コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

7月31日(日) 鎮魂  -ニュース - 死亡記事-

 思春期に「狙われた学園」や「時を駆ける少女」に魅力された世代ではあるが、これらが角川アイドル映画として製作されたことに示されるよう、所謂SFの分野は悪く言えば三文小説、キワモノ的な扱いに留まってきたと言えよう。
 だからこそショート・ショートで一斉を風靡しながら文壇に認められ難かった星新一氏の嘆きもあったろうが、花博プロデューサーや都市開発への参画など空想から実存の世界へと「昇進」した小松左京氏は、この境遇の中では幸福な作家生活を歩み得たのではないだろうか。
 取り分け70年代当時の映画化では、幾らミニチュア技術としては最高峰のものであったとしてもどうしてもお子様向けに堕した特撮映画と同類にしか映らなかった代表作「日本沈没」が、五年前に最新のCGを駆使してリメイクされたことにより再評価の気運が高まったのは僥倖であったろう。
 勿論、氏の功績がSF界に取ってもまた福音であったか、或いは返って業界内での不協和音を斎したのかは定かではないが。

 比較するものではないが、同じ訃報であっても伊良部元投手の自裁は限りなく哀しい。
 ともに野球に対して過剰なまでにストイックであった筈の広岡達郎氏との軋轢から、たとえ実の父を追い求めての見果てぬ旅の一環であったとしても、野茂元投手に次ぐ脱法行為に依る渡米に至ったのがボタンの掛け違いだったろう。謹んで御冥福をお祈りします。

 旅行を前に初の土日連続稼働となったが、丁度電話に煩わされぬべく書き物仕事があったから良いが、そうでなければ暇窮まりない。約一ヶ月、東京電力を責めたくはないが、輪番ももう飽きた。

7月30日(土) 超えてる魂  -ゲーム - マリオカートWii-

f278.jpg 祐旭の公文国語と水泳の昇格祝いでWiiのマリオカート購入に赴く。ソフトよりもハンドルが高価なのだろうと憶測していたが、ドンガラだけでリモコンを装着して初めて機能するとはよく出来ている。逆に言えばハンドルを追加投資しなくても遊戯自体には支障は無い訳で、ただ棒状のリモコンを左右に振っているだけでは雰囲気が味わえないからだとしたら、大したマーケティング戦術である。
 ならばアーケード同様に足でアクセル、ブレーキを操作するオプションがあってもと夢想するが、そこまで大仰になると返って需要も減るのだろう。
 そもそも大ヒットしたWii Sportsにしても本物のスポーツに比べれば簡略化著しきは否めないし、本格性よりは茶の間のコミュニケーション促進の一環と位置付けるべきなのだろう。
 腕だけで運転しているのは幾分滑稽な絵柄だが、これならばリモコンを持ち寄れば友人同士大レースも成立するからお手軽だし、敢えて深読みすればハンドルで全てを賄い得るのが輸送用機器の究極の姿というメタファなのかも知れない。

f284.jpg 合宿を経た祐旭のお気に入りのフレーズは「ウルトラソウル」である。
 往復のバスでコーチの選曲した同曲に子供達が飛び付いたという偶発的事態から火が付いたようだが、リニューアル・バージョンが今年の世界水泳テーマ曲としてCMで多用されているから耳馴染みもあったろう。
 ただ発表から10年を経てなお好評を博し続けているのは、「ウルトラ」という一歩間違えれば滑稽に映りかねないフレーズを敢えて用い、そこに高揚する音階を充てて主たる購買層たる青壮年層のみならず、将来市場たり得る若年者の支持も得られているのは、ポピュラー音楽家としてのB'zの真髄を見る想いではないか。

7月29日(金) 港北紀行  -地域情報 - 神奈川-

f255.jpg  シウマイの旅を満喫した昨日だったが、当然わざわざ新横浜近辺まで赴いたからには寄り道は必定である。
 そこで崎陽軒に先立ち攻めたのはトレッサ横浜、複合自動車販売拠点とも言うべき同地を選択したのは、自動車会社の禄を食みながら殆ど自動車に興味も無い私が宗旨替えしたからではなく、自動車産業の提示する複合ショッピング・モールという流通形態の実験台に都市変遷評論家として関心を抱いたからに他ならない。
f256.jpg  自動車改修工場を中心とする跡地開発との立地故に、道を挟んで棟が林立する入り組んだ構造は迷路風で好感が持てるが、要は自動車をアクセントとした陸の"お台場"であって、公資が看過した様に薄い照明と天井の壁画が欧州の夕暮れを模したキッザニア同様の空間を構成するパターンである。
 だからと言って輸送系の玩具が充実しているというのは気のせいかも知れないが、模型電車を回送させること20分を前座に、シウマイの旅は始まったのであった。

f257.jpg  更にシウマイの香りを充満させた車で向かったのがラーメン博物館だが、平日で寧ろ大陸からの来訪者が目立つ中、折角のガラガラにも拘わらず胃腸はシウマイ三昧でひとつのつけ麺を親子三人で分け合わざるを得ないとは不遇である。
 じゃんけんによるスタンプラリー「ジャンキング」で公資が逆転勝利を収めて菓子をせしめ、紙芝居を堪能したりと子供向け要素が増大した感はあるが、追随する他のフードテーマパークが多数討ち死にしてなお、老舗としてコンセプトも佇まいも保ったまま生き残っているのは立派である。
f258.jpg  「三丁目の夕日」をはじめとする高度成長前夜の都市への郷愁を先取りしていたとも言えるが、往時の銭湯を模した階段を経由して帰路に付いたこともあり、温泉を探索し、思い切り地域密着の綱島ラジウム温泉を経て再び第三京浜の人となった。
 帰宅後、木曜のため慌て着替えてパーティーへと赴くおまけも付いたが、充実の一日ではなかったろうか。

7月28日(木) 旨いシウマイ  -グルメ - これは美味い!!-

f250.jpg  昨今の流行りと言えば「大人の工場見学」だろう。出向時代に北は北海道から南は沖縄までの自衛隊に留まらず、製紙エタノール工場コンテナターミナル原発と全国津々浦々を視察の旅に行脚した私としてはわが意を得たりとも言えようが、実際に何等のコネクションも無い一民間人として見学を実現しようとすると、並々ならぬ労苦を強いられる。
 何しろ三ヶ月前から予約解禁の4月1日朝に電話して、漸く繋がったら土日は全滅、平日でも夏休み期間は残りあと数枠というチケットぴあ並の狭き門を経て、遂に実現した本日の崎陽軒横浜工場訪問である。
 結果として当該木曜が休日に転換されたのは、不評極まりない土日操業の数少ない恩恵であり、涙ぐましい努力への御褒美だったのかも知れない。

f252.jpg  吉田茂大勲位の置き土産、第三京浜を南下し港北ICに近付くと赤い「シウマイ」の看板がぬっと現れ、嫌が応にも視察ムードを盛り上げる。
 一歳から三年生までを横浜市緑区(現・青葉区)に過ごした私にとってシウマイと言えば崎陽軒であり、12歳で都落ちしてからも帰京する度に東京駅の大丸で買い求め、新幹線内をシウマイの匂いで満たした日々が懐かしい。 80キロの体躯を抱えた高校の時分には、実に30個入りを四箱抱えてひかりに乗り込み、百を超えたところでダウンした実績すらある。
 だからこそ今日この日に懸ける想いはひと塩だったが、いざ着席すると満を持して半時も前に到着した御利益だろう、古の制服に身を包み、シウマイ娘よろしくの撮影に続き、歴代CMを鑑賞する。大半がシウマイ年賀状の宣伝だったのは意外だったが、記憶に残る「あの頃の二人、今の二人」と歌詞もメロディも異なっていたのは、嘗てバンドで「カメラのさくらや」をカバーした際、後から原物と照らし合わせると微妙な相違が発見されたのと同じ現象だろうか。
f251.jpg 説明ビデオに続き愈々工場へ向かうと、ラインの撮影不可は残念だったが、挽き肉ベースの練り物が頭上のレーンで運ばれ、シウマイの形が形成されていく過程は醍醐味がある。
 蒸し工程、箱詰め、梱包と何時になく真剣にメモしながら見学して仕舞ったが、日産80万個を常時70人で賄い、4時スタートの二交替、後勤は機材の分解作業までの掃除含むとの基礎データは兎も角、特製と六個入りのミニが手詰めとは驚いた。需要も少ないのかも知れないが、道理で特製は売り切れ続出な訳である。そもそも崎陽軒の全シウマイが当該横浜工場で生産されている上に、販売期限が店舗到着後7時間とあれば小口配送は必定で、都内ですら東海道沿線と新宿までに限定されるのもやむを得ない。寧ろ、嘗て高円寺駅で常時販売していた事実の方が、今にして振り返れば奇跡的である。
f254.jpg  祐旭の質問した真空パックの梱包で、欠品があっでも一旦袋詰めし、改めて検査ラインで人間が取り除くというのは非合理的にも思えたが、そこまでの自働化は不必要との判断なのだろう。
 21世紀に入って工場がリニューアルされ、このタイミングで「昔ながらのシウマイ」が微妙に小振りになったからくりも判明したし、キヤノンや富士フイルムの如く音便が一般的で無かった時代の名残りだけでなく、「シウマイ」表記には「ウマイ」が隠されているとの解説は、子供達にもヒットした様である。
 最後には試食を経て改めて直売店で購入すると矢張り明らかに通常より美味で、駐車場に止めたままの車内にシウマイの香りを充満させながら、何時もは口にしない公資も旨そうに食べていたのだからわが家の食文化拡大にも貢献出来たろう。
 勿論それは、賞味期限最大17時間という時間との戦いが"横浜名物"であり続けざるを得ない同社の苦悩も伺わせたが、創業百年を経て、これからも変わらぬシウマイを届け続けて欲しいし、わが家も引き続き崎陽軒フリークとして生きていきたい。

7月26日(火) 埋蔵車両  -政治・経済 - 中国問題-

 開業間もない中国高速鉄道の大事故は模倣品の限界、各国の先端技術を寄せ集めるに当たっての擦り合わせ技術の欠如、ハードは充足してもソフトの運営力不足と、様々な複合要因が類推出来る。
 ただ何と言っても全世界の耳目を集めたのは、当該事故車両を即刻埋めるとともに早々に運行を再開するという、失礼ながら驚くべき安全意識の希薄さであろう。
 日本的な、との言が不興を買うなら恐らく先進諸国の何れにおいても、原因の究明、対策も丸で皆無なままに、文字通り"無かったこと"にして仕舞うような行為に直面してなお、当該輸送機器に足を踏み入れようとは夢想だにしなかろう。にも拘わらず極めて平穏に商業利用が再開されるとすれば、かの国では高速鉄道を利用する高所得階層においてもリスク管理の観念が欠落しているのか、大事故を眼前にしてなお中央を盲信しているのか、或いは"無かったこと"に唯々諾々と従うのが忠誠心の証しだとでも言うのだろうか。
 しかも翌日には諸外国の驚愕と、遺族らからの車両以外にも事故に関わった事物は全て併せて埋めたのではないかとの非難に応じたのか、慌て掘り出して調査開始を形作るのだから畏れ入る。
 情報の閉ざされた前時代の共産諸国ならかくや、と納得もされそうな現象が現代社会において体現されているのである。
 食や商慣習に留まらぬ、自らのマネジメントすら及ばぬ分野における「Not Safety」の刻印は、市場としての同国の価値に配慮せざるを得ない経済界の声をも転換させる契機となるのかも知れない。

 今更ながら地上波デジタル対応テレビやチューナーが飛ぶように売れているとは、雪崩の如く宣伝攻勢を経てなお全く感知していなかった層が多数存在したのか、或いは判っていて放置すれば行政が何等かの対応を図るであろうと淡い期待を抱いていたということか。
 確かにアナログ放送の延長には原則及ばなかったが、自治体では個別応談にてんてこ舞いとの映像が、現にデジタルで写し出されている。
 行政が痒いところまで手を届けるから国民が自力救済を怠るのか、お上意識の強い国民性だから手厚い庇護が欠かせないのか、鶏と卵の関係は難しい。

7月23日(土) 会いたくて、祐旭に  -地域情報 - 山梨-

f246.jpg  明けて三連休最終日も8時半には出立、二日目は完全に無計画だったが、先ず山中湖のボートから富士を眺める。数年に一度は新歓合宿の類で前後不覚になった学生が転覆させるエピソードでもお馴染みだが、富士と言えば黙っていても上方三分の一程度を白く塗るのが定番だったところ、今や真っ黒で風情に欠けるのも温暖化の煽りだろうか。
 次いで途上寄ったコンビニで発見した文学の森へ。三島由紀夫文学館を開場10時前に開けさせて闖入したが、三島と山中湖とは何等の縁も無いらしい。忖度するだに実際に山中湖近辺で執筆に勤しみ、立地の必然性のある隣の徳富蘇峰館だけでは集客力に欠けるから、三島のネームバリュー頼りで誘致したという顛末か。
f247.jpg  しかし文学的には関心が薄くとも思想的には共鳴する部分のある三島氏にこんなところで出会えるのも、わが家には極めて稀な行き当たりばったりの成果だろうとこの時点では悦に入っていた。

 ただ実際のところは何も予定されていなかった訳ではなく、寧ろ本旨はこの後、一昨日旅立った祐旭のサッカー合宿の視察であり、万が一にもホームシックに掛かった際には引率者の手を煩わせることなく引き取りに急行出来るよう、敢えて近場の富士学園に陣取っていたという表現が正しい。
f248.jpg  ところがそれ自体は杞憂に終わったものの折角なのでと練習場と目されたグラウンドを訪ねると、影も形も無い。宿に問い合わせると全く別の場所と判明し、しかも口頭での道案内に頼ったため右折箇所を一本間違え、散々迷った挙げ句に到着したら、そこにも既に跡形ない。
 練習時間も残り僅かなために引き上げたものと落胆してグラウンドを去ったが、宿地に急行すると実際にはその更に奥で、恐らくその時間はまだ練習中だったと聞いても後の祭り、二重の失策である。
f249.jpg  その上、漸く対面した祐旭も練習疲れからか素っ気なく、見学歓迎と言いながら住所の記載も無いパンフレットも不親切には違いないが、敢えて寄り道したのは当方の落ち度だから文句も言えない。余裕を見て先に宿に足を運んで情報を確認すれば良かった訳で、僅か数時間で矢張り事前のプランニングは欠かせないと、従来の結論に回帰する始末だった。

 やむを得ず平野温泉石割の湯を経て、計一周半ぐらい周回する羽目になった山中湖を後に、帰路に付く。
 再び中野サンプラザで待機していると、今度は祐旭を乗せたバスが区役所前に到着と、最後までボタンの掛け違いが続いたが、富士学園では本来有償の体育館で勝手にボール遊びにも興じたし、再三温泉で体も癒したし、入れ子で入り組んだ構造の家族団欒だったと記憶の一頁に加えておこう。

7月22日(金) 21世紀の富士学園  -地域情報 - 山梨-

f242.jpg  富士方面にはウルトラのぐりんぱサファリパーク富士急ハイランドと度々訪れているが、今般は三人かつ特定のメインエベントなき旅である。
 それでも美しく言えば好奇心から、その実のんびり出来ない性癖から名所を探索し、朝から氷穴・風穴(左写真)へと歩を進める。
f244.jpg  自身小学生時代に訪れた記憶では細長く階段続きの前者の方が洞窟っぽく印象深かったが、不惑を迎えてみると単に寒くて狭いだけの鍾乳洞である。しかも氷で滑って鑪を踏んで耐えた挙げ句、両手に抱えるカメラとビデオを守った替わりに右膝に裂傷を負ったのでは浮かばれない。若干広くて平坦な風穴の方が落ち着けるとは年は取りたくないものである。
 次いで鳴沢の道の駅で富士山を撮影しつつ富士山博物館にも寄り、ほうとうを食した後、さかな公園とは盛り沢山で立派な観光旅行ではないか。富士湧水の里水族館(左写真)は中身が淡水魚なので今ひとつ色合いは地味だが、回廊の如く水槽の中を行脚する構造が21世紀竣工の割にバブリーで頼もしい。

f245.jpg  さて富士を眺められるのが売りながら曇って拝めなかった紅富士の湯を経て到着したのが本日の宿地、富士学園である。
 杉並区立の小学校は高学年の二度に亘る移動学級を以て修学旅行を代替しているが、五年まで高円寺在住だった父もまた、ここ富士学園に二泊三日で訪れ、演劇で「木」を演じたり、全員でドラえもん音頭を踊るためのテレコを抱えた音効担当を務めたりした記憶がある。
f243.jpg  即ち、この旅は32年振りのセンチメンタル・ジャーニーでもあったのだが、台風で片側女性棟の屋根が飛んで、畳敷きの大部屋同士壁を挟んで男女が隣り合う、小学五年生には幾分刺激的な状況が生まれた往時とは、一見して明らかに様相が異なっている。それもその筈で、バブル期に建替えられて合宿所と呼ぶには瀟洒過ぎる、家族部屋単位の温泉宿風情になっている。
 それでも贅沢に慣れた公資の眼には、部屋にトイレも冷蔵庫もない造りは驚異的だった様だが、夏休みに入った休前日と雖もガラガラで、運営委託こそ為されたが未だ維持しているだけでも杉並区の財政事情の麗しさが伺える。
 夕食後、花火を経て三人で21時には就寝。夏休み第一弾の夜は穏やかに更けた。

7月21日(木) Let's Ondo Again  -育児 - パパ育児日記。-

 初の木曜休日は朝、祐旭を集合場所の中野サンプラザに送る。今日から二泊三日のサッカー合宿、まだ園児だった一昨年に幼稚園に一泊保育した際は母を求めて愚図っていた祐旭にとっては、実質初めて親元を離れての遠泊である。
 地域単位のクラブのため小学校の同僚も皆無で、毎週顔を合わせていても球を蹴り合っているだけだから知己と呼ぶのも微妙な面子の中、特段サッカーに熱を上げているとも言い難い祐旭が名乗りを上げたのも意外だったが、こうして子は成長していくのだろう。

f238.jpg  見送る公資の泣き顔とのコントラストが鮮やかだったが、常日頃五月蝿いまでにはしゃぎ、マイペースを貫く祐旭に翻弄されているわが家も、不在となると火が消えたような真空状態である。
f239.jpg  だが夕刻、幼稚園の夕涼み会にて祐旭も踊った「やはた音頭」と新たにCMの「きのこ音頭」を引き継いだ公資は、練習に余念なく当日もノリノリながら舞踏自体はアバウト極まりなかった祐旭に比して、確かに往時の祐旭よりも一年の長を得てはいるものの、矢鱈と真剣かつクラス随一と言っても過言でない基本に忠実な踊りを展開していた。
 参画していれば何かと掻き回したろう兄の不在も、より生真面目さに拍車を掛けたのかも知れないが、弟も確実に独立独歩の道を歩みつつある様である。

 毒舌の中にもユーモアを欠かさなかった故大沢親分に対し、直球勝負で"苦言"色の強い張本氏の「喝」には正直馴染み難い面もあったが、松井選手の500号に対するコメントは的を射ていたと言わざるを得ない。
 あのまま日本に留まったらとのifは詮ないとしても、米国移籍後は本塁打も半減ペースで実質的に中距離打者と化した松井選手には、その真摯な姿勢に誰しもが口を閉ざしてはいるものの、恐らく同胞の多くが張本氏同様に「遅かりし500号」との想いを抱いていたろう。
 勿論、本邦本塁打者が海を渡ってもそうあり続けられるかという松井選手の"壮大なる実験"が成功を収めたとは言い難い結果に終わったとしても、その偉大さは何等貶められることもない。だから松井選手自身こそが最も痛感しているであろう想いを、敢えてオブラートに包むことなく指摘したのもまた、張本氏の思い遣りだったと解釈すべきではなかろうか。

7月20日(水) Don't Trust Over  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

f237.jpg  某勉強会で講師として登壇されたのは石原信雄氏。入省時に既に旧内務省は解体されていたが、官房副長官として実に八代七名の総理に仕え、鈴木俊一氏から"内務官僚のドン"の座を東京都知事として引き継ぐ筈だった御仁である。
 恐らく氏が青島幸男氏に敗北するというハプニングが無ければもうひとりの「イシハラ」の登場もなく、都政のみならず国政の歴史も大いに変わっていたことだろう。
 阪神大震災への対応を事務方トップとして仕切られた経験が改めて注目を集めているが、驚くべきは84歳という年齢にも拘わらず記憶力、論理構成ともに殆ど衰えが見られないことである。
 丁度その半分である自らを振り返っても、学生時分に比べると格段に知能が低下した感に日々苛まれるが、たとえ嘗ては知識が足りなかったが故に新しい発想が溢れんが如く生まれ出た様な錯覚を抱いたに過ぎなかったとしても、現に思考を巡らせる気力の減少は否定すべくもない。
 昨日のパーティーで御身を拝察した中曽根元総理は別格だし、固体差はあろうが、ヒトは少なくとも80代半ばまでは立派に機能出来ることを自ら体現されている石原氏に改めて深い敬意を示すとともに、大仰だが折り返し以降の人生に希望を与えて呉れるその佇まいに感謝したい。

 馬齢を重ねれば良いと言うものではないが、通算最多勝を更新して引退した魁皇関も矢張り賞賛に値しよう。
 勿論、再大関目前に迫りながら大関陥落後の現役継続記録を更新することになった雅山と果たして何方がより立派なのか、昨今話題のガチンコ度合いの指摘をさておいても議論はあろう。新・浅香山親方自身、実力も去ることながら寧ろその人格識見が不惑目前まで大関の地位を維持させたのかも知れないが、本邦唯一の大関としてその責を解いた今、こちらにも敬意を表したい。

7月19日(火) 嵐を呼ぶ男  -音楽 - 音楽-

f236.jpg  ドラムを購入して三ヶ月、思い出した様に椅子を逆に向けてはヘッドホンを被ってドラマー擬きに扮し、運動とストレス解消という所期の目的は果たしているものの、ドラムが旨くなったという実感には乏しい。
 勿論、リズムキープ力の進捗には取り分け足の筋力のほか慣れも必要だから一朝一夕には難しかろうが、正直なところ音階の無いドラムは楽器の中でも楽な部類、と高を括っていたのは大いなる誤認と思い知らされたと言えよう。
 鍵盤楽器、就くエレクトーン出身だけに、メロディは元よりオブリガードやコードは自動的に耳が聞き分ける訓練が為されているし、手慰み程度にベーシストを気取ったことも相いまってベースラインにも敏感である。
 ただこれまでドラムに着目して音楽を聞くという習慣に乏しかったからか、いざ既成曲に合わせてバシバシ叩いてみても、タイミングこそ合致している様でも実際にヒットしたパッドと原曲の鳴らしている音が一致しているのか甚だ疑わしい。
 それでもポンタ氏や嘗ての林立夫氏の様に音数が多ければ当てずっぽうでも何となくサマにはなるが、幸宏氏は手数が少ない分、本当に機械の如く単調にリズムを刻み続けなければならないから、正直なところ楽曲そのものが好みで無ければ相当に苦痛である。
 今更ながらわが「中国男」のドラマー氏に敬服したが、一方で矢張りタム使いの少ない高橋まこと氏だと叩き安い感があるのは「バンド」の楽曲として聞き込んだ効用であろう。とは言えダウンピッキングの松井恒松氏同様に体力的には決して楽ではない。
 これまで聞き流していたドラマー相互の個性の相違に僅かなりとも接せられた感があっただけでも耳が肥えたと自認しておこうか。

 某最大野党の幹事長氏が立錐の余地も無い大パーティーに登壇され「こうなったら唄を歌うしかない」と宣われる。
 何の冗談かと思ったら本当にアカペラで美声が轟いたのには目を丸くした。しかも台風の迫る中で「嵐を呼ぶ男」とは、昨今の唇寒しの風潮の中ではギリギリ捨て身の戦術である。
 兎角存在感を発揮し難い野党暮らしの中でも顔が見え難いとの指摘もあったが、ひと皮向けた様な新たな一面を見た想い。
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