コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

5月31日(火) アマチュアリズム  -スポーツ - グランドソフトボール-

f182.jpg 「女子ソフトボールリーグはトヨタ自動車とルネサスエレクトロニクス高崎がともに一敗を守り首位を並走」との記事には詠嘆を禁じ得ない。
 ひとつには先の震災で甚大なダメージを被ったルネサス社と、同社からの部品供給が滞ることにより減産を余儀なくされた自動車メーカーの同禽であろう。部品の一次供給元に留まらず、更にその先までの複社発注という大いなる課題を残した双方が仲良く名を連ねるとは巡り合わせの妙としか言い様がない。
 ただよく見ればルネサスの勝利した相手こそは当該エレクトロニクス部品の納入先のひとつたるデンソーであるし、一部リーグ12チーム中、トヨタ系が三社、ホンダ、NEC・三菱電との合弁となったルネサスもカウントすれば日立系三社という偏った構成に鑑みれば、かの巡り合わせは偶然の所産とは言い難かった現実も浮かび上がる。
 嘗て西武グループ華やかりし折には、製紙業の他は西武系とその発注先たるゼネコンで占められていたアイスホッケー・リーグの如きケースもあったが、これとは様相を異にするとはいえ、長期雇用慣行の中で一体感醸成を目途にアマチュア・スポーツが企業スポーツとして運営されてきたわが国独特の文化形態を維持することが、経済的にも風土的にも最早著しく困難となっている証左たろう。

 今日は霞ヶ関にご相談に趣き、その際もニアミスした方と夜半再び合流する。世の中旨く回る時は謀った訳でもないのに巡り合わせの妙が発揮されるものとこちらも嘆懐を禁じ得ない。

5月30日(月) My Company Is Very Famous  -携帯電話・PHS - au-

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左はNTTの旧機
 長い一日を経て休暇に充てる積もりだったが左右両隣に先を越されて出社とは中間管理職の悲哀である。
 幸い、携帯電話の乗り換えに伴い、スマートフォンの価格低減にわが家の固定電話も乗り換えを要し、簡易工事のためにわが家に待機しなければならないとの大義名分のもとに、午後は撤収に成功した。
 ただNTT時代と異なってルータ-とONUが分離され、業者は自ら持ち込んだONUの接続までで、質問はコールセンターにと告げ足早に去っていく。見様見真似で、と嘆く程に難しくは無かったが、事前に送られたホームゲートウェイを配線すると、無事家内LANが復活した。
 PCの接続環境にも影響を及ぼし、通年自動接続状態に移行したのは不可解と言えば不可解だが、大きなトラブルに見舞われなかったのでひと安心である。
 しかしKDD事件を体感した最期の世代としては、家庭の電話回線を「国際電電」たる同社の末裔に委ねる日々が訪れようとは夢想だにしなかった。長年の三番台から南から北の引越にも拘わらず管轄電話局が移行するからと五番台に、今般は遂に六番台に突入とは何となく新参者の様相ではあるが、今更固定電話の番号が変わっても、矢鱈と個人情報管理に煩くなった学校や幼稚園の連絡網以外には緊急を要する通達先はない。だからこそ個人家庭においてはナンバー・ポータビリティの必要性も薄く、逆に携帯電話に引き摺られて契約会社も安易に変更出来る程度の存在に堕したということか。

5月29日(日) 情けは人のためならず  -ニュース - 東日本大震災-

 阪神・淡路大震災の時分はまだ大学を出て三年も経たぬ独身の身だったから、黄金週間に先ず友人達と名古屋を経由し、ここでハメルンの笛吹の如くに同伴者を重ね、六甲山のロッジで飲みあかした翌日に、学生時代に逗留した覚えのある全壊した友人宅はじめ、神戸の惨状を間近にした記憶がある。
 しかし東北には殆ど知己もないし、今更連れ出って行脚するには馬齢を重ね過ぎている。だから形を潜めていたが、思わぬ機会が与えられるとは人の繋がりは貴重なものである。
 確かに現地の避難所滞在四時間強で判った様な口を利くのはおこがましかろう。寧ろ東北道に詳しくなった旅だったと言う方が現実に近い。
 しかしながらそれでもなお、一関ICから東走して山を越えた瞬間に現れた、恐らく若干の標高のある道路が防波堤の役割を果たしたのだろう、国道を挟んで海側は全壊、逆は何等の異常も認められない絵柄を見る限り、月並みな反応だが息を飲む以外には出来なかった。

f176.jpg 避難所には未だ自衛隊が駐在し給水すらその手を借りなければままならなず、グラウンドに並んだ仮設住宅に漸く入居が始まろうという段階である。
 その入口で肉と淡路の玉葱を焼き続けたが、只菅鉄板に向かっていて被災者の方々に直接触れる場面も少なかったから、誤解を恐れずに言えば気分は学園祭の出店のノリと変わらない。
f177.jpg 正直なところ、何事もコストと利潤を比較考量すべきで、結果として情愛から無償の奉仕に至るとしても、その過程の「計算」を念頭に置いての行動たるを重視する功利主義的観点からは、"ボランティア"とは最も忌避すべき範疇にある。
 従って、今般も何等かお役に立てればという日本人的感覚を否定はしないものの、根源にあるのは物見遊山に過ぎない。
 ただにも拘わらず、いざ"焼肉職人"と化してみると、世代も出自も超え文字通り政官財入り乱れてのボランティア業は、寧ろ無償奉仕というある種偽善的な大義名分よりも、一期一会であってもそこに集う一同で何等かを成し遂げる共同性に感慨の在り処を求められることが把握出来た。
 勿論それは自己満足であり自己陶酔だと非難されるかも知れないが、所詮は傍観者の域を越えることの無い自らが充足感を得、その結果が先方に僅かなりともベネフィットとして伝わるならば何を卑下することがあろう。
f178.jpg 例えば当該食糧を誰に供与すべきなのか、有り体に言えば外部への持ち出しは際限なく対象が拡がる恐れがあるから厳禁といった、コミュニティ運営の難しさを垣間見る局面もあったし、避難所外の幸いにも損壊を免れた世帯では逆に食糧難という実情もあるらしい。
 だからこそ復興はおろか復旧にも相当な時間を擁するのは明白だが、政治の立場としては同時並行的に中長期を見据えた取り組みに着手しなければならない。その際は改めて無人の荒野に直面して思いを馳せるまでもなく、主に財政面からであるとも戦前ですら果たし得なかった、義務より権利を重んじ過ぎた戦後わが国の最も苦手な手法、「私権の制限」を避けて通ることは出来ない。
 帰路は気仙沼を南下して築館ICに向かったが、少しの高低差が明暗を分けた惨状に言葉を失い、瓦礫の中ひとつ立ち残る神社の鳥居に何か得体の知れぬ神秘性を感じぜずにはいられなかった。午前3時板橋集合、22時帰着は体力的にはハード極まりなかったが、貴重な経験であった。責めてこの知見を活かせるべく瞑したい。

5月27日(金) This Is It

f175.jpg 中学・高校時代、厳密にはその前後一年ずつを加えた八年の愛知県生活は東京に還りたい一心だったから、大学のサークルで交友の続いた少数と、「解散」という人を食った様なネーミングのバンド擬きのメンバーと年に一度、思い出した様に集まる以外は、中高一貫だった六年間をともに過ごした旧友との接点は今も極めて薄い。
 本日は職責上、最近月に一度顔の会う御仁から定例的なプチ同窓会へのお声掛かりがあったので、袖振り合うもと覗いてみたが、旧交を温めるにしくはないものの、正直なところ顔を見ても名前が浮かばないし、名刺を出されて朧気に記憶が蘇っても、今度は果たして当該人物と自らが如何なる関わりを持っていたのかが皆目不明である。 当然話しは関係者の近況に及ぶが、面と向かっても判らないものが、更にそこに居ない人物の名を出されても五里霧中のこと甚だしい。
 しかし場が進むに連れ、奇妙な既視感に捕らわれた。大学時代の友人との会合でも、ドナルドでないマックや通信環境云々で場が染まりちんぷんかんぷんになったことがあったが、今般もまた美しくIT関係の話題に花が咲いたのであった。
 同窓会をyoustreamで中継してといった類に話しが弾んでも、HPやブログまでは時代に伴走していた私も、今や絵に描いた様なアナクロ風情と言えば大袈裟だが、この方面への関心が薄れている。
 勿論、日頃接しない旧友同士の会話の最大公約数としてITは最も適合的かつ当たり障りが無いのかも知れないが、考えてみれば両会合の出席者に共通するのは、学者にしろ士業にしろ自営業にしろ、自由なネット環境を有する比率が高いという事実である。
 成る程、私も製造業に禄を食む身の上の中では自由人風情ではあるし、スマートフォンを手にして漸くFacebookへのアクセス環境こそ構築されたが、社のPCは常に監視されていて、「政治の頁の閲覧が多過ぎるのは特異な思想を有するのではないか」等と到底政治担当に発するとは信じ難い指摘を受けた覚えもある中で、いきなりi-padでも取り出してパチパチ打っていたら不審者以外の何者にも映らないだろう。
 こうして段々と、人は自らとバックグラウンドを同じくする者相互の交遊に収斂されていく。通例ではその通りだが、敢えて異文化に身を晒すのもまた経験かも知れない。

 しかし話題に乗れず口数が少なくなると存外に杯も進まないものである。寧ろ普段宴席で、話題を途切れさせないようにと気を張っている際の方が無意識の内にアルコールを重ねている。妙な発見。

5月25日(水) 母を訪ねず  -本・雑誌 - 読書-

f174.jpg 中央線の動く平日日中ならば当然東京駅経由だが、早朝のため若干時間の稼げる品川駅から初めて新幹線に乗った。
 しかし東京駅構内の豊富な商店群に慣れた身の上には品川駅のそれは余りに貧弱かつ朝はまだシャッターの降りた店も少なくない。
 元来新幹線品川駅は容量の限界を迎えた東京駅に替わる、一部列車の起終点の役割を期待されて誕生したが、車両のスピードアップと景気低迷からその任に預からなくなった結果、単なる一停車駅と化している。
 勿論、東京南部からの利用客は少なくないが、大量の店舗を誂える程の需要には到底至らないとの判断に基づくのだろう。
 しかも東海道新幹線構内に入るまではJR東日本系の食品が溢れる東京駅に対し、こちらの飲食物は東海経営のみだからか、私にとって"新幹線の友"たる穴子押し寿司の影も形もない。
 やむを得ず貝フリークの本性を顕わにして、品川名物貝尽くしを所望することとした。
 当然、煮込み飯には手を出さず貝だけ平らげたが、朝食としては分量も良い案配である。望外のヒットだったか。

f180.jpg 地方企業の弊害に異動時間の空費があるが、衝動買いの嵩む"積ん読"の処理には好都合である。
 政治評論家・堀内一三の主たる研究対象は戦後政治史なので、元大本山参謀・辻政信氏がノモンハンや餓島の責を負うべき希代の悪漢であるのか、真偽を問う材料は持ち合わせない。
 ただ「潜行三千里」を読む限り、思わず引き込まれる様な巧みな筆使いには氏の明晰な頭脳と、その毀誉褒貶に拘わらず多くの人を魅了したであろう話術の一端が伺える。
 些か出来過ぎな感こそあれ、幾分不謹慎な物言いが許されるならば血湧き肉踊る冒険活劇として一級品で、ベストセラーたり得たのもよく理解出来る。
 ただ戦後政治史の観点からは、戦犯として処刑されても可笑しくない身の上にも拘わらず、衆参議員の地位を得た所以が、「潜行三千里」の英雄譚だけでは伺い知れない。
 そこで更なる深遠を探るべく「私の選挙戦」も紐解いたのだが、反米反ソの汎亜細亜主義の主張が大東亜共栄圏を彷彿とさせ、些かでも復古的な信条を擁する者には確かに蠱惑的な響きもあるが、果たして大東亜戦争そのものを主導した元大本営参謀が堂々とそれを訴え、かつ熱狂的な支持を受けている様相には、たとえ独立、逆コースの時流に合致した部分こそあれ、現代の眼からは理解し難いものがある。
 肝心の政治家・辻政信の総括は御本人がラオスに再び、今度は永遠の潜行に入ったために為されぬまま世の記憶の彼方に消えようとしているが、宇垣大将、野村吉三郎大将は兎も角、源田実大佐や軍人にあらずとも木村"元帥"らこうした系譜に連なる人物が戦後政治に何を残したのか、改めてその意義を問うてみる必要があるかも知れない。

5月23日(月) 大和は雪のまほろば  -育児 - パパ育児日記。-

f172.jpg 祐旭が小冊子を手に南極に付いて語っている。聞けば観測隊員が南極の氷を土産に学校に現れ、即席の講話が編まれたらしい。
 配布された子供向けパンフレット「南極もっと知り隊」ではペンギンのショータが案内役を務めているが、その名はわが国最大の南極観測基地「昭和基地」に由来するとの解説も付されたとは、歴史への敬意が伺われて微笑ましい。
 しかしながら南極におけるわが国由来の地と言えば「大和雪原」をおいて他にないのではないかと頁を巡っていくと、流石に発行元が政府機関の極地研である。しっかり登場しているとはなおのこと頼もしい。
 そこには、恐らく偉大なるひみつシリーズの名作「発明・発見のひみつ」によって子供心に焼き付けられた、懐かしきアムンゼンの栄誉とスコットの悲劇とともに、かの大和雪原の名付け親たるわが偉人、白瀬矗中尉の肖像も燦然と掲げられている。
f173.jpg そこで父も歴史教育に一助をとばかり、先ずは祐旭に軍人の階級とは何かを説いた後に、「明石大佐が後の明石大将である様に、白瀬中尉も後には更に昇任されている筈で、カダフィ大佐とは違う」などと、児童には些か相応しからぬ蘊蓄を傾けてみた。
 ところがあにはからんや大見得切ってから確認すると、職業軍人だった白瀬中尉は国家の後押しを得られず、大隈重信ら民間の後援で辛くも大和雪原まで辿り着くも、先立つものを欠いては南極点到達の叶うべくもなく、帰国後もその借金に苦慮したとあるではないか。従って、最終軍歴も中尉のままである。
 冊子には「隊員を全員帰還させたことで国際的評価」とあるし、件の「発明・発見」でも撤退の英断がスコット隊との対比で描かれていたが、そんな顛末があったとは親の方が勉強になった。
 わが国の初代南極観測船「宗谷」は船の科学館に現存するが、青函連絡船に誂われた帰郷を急ぐ人々を描いた余りにリアルな蝋人形群のインパクトが強過ぎて、父子とも記憶が薄い。
 ただ第三代、そして一昨年に就航した四代観測船の名が「しらせ」なのは、わが国としての責めてもの償いであるとともに、歴史と伝統の尊重の姿勢であろう。
 今年は人類が南極点に、そして白瀬中尉が大和雪原に到達してから百年になる。

5月22日(日) たろうとはなこ  -育児 - パパ育児日記。-

f170.jpg 祐旭は絵本から漢字のある書籍に、公資も読み聞かせから自ら絵本を手にする域に徐々に移行しつつあるが、活字に慣れる最初期の素材として絵本の持つ意義は小さくなく、親近感を覚えさせるための挿し絵の効用もまた大である。
 そこでわが家からほど近いこともあり、いわさきちひろ絵本美術館を訪ねてみたが、先ず驚かされたのはその敷地の巨大さである。
 勿論、戦前の石神井は郊外に他ならず、居を構えたとしてイコール莫大な資産家とは看做せまいが、到底社会の変革を企図する革命家の住処には相応しくない風情である。
 確かに夫君が元共産党代議士の松本善明氏であろうと、子息が共産党推薦で長野県知事選に出馬しようと、ちひろ氏の挿絵家としての業績に何等の揺らぎも無い。
f171.jpg だが大久保公明党書記長とともに松本氏が落選し「革新・杉並」に終止符の打たれた90年総選挙に一票を行使した、かつまた過日その旧東京四区の来し方を些かでも振り返る機会を得た身の上としては、どうしても氏の足跡を追ってみたかったのである。
 「徳球」的な労働現場における文字通りの"搾取"に根差した左翼思想には好悪の情は別としてまだ理解出来る部分があったとしても、富裕ナイシハ社会的な上位階層にある者が、その反動若しくはパターナリズムの発露として、たとえ当事者意識は社会正義の追求だったとしても、左翼思想に陥る姿には何等の共感をも持ち得ない。
 ただ現実には美術館にそれらしき過剰な"平和"臭は微塵も感じられなかったし、至るところ「トットちゃん」で占められていた特別展示に鑑みても、世代的乃至は体感的な反戦思想が、戦後間もなく未だ社会主義に希望が満ちていた時分の日本共産党への親和を喚んだのかも知れない。
 図書室に「かみさまのおはなし」は無かったが、子供達の笑顔に溢れる美術館にかく思想が認められないのは、嘗て輝かしき革新の良心、矜持であると受け止めておきたい。

5月21日(土) 緊張と脱力  -スポーツ - ゴルフ-

f2.jpg 到着後実に3時間を擁してのラウンドは、いきなり500ヤードを超えるロングでティーショット、3W、7Wと何れもナイス・ショットの3オン。パーは逃したものの、取り分けウッドの好調が続き、この年で、と言う程老けてはいないが苦節十数年、漸く力を入れずに振り抜く意義が判ってきたとの感慨を斎した。
 後半に至り今度は力を抜き過ぎて振り切りが甘くなったか、右への吹き抜けが頻発したのは課題として残ったが、まともに当たれば大きいだろうというショートで3Wでダフったのが幸いして50cm以内に寄るバーディーあり、通常180yを超えることの無いドライバーで220を記録するホールも登場するなど、再三のアプローチミスにも拘わらず101ならば、我ながら着実な進歩を誉めてやりたくなる。
 恐らく年配の方々との同伴で、終始カートにも乗らず歩き続けた上に、スコアよりも接遇と緊張感を維持し続けたのも功を奏したのだろうか。満振りせずスコアメイクに専心された御仁が、後半は諸々試行錯誤の顛末とその結果分析をされており、常々好調でも不調でも因果関係が「判らない」で終わって仕舞う当方からすると、アマチュア・ゴルファーもかく思考を巡らし、かつそれを実践し得るものなのかと深い感銘を受けた。
 まだまだ道は遠いが、二歩下がっても三歩進めと心に期したい。

 交流戦に入り広島カープがDHに投手を起用し、対戦相手の岡田監督から当て馬不可を指摘されるひと幕があった。
 指命代打は相手の先発投手が変わらない限り一打席を終えるまで交替出来ないとの現行規程に改訂された82年に、上田阪急で「四番山沖」のうっかりミスがあったのを野村監督は知らなかったのだろうか。
 特定の幹部候補生だけ厚遇し、配慮して2000本安打も達成させ、他はコスト削減のためにFAで売り払う広島商法の弊害がここにも、とは言い過ぎか。

5月20日(金) ひとごと  -ビジネス - 企業経営-

 組織において、げに恐ろしきは人事である。何しろ、紙切れ一枚で何処に飛ばされるか、皆目不可解のままにある日突然具現するのだから、衝撃は図り知れず、狂喜乱舞する者あれば一方に不平不満が渦巻くのは当然である。
 ただわが身の来し方を振り返ると、現実には比較的自らの希望に沿った方向性、かつ予見可能性を持っての異動に預かってきた。
 それは勿論、良き先達、上官に恵まれたが故の所産に違いないが、だからこそ人事とは差し障りの生じない範囲で本人の同意とそのためのタイムスパンを図りつつ実行に移すべきとの感覚が強い。
 しかしながら一方では、万人の納得する人事などあり得ず、コンセンサスを得ようとの試みが返って膠着状態を斎したり、或いは早々に異動が暗示されることによるレイムダック化を生じさせないためにも、人事は「秘中の秘を以てす」もまた真である。
 決定権の無い中間管理職にも板挟みの労苦はあるが、決定権者たればまた怨嗟の声に堪えねばならぬ別の苦悩が発生するのだろう。

 待機時間に久々にベルビー赤坂の書店を訪れると、様相を一新したのみならず政治コーナーが何処にも見当たらない。
 永田町勤務時には最も身近な書店だったから盛んに足を運んだが、嘗て細川政権時の政治ブームで街の書店にも政治書が溢れた時代には比べるべくもなくとも、ここばかりは場所柄その趣の需要は少なくない筈である。
 新宿のラムラ内の書店も経営が変わって芸術・音楽書の充実振りが一掃され平板化していたし、Amazonのロングテール商売に押され、全国津々浦々の書店から一層特質が消え均質化した品揃えになりつつあるとの傾向を実感させられた思い。

5月18日(水) パリが貴方を待っている  -アイドル・芸能 - 芸能一般-

f2.jpg 嘗て2003年には石毛監督解任、レオンコーチ昇格で混乱を来たしたオリックスで突然夏場に解説者だった加藤秀司氏が二軍監督に就任といった仰天人事もあったし、昨年はヤクルトが小川コーチの昇格で息を吹替えし、既定路線だった荒木次期政権を覆すに至ったのは記憶に新しい。
 ただ監督の途中交替はチームに大きな影響を斎したケースも少なくないが、打撃や投手力の梃子入れにコーチを入れ替えるとなると正直なところ何処まで効用があるのかも定かではないし、過去に甚大な変革を斎したケースも思い付かない。
 交流戦を前に楽天が8コーチの配転に踏み切ったが、生え抜き一期生の礒部を二軍に落とし、本西を花形の三塁コーチ職から打撃補佐へ。替わって中日時代の教え子、種田・関川を昇格させてベースコーチに据えるとは分かり易い星野人脈の絵柄である。
 梃子入れの最たる要因が打撃不振であるならば、ひとり無罪放免の盟友、田渕コーチも返って居心地が悪かろう。
 気分転換には確かに寄与しようが、オフに大金を貢いで米国から呼び戻した松井、岩村が奮わず、不協和音を生じさせてなお放出した渡辺が横浜でレギュラー・ポジションを得ているアンバランスに加え、またぞろ火種にならなければよいが。

 子供の頃、日曜の昼は大正テレビ寄席に続いてアタック25が定番だった。
 長じてなお偶々わが家にあればチャンネルを合わせていたは、ひとつには刷り込み効果というものだろう。
 ただ考えてみれば、番組の内容自体は平板で、「その人物の名は」が「その都市」等に変わると若干難しいという程度の特色であり、今や稀少となった全国ネットの視聴者参画型クイズ番組の最期の生き残りたり得たのは、矢張り児玉清氏の存在故だろう。
 子供の時分、「この人は昔役者だった」と親に解説された様な記憶もあるが、近年は「HERO」等、TV俳優業にも回帰されていただけに、残念な訃報に他ならない。
 「結構」や「その通り」が有名だったが、「果敢にアタック」とアタックチャンスの際の拳の振り具合が印象深い。御冥福をお祈り致します。
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