コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月31日(土) 野球を見よう  -スポーツ - プロ野球-

 例えば一定以上の人件費拠出には課徴金を課す米大リーグの如く戦力平準化への試みはひとつの考え方であり、その延長線上に新人選手の契約金上限が定められたのは理解出来る。ただ未だ強制力の無いガイドラインに留まっていた時分のそれを超過した過去事例を、事後法を遡及適用して恰も倫理上の瑕疵が存在するかの如くキャンペーンを張るとは、渡辺巨人軍会長のみならずともイエローペーパーに堕したのではないかと疑いたくなる。
 大相撲に次ぐ第二の国技とも言うべき職業野球を意図的に貶める行為に如何なる意志が存在するのか。事実を明らかにするのがマスメディアの職業だとしても、少なくともその結果として害する怖れのある公益に何等の想像力も働かせず、単に暴露するのみを以て悦に浸っているのならば「運命の人」と同類である。  自らの国とその構成物に敬意を払うことを良しとしないマスコミの存在し得ることには、哀しみを以て堪えない。

 昨日は広澤選手のデビューとなった84年、旧ナゴヤ球場における中日―ヤクルト戦以来の開幕戦見物だったが、九回一死まで石川投手に無安打無得点に抑えられ、ここまで来たら歴史的偉業を実見したいと気持ちを切り替えたところで坂本選手が安打、しかしながらそのまま零封と不完全燃焼の試合だった。
 今年も無事幕を明けたのは喜ばしい限りと、日記には書いておこう。

3月30日(金) こんにちは新東名  -地域情報 - 静岡県-

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(上)安倍川橋、(下)これを繋げて橋梁に
 出向時代には北は北海道から南は沖縄まで、全国津々浦々の自衛隊はじめ視察に明け暮れたものだが、一民間人と化せばかく機会に恵まれる筈もない。
 而して今般、久々に訪れたそれが第二東名とあらば、道路族の末席を汚す自負を抱く者として逃す術は無かろうと、自ら名乗りを上げて秘書業たる役得に預かったのである。
 静岡駅を出発して約20分、新静岡ICに足を踏み入れると、対岸からICへの利便性を図るため、下段に一般道を配したありそうで珍しい上下二層式構造の安倍川橋が迎えて呉れるが、完成から七年、吹き曝しのなか開通を首を長くしていた待っていたとは、まさに道路インフラへの風当たりの強さを思い知らされる。
 次いでストラット式PC箱桁形式で橋脚のスリム化を実現した内牧高架橋では、サンプルとしてそのひとつが残された単体橋桁の建設現場も通過し、更にはLEDも活用して黄色掛かったこれまでのそれに比べ自然光に近くなった羽鳥トンネルと、視察らしい出足である。
f566.jpg  ただ最終工程の植栽が急ピッチで進められている静岡SAを経て再び本線に回帰すれば、相見えるのは又もやのトンネルである。勿論、岡部トンネルは前後区間を含めて当初企画である三車線が完成しており、左右をライトに照らされる構造に二車線トンネルとの違いが伺えるのは興味深いし、暫定二車線との混在が渋滞を喚起しないかとの懸念こそあれ、何れ来るべき日の完全三車線化、更には中央レーンの無人走行仕様という高度化の夢に向けた魁として、現に三車線完成区間が存在するのは心強い。実際、暫定二車線部も地面を走っている限りは盛り土を排除すれば今にも車線増が可能に見える。
しかしながら、かく道路フリーク的な視点から一視察者の立場に戻れば、カーブ半径や高低さを緩やかにするため行程の六割を構造物を以て賄っている分余計に、利便性には寄与しても正直退屈である。
 考えてみれば幾ら技術的に素晴らしい、或いは遠目に眺めて美しい橋梁であっても、通行者にとっては単なる通過点に過ぎないし、トンネルに至ってはどれも似た様な構造だから、延長により大きさの異なる対抗車線への抜け道を毎度視認させられても、飽きが来るのは否めない。
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中央分離帯上から拝む/中之合高架橋にて
  しかも更に西走して反対車線を逆送し、静岡工区管内西端の島田金谷ICで折り返す頃には携帯電話がひっきりなしに鳴り続け現実に引き戻される始末で、優雅な視察モードは消え失せたのだった。
 帰路、折り返した中之合橋梁で、供用されれば決してあり得ない「第二東名に佇む図」を遠路持参した一眼レフに収めたのが、最期の収穫だったろうか。
 清水-三ヶ日間のみの開通では行楽日の往路、下り行程こそ渋滞緩和に寄与しようが、現東名のみになる清水以東の復路は一層の混雑も予想されよう。だからこそ接続先たる圏央道を含めた早期のネットワーク完成こそが、より大きな利便性に繋がる道とアピールし続けていくことが、供用前の視察に預かった者の使命だろう。
 それは同時に、案内戴いた工区責任者氏が、明日土曜は雨中の視認確認のためにもう一度隈無く走り尽くしてみたいと呟いた、道路への熱き思いに応え得る術に他ならない。

 帰路、新幹線でも電話を手離せず、東京ドームを経て女性陣の居残る会社に差し入れを持って戻り、23時過帰路に着く。今週も波乱万丈でした。

3月28日(水) ごはんがでたよ  -グルメ - 中華料理-

 平日は朝昼を食べず夜だけという相撲取りも真っ青の生活を20年続けてきたが、このところは朝食会が多く、不思議なもので朝飯にあり付けると思って馳せ参じてサンドイッチだったりすると、何時もは平気の平佐の腹の虫が鳴り出したりするのである。
f561.jpg  確かに朝から白米を入れると胃腸に負担を覚えるのも屡々だが、夜半のカップ麺が定番になる位なら、寧ろ昼を抜いても週に幾度かの朝から腹八分目は食事のリズムとしては望ましいのだろう。
 ところが本日は朝のお弁当に加え、昼にはたんまりと中華のコースとは、肉料理の時分にはお腹も悲鳴を上げてつつあったが、米は別腹と言わんばかりに〆の炒飯まで平らげ、流石に午後はベルトがはち切れそうであった。それでも還暦を過ぎた同席する御仁は何れも完食されており、健啖家でなければ立身出世は望めない、人間齢を重ねれば須らく体力であることを改めて思い知らされる。
 ただ不思議なことに、朝昼も不定期に増え、にも拘わらず夜半の間食は一向に減少しないのに、体重は特段の増性を示していない。一時は3クォータに近似して怖れを為していたものだが、70キロ強での中位安定とは、愈々燃料効率が悪化してきたろうか。老化に伴い更なる増進を垣間見ないのは僥倖と受け止めるべきなのかも知れないが。

f562.jpg  偏食の割には、或いはだからこそだろうか、熱いものは熱いままに食さないと気の済まない質である。
 従ってどんなに熱いラーメンでも覚まさず口に運ぶから、胃腸にも優しくないばかりか、唇を火傷して皮が捲れる事態にも事欠かない。勿論、他者にもそれを強要する謂われは毛頭ないのだが、得手勝手なものでラーメンを箸で持ち上げ口で吹いて覚ます行為を見掛けると虫酸が走るのである。
 ただ取り分け男性のそれに忌避感が強く、女性のフーフーには特段の違和感を覚えないのだから、感情とは恐ろしいものということか。
 因みにわが息子達は妻の系譜を引いたのか猫舌にも拘わらず、誰が教えた訳でもないのにお椀に盛られたままの麺を吹き続けている。最早家訓と化したか。

3月27日(火) 比較考量  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

f563.jpg 折しもホルムズ海峡情勢が風雲急を告げる中、愈々東京電力の原発全停止が迫ってきた。住民感情に鑑みても、東電管内に限らず、最初の再稼働が大きなハードルとなるのは論を待たないが、長期的に再生可能エネルギーの進捗に軸足を移していくとしても、当面の電力需給ギャップを耐乏生活で賄うというのは非現実的だし、そのツケは結局国民負担に帰することを糊塗して原油価格の高騰を企業のみに転嫁するのでは、ポピュリズムと揶揄されても仕方ない。
 多様なアクターが犇めく調整のアリーナという現実的な視座を持ち出す迄もなく、政治はオールorナッシングであってはならない。だからこそ絶対安全神話が崩れてなお許容出来る安全性を担保しつつ、経済合理性を勘案して再稼働に向けた道程を築くことが、政治の果たすべき使命だろう。

 従って企業としての東京電力の経営を従来以上に硝子張りにする試みは、エネルギー産業に対する国民・住民の理解促進の一助として捉えられる限りにおいては有用であるが、その一環を装い「電力会社の寄付・会費の公表」を政府が強要する行為は、恰も電力会社が世論誘導に明け暮れていたかの如く後ろ暗い印象を植え付け、国民の怒りを改めて電力会社に受容させる手口の匂いが伺えるだけに、些か疑問である。
 幾ら総括原価方式という非競争社会特有の利潤の源泉を抱いているとはいえ、民間企業である限り経営や社会福祉に資する寄付・会費の類は裁量があって当然だし、それを否定するならば最早民間ではなく国営企業と看做すべきであって、必然的にその責は国家の舵取りをする政府のみならず、その構成を選択した国民にも帰することになろう。
 社会インフラの運営に経済合理性を何処まで調和させるかという命題を秘めつつ、冷静かつスピーディーな判断が求めらている。

3月26日(月) 失脚  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

f560.jpg  失脚と言えばその度に三度復帰した小平氏が想起されるが、かの国においても久々に聞く二文字であろう。
 70年代においては企業においても期半ばに役員が唐突に身を引くと、スワM資金話に捕まったかなどと噂されたものだが、現代社会においてなお失脚が現実のものとなり、その事実そのものも情報統制によって判然としないとは、幹部の居並ぶセレモニーの公式写真から消滅すことにより失脚が発覚した嘗ての共産主義国の有り様を想起させ、未だ民主主義が胎盃していない国家の不気味さを感じざるを得ない。
 時を前後して伝えられた政権与党と同国共産党のホットライン設立も、勿論ともに亜細亜の盟主たる国家の西側諸国の視点におけるレフト・ウイングを担う政党同士が連携を密にすることは、米国に要らぬ斟酌を与えない限りにおいて有用には違いない。
 ただ現幹事長が、左から右に掛けて共産主義から社会民主主義までバラエティに溢れていた以上に、親蘇派と親中派で明確な色分けが出来ていた旧社会党派閥の、佐々木派の流れを引くのかどうかは寡聞にして存じ上げないが、まさに冷戦期を体現する常套手段の如くあり、幾分のアナクロ感は否めない。
 故事に倣う保守主義の胎盃と見做すのは、皮肉が過ぎるのだろうが。

3月25日(日) 僕らの街に、今年も雪が降る  -スポーツ - スキー-

f558.jpg  明けて翌日は打って変わって横撲りの雪だが、そのまま滞在する一家を余所に早々に引き上げる父に猶予はなく、9時には岩原スキー場に繰り出した。
 鍛錬の成果なのだろう、祐旭はとうに父を追い越し、華麗なボーゲンでターンも披露し、颯爽と簡易スラロームにも勤しんでいる。果ては父を促し、如何な初心者向けの岩原とはいえ、従来より一段上のリフトへと上昇を試みるではないか。
 一方、わが家で唯一自前のスキー具を有しない父は経験則も活かせずぴったりフィットの靴を選択した煽りだろう、立っているだけで重力に耐えかねる足への負担に加え、早速リフトを降りる段階ですってんころりん、起き上がるだけでひと苦労とは、幾ら小泉総理に激励されたとしても、最早痛みに耐えるのは不可能である。
f559.jpg  しかも断続的に雪は激しさを増し、リフト上に佇んでいると凍死しそうである。にも拘わらずいざ上方に降り立つと俄かに好天に恵まれるとは、雪山と女心は移り気ではないか。
 それでも下界に降りると父も一端に祐旭と併走しながらビデオ片手に撮影を敢行するが、臆病なのかエッジに支えられ過ぎの滑り方に根源的な問題があるのか、程なく腰と脹ら脛に限界が来て、ひと足早く草鞋を脱ぐことになった。
 公資も方向転換にはまだ課題を残すが、ハの字で緩い斜面を滑降するのは随分と様になっており、幼児にして父とタメを張る日もそう遠くはなかろう。

 夜半、帰京する。大宮で下車し埼京線経由は余り時間短縮には奏功しなかった。
 今やもう幻になりつつある計画上の起点たる上越新幹線の新宿乗り入れが実現していればと、嘆く東京西部居住者の悲哀であった。

3月24日(土) はやぶさを見送って  -地域情報 - 新潟県-

f556.jpg  正月と黄金週間、夏休みに留まらず性懲りもなく春も残雪豊かな湯沢だが、到底休暇なぞ取得すべくも無い今春は、父のみ土日往復の強行軍である。
 おかげで往路も上越新幹線となったが、ホームに登ると俄かに騒がしい。都市変遷評論家として鉄道路線には甚大なる興味を抱いているものの、車両そのものに関心の薄い私には偶然の邂逅に過ぎなかったが、「写真撮影の方はご注意下さい」とのアナウンスに促される形でカメラを構えた先に訪れたのは、昨年新青森までの延伸に伴い運行開始されたE5系「はやぶさ」であった。
 ここでもまた時ならぬ「はやぶさ」ブームの符合には驚いたが、当然これを見過ごし、幾分古びた「とき」に居を据え湯沢の人となったのである。
 しかしながら温暖化にも拘わらず雪こそ豊富かつ微温的な天候に恵まれながら、降り頻る天気雨の中、雪山に繰り出す克己心は持ち合わせていない。従って又もや副総理のお膝元、六日町ジャスコとは遠征の甲斐に欠けるというものではないか。
f557.jpg  だから趣向を凝らした訳でもないのだが、林立するフォーゼ玩具群に更なる増殖を斎したのに加え、隣接する量販店にも足を伸ばしてみる。
 結局平屋のケーズデンキにお目当ての、湯沢滞在時練習用の簡易キーボードは種類が無く、北上してヤマダ電機にも赴いたが、二階建てながら階下は駐車場に占められ、より在庫に欠ける見掛け倒しであった。
 考えてみれば全国一律にこの構造の立ち並ぶ、ジャスコとともに街の遠心化、中心市街地の拡散に寄与した功罪の源を確認出来たのには、それなりの効用があったのではなかろうか。

 電車同士の対決する亜流の新ゲームまで誕生していたのには驚いたが、ガンバライドは内容自体が簡単になったのか、スイッチの御利益かは定かでないものの、「難しい」でも楽勝していたのは、必ずしも強制力を祐旭自身のかく競技への熟達の現れでもあろう。
 Wiiで慣れたマリオカートはいざ知らず、太鼓の達人も果敢に「難しい」への挑戦を試みるとは心境の変化か、自信の発露だろうか。

3月22日(木) 恵比寿の午後  -地域情報 - 東京23区-

 営業職ではなくともそれに準ずる様な御用聞き業としては、何の用事が無くともふらっと訪れ得る人間関係の構築が基礎中の基礎であるが、その前提として未だ昵懇たり得ない初期段階において、訪問の口実を拵えるのは常套手段である。
 報告書の類を抱えての押し売りならぬ"押し掛け"もそのひとつではあるが、より有効かつ手軽なツールに案内状がある。何しろ近々改めて邂逅するのが確実であるにも拘わらず、わざわざ事前に足を運ぶ形になるのだから、余程偏屈か多忙極まりない人物でない限り歓迎かつ感謝されるのは必定な上に、「近くまで来たので序でに」との注釈を加えても、それがエクスキューズであることを互いに暗黙に了解してなお効用がある。
 但し、終日外回りに明け暮れ得る程に優雅な身分ではないから糸の切れた凧と化すのにも限度があるし、永田町や霞ヶ関界隈を外れた相手先であると「序でに」のレトリックにも限界がある。
f555.jpg  それでも今日は、先方のビルを出てふと目を遣ると、学生時代、盛んに足を運んだ学生団体の、往時予算数千万を誇ったバブリー極まりない国際会議の事務局の入居していた建造物が眼前に聳えていた。
 バブルの象徴宜しき雑居事務・会議スペース機能を未だ維持していたのにも驚きだったが、どうやら建て替え作業に入り休業中らしい。
 あれから20余年、コスト・パフォーマンスに見合わぬ様な行脚の旅も偶には行き掛けの駄賃に巡り会えるものである。
 更なる駄賃を求めた訳ではないのだが、結果本日は永田町、赤坂は元より、恵比寿、丸の内、新橋と練り歩くことになった。米軍宜しく友達の増殖に寄与し得たろうか。

 「相棒10」の最終回を見る。ミッチーが水谷豊氏に詫びて去るという酷な演出以上に、「神の領域に挑めば罰を受けて当然」とも言いた気な、宗教色満載かつ救いようの無い幕切れは後味が悪かった。

3月21日(水) 楢山節考ではないけれど  -政治・経済 - 労働問題-

 コップの中の嵐の消費税論議が佳境を迎える中、定年延長法案が粛々と国会提出に向け手筈を整えられつつある。
 如何にも平等主義的な民主党政権らしいと揶揄するのは些か色眼鏡に過ぎ、既に大企業を中心に年金受給の引き上げに伴う60歳以降の再雇用は促進されており、遂に最終段階に至った既定路線と見做すのが的を射ている。
 勿論、希望者かつ一定条件を満たした個人の選択的再雇用と、強制力を持った定年延長は似て非なるものであり、現実に避けることの出来ない固体差、即ち知能を含め肉体的な機能維持と衰えの最初の分水麗として「還暦」が存在することに鑑みれば、企業としては単に人件費に留まらない大きなコストを抱え込む恐れがある。
 それでもなお少子・高齢化の中で生産人口を維持していくという積極的側面からも定年延長が必須だと言うならば、現行の如く再雇用時にリセットされた形で新たな賃金体系を適用するのみならず、60歳に至る過程においてなお下方硬直性を欠いた賃金カーブの採用が必定だろう。
 更に言えば徒らに民間企業への再就職を禁じた帰結として、同様に再雇用制度を設けざるを得なくなった公務員制度が、平均給与の大幅引き下げを敢行してなお総人件費の抑制を為し得なくなるのではとの揶揄は別として、少なくとも年齢構成的にはピラミッド型組織を維持出来なくなり、年功序列型人事制度との決別を果たさざるを得なくなる以上に、企業は「年上の部下」や「年下の上司」が頻出する状況と、儒教的精神に基づく「長幼の序」との両立を図るという難しい局面を軟着陸させていかなければならない。
 一定の長期雇用を継続させつつ定年延長、或いは撤廃を実現させている欧州において、わが国の如く金科玉条的な強い解雇規制が存在しないことにも、我々は改めて目を開かなければならないのではないか。

3月20日(祝) 宇宙キター!!  -テレビ・ラジオ - 仮面ライダーフォーゼ-

f553.jpg  インフルエンザからは脱却したがお出掛けするには忍びないわが子らの環境に鑑み、珍しくボードゲームに勤しむ。しかしながら山積みになった遊具の山から選択したのがこれもまたアストロスイッチ・ロワイヤルとは恰も激烈フォーゼ・フリーク一家の如しである。
 ただ実際には、番組自体は殆ど素通りにも拘わらず、父の収集癖にアストロスイッチがヒットしたおかげで、子供達の熱情にも拍車を掛けたという解釈が正しかろう。当該ロワイヤルにもスイッチが4箇附属しているが、わが家には使用に供すべく全20箇に遥かに余りあるスイッチ群が蓄えられているから臨場感にも溢れ、キャラクター性に依存するため肝心の遊具としてのダイナミズムに欠けるきらいのある冠ゲームにしては、こちらもヒットだった。
f554.jpg  大人買いコレクター魂を擽った要因は、ひとつにはスイッチのラインナップに誂えられた歴代ライダーの存在には違いないが、電王以降定番となったバンダイの品薄戦略が、純粋な玩具販売に加えガチャガチャ、食玩と商品バリエーションが飛躍的に拡大した今作にて漸く、相当に解消されている現実的な利便性も作用していよう。
 それでも拡張版スイッチの「ロケット・スーパーワン」や「NSマグネフォン」には店頭では出会えず、幾分プレミアム付きの通販に頼る他は無かったが、出し惜しみはネット・オークションにおける投機熱を煽るだけと再三苦言を呈したのが奏功した訳でもなかろうものの、漸く程良い案配の飢餓感に落ち着いたとは言える。
 このままだと番組末期の絶対生産量不足と価格低落の相反するベクトルの中でゴーオンジャー以来のコンプリートを目指して奔走する羽目に陥りそうで、自らが怖い。

 ゲームの後は久々にWiiのゴルフに参戦するが、画面でも右に曲がる傾向が散見され、クラブの責任のみでないことが発覚した。偶にはわが家のストックに興ずるのも乙なものではないか。
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