コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月30日(水) 政治とカネ  -政治・経済 - 政治・時事問題-

f422.jpg 嘗てはマスコミの話題を浚った政治資金収支報告も、昨今は受け取る政治の側は相変わらず着目されても、支出する企業・団体側への関心が著しく薄まっているのは、ひとつには公表基準が強化され、九月末から師走のこの時期に移動して紙面に余裕が無くなったからかも知れないが、全体額そのものの減少にも由来するのだろうか。
 思えばまだ二十代前半の頃、財界担当という職務柄と生来の政治への高い関心の両面から、駆け出しの広報部員として当該案件の広報対応QAを作成した記憶が甦る。
 時来、部局を異動し、側面から当該案件に関わり続け、17年を経て雛形もそのままの当該QAをチェックする側に回ろうとは歴史の積み重ねを感ずる。
 と一人感慨に耽り、段取りも心得たもので経済団体がまとめの資料を作るだろうと踏んでそこに当たりを付け、待ち構えていても広報からは何の音沙汰も無い。業を煮やしてアプローチすると皆出払ってそれどころではと連れない返事である。
 幾らイベントの重要時期だといえ、或いは問い合わせが殆ど見込まれないのがここ数年の常だとはいえ、企業と政治との関わりという重要な経営マターに関する報道対応を一顧だにしないとは、これもまた隔世の感がある。
 結果旧版をベースに文言だけ修正し、数字を入れた表を作成することもなく、意気込んだ割に逆の立場でQA作成に携わる長年の感慨、は吹き飛んだのであった。

 夜は企業の秘書役の集会だが、秘書は秘書でも所謂明快な秘書業に携わっていないから、名刺を出しても「○○の秘書でございます」と注釈を付けられないのは辛いものがある。
 結果、壁の花に。

11月28日(月) 一本取って軍艦  -育児 - パパ育児日記。-

f421.jpg  鼎立という言葉がある様に、世の中には三つのコアの分散・対峙を以て力の安定と看做す観念がある。
 例えば三権分立もそうだし、三國志のギゴショクも然りだろう。三種の神器や見ざる、聞かざる、言わざるもこの範疇かも知れない。取り分けわが国においてその傾向が強いのは、三大ギタリストや、世界三大がっかり等、本邦のみ通用する鼎立が枚挙に暇ないことも明らかだが、万国共通と言えば先ず念頭に浮かぶのはじゃん拳だろう。
 そのバリエーションは多彩極まりないが、過日、祐旭が公資に教授していた派生形に、戦争じゃん拳があった。単純に言えば三種の内、前二種は同一でAABと選択し最後のB同士で競う競技だが、そのネーミングが各々グーが軍艦、チョキが朝鮮、パーがハワイなのである。
f417.jpg  即ち平成の世において小学生が「せんそ~、ぐんかん、ぐんかん、ちょうせん」等とキョウセイを張り上げる絵柄が繰り広げられる。
 この例示ならなる程、緊迫する北朝鮮情勢への警鐘と受け止める向きもあろうが、ハワイが登場しては最早先の大戦の翻案であることは否定出来ない。そもそも現実に今わが国に存在しない「軍艦」が何物であるのか祐旭は把握していなかったし、「朝鮮」が国家でなく半島としての地域を示唆しているとの認識にも及ぶまい。
 戦争とは外交の延長たるクラウゼビッツ由来の思想に共鳴する父を以てしてなお、些かともに興じるには躊躇するものがあった。
 なおもうひとつ、「グリーンピース」なるお題もあり、スワ捕鯨反対の左翼バージョンかと訝しんだが、こちらは単純に「グリン、チョリン、パリン」なる響きからの類推であった。
 歴史と伝統の継承は大切だが難しい。

11月27日(日) やっぱり攻撃だ  -テレビ・ラジオ - ウルトラマンシリーズ-

f414.jpg 「正義」に関する解釈が氾濫する世の中は余り健全とは言い難かろうが、今度はウルトラマンを題材にした正義論というからにはM78星雲を第何番目かの故郷と僭称するに憚らない身の上としては、見逃すには忍びない。
 実際に教壇でウルトラ・シリーズを例に正義とはを問い掛けている教諭の執筆した書籍だが、スーパーマンの如く米国的な進歩主義の象徴、即ち勧善懲悪の代名詞としてのヒーローへのアンチテーゼとして、悪として排除される側の論理をも内包し正義を相対化して描いているウルトラマンとの位置付けは特段新たな視点ではない。
 何故ならば初期ウルトラには金城哲夫、上原正三といった沖縄出身者の思想が反映され、勝者のドラマを描きながらも作り手の心情としては寧ろ反体制左翼にシンパシーがあったとは数多指摘されている。
 だからこそ「故郷は地球」のジャミラや「超兵器R1号」のギエロン星獣といった弱者と、それを否定しなければならないウルトラマンの葛藤という名作を産み出し得たのは事実だが、その思いを超えて進歩主義への懐疑というよりは「正義」そのものの否定に行き着いて仕舞ったのが、戦いを避けるウルトラマン、コスモスの姿であり、国家の否定とも言うべきコスモポリタニズムに糊塗された帰結はそのネーミングからも明らかである。
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 進歩主義に対比されるのは第一に保守主義であってそれは理性によって割り切る米国的な明確な「正義」に警鐘を鳴らすことに繋がるのは事実である。些か牽強付会ではあるが、ウルトラの世界においてのそれは昭和のウルトラ・シリーズとの決別の上に成り立っていたティガ以降のウルトラを旧ウルトラの伝統と融合させた映画「大決戦!!超ウルトラ8兄弟」だったのではないか。ただそこに保守民族主義の新たな萌芽を読み取ることは難しいし、結果的に正義論としては相対化されたままに流浪しているのが現下のウルトラであろう。
 だからこそ私はセブン第42話「ノンマルトの使者」におけるキリヤマウルトラ警備隊隊長の言葉をもう一度思い起こしたい。
 物語は人間以前の原地球人とも言うべきノンマルトが水死した少年の体を借り、セブンに地球人こそが侵略者ではないかと問い掛ける内容であり、これを琉球やアイヌの歴史とオーバーラップさせて読み解く向きも少なくない。
 しかしながら終盤、海底都市を発見したキリヤマは「我々より先に地球人が居たなんて」と呆然としながら、直後に頭を振って「やっぱり攻撃だ」と当該都市を破壊する。そこには自らの正義に懐疑を抱きながら、なおかつ自らの生存という利の前には相対化された正義同士の考量を功利的に量らなければならないという現実がある。
 ここには理性のみに依って立つ進歩主義の理はなく、互いの歴史と伝統を相対化した上で、空想的な非戦論に陥ることなく何等かの決断を下さなければならない指導者の苦悩がある。
 畢竟、正義とはかく困難の末に編み出される、現実解に収斂されるべきものではないのか。

11月26日(土) 万世一系  -政治・経済 - 政治・時事問題-

f413.jpg  宮家とは万世一系たる天皇家の血筋を守るために、江戸期以前から構築されたわが国伝統の知恵である。先の大戦が敗戦に終わった後、爵位をはじめ貴族制度が撤廃される中、昭和天皇陛下の弟君である秩父、三笠の両直宮家を除き、残る11宮家も一斉に臣籍隆下に追い込まれたが、その時点で昭和陛下に今上陛下と後の常陸宮殿下が、また三笠宮家には三人の親王殿下がおられたから、財政緊縮の観点からも必ずしも不合理な判断であったとは言えないだろう。
 ただ皇太子殿下の代に至って男性は秋篠宮殿下とのお二人となり、まだ若く壮健であった高円宮殿下が急逝された頃から、俄かに皇統の危機が叫ばれ、小泉政権下において皇室典範改正が大きな政治課題となったのは記憶に新しい。
 結果的にはいざ本論という段になって悠仁殿下の誕生で事実上沙汰止みとなったが、ここに至り唐突な「女性宮家」創設プランである。
 6年前の最大の争点が女系を認めるか、即ちよしんば女性天皇を是認したとして欧州の如く配偶者を外部から迎え、その子孫に皇位継承権を認めるか。失礼を顧みずより科学的に言えばY染色体の一貫性の是非であった。
 女性宮家の創設とは御成婚後も臣籍隆下せず新たな宮家を興すことになるから、外戚が新たに皇統譜に加わることになる。それは当然女性宮家の当主たる新たな男性の子孫が皇位継承権を得ることになるから、単に宮家のあり方に留まらず6年前の議論の再燃となろう。
 元よりは丸二十代遡って旧皇族を復帰させ皇統を移動させるのでは、たとえ厳密な血の保存を力説されたとしても感覚的には南朝の御落胤現ると大差なく、従って女系を認めるのが国民感情に叶うというのが個人的意見ではあるが、今般は愛子内親王殿下の御成人後を見越しての宮内庁の意向だとするならば、不遜極まりない推測ではあるが皇太子殿下と秋篠宮家との、各々を忖度する立場の温度差も介在している構図が透けてみえる。
 勿論、女系を容認したとしてなお、その配偶者には旧皇族、或いは今上陛下の御妹君の如くに外様大名家の雄が相応しいのではないかとの指摘もあろうが、婚姻の両性の同意という基本的人権を実質的に制限することが許されるかとの議論も生じよう。
 今更ながらわが国の如く2700年に至らんとする歴史と伝統ある国家において一律に皇室の藩屏たる華族制度を廃したことも惜しまれるが、今更それを嘆いても始まらない。
 改めて女性天皇陛下の可能性も含め、冷静な議論が必要だろう。

11月25日(金) 畏れ入谷の  -趣味・実用 - 鉄道-

f418.jpg 半日帰りの名古屋出張に際して痛感するのは、毎度の新幹線の検札である。
 JR東日本がチケットの提示を省略しているのに何故JR東海に出来ないのか、東海道新幹線は圧倒的に需要も供給も多く、自由のまま指定席に座り込む輩や悪意が無くとも前後の号車に乗り間違える乗客が耐えず、放置すれば莫大な損失となるというのが東海の解説である。
 ただよくよく考えてみれば、だとしても東日本同様に空席であるべき席に乗車している客のみチェックすれば済むことであり、東海道新幹線は常に満席だからと言うのなら、逆に間違った席に座る余地は少ない筈だろう。
 確かに企業側が誤った乗車をチェックしなければ客同士のトラブルに発展しかねないというのは道理である。ただ少なくとものぞみなら新横浜以降名古屋迄の約一時間半に乗車してくる客は皆無だから、ここからカウントすれば確実に補足出来るし、寧ろ煩雑な検札を忌避する顧客の方が多数ではないだろうか。
 しかも完全に寝入っていれば叩き起こしはしないから、逆に言えば狸寝入りすれば不正乗車が可能という計算も成り立つ。
 東海側も批判は重々承知で矢鱈と丁重な態度を採っているが、「畏れ入ります、有難うございます」の連呼に終始するなら、返って嘗ての如く事務的な応対の方が客の側から見た時間的負担は小さかったのではないか。
 帰路は混雑のため贅沢にグリーンにしてみたが、より慇懃になるだけで基本構造には変わりない。チケットホルダー方式を提起すれば盗難の恐れがと言われるのだろうが、あと一歩の顧客指向への知恵を期待したい。

 久々の「上げ潮」節を一時間寸分の笑いなく拝聴するのは食事前に幾分臆するところはあったが、財政ギャップの調整は支出削減7に増税3が黄金律、金利を上回る名目成長率など、懐かしい数字が耳に心地好く響いた。
 この論理は、わが国にまだ間に合うのだと信じたい。

11月24日(祝) 学と実践  -政治・経済 - 環境・資源・エネルギー-

f411.jpg  2年前、政権交替の熱気覚めやらぬ中、脚光を浴びた時分に比べると大分と色褪せた感のある行政刷新会議だが、「仕分け人」に大学時代の友人二人が名を連ね、揃ってラジオ出演まで果たしている絵柄には隔世の感とともに、自らの無聊もまた思い知らされる。
 取り分け、その一人がものした「電力自由化―発送電分離から始まる日本の再生」は今やベストセラーと言っても過言でない好評を博している。
 電力会社が雇用や莫大な設備投資により地域の雄というよりは、寧ろ道州制の先取りとも言える広域自治体機能の一部を代替し、地方経済の安定に寄与してきた、その歴史的使命には敬意を表さなければならない。
f412.jpg  ただ逆に言えば、それは明らかに民間企業の範を超える使命であって、事実競争の無い地域独占、総括原価方式という経営のあり方にも民間企業とは異なるシステムが伺える。その総本山が東京電力であり、今となっては負の側面にしか映らなかろうとも、政治・行政との密な関係を背景に、経団連会長をも輩し財界の一極を担ってきたのである。
 嘗て電力で言えば送電網に当たる電話回線の解放を巡り、所謂電電ファミリーの強い意向から経団連が機能停止に陥ったのは記憶に新しい。一方で現状の電力不信に鑑みれば、何れ発送電分離の方向へと、大きな異論なく世論が形成されていくのは明らかだろうが、それは現行政府に色濃く漂う、本来政府と一体不可分である筈の準民間企業たる東京電力叩きに端を発するものであってはならない。
 そんな戯言は氏は当然承知の介であり、学者らしい抑制した筆致の中に民間企業経験を踏まえた実務への配慮もまた伺える。
 氏の本分は後段のスマート・グリッドであり、その段からすれば幾分時流に乗って本作に取り組んだであろうきらいは否めない。ただもうひとつの主眼である政策過程、就く民間企業の政策形成への関与においては、当方もまたその実践者の端くれとしてより強い関心を持っている。本作にもその識見は反映されていようが、次回作はもうひとつの本分への鋭利な分析もまた是非期待したい。

11月23日(祝) ステキな映画人  -映画 - 日本映画-

f410.jpg  映像作品と演劇の最大の相違は連続性である。勿論、演劇も暗転により場面転換を図ることは可能だが、映像に比して圧倒的に自由度は小さい。寧ろ演劇はその制約を逆手にとり、役者の高い技量、観客との双方向性と相まって、マスたり得ない芸術を産み出し続けている。
 ただ逆に言えば両者の乖離故に、優れた劇作家が優れた映画監督たり得るとは限らない。取り分け更に演劇と親和性の低いTV連続ドラマにおいて、固定された舞台設定により演劇色の強かった「王様のレストラン」を除き、三谷幸喜氏のそれが成功を収めたとは言い難いのも、天才の飽きっぽさを割り引いてなお理解出来よう。
 尺自体は演劇に近似した映画においても、事実その多くは好質なエンターテイメントに仕上がってはいるものの、氏の監督作品は演劇の翻案か、或いは舞台に置き換えても成立しそうな内容だった。
 氏の作法で有名なのは、役者を念頭においての「宛て書き」であることだろう。この時点で既に演劇由来の発想だが、同時に笑いを醸し出すひとつのモチーフから敷衍して一作を構成していよう様が伺える。
 例えば、身分を偽るための嘘の織り成すドタバタ劇という設定は、連続ドラマというよりは同一の配役で毎回舞台を違えた単発劇だった古橋任三郎や、「合言葉は勇気」はじめ枚挙に暇ない。
 ただ幾ら秀逸なシチュエーションでも些か使い古された手法であり、氏自身もそのジレンマを抱えていたがために、映画では前作に当たる「Magic Hour」は奮わなかったのではないか。
 翻って最新作「ステキな金縛り」は「ゴースト」はじめ先達の知恵や蓄積を基盤としてはいるが、その基本設定をカンコツダッチすることにより、氏にとって正真正銘初の映像でしか為し得ない作品に仕上がっていると言っても過言でない。
 例えば、同一の俳優が前作と同じ役柄かつチョイ役で登場したりするのは氏の名声故のスター・システムとはいえ映画ならでは遊び心だろう。
 元より、真の映画監督に脱皮したとして肝心の作品が面白くなければ意味が無いが、映画館の大画面の後押しがあったとしても、掛け値なしに近来稀なる笑いとペーソス溢れる名作だった。50歳を超え、残された時間に寧ろ質より量を追求すると諧謔的に述べていた氏が、文字通り数打った中の大当たりに、素直に感服した。

 ところで高校生の時分は盛んに金縛りにあったものだが、それ以降はとんと御無沙汰である。矢張り往時は失われた時を求めるが如く切迫感に溢れていたのだろうか。

11月22日(火) 梯子の梯子

 部局は変われども年末恒例のカレンダーに先立ち、今年はイベント多数で配布物にはこと欠かない。この際、現職では新参者たる自らが行脚に従事すれば引き止められて一懇に至る誘引も少ないから効率的とはいえ、徒らに永田町周辺居住者生活は二桁を数えているので、予想外に有り難く足留めを喰う事態もまま見られる。
f409.jpg  結果、出ずっ張りになるとペーパーのひとつも認められず、パーティーで内職に勤しんでいては本末転倒だろう。コントロール・タワー兼遣いっぱではメールへの対応すら追い付かなくなりかねないが、鎮座在していては世事に疎くなるし顔も売れないから、ここはひとつ行動隊長ビッグワンと気取ってみるしかないか。

 震災の影響で積み残した春分の後処理が重なったか、或いは来年前半にも総選挙の雰囲気が醸成されつつあるからなのか、未曾有のパーティー・ラッシュである。
 足跡を残すのも仕事だからと足繁く赴くが、流石に同時間開催の三軒梯子は辛いものがあった。オータニ、オークラ、東プリと寧ろ合理的な導線だったが、漸く三箇所目に着いた折りにはすっかり捌けていて、ポン酢を戴きに上がった様なものだった。
 勿論そのまま帰路に付けば一面、体の良い早退けモードでもあるが、水割りの数杯も口にして再び会社にお目見えするとなると面倒臭さもひと塩である。
 年末まで尚続きます。

11月21日(月) 友達の輪  -コンピュータ - コンピュータ-

 お友達300人を超え小学一年生三人分を数えたFacebookだが、過日唐突に「○○さんが△△さんとお友達になりました」表記が現れなくなった。
 制度変更かと告知の類を探してみたが、何等の記載もない。或いは無意識に設定を変えて仕舞ったのかも知れないが、ネット上を漁っても当該記事を非表示にする技は幾らでも見付かるが、逆に表示するには如何なる処置を要するのか、皆目判明しない。
 木曜クラブばりの「数は力なり」が信念の私にとって、お友達のお友達から芋蔓式に新たなお友達を発掘していくのにかく表示は欠くべからざる指標だったが、世の中にはこれを不要と排除する層が圧倒的多数らしい。
 個人情報保護やら各方面への配慮かも知れないが、情報は最大限提示し参画者に取捨選択の幅を与えるのがプラットフォームの使命であり、行事が自ら差盃し過ぎれば相撲が詰まらなくなる。
f408.jpg  急速に拡大したFacebookも早くも曲がり角に差し掛かりつつあるということか。

 引越とともに家内LANを構築し、居間での作業用にとわざわざ導入した小型ノートPCも、実際にはマッサージ機に揺られながら思い立って月に数回触れる程度だった。
 だからコンパイルされていたmicrosoft officeが二年の期限付きだったこともとんと失念していたが、トワエモア宜しくある日突然、単なる閲覧用ソフトと化していて、安物買いの悲哀を甘受したのである。
 ただ結局、代替ソフトOpen Officeを導入しこと無きを得てみれば、アプリオリにデフォルトでofficeがバンドルされる環境に寧ろ違和感を覚える。確かに代替ソフトが蔓延れば単体オフィスの売上は落ちるから、PC本体との一括販売に活路を見出だす構造は理解できよう。
 そこで模倣や抱き合わせを悪と看做すよりも、消費者が自らの知恵如何でコスト負担を軽減する余地を設ける構造が、自由の国米国らしい。先行者利得の源泉は丸抱えPCで楽をする消費者が担うべしとの発想か。
 文句は賢くなってから付けるべしなのだろう。

11月20日(日) トトロが一杯  -育児 - パパ育児日記。-

f406.jpg  幼稚園の恒例行事「バザー」も通算5年目となると飽きも来ようものだが、就園前から参画している公資は兎も角、既にOBになった祐旭も嬉々として臨んでいるとは、矢張り精神年齢が若いのかも知れない。
 何しろ毎年炊き出しのカレーを頬張り、輪投げやらスタンプラリーやら袋釣りやら、父兄総出で設営されたアナクロなミニ縁日である。玄人はだしの手作りドレスの類も出品される、本題であるバザーは男児二人のわが家にはとんと御縁がない。いい加減父の方は引き気味だが、今年は随分と合理化され負担軽減が図られたとはいえ母は売り子として終日拘束されているから、引率は必須である。
 メインは今年も製作だが、材料を選んでトトロに見立てたどんぐりに描画した後は、担当父兄陣が職人宜しく電動ボンドで完成に導くので園児の負担は小さい流れ作業である。
f407.jpg  宮崎ファンでもないのに年々の成果物が溜まってきたが、湯沢でも沖縄でも毎度同じ様な作業に明け暮れているのは、男児の図工好きという一般的な性向なのか、或いは面倒臭そうな顔をしながら身を乗り出して参入する父宜しく、わが家の血の為する業故だろうか。

 いきなり連敗して絶望的だった日本シリーズはソフトバンクの逆転日本一で幕を閉じた。
 2年振りの優勝球団同士だったし、リーグ打率最下位球団が勝利してパの投手成績に疑問符が付けられる事態も回避された。何よりも日本一の重荷を背負わされなかった中日球団フロント、高木再監督も胸を撫で下ろしていることだろう。
 祝勝会は全て再生可能エネルギーで賄ったらしい、というのは真っ赤な嘘である。
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