コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

1月30日(月) 誰がために  -ビジネス - ビジネス-

f498.jpg  例えば極めて秀逸な構想でありながらそれが一向に採択されず、ある日同様なプランを全くの別人が提起すると、いとも簡単に実現に向け運び出すというケースは何処のアリーナにおいても垣間見られる光景である。
 それは人治であってシステムとしての職務プロセスが確立していないと批判することは容易い。ただ現実にプランそのものが的を射ているのは大前提として、それを具現化するには誰が首謀者であるかもまた極めて重要な要素に他ならない。
 確かに良い物さえ作れば後は自ずとという世界はシンプルかつひとつの理想形かも知れないし、構想する知恵者とそれを軌道に乗せるブルドーザー役は別人格でも構わないと割り切るのも道理だろう。
 それでも凡ゆるこの世の事象が人と人との営みを通じて成り立っている限り、詰まるところその生成物の背後に誰の顔が浮かぶかに依って大きく成否が作用されるのは必然である。
 恐らく我々の居る世界-美しく言えばロビイング活動-においてはよりその要素が色濃く現れる。だからこそたとえ旧態依然と揶揄されようと、そのフィールドにどっぷりと浸って、濃密な人間関係を構築することに血道を上げるのである。

 今日は会館を行脚した。既に十年ひと昔を超え携わり続けた案件に、小人の靴屋さんの如く闇将軍の如く再び会い見えることとなったのも、詰まるところ人と人との縁に左右される部位は少なくない。
 世の中はこうして回っている。私はそれを否定されるべき事柄だとは思わない。

1月29日(日) 初めての再選  -政治・経済 - 軍事・安全保障・国防・戦争-

f496.jpg 新年初打ちは同時に新クラブの御披露目が重なり、文字通り盆と正月気分である。
 いざティーグラウンドに降り立ってみると寒さの極み、しかも強風吹き荒れる尋常でないコンディションに見舞われたが、総じて新ドライバーは安定、練習時からダフり気味だった新3Wこそ右に噴ける傾向は否めなかったものの、中尺パットも読み違いでズバズバ入りこそしないが真っ直ぐには転がっている感あり、上々の滑り出しと言えよう。
 後半、ロングでパーを拾いながらショートでバンカーに捕まりほぼギブアップと新規58度ウェッジに不安は残したが、強風に依り池ポチャした元同僚のコートから無事携帯電話が救出されたのは幸甚だった。
 飲み過ぎで帰路、完璧に寝て仕舞ったのが画竜点睛を欠いたか。

f497.jpg サラリーマンに戻ってなお出向気分覚めやらぬ2月に生まれて二度目の岩国へと赴いた日を昨日の様に思い出す。
 あれから4年、米軍基地再編は混迷を極めているが、厚木から艦載機を受け入れる岩国市民は、左派色の強い元市長を退け、苦渋の決断を支持する現市長の再選を選択した。
 短絡的に決め付けてはいけないが、日米安保のもとに抑止力としての米軍の存在を許容せざるを得ないわが国の、基地との共存のひとつの指針が、岩国市のあり方に示されているのではないか。
 四年前、埋立の真っ只中だった岩国飛行場(左写真)の、程なく軍民共用の再開される展望を伺うをに付け、辺野古の迷走が残念でならない。

1月28日(土) 大山太鼓  -育児 - パパ育児日記。-

f493.jpg 祐旭のライオンキングから2年、隔年のため公資にとっては在園中ただ一度の舞台となる発表会がやって来た。
 教員は毎年入れ替わっているのに年を追う毎に加速度的に園児が増殖しており、冒頭の総員歌唱では遂に公資を発見出来ぬままに幕が降りる始末だったが、クラス別では幾分照明が眩しそうで都知事宜しく目をしばたかせてはいたものの、無事身振り手振りの操演も基本に忠実な公資の歌唱を堪能した。
f494.jpg 午後の部に至り愈々晴れ舞台、日頃幾分内弁慶ながら園ではリーダーシップを発揮して女児からの人気トップを争う公資の荒々しい一面、新たな魅力を披露する大山太鼓である。児童・園児の世界ではメジャーな撥を手にしての言わば「エア太鼓」操演で、左端の位置は観客の父としては幾分不満だったものの、日頃の鍛錬の成果を遺憾なく発露して本人も満悦だったろう。
 年少・年長時の二回の機会に恵まれた祐旭は芝居と踊りの双方に従事したが、ピン乃至は少数で確実にスポットライトの当たる俳優と一律出でずっぱりのパフォーマーの何方がより望ましいかは議論の分かれるところである。
f495.jpg ただ確実にシャッター・チャンスの豊富なのは後者であり、加えて後方据置用に持参した旧ビデオ機は業者撮影版に委ねて出番を失ったものの、丁度通路沿いの指定席が当たったためカメラマンには好都合だった。反面、演技上に堂々と前を横切る輩が多発して爆発寸前だったが、以てわが身を顧みるべしとの教訓と受け止めたい。
 ステージ外での記念撮影を終え席に戻るとちび黒サンボが上演されており、人種問題に携わるあらぬ誤解も解け、児童書の名作の復権を実感し安堵した。
 なお会場中野ZEROのバイキングの薬膳カレーが存外に美味だったことを附記しておきたい。衣装製作に尽力した妻ともどもお疲れさま。

1月25日(水) 気の強い証拠なのさ  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

 昔の政界要覧や選挙総覧を眺めていると、楽しくて時の経つのも忘れて仕舞うのは、矢張り珍しい人種なのだろう。勿論職業柄趣味と実益を兼ねているとも言えるが、過去を知ることが保守主義の第一歩だとしても、必要以上に過剰な知識があっても日々の職責に必ずしも有効とは限らない。
 ただ年配の御仁と杯を傾ける際には、実年齢に似合わず矢鱈と嘗ての程々に名のある政治家やら選挙事情に詳しいと、お褒めに預かるのみならず昔話に花が咲くのは先方に取って座持ちが良いことに他ならないし、伺う当方の知識欲も満たされ、有用な時もある。
 今日は山口と大分、少しに愛知ついて詳しくなりました。

f492.jpg 昨年の貿易収支が遂に赤字に転落した。当面、円高の反転が望み薄ならば英国型投資立国を目指すというのはひとつの方向性ではあるが、第一に旧植民地を有する戦勝国との基礎条件の相違があり、更には目論見通り国富は増えたとしても国内雇用を如何に維持するかという課題が残る。
 勿論、海外移転の出来ないサービス産業、就く医療・介護需要を充てるという解が容易に想定されるが、果たして非ホワイトカラー色の強い重労働に、取り分けわが国若年層がこぞって身を投ずる光景は想像し難い。
 そもそも如何な高齢者比率が高まるとはいえ、雇用の多くがその対応に賄われている国家では、英国擬きの「緩やかな衰退」すら望み難かろうし、楢山節考な「尊厳性」との秤に掛けることなく単に労働集約型産業という経済性から盲目的にこれを是認するのには一考を要する。
 何れ何時の日には、わが国も嘗ては貿易立国だったと振り返る日が訪れるという憶測は、余りに哀しい。

1月24日(火) 改造への躍動  -ライフ - 片付け・収納・お掃除-

f491.jpg  高円寺北に居を落ち着けて2年余、過重に耐えるべく強靭化したわが書斎の本棚も、はや書籍の山が溢れる事態が訪れている。
 ネックは向かって左奥に押し込んだキーボードの一角で、バンド活動復活を想定してスタジオ仕様の二段組スタンドを組み込んだ割にスペースがキョウアイで演奏し難い上に、子供用に居間に電子ピアノを誂えたから、手慰みに弾くには専らそちらがメインキーボードと化している。
 こうなると敢えて書斎の演奏環境を維持するならば、部屋のど真ん中には電子ドラムが鎮座しているから、PCとともに椅子を取り囲む様にキーボードも配置し、回転すれば等しくアクセス出来る環境が欲しくなる。同時に半ば無用の長物と化している現行機を除外して新たに本棚を追加すれば一石二鳥だろう。
 では要塞の如く構成されそうな椅子周りに相応しいキーボードをと物色してみると、存外に見当たらない。今更10万円を超える一品を新規導入するのは過剰投資だし、49鍵で妥協してもこのサイズはピアノやオルガン系のノーマルな音色よりは、アナログシンセを模した飛び道具の色合いが強い。
 軽く小振りで、エレピ替わりにもなる一台は、キーボーディストの最大の苦悩であるライブ上の機材の持ち運びにも資する筈なのに、ピアニスト出身者には61鍵でも不足感が強いから需要が少ないのだろうか。
 買い物熱を覚ますべく暫し黙考したい。

1月23日(月) 光る、回る、みんな  -育児 - パパ育児日記。-

f489.jpg  「大人の工場見学」が密やかなブームと化しているが、出向時代に文字通り北は北海道から南は沖縄まで自衛隊基地はじめ原発や製紙工場を行脚した者として、その心情はよく理解出来る。子供達とのお出掛けも、その延長線上に父もまた自らの好奇心を満たす行為と言っても過言ではない。
 翻ればこの原点は、自らの小学生期の社会科見学そのものに他ならない。中でも記憶に鮮明なのは五年時のそれで、東芝科学館と「中央フリーウェイ」にも唄われるサントリー府中工場と、杉並区からは意外な迄の遠征であった。
 果たして一昨日、30数年振りに東芝科学館を訪れてみると、勿論白物家電華かりしであったろう昭和50年代とは展示内容も一変してはいようが、往時の記憶は全く甦えらない。
f490.jpg  実際、静電気で髪が逆立ったり(上写真)、台場のソニーのそれ同様に被験者の動きが画面上のキャラクターに反映される、模擬ジャンボーグA型のシュミレーション(左写真)に預かったのは幸便だったが、原子力に関する展示も存外に小振りで、総じてみなとみらいの三菱より見劣りする感は否めない。
 1961年設立、研究所付設というシチュエーションは如何にも「工場見学」の雰囲気を醸し出してはいるが、「工場」そのものが存在する訳ではないので幾分拍子抜けである。
 なお三階は東芝の歴史展示で昭和家電の居並ぶ絵柄は「明日を作る技術の東芝」を体現するものだったが、ドラえもんの前座として訪れただけに勝手に期待していたサザエさんの登壇は無かった。
 一寸したセンチメンタル・ジャーニーとしては有用だったが。

1月22日(日) 一人ひとりを 強く、豊かに  -政治・経済 - 自民党-

f486.jpg  昨年に続く自民党党大会、本年は正式に役員随行業務としてとなるが、出向時代懇意を戴きながら今は雌伏捲土重来を来す御仁に次々再会出来る、貴重な機会である。
 三年前までは平日開催だったのが現下の凋落を物語っているが、愈々決戦間近の機運も醸成されつつあり、久々に鼻息荒くなりそうな熱気が伺える。
 ただ正直な感想を言えば米倉経団連会長挨拶に対し、場内から相次いだ野次はその機運に大いに水を刺すものだったのではないか。
 もう十年以上前、自動車とい草、椎茸、畳表が天秤に掛けられた貿易交渉には、外貨獲得に資する輸出産業の末席を汚すものとして憤りを覚えざるを得なかったが、TPPという米国の政治的思惑に基づく包括的な枠組みに大枠として賛成しても個々には反対論が生ずるのは理解出来る。
f487.jpg  しかしながらたとえ反対の意志表示を表すとしても、それを来賓に対する野次という行為で示すのが望ましい表現であるかは疑問、と言うよりは品性を疑われる行為と言わざるを得ない。
 残念ながら発言者は直接の利害得失に預かる業種関係者に留まらず、その利益代弁者たる議員も含まれていたらしいが、政権復帰に向け意気揚々とこの場に現れた若手議員、就く現に議席の無い方々はこの光景に大いなる衝撃を受けたであろうし、またこの現実を重く受け止めて貰わなくてはならない。そして経済界もまた、単に比較優位で労働サイドに依拠する現政権よりも自由民主党を中心とする政権が望ましいとの消極的選択でなく、国富を増大させ分配の資源とするために自由民主党に何を求めるのかを、もう一度反芻してみなければならない。
 そのために民間企業の政治担当が何を出来るのかを模索すればする程、忸怩たる想いに駆られるのもまた否定出来ないのだが。

1月21日(土) 神の子ドラえもん  -アニメ・コミック - アニメ・コミック-

f483.jpg 不惑を超え改めてドラえもんに接して感ずるのは、野比のび太という手前勝手で依存心が強く、実績に照らす限り確実に能力に乏しい人物が、源しずかという良き伴侶を得てなお怨嗟の対象にならないばかりか絶大な人気を集めているのが不思議でならない。
 その秘密を探るためではないが、昨年秋に誕生した藤子・F・不二雄ミュージアムを訪ねてみた。ひと口で言えば故人の偉業を讃える博物館で、子供の遊び場としての面持ちはアンパンマンのそれに比べても遥かに少ない。
 にも拘わらず児童・幼児で溢れる賑わい振りこそドラえもんのネームバリューを如実に物語っていようが、エンターテイメントを求め訪れた子供達と、幼少期に第二次アニメ化のはしりに触れた親世代に、藤本弘氏への敬意を植え付ける思想教育機関たるが実像だろう。
 即ちそこには開業医の地位向上を訴え続ける余り、既得権益維持集団の様相を呈した一時の日本医師会同様に、敢えて呼称に「先生」を連呼し、詳細な年表から半年で打ち切られた日テレ版ドラえもんの記述を割愛する、故人の神格化の意図が明確に表れている。
f484.jpg ただ屋上に申し訳程度にドラえもんのオブジェが添えられた「原っば」(上写真)を除けば最大の遊戯スペースたる漫画閲覧コーナーに居を据え、第一巻を読み返してみると、初期ドラえもんが単純に楽しめるスラップスティック劇であった経緯が甦って来る。
 だからこそのび太は、子供向け漫画に定番の、勉学にもスポーツにも秀でない小学生として規定されたのであり、しかしながら年を経てテレビ朝日の看板番組に至るに連れ、能力に欠けるが故にドラえもんに救われて然りと、悪人正機説が如く、或いは結果の平等を正統化すべくのび太そのものの神格化が図られ、その対比として原作では端役の域を超えていない出来杉氏はのび太の敵役たる優等生としてレギュラーに昇格した。
f485.jpg  この倒錯を藤本氏自身はどう受け止めていたのだろうか。確かに自らの余命がもうひとりの藤子不二雄よりも短いであろうことを悟り、経済的観点からコンビを解消した側面もあったろう。
 ただそこには人気と売上では凌駕しながら、怪奇ものたる「怪物くん」や趣味性が高いとはいえ対象年齢層を上げた「プロゴルファー猿」を描き得る我孫子氏への嫉妬もまた存在したのではなかろうか。その残滓としてミュージアムには「SFの方向性を模索した藤本」コーナーがマニアしか知らない作品とともに誂えられているが、大層がドラえもんやパーマンで占められるだけに返って、手塚治虫になりそこなった藤子・F・不二雄の足掻きが伝わって来る。
 天上の藤本氏が、聖人君子と化したドラえもんとのび太、そして自子供向け漫画家として位人臣を超えた自らの姿に満悦であるのか、戸惑いを覚えているのかは判らない。我々は15年後の後日譚たる「劇画オバQ」を引き合いに出すまでもなく、のび太のひとり立ちを促すべくドラえもんが未来へと帰る第六巻最終回をもう一度思い出さなければならない。そうしてのび太を神から分別ある大人に脱皮させて初めて、ドラえもんの生まれる百年後の藤本氏の評価もまた確立されるべきではないか。

 なお同ミュージアムは旧向ヶ丘遊園の残存部分であるバラ園駐車場が隣接するにも拘わらず使用不可かつ近隣に駐車場も少なく、登戸駅近くに停め、専用バスも満員でタクシー移動を余儀なくされた。
 ご来場にはご配慮を。

1月18日(水) 大東亜の残滓  -映画 - 映画レビュー-

f482.jpg 直ちに眠りたくなる程深夜でなく帰着し、しかしながら妻子ともに寝入って一人佇む夜は、のんべんだらりとブラウン菅ならぬモニターに向かう日も少なくない。バラエティは流し見に終始させる以外にわざわざ試聴したいと思わないから、録画したドラマの類を漁ってみるが、食指が湧かないとゴルフや将棋、或いはWOWWOWのコンサートとザッピング出来るのは多チャンネル化の恩恵だろう。
 今日も某先生の新年会が早めに終わり、連々とリモコンに向かっていると画面に現れたのは「ムルデカ17805」、大東亜戦争終結後インドネシア独立に寄与した日本兵の物語である。
f481.jpg  嘗ては衆議院議員も配した東日本ハウス製作、東條英樹の生涯を描いた「プライド」に次ぐ第二弾とあれば、十分に右寄りな私であっても些か色眼鏡で見たくなるが、結論から言えば十分に感動的であった。
 勿論、わが国が亜細亜の解放のためだけに先の大戦に臨んだと強弁する積もりはないし、スカルノの認めた独立宣言にある「17805」が皇紀2605年8月15日を示しているからと言って、インドネシアの親日性をインドにおける東京裁判のバール判事宜しく、過剰に受け止めるのは早計だろう。
 ただ史実としてその大義は存在し、それを信奉した指導者と帝国軍人が居て、東南亜細亜諸国の独立のひとつの契機となったのは紛う事なき事実である。
 興業的には失敗し、以降同社は映画製作から撤退せざるを得なくなった模様だが、少なくとも歴史には様々な見方があることを提示する、ひとつの試みとして真摯に受け止めたい。

 年明け6日から会館連稼働日参記録が八日を迎えた。正確に数えたことはないが、新記録ではないか。煩雑さに音を上げるよりは、永田町を訪れる大義名分の過剰にある日々に、まだ喜びを感じている。

1月17日(火) 霞の上の雲  -政治・経済 - 行財政改革-

f478.jpg 増税の前に先ず歳出削減すべきは財政の王道であり、大平内閣の一般消費税導入の頓挫から竹下内閣における結実までに、三公社五現業はじめ長い行革三昧の日々があったのは歴史の教訓である。
 従って定番の特殊法人の合理化や郵政を含め政府系機関の民営化に努めるのは当然の流れだが、だからと言って国家公務員給与のみを狙い打ちにするのは安易の謗りは免れ得ない。人勧と労働三権という法理論以前の問題として、良くも悪くもわが国最大のシンクタンクたる霞ヶ関の意欲を一方的に削ぐ行為には慎重であるべきだし、寧ろ下げるなら先ず自治労の牙城たる地方公務員であるべきだろう。
 同様に議員歳費の削減もまた周到な比較考量を要しよう。良き政治家たるべくに有権者と頻繁な接触を保つには一定の金子が必要で、それは民主主義のコストと看做さなければならない。しかしながらわが国においてはお上から与えられた超然内閣の記憶が色濃いために政治に清貧を求める傾向が強く、恰も霞を食って生きるが如しを強要しがちだが、それは明治初期の名望政治家に遡る帰結しか斎さない。
 定数に付いても少数意見への配慮の観点から比例議席が存在するという構造は元より、単に経費削減の観点ではなく、そもそも国家としてあるべき議員定数が如何ばかりであるかの議論があって然るべきではないか。
 その際には人口が半分以下の英国下院が650人との例を引くまでもなく、男子普選以来の衆議院議員定数の最低数が466であるという歴史を思い起こすとともに、寧ろ上院たる参議院の権能・定数の是非と併せた検討が必要である。
 コストは須く少なからしめば良しではない。
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