コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月31日(木) 私を八甲田に連れてって  -スポーツ - スキー-

f457.jpg 今年も年末年始は湯沢である。昨日は冬山を甘く見た訳ではないものの、例年より多量かつ横殴りの雪を前に八甲田山もかくやの窮状に陥り、子供用ゲレンデ脇に誂えられた暖を取る小屋への入り浸るを余儀なくされたが、その教訓を踏まえ露西亜人ばりの防寒帽に長靴改め雪靴と完全防備に身を包んだら、打って変わって温暖とは雪山は気まぐれである。
 ただおかげで、子供達は鍛錬というより託児に近いスクールに身を委ね、公資は自らより年少者ばかりの完全初心者組で内容は退屈そうだったが何時になく積極的、祐旭は小学生三人で早くも上方リフトへと消えガンガン滑り続ける中、手の空いた父も遂に参戦である。
 とはいえ凡ゆるサークルが冬場となれば丸でノルマでもあるが如くにスキー合宿に赴いたバブル期の大学生活で最低限の経験こそあれ、昨年も最終日に申し訳程度に板に乗ってみましたの域を超えるものでは無かった父である。カメラ片手に油断して平地でも倒れ込み、たちあがれ日本と気合いだけ空回りしたら「スキーを外せば」と祐旭に諭される始末とは情けない。
f458.jpg f459.jpg
 その父を尻目に祐旭はスキーを履いたまま、前へ前へとバックでなく、軽やかに闊歩していくのだから、体力の差を割り引いても完全に勝負ありではないか。
 実際、父がすってんころりんした、下段までの若干傾斜の強いコースも祐旭は難なく滑走したばかりか、スクールで挑んだスラロームと呼ぶには大袈裟としても、旗を目印に左右転回しあまつさえ輪まで潜るコーナーでも華麗にその成果を発揮している。
f460.jpg  人は育つという一般論に帰結するのかも知れないが、再び私をスキーに連れてっての時代が訪れたら、父を叱咤激励してスキー場へと歩ませた母に感謝して貰いたい。

 前半の知らない人、知らない唄の連続かつ人海戦術に早々にダウンした紅白だが、果たしてミッキーがわが国五千万超国民にその身を晒した同時刻に、ディズニーランドでは如何なる事態が繰り広げられていたのかが最期まで気になった。
 最大の見せ場は事前に周到に用意したに違いない審査員・三谷幸喜氏のコメント、と思っていたら紹介時の、固まったまま最後だけニコリと笑う演出に「御辞儀しないのは失礼」との非難もあったらしい。日を追う毎に四足四面になっていないかこの国は。

12月30日(金) アカウンタブル  -ビジネス - ビジネス-

f455.jpg  コンビニでお釣りを渡される際、客に翳して一枚一枚捲られる様になったのは何時の日からだったろう。その悪癖は世を席巻しつつあり、今や「一緒にご確認下さい」と眼前に突き出されることすら日常茶飯事である。
 ここ湯沢も例外ではなくリフトの一回券を購入しても確認を余儀なくされる。やがて「ご唱和下さい」と声出しを要求されても最早驚くには当たらないだろう。
 ただセブンイレブンが酒類・煙草の販売に、成年たる確認と称して客にボタンを押させる行為に及ぶとは開いた口が塞がらなかった。
 確かに金銭ならば慣れぬバイトに付け込む悪質な来訪者も存在しようし、無用なトラブルを避けたいという要請は理解出来なくもない。
f2.jpg  しかしながら購買者自らが20歳を超えていると自称したからと言って、本来売却の責を負うのはサプライサイドに他ならない。それを確認の美名のもとに客に挙証責任を転下するとは接客業務の怠慢、劣化とは言えまいか。
 ひとつくらいお釣りも年齢も、確認は私どもを信用下さいという豪気なコンビニは現れないものだろうか。或いは余分な負担を甘受しても、定形外のコミュニケーションを廃するのが消費者の求めるコンビニの利便性なのだろうか。

 昨年は紅白を見ながらにまで追い込まれ、物理的に完全に間に合っていなかった賀状のコメント書きも、今年はレコード大賞で打ち止め程度に回復した。
 ただ只菅ペンを走らせた余波で、懸念された指先より腰に支障が現れ、更に湯沢への窮屈な移動で悪化した。来年こそは早期の住所録リニューアルを心掛けたい。

12月28日(水) 恋は盲目

f453.jpg  コラムの執筆やFacebookの閲覧等にふたつの携帯電話は手離せないが、わが家ではふと置きっ放しにして行方不明になるケースも少なくない。
 探しものを止めた時、見付かることもよくある話と鷹揚に構えられる性癖ではないので、矢鱈と大騒ぎして妻子にタシナメられるのも屡々だが、たとえマナー・モードであったとしても耳を澄ませば振動は伝わるから、探索の術のある電話はまだいい。
 問題は眼鏡で、乱視の上に老眼が進み、視線を近付けるにはレンズを外さなければならない。思い余って遠近両用に手を出しもしたが、慣れる前に逸失して以来、辺り構わず置き捨てる構図は電話と一緒である。ただ残念なことに眼鏡は呼んでも応えて呉れない。
 それでも風呂やトイレ、或いは机の中と一定のパターンで発掘されるからと高を括っていたところ、この度は遂ぞ見当たらない。
f454.jpg  休日なら十年選手となった度入りグラサン(右写真)でも済まされようが、恒常的に不見転では生活に差し障る。やむを得ずまた同じレンズで新規購入とは甚だ情けない。
 責めてもの抵抗として、重みに耐え兼ねより煩雑に掛け外しを繰り返さないよう軽いフレームにしてみたが、大村昆ならぬ「ヌートピア宣言」旧ジャケットのジョン・レノン宜しく眼鏡を上げ、四つ目小僧で要人に挨拶に及ぶ始末を助長しても根源的な解決には至らない。
 恐らく泥酔して死亡しない限り外で紛失の憂き目に合わないのは、電話にしろ眼鏡にしろ忍ばせるポケットという有用なアイテムが存在する為だろう。翻ってわが家では常にパジャマ擬きだから肌身離さずが成立し得ないのが癌である。だからと言って冬場は常にガウンを纏おうではこれも対症療法に過ぎる。
 次の決断は何時鎖を賦与するかか。果たして眼鏡店にそうした備忘アイテムは誂われているのだろうか。

12月26日(月) ミギエヒダリエ  -政治・経済 - 経済-

 ノンポリか体制批判に流れがちな一般サラリーマン平均からすれば、相当に自由放任、競争優位の経済的自由主義者に映ろう私も、学生時代の友人達に紛れれば殆ど極左である。
 何しろ保育所への入所は寧ろ親の年収の高い者から優先すべきと公言して憚らない御仁の集いは到底広く万般には受け入れられまいが、経済合理性からすれば一理はある。
 しかも極論であればある程、実現性は薄くともインパクトには豊富だから、議論のための議論には有用で、現実主義者は日和見として片付けられる。
 年功序列をはじめとする古式ゆかしい日本的経営に極めて親和的な地方企業に毒された帰結と言えばそれ迄だが、その微温的な風土に結果主義的な外資系由来の思想が闖入して来たが為に優秀な人物ほど優勝劣敗の世界に流れていくから成立し得なくなったのか、或いは多数の幸福のために分かち合うパイの拡大が見込めなくなったからかは判自としない。ただ何処かでアメリカン・ドリームというフィクションを糧に生きて行く幻想に頼らなければ折り合いが付かなくなりつつあるのもまた事実だろう。
 学者が経済的な「右」に先鋭的になるのと丁度反対に官庁、取り分け嘗ては旧内務系としてひとつの花形であり、今や過去の遺物の如くアシラわられる社会インフラに携わる分野が社会民主主義的であるのは当然である。
 勿論それは単に彼等が戦後民主主義的な平等、分配の世界に生きていることを意味しない。私がインフラ整備を通じた経済活性化に強いシンパシーを覚えるのは、自動車産業という職務柄、また都市変遷評論という趣味性からでもあろう。
 ただ好況時に親和性の高い小泉改革而来の経済的自由主義に対し、デフレ下においてはたとえ乗数効果が小さくなろうとも公的機関が有効需要を創出する他ないという現実の要請に基づく以前に、完全に捨て去ることを良しとし得ない社会民主主義への憧憬にもまた依拠していよう。
 その中庸を何処に求めるかの舵取りがまさに求められている今、公務員倫理法などという建前に縛られることなく、官民は従来以上に熱く議論を交わさなければならないと、改めて痛感した夜だった。

12月25日(日) Cristmas against disasters  -育児 - パパ育児日記。-

f445.jpg
祐旭(右から弐番目)を見守る公資(手前)
 このところ父の多忙以上に、水泳や体操教室、幼稚園イベントが続き、「家でゆっくりしたい」とうらぶれたサラリーマンの如く嘆き節を重ねる子供達の都合から沙汰止みだったお出掛けの締め括りが本所防災館とはマニアックである。
 勿論、恐らく無人の荒野だろうと踏んだクリスマスのこの日でも存外な人の入りだったのは、些か不謹慎な物言いが許されるならば本年は防災が旬であったためだろう。
ただ昨今トミニ父の運転を忌避するわが子の要望に沿い、かつ粗方行き尽くした残りの都内行楽地という消極的選択であったにも拘わらず、結論としては後学のためのみならずアミューズメントとしても価値ある施設であった。
f446.jpg  何しろ日本沈没宜しくCGを駆使した地震映画にはじまり、いきなりカッパに身を包んでの風速20メートル暴風雨である。次いで迷路風情の家屋を歩く煙体験、最大限震度七までの地震、更には火事の画面に放水・消化する消火器実習と盛り沢山極まりない。
f447.jpg ベテラン消防士らしき人物の講釈が、見せ場に酔っていると言っては失礼だが、幾分教育者色が強く冗長ではあったものの、子供達にとっては本日は挙行されなかった救急救命等、キッザニアにも通ずる穴場スポットであったろう。
 映画もやけに下町情緒漂うものだったし、液状化の模型など下町改め「川の手」の近世埋立地域では、首都西部居住者には実感し難い強い防災観念が形成されているのだろうか。
 体験の時間に旨く合致しないと単なる場末の博物館だし、小学生以上体験可の項目もあるので、ご確認の上の到来をお奨めしたい。

 帰路は押上まで歩き、既に外観は完成したスカイツリーを眺める。東武沿線の観光需要への期待は小さくないが、帝都復権の新たなメルクマールたり得るだろうか。

12月23日(祝) しめやかにしたたかに

 知人御尊父の葬儀に伺い、本年二度程大きな葬儀に随員として赴いた際もそうだったが、又もや弔問外交である。
 しかも今般は出棺まで居を据えたため、関係者に応対しつつ俄か事務局の様相を呈す。確かに弔意以前に政治談義に花を咲かせて仕舞うが、日頃必ずしも長時間接しない御仁と話すのも有意義だし、目敏く何処から花が届いているかを確認するのは不謹慎とはいえ職業柄である。
 知人の遺族挨拶に打たれ、前出向先の往時のメンバーが集まったことには結束の固さを再認識して心暖まりつつ、故人の御冥福をお祈りする一方で、仕事モードも入った天長節だった。

f444.jpg  マンション時代にはサンタの装束でベランダから現れたりと趣向も凝らしていたが、まだ存在を信じてはいるものの、長男が小二ともなると段々事務的になって来る。
 例年、早くに買い置きしているXmasプレゼントを今になって「サンタさんに何を頼んだの」と聞いても「教えない」と返されて泡を食ったが、何とか情報を入手して駆け付けたトイザらスは長蛇の列だった。
 ただ毎年この時期でも品薄な仮面ライダー・グッズを殆ど売り切れなく販売していたのはフォーゼの人気低下を示しているたかも知れない。
 今では更にマイナーな存在となったウルトラ・シリーズの脇役ジャンボットの、更に弟分たるジャンナインを頼まれもしないのにオマケに添えた父も父なのだが。

12月21日(水) アポの効用

 このひと月余り、アポを取っては役員随行で出掛けていく日々が続いていたが、漸く一段落して単身永田町に赴く。
 嘗て広報マン時代は記者クラブという溜まり場があり、予告なく訪れれば誰かが居たから、他者を拘束することない替わりに自らも自由に退出出来る環境を手にしていた名残りで、今に至るまで永田町に赴く際も可能な限りアポイントメントを取らずぶらり顔を出すのを基調としている。
 だから前部局の、駆け出しの時分には空振りすれば代替のある議員会館は兎も角、院内での時間潰しに国会図書館分室に屯することすらままあった。
 それはそれで「偶然を装い帰り道で待つの」的な効用はあったが、必要性に迫られて単身でもアポを重ねて巡ってみると、成る程効率的に所期の目的を果たすことが出来た。
 厭うことなく事前連絡する意義を改めて思い知らされるとともに、最早気軽に宛の無い度に出掛ける余裕の無くなった自らの境遇をもまた示唆していよう。

f443.jpg  夜は某議員のパーティーだが、結果として息子がお世話にはならなかった杉四小教員時代に学校見学でお見掛けした乙武氏の講演は、幾分「青年の主張」の如く口調は心地よくは響かなかったものの、休み時間にトイレ許可を求める受動的な小学生はじめ実体験に基づくエピソードには説得力があった。
 しかしながら懇親会では一変、いきなり名刺交換会の様相で、知らぬ者同士が乾杯まで微動だにせず佇む通例の「励ます会」に慣れ親しんだ身の上には、猛烈なカルチャー・ショックだった。
 ただ身銭を切って参画するなら人脈の足しにと考えるのは当然の行動だし、そうした個人の支援者を糾合するのも政治家としてのひとつのあり方に他ならない。寧ろ企業人としての政治対応に耽溺し切ったわが身を省みなければならないのかも知れない。
 取り敢えずその場は早々に退散したのだけれど。

12月19日(月) 政権交代  -政治・経済 - 国際政治-

f448.jpg
板門店(01/4)
 金正日氏が亡くなった。恐らくはある程度権力承継の道筋を付けてから発表されたものであっても、当面は偶発的な事態の発生を否定することは出来ないだろうが、わが国としては拉致問題の解明という大きな課題が現存すること、同時に朝鮮半島については1965年の日韓基本条約において国家間の請求権は消滅していることを基盤として対応していかなければならない。
 ただたとえ絶対王政的な代替わりであったとしても、政権交替のひとつの形には違いないから過去を覆す契機となる可能性はある。従ってわが国はそのサインを見逃すことなく、インテリジェンスを含めた情報収集に耳をそばだてることがまず肝要だろう。

f442.jpg
モーターショーも欧州車のみ
 勿論、来年は米露韓と北朝鮮情勢に関わる各国トップの選挙が予定されており、内なる敵を収める為に標的を外に求めるのは常套手段だから、外交が先鋭的にならざるを得ないのもまた事実である。
 国論を二分しそうな勢いだったTPP騒動も結局は米国から個別の非関税障壁の指摘という何時か来た道に収束されつつある。
 ウ・ラウンド時代からの牛肉、寧ろ連立与党へのエクスキューズとして外圧を活用する古式ゆかしき手法が現下の硬直状態打破への助け船ともなろう簡保に対し、嘗て構造協議で散々交渉して米国産米国ブランド車の販売まで手を染め、結果販路拡大に繋がらなかった自動車については、結果主義でなく米国側の尽力不足を淡々と訴えていく以外にはなかろう。

12月18日(日) 似非VIP  -スポーツ - サッカー-

f440.jpg  サッカーに殆ど興味が無いのは、一服する間の多い野球こそがわが国国民性合致するとの一般論以前に、親会社やOBも含めた複雑なドラマ人間模様的要素が、蹴球の場合多分に洗練されているが如く映るが故かも知れないが。
 だから観戦経験の無いのも当然だったが、初の御目見えがトヨタ杯とはその筋からすれば垂涎の的だろうし、猫に小判の極みとも言える。
 勿論、関係者のアテンド役たるお仕事であるから寒風吹き荒ぶ中、コートも羽織らずVIPゲートに立ち尽くすのは決して心地よいものではないが、それでも折々に要人のケアを口実に観客席に登り立ってみると、成るほど素人目に見てもJリーグとは別の競技の如くにパスが通り、サッカーの最大の難点である行ったり来たりのもどかしさを苦にさせない醍醐味がある。
f441.jpg  加えて話題のバルセロナの、個人技よりも組織力を基盤とした、丸で天界からラジコン操作でもしたかの如く波状攻撃には、南米には屈辱以外の何物ではなくとも、大人と子供、ガドリング銃とデリンジャー程の力の差が伺われ、なおかつ血湧き肉踊る楽しさを醸し出すとは、反サッカー派の琴線に触れるのも然りだろう。
 VIP席は存外にグラウンド迄遠くて臨場感は今ひとつだったが、一介の随員に過ぎずとも通路を歩けば敬礼の栄に浴するのは面映ゆく、深夜まで配席表と睨めっこしてチケット配分に勤しんだ甲斐もあったというものだろう。
 折角メッシのアップを撮ろうと思ったところでカメラが電池切れに見舞われたのは痛恨だったが、何事も現地現物だったとサラリーマンらしい感想を記しておこう。
 新横浜からの在来線は入場規制すら行われていたものの、新幹線の、中でも指定席は存外に空いており、大枚叩いて数万人の集積するイベントとの落差に、景気の底冷えをもまた感じさせる帰路だった。

12月17日(土) クレーマー・クレーマー  -スポーツ - ゴルフ-

f439.jpg  既にシーズン・アウトしている筈のこの時期に多数ゴルフ場が満載だったのは冬の始まりが暖冬だったからだろうか。
 しかしながら漸くあり付いた廣済堂埼玉も、10時過のスタートが30分近く遅れ、そもそも距離もあり、ドッグレッグ多数、池を挟んで刻みを余儀なくされるホールありで詰まり気味になる上に、前二組が非常に優雅なプレーに終始して、カートのフェアウェイ乗り入れ可の効果もなく、ティーグラウンドでは常に待ち状態。それでもマーシャルは影も形もなくの放置プレーの結果が前半三時間コースは尋常でない。
 しかも憤りながらクラブハウスに辿り着くと、事務的に14時11分と告げられ、果たして完遂に疑問符ではと問いかければ、マスター室に聞いてと顎をしゃくる仕草に堪忍袋の緒が切れた。
 担当者らしき人物との要領を得ぬ交渉と、プレー中とは打って変わってのせわしない昼食を経て、怒りのままに後半戦突入である。
 前半は朝の練習グリーンでパットに目覚め、事実・番パー迄は好調だったが、4番5番と連続パーオンを何れも3パットが運の尽き。それでも超スロー・ペースに鑑みれば及第点だったが、インは生命線のドライバーも崩れてメロメロで、ゴルフにおける精神の安寧の重要性を思い知らされた。
 後半は何とか2時間半強で回転し、結果的には日没に間に合いはしたが、これがならい相場なのか、ゴルフ場サイドはスピードアップを促す素振りもない。
 冬場の遅いスタートは禁物というのみならず、クラブのカバーすら付けないゴルフ場に取っては我々がクレーマーと化し平日料金を獲得したのも、サービス投資切り捨てに見合う想定内の減収に過ぎないのだろうから、須く自らの身は自ら守れという教訓なのだろう。
 ゴルフ場でレッセ・フェールに付いて学べるとは思わなかったが。
次のページ

FC2Ad