下っ端の身の上では須く自前である。
 おかげで最終電車で寂しく帰る。飲んでいても迂闊に帰路も眠れないではないか。

4月23日(月) プライド

f601.jpg  流石に朝、昼、晩とルポール三本締めのケースはまだ未体験だが、今日は朝がトリプル、昼に3時のおやつを挟んでお晩と、史上稀なるこれでもかのパーティー・ラッシュだった。
 幾ら東京プリンスの連荘でも合間に再三議員会館を経由するから移動時間も限られるし、その僅かな暇を活用して電話掛けに従事するとなれば経費とはいえタクシー代も馬鹿にならない。しかも宴席のスタートを早められ更に駆け足度が高まった。
 早期総選挙を見据えた前倒しセッティングが重なった要素もあろうが、どの会でも同じ顔触れに遭遇するのも現実だし、もう少しご後配賜れないものだろうか。

 夜は前部署面子との連携案件で一懇だが、僅か二年数ヶ月でよくも悪くも自らに「秘書」らしい立ち居振舞いが身に付いていたことを思い知らされる。
 確かにそうなって仕舞った自らを客観視する部分もあるし、だからこそそれを茶化されても仕方ないのかも知れない。
 ただもしかしたら所詮、私は自ら何かを生み出すより一定の方向性に沿って物事を具現化していく、美しく言えば参謀、調整役、より事実に照らせば事務方がお似合いなのだとしても、最早その世界の住人であるからにはたとえ揶揄されようとも「秘書」業に相応のプライドを抱いて日々を過ごしている。
 その現実にもまた直面させて呉れた夜だった。

4月21日(土) Mannual of Errors  -スポーツ - 水泳-

f2.jpg 区内の小学校に併設された温水プールに参上して先ず驚いたのは、祐旭の著しい上達振りである。何しろ鼻炎の後遺症による鼻呼吸の不備から、必要以上に息継ぎに体力を消耗させられ、遂に顔出し平泳ぎ限定へと収斂された父を尻目に、スイスイとクロールで25mを泳ぎ切っている。しかも背泳ぎにバタフライまでフォームをものにしつつあるではないか。
 水泳教室の賜物には違いないが、では今は亡き高円寺FITに通っていた筈の父は何故にかく不具でなければならないのか、格差の所以は不如意である。
 ただかく嬉しい誤算の一方で、プールにおける監視員の対応には悩まされるというより呆れる所業の連発であった。
 眼鏡を掛けたままプールに近付くだけで飛んで来るのはまだしも、リストバンドから鍵がはみ出していれば水の中まで追い掛けられ、潜れば危険と罵られる。果ては面倒だから空けたままにしたロッカーの鍵を勝手に閉め、こちらが丁重に問い合わせのに味を染めたか、詫びるどころか何故閉めないのかと叱責する始末である。
 社会主義国家の如く監視員同士の告発社会とも思い難いが、自己責任に帰すべき事由まで最大限杓子定規に規則を遵守し、かつその規則を自己増殖させていく事莫れ主義が蔓延っているのだろうか。
 ひと度監視員が交替すると随分とスムースになったから個々人の度量にも左右されようが、グランド・キャニオンから柵が撤去されるのは、わが国ではまだまだ先の様である。

f600.jpg  人が自らの意志に基づき、自由にA点からB点までをDoor to doorで移動出来ることがモビリティの原点であるとすれば、ただ車輪さえ存在すれば動力の有無は根源的には二の次である。
 現に駅までの移動に自転車の替わりに用いるスーツ姿のサラリーマンもまま見られるし、老若男女に使い勝手の良いキックボードが園児にも人気で、公資がそれを求めたとしても少しも不思議でない。
 ただ序でに祐旭に与えたSボードなる逸品は、曲がりなりにも後輪ふたつで安定するキックボードに対し、一輪ずつの左右の部位を互い違いに揺らしながら、恰も波乗りの如くにバランスを取らなくてはならない。スケボーの亜流と言えばそれ迄だが、到底移動に供し得る代物ではなく、既にアミューズメントの域に位置している。
 オールドカーの如く「操る」ことに悦びを覚える向きもあろうが、矢張りモビリティは先ず簡易であることが肝要ではないか。

4月20日(金) あと少しだけ  -政治・経済 - 小沢一郎-

f597.jpg 政治家の著書と言えば、余程精緻な回顧録となれば資料的価値こそあろうが、往々にして役所の資料の継ぎ接ぎで、些かなりとも本人の手の入れた部位が伺えれば御の字か、誰か別個のブレーンが顔の見え難い文章を美しく纏めたのが通り相場で、古書店の100円コーナーに並んでなお手に取るのを躊躇する類が大半である。
 この中で稀有なベストセラーと言えば70年代なら「日本列島改造論」に他なかろうが、我々の世代にとって今もなお印象深いのは矢張り「日本改造計画」だろう。
 確かに小選挙区制や英国型政府・与党一元化など、今となってはその是非が改めて問われなければならない絵図面が多数織り込まれていたのは事実だが、現にそれを具現化し同時代において既に評価の対象たり得る実行力をも著者が備えていたことが、「日本改造計画」を今もひとつのバイブルたらしめている要因には違いない。
 来週に如何な判決が下されるのかは判らない。ただ法の裁きの何れかを問わず「政治とカネ」に纏わる形容し難い灰色さを補って余りある何かを、人々が今もなお小沢氏に求め続けていることは、到底政治家のそれとは思い難い、参加者が我先にと前方に群がり、乾杯後はウルトラヒーロー宜しくともにフレームに収まるべく長蛇の列が引きも切らない、特異な「励ます会」の絵柄に現出している。
 その末尾に連なろうとは思わなかったが、判然としない「何か」が、周辺の人々の様から何となく忖度されるべく気がするのは、好意的な幻想に過ぎるのだろうか。

 今週は結局丸5日の宴席だった。それが倣い性の人々も仕事柄少なくはなかろうが、私にとっては昼間の生産性が低下するのみならず、体のサイクルが夜に合わせての回転になりかねない禁じ手である。
 来月は少しスローダウンしましょう。

4月19日(木) 墾田永年私財法  -政治・経済 - 領土・領海・・経済水域-

f598.jpg  国家による領土の売買と言えばアラスカのケースが思い当たるが、往時は金銭と引き替えに土地の所有権のみならず国家としての主権、行政権もまた米国に移管されたおおらかな時代である。
 翻ってストレートな対比はままならないが、現代において国家間であればいざ知らず、地方自治体による他の行政区画の土地購入は当該地公体への地域主権の拡大を意味するとは解釈されない。
 それは自治体の地域主権が飽く迄その地域性に基づくからだとすれば、例えば意図的に隣接地を買い占めれば別個の判断もあり得るのかも知れないし、歴史的経緯から例えば神奈川、埼玉に現存する東京都の「飛び地」の存在の解釈を危うくしかねないが、生産主体としての土地利用の権限と周辺海域を含む当該地域に対する領土としての原権は別物ということだろう。
 ならば土地取引の自由は凡ゆる公人・私人に適用されるかと言えば、わざわざポツダム政令により「外国政府の不動産に関する権利の取得に関する政令」が設けられている様に、如何な敗戦国とはいえ勝手気儘に他国がわが国領土を購入することには制限があり、にも拘わらず中国がその対象外とされ現に麻布の一等地を買い占められている事実には、かの国において土地の私有が法制度上認められない非対称性を説くまでもなく、正当な商行為であってなお一抹の不可解さを拭い切れない。
 石原都知事による尖閣購入宣言に対し、今更の様に慌てふためき自ら購入の意思を示す政府の後手後手の対応は何をか況んやではあるが、尖閣そのものの扱いに留まらず、こうした様々な事態に警鐘を鳴らす意図なのだとすれば、矢張り経済的にも自由度の高い東京都の総帥というポジションは、天の与えた絶妙な配在なのかも知れない。

4月16日(月) 寄る年波  -ヘルス・ダイエット - 健康管理-

 世に健康法は数多かれど、尤もメジャーかつ有用なひとつがダイエットであることは今更言及するに及ばない。 従ってその方法論も多岐に亘るが、炭水化物を控える手法は比較的ハードルが低い割に短期間に効用が得られると評判である。
 今日もまた名古屋から遠征の御大が熱くその成果甚大なるを説いていたが、恰も対抗するが如くとの意図は微塵も無かろうものの、もうひと方、フルマラソン直後の御仁は走る喜びを語っている。
 確かに競技種目の多くが他者との勝敗という相対的な結果に縛られるのに対し、勿論マラソンにも順位こそあれ、寧ろ個々人の記録をメルクマールとした自らへの挑戦という趣きが強い。
 恐らくそれはゴルフもまた同様であり、ならば幼き日々にはさみっこですら"何周"という記録性に拘った私にもまた親和性が高いのかも知れない。更に言えば、如何な方式を採用しようと、結果的に日々の体重を記録することにより明確な成果を自らに認識させる「レコーディング・ダイエット」の意義が強調されることに鑑みれば、減量もまた数字との戦いであり、現に10代後半の時分に60キロ代半ばから20キロ近くの増減を繰り返した私には大いにそれに挑む資格はあろう。
f596.jpg  ただその効用を充分に認識してなお、出向時代に夜毎飲み明かした元同僚両氏の健康への細かな配慮には時の流れを感じざるを得ない。無理の効かなくなるお年頃を実感する一夜。

 宴席の前に三件の梯子は辛かろうと割愛したパーティーが、いきなり日の丸を背に君が代斉唱で幕を開ける、その筋と見紛おうウルトラ・ライトな構成だったらしい。
 思想信条の相通ずるひとりとして、覗かなかったのは悔やみ切れない判断ミス、来年こそともに国歌を唄いましょう。
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