コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

2月29日(水) 安物買いの  -音楽 - 音楽-

f529.jpg  再び二段重ねのキーボード・システムを構築した余波は、先ずこれも御蔵入りしていたミキサーの復壁に始まるが、インプットに余力があるとどうしても他の線も繋ぎたくなる。
 電子ドラムは当然だが、楽曲に合わせてドラムを叩く為にmp3対応レコーダを付設したように、CDもまた聴けるようにと思い付くのもまた摂理だろう。
530.jpg  そこでおっとり刀でビックカメラに赴いたが、既にこの世にラインアウトのある簡易CDプレーヤーは存在しない。ただ売り場を行脚すると5000円強のコンポが発掘され、これならばアンプ・スピーカーにも代用出来ると我ながら一大発見に勇んだのが、逆に運の尽きだった。
 いざ書斎に据えて配線に及ぶと、肝心のラインアウトが存在しないではないか。結局、ヘッドホン・アウトから無理に接続したが、これでは単体プレーヤーと変わらないし、ノイズも甚大である。しかもミニプラグから標準LRに分岐するコードを探し回ったおかげで、電気店はミニとピン主体、標準は楽器店と住み訳が図られている実態調査にはなったが、経費もまた嵩んだのは間違いない。
 オール・リニューアルを目論んでアンプ内蔵ギターも新調したが、ネット購入で超短尺を選んだためコード弾きでも音程がずれる始末でインテリアにしか使えない。
 まさに安物買いの銭失いとはこのことだろう。散財は計画的に。

 閏日に大雪。何故か今日も人前で歌謡曲を弾いて仕舞ったが、2000年以前と限定したにも拘わらず、リクエストに応じられない楽曲が散見された。流しへの道は遠い。

2月27日(月) ピアノのある風景  -音楽 - 音楽-

f527.jpg 二次会で、或いは宴も酣になって徐に座敷にカラオケ・セットが登場という場面は数限りないが、いきなりカラオケ・ボックスで御接待申し上げるケースは稀である。
 にも拘わらず今般そのシチュエーションが現出したのは、某先生がYMOフリークとの情報が生業を同じくする同僚先達より斎され、悪のりした私がピアノの据えられた高級ボックス「フェスタ飯倉」を選択したからに他ならない。
 若かりし時分にカラオケぴあの類を探索した際にはドラムセットまで聳えるスタジオをカラオケ対応可とした豪奢な店舗も散見されたが、いきなり集まった楽器を手に手にとの需要も少ないのだろう、僅かにバブルの残り香を漂わせ、生き残った広々とした部屋でどの様な展開が繰り広げられるか、我ながら出たとこ勝負であった。
f528.jpg  結果、冒頭こそリボルビング・ドアの必要性はじめ真面目な政治談義からスタートしたが、程なく唄が始まると早速当方がピアノにギターに弾き捲りで親指から出血するまでに盛り上がり過ぎる始末である。「YMOのボーカル担当」という些か不可解な触れ込みが、実のところ「学園祭で唄、YMOではドラム」と判明した某先生もノリノリで、現職議員がコンガを叩き捲る驚愕の絵柄に遭遇したのは恐縮至極だった。

 更に二次会では丸ひとつ上、かつ十数年上には元YMOファミリーの矢野顕子氏を仰ぐ同じく2月13日生まれの秘書の方ともども店からケーキまで頂戴するとは楽しい一夜ではないか。
 帰路、阿佐ヶ谷の住宅地でタクシーを降りて仕舞い、彷徨った挙げ句駅前のラーメン店で味噌ラーメンを平らげ、厳密に言えばもやしだけ残して高円寺まで徒歩帰還したのは幾分余録だったが。

2月26日(日) 模様替え  -音楽 - ピアノ-

f525.jpg 予定通りキーボードとスタンドを撤収して空白部分に本棚を誂えたまでは良かったが、矢張り「買い物熱を覚ます」こと能ず、確かにひと月程は「暫し黙考」したものの、結局新たにまたキーボードを導入して仕舞った。
 渋谷の鍵盤堂で散々迷った挙げ句、当初目を付けた通り独製Waldorfのblofeldというマニアックな逸品を選択したのは、一義的には49鍵で省スペースという必要条件故だが、いい加減コルグ三昧に飽きが来たのみならず、一風変わった品に手を出してみたいという生来の臍曲がり嗜好も作用していよう。
 しかもPCM音源搭載とはいえ実質的に通常のピアノ系の音色は少ないと店員氏に諭され、コンパクトではあっても7キロと重くてはバンド活動を再開したら持ち運びに利便性が少ないのに、丁度同じ背格好のローランドSH用セミ・ハードケースまで購入するとは、物欲に抵し得なかった帰結に他ならない。
f526.jpg  ただ少なくとも不見転で購入しなかったのは幸いで、当初予定した一本足スタンドは驚くべき大根足でプロ仕様には良い案配でも、書斎の居住スペースを電子ドラムとともに万里の長城宜しく取り囲むには凡そ不似合いで、実見して廉価品に差し替えたのは正解だった。
 Micro Korgからグレードアップしながらバンド再開に至らず埃を被っていた、今やすっかり店頭からも消え失せたボコーダ対応のKorg R3と二段構えの豪奢な新セッティングがお目見えしたが、果たしてどの程度自室に籠って優雅に鍵盤を叩く暇が生じるだろうか。少なくとも出入りが難儀になった替わりに、椅子を回転させるだけでPC、キーボード、ドラムの何れにも手の届く理想的な書斎環境は手に入れられたのだが。
 更なる充実策の顛末は別項にて。

 毎年、東京マラソンに出場している友人が、目標の3時間15分にギリギリ満たなかったものの今年も無事完走の報を伺う。鉄人である。人間最後にモノを言うのは体力に他ならない。

2月25日(土) 不作為  -政治・経済 - 選挙-

 鳩首協議を重ねた選挙制度改革論議が水泡に帰し、区割審が勧告を出すことも能わないままに公職選挙法上の違法状態を迎えるに至った。
 昨年、国政調査の結果が出た時点でこのスケジュールは確定していたのだから、手をコマネいていた政治の不作為責任は明らかである。
 そもそも47都道府県に1議席ずつを与え、残り253議席を比例配分する「一人別枠方式」と一票の格差二倍以内を両立させるためには、自治体の枠組みを超えた細分割という高度な技術を要するし、民自合意に至った「0増5減」にしても、一人別枠方式こそ廃絶はしているものの、可能な限り現行区割りを前提にするという意味で地方優遇には違いないし、指摘される様に一部地域の思惑が透けて見えるのならばゲリマンダーの要素も否めない。
 勿論、解散総選挙は助言と承認を行う内閣総理大臣の責に基づく天皇陛下の国事行為であって、たとえ違憲・違法状態で行われた総選挙であってもそれを最高裁判所が一存で無効と見做すことは、統治行為論からしても合理的でない。
 だからこの不作為に最も戦々恐々としているのは無効判決を下しても下さなくても批判を浴びるに違いない最高裁であろうことは疑いないが、とは言え政治が高を括っているのもまた許されない。
 弥縫的に5減でお茶を濁すよりは寧ろ、たとえ短期的には格差二倍以上が継続されたとしても、今後一年なりの期限を区切って、例えば如何に先ず隗より初めよが美しく響こうとも、単に経費節減のためだけに国家の行き末を担う国会議員の職をより狭き門にすることが本当に正しいのか、或いは選出制度、権能ともにほぼ同じくする議院の並立を捻れ現象の継続の中でどう考えるかといった根本論議を行う両院調査会を設営するなりして、選挙制度のあり方を問う場を公的に設け、その意志を国民に示すことが、現下の揺れ動く政局における最良の民意への受け応えではないのか。

2月24日(金) 京王フリートレイン  -政治・経済 - 選挙-

 調布基地改メ調布飛行場に隣接するプロペラ・カフェを訪れた(右写真)のはつい数ヶ月前だった様な記憶があるが、記録を辿るとはや一年数ヶ月を経ていようとは、馬齢を重ねると時の流れが加速するものである。
 その際は当然自動車だったから、改めて会社帰りの喧騒の中、準特急に身を委ねると、なる程調布までふた駅10数分の謳い文句には相違ないが、ラッシュ・アワーの壮絶さに朝方のより一層の混雑が想起され、中央線沿線の有り難みを思い知った。
 何故に調布まで西征したかと問われれば、定番のパーティー出席には違いないのだが、都心で挙行されるそれが資金集めを主眼とするのに対し、地元におけるそれは寧ろストレートに当落に結び付く、支援者作りとその拡大作業の一環に他ならない。
 従って有権者でない者が顔を出しても山の賑わいに過ぎないのだが、言うなれば「郊外」たる多摩地区の「地元」の有り様を覗いてみたかったというのが真意である。
 勿論そこには凡ゆる「地元」と変わりのないミニ集会の様相が繰り広げられていたが、都市近郊であるが故の特色は、たとえこうした緩やかな組織化を地道に重ねたとしても、風が吹き荒れれば無党派層の波に全て一掃されて仕舞う不安定な構造だろう。
 それでも古式ゆかしい、後援会形式を組織しなければ基礎票を獲得することすら覚束無いとは代議士とは、情熱と強い意志が無ければ到底務まらない因果な商売である。

2月21日(火) 自覚  -政治・経済 - 政治・時事問題-

 漸く予算関連法案の衆院審議が始まったが、ただでさえ冒頭の四次補正処理で押し気味な上、副総理の、ある意味厳格ではあるものの野党を刺激するには充分な答弁により更に二日を空費したおかげで、既にこの時点で例年より一週間の遅れを生じ、14年振りの暫定予算すら取り沙汰される顛末に至っている。
 嘗て自社対決華やかりし時分には年中行事に近かった感のある暫定予算も、景気低迷が続き政府支出への依存度が高まったからだけではなかろうが、昨今は「経済への悪影響」が唱えられ、極力避けるべくとのコンセンサスが強まっている。
 ならば野党が迅速な審議に応ずればよいと断ずるのは道理だが、少数政党に配慮して応分の審議時間を確保するのは与野党が立場を違えていた時分からの、スムーズな職務遂行の為の摂理である。
 それを前例主義や悪しき国対政治の因習として片付けるのは容易いが、「神は細部に宿る」との言を引用するまでもなく、日程や段取りといったスケジュールの観念の無い企画立案は、政治に限らず須く夢想に堕すと言っても過言ではない。
 ただ70年代の野党は、国会審議を「寝る」「起きる」というタイミングに心血を注いでいた分、逆説的にこうした段取りにも敏感であったが、大臣が珈琲を飲んで委員会を止めるという行為などは、自らのポジションの重大さを認識していない野党慣れと言うより、そもそも国会審議を通じて立法作業に関与している自覚の欠如であり、だからこそこと法案審議に限らず期限までに物事を仕上げなければならないという責任感が醸成されなかったのではないか。
 当然、野党は暫定予算の政治的に意味も、租税特別措置法はじめ日切れ法案が成立しなかった際の混乱をもよく認識しているが、逆に野党時代ガソリン価格を乱高下させ国民経済を混乱させることも厭わなかった現与党には、予算の年度内成立に努める必死さに欠けると、寧ろ野党側に心配にされる始末である。よしんば野党が最低限の暫定予算のみという穏便な段取りを組んでも、日程の観念の無い与党が、無自覚にそれを御破算にして仕舞う恐れさえ懸念される。
 責めて「カレンダー」が、与野党問わず凡そ国会に集う多数の代表者の頭裏に色濃く刻まれる様になったのならば、この政権交替も後世に御利益を残したと振り返られて然るべきなのだろうが。

2月20日(月) 本の虫  -本・雑誌 - 書店-

 それなりに多忙な日々に足が遠退いていた神保町へ、東京プリンス往来の途上を活用して久々に降り立った。
 従前は少なくとも月に一度は通っていたし、出向時代など気が向くと、或いはお仕事に気が向かなくなるとと言うべきか、数時間に亘り三省堂に始まり書泉両店、果ては東京書店に岩波と梯子に明け暮れたものだが、アマゾンの定着に加えて、わが高円寺駅前にこの御時勢にも拘わらず新たに書店が誕生した波及効果もあろう。
 ただいざ9か月振りに書泉グランデに足を踏み入れてみると、装い一変は大袈裟としても相当な模様替えに直面する。
 ここ数年は神保町を訪れてもグランデの全階ひと巡りで事足りていたのは、三省堂ほど巨艦でなく、かつマニア心を擽りながらも著しくフリーク性の高くない、適度なバランスに依拠していた筈である。
 ところが六階は都市文化というよりは増殖した電車に須く席巻され、三階にはボードからPCまで古今東西ゲームの世界が新設された替わりに政治・経済が放逐された。サブカル系の程好く混在していた地下にスポーツが廻り、特撮や音楽はブックマートに統合されたが、あちらはまんだらけの如くマニアの巣窟の様相を呈しているから足が向き難い。
 恐らくは同社がアニメ雑誌系出版社の傘下に入った帰結だろうが、翻れば新宿ルミネ内の書店も関西系大手の系列となって音楽本の特色が薄れたし、赤坂見附ベルビー内ですら地域柄にも拘わらず政治の充実度は著しく後退している。
 折しも野球と格闘技で50年の歴史を誇り、店頭の品揃えで当日のドーム・イベントの中身が推し量られた山下書店東京ドーム店も先月限りで幕を降ろした。
 アマゾンはじめネット販売の興隆は元よりだが、ブックオフはじめ古書チェーン店の繁盛振りを伺う限り、活字離れというよりは寧ろ新刊本不況と言う方が正しかろう。
 大艦巨砲主義による規模の経済を求めるか、専門性に特化するか、その狭間において地域柄に如何にマッチさせるか、資本再編も含め揺れ動く書店の未来をもう少し見据えたい。

2月19日(右) 面舵いっぱい  -スポーツ - ゴルフ-

 この冬一番の冷え込みとの予報に戦々恐々としていたが、幸いにも先月と打って変わった微風の賜物で、快適なラウンドに臨めたのは幸いであった。
 残念ながらドライバーも3Wも右方面に飛び出す傾向が続いたのは、政局穏やかならぬ中、保守回帰の予兆であるとするならば肯受すべき兆候ではあろうし、幾分の贔屓目を割り引いたとしても、亀の歩みであっても飛距離は伸びている感こそあれ、現実のスコアに芳しくない結末を斎すのは火を見るより明らかである。
 加えて総距離が短い替わりに、巧みに配置された大量の池とバンカーに悩まされ、唯一の見せ場は毎度の如く飲み過ぎ気が大きくなって挑んだワンオン・チャレンジに、本日初のパーオンを為し遂げた後半4番だけだったろうか。

 先月の外房に続き、今般は常磐道であった。筑波を遥かに超える千代田石岡ながらICから極めて近いこともあり中野から一時間強、しかも日曜の10時過スタートながら帰路も渋滞なしとは、時間距離における有用性を改めて思い知らされた。
 ただ新機軸に進出したのは、元同僚諸兄も関越方面に飽きを覚えたのかも知れないが、スコアも一進一退どころか暫増傾向で、固定面子化甚だしきを含め些か中弛みと言えなくもない。
 ここらでひとつ緊張感あるラウンドが訪れるべきか。

2月17日(金) 尻滅裂  -ヘルス・ダイエット - 健康-

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2000年手術図解
 長年お世話になった方が地元に帰郷されるにあたって、当機関への歴代出向者が轡を並べた送別会が催された。
 その際、同じく会に到来された、既に退職された御仁より、熱くなって応答する印象深い人々にカウントされたのは、出向時分に無意識下であっても氏の評価を自らのメルクマールとしていた感があったから、嬉しい述懐であった。
 ただ熱くなるに分類された両名が、偶々揃って痔疾の罹患者だったからと言って、気の短さが肛門への負担を重荷させていると帰納的に収斂させる方向に話題が進展していったのは、会の和やかさを象徴して微笑ましい限りではあったものの、些か極論には違いない。
 それでも四つ足から二足歩行への人の進化に伴い、本来横向きであった消化器官もまた直立し、結果蓄積された便が肛門を圧迫し、かつ括約筋をより引き締める必要性が生じたがために誕生したのが痔であると然り顔で解説に臨むと、元部下に「その話は百万回聞いたと諭され序でに「ならば猿はどうなのか」と反駁され、不覚にも言葉に詰まって仕舞った。
 冷静に考えれば猿は常に二足歩行ではなく、座って執務をこなしたりもしないし、増してや排便時の肛門は原則として引力に直行しているから痔疾に悩む謂われは無いのだが、即座に応答出来なかったのは事情通としては形無しだった。

 勿論、熱くなるのは時と場合を選らばなければならないし、感情の赴くままに怒りを顕わにすることは避けねばならない。
 サラリーマン人生も四半世紀に近付けば、単に物分かりの良い人格者であるだけでは管理職は務まらないし、上下関係に捕らわれず指導と言えば語弊があるが、示唆の必要になる場面もある。
 だからこそ常に心穏やかであることがより肝要なのだろう。既に術後医師に保障された第一期間である10年を幾年超えた、わが肛門の安寧にとってもまた。

2月16日(木) スワロウテイル  -政治・経済 - 経済-

 「通貨の番人」日本銀行が、インフレ退治を最大の眼目としているのはつとに知られているから、既に20世紀末から取り沙汰されてきたインフレ・ターゲットを、信仰の如く拒み続けるだろうとの観測は、世を挙げて諦観の境地に至っていたと言っても過言ではない。
 だからこそ今般のインフレ「ゴール」導入は相当な驚きを以て受け止められたが、敢えて頑なな姿勢を採り続けることにより転換のインパクトを強調すべく梃子の原理を働かせた戦術と見做すのは、皮肉に過ぎるだろう。
 インフレ目標の設定は制御不能なインフレを斎しかねないという旧来の日本銀行の主張が正しかったのかは定かでないが、少なくとも円安誘導の効果に乏しいとの見解は、幸いにも市場に裏切られた様である。
 勿論、1%に留まらず2%までの許容範囲を示したアナウンスメント効果と併せて、10兆円の追加買入というダブルパンチが奏功した形だが、速攻性ある金融政策としては、事実上最後の砦であったのも事実だろう。
 従って、この日銀の確たる意志表示が着実に実物経済に波及されるべく、直ちに民需主導の活性化に望むべきが乏しかれば、政府は速やかに需要喚起策の発動に手を染めなければならない。例えば既に福祉目的化の法定されている消費増税の使途を、弾力条項を拡大解釈して短期的には景気回復に充当するといった柔軟な対応を含め、早急な対応をお願いしたい。

 14年振りの暫定予算が現実的な視野に入って来たのを受け、思い立ち久々に院内に陣取る御仁を訪ねてみると、お引越し先まで辿り着くのに迷った上に、帰路も議面を求めてサマヨった挙げ句、反対院から退出して仕舞った。
 素人みたいで情けない。
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