コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

3月31日(木) 子供と児童  -政治・経済 - 議会-

f79.jpg 野党が特例公債法案に次ぐ対決法案の眼目としていた子ども手当は、震災という未曾有の事態を経て、愈々その存廃が問われている。
 そもそも子ども手当は子育て世帯に限定したベーシック・マネー的な発想であるから再配分を嗜好する民主党に親和的であり、それがリーマン・ショック後の不況、失業の増大という景況と相いまって国民の大きな支持を受けたが、自由主義的な経済に立脚する層には常に「バラ蒔き」批判を浴びかねない施策に他ならない。
 だからこそ来年度予算においても、"無駄の削減"では到底賄い切れない財政難という現実に照らして、現に享受を受ける層からも当初予定通りの増額には異論が上がり、保育所負担への充当といった支援費型の交付も検討された挙げ句、三歳未満への一部拡充に落ち着いたのは記憶に新しい。
 従って反対を繰り広げた野党側にも相応の理があった訳だが、人間は現金なもので既に制度導入から一年弱を経て三度に亘り口座に入金が確認されていると、この果実を失いたくないとの既得権益の概念が頭を擡げて来るのも事実である。
 だが忘れてはならないのは、子ども手当の代替として扶養控除が廃止されたことである。勿論、純粋な所得増税分をも割り引いてなお、旧児童手当時代に所得制限で給付の無かった層には差し引きでプラスである。だが今般改めて子ども手当の改廃議論が持ち上がる中で、それならば当然復活されなければならない扶養控除への言及に乏しいのは奇異に映る。
 恰も復興財源に子ども手当の全額約三兆円が転用可能であるかの如く論調さえあるが、それは子育て世帯を狙い打ちにした増税に他ならず非現実的である。
 当然、「子ども手当の白紙還元」を掲げる自由民主党もその点は踏まえているし、実際「児童手当拡充策」を発表した公明党案は控除復活分を割り引いた捻出財源の見通しとなっている。
 結局、現行額通りに六ヶ月延長するつなぎ法案は共産とみんなの寺田前知事の造反という二重三重の捻れの結果、75年の政治資金規正法改正以来の議長採決で可決される結末に至った。
 可否同数という歴史的帰結が些末と言っては失礼だが、かく戦術的な議案で現出したこと事態、現下の混迷を体現しているが、民主党がマニフェストに記載された子ども手当に拘る余り、一方で所得増税を課す位なら児童手当に戻した方が、現実にこの期に乗じた過度の所得再分配にもならず、中高所得者層にとっても国家再興に向け等しく痛みを分かち合うという理解が得られるだろう。
 安易な制度維持と負担の狙い打ちには、異議を唱えていい。

3月30日(水) 都市の反乱  -政治・経済 - 地方自治-

f78.jpg 統一地方選挙のひとつの目玉は躍進の予想された大阪、愛知を核とする地域政党の動向であり、その隠れた命題は地方自治制度の変革だったろう。
 即ち、国家の収益源でありながら必ずしもその恩恵に預かっていないのではないかという都市部の潜在的な不満を、国家に対する合口として突き付けることにより、より効率的な分配を企図する構図である。同時に大阪都や中京都構想を掲げ、明確に他の府県と一線を画すポジションを標榜することで、来るべき道州制においてその中核州都たる地位を確実にしておきたいとの思惑も介在していよう。
 ただそのための一里塚として大阪、愛知が先ず画策しているのは「政令指定都市」の改廃ではなかったか。政令指定都市制度とは本来、県と市という二重行政から財政力もある都市部を切り離して県の負担を減らすとともに、単なる広域行政では他の一般市と横並びとなる弊害を除去するために敢えて格差を設けた制度である。
 しかしながら百万人要件の緩和によって政令市が乱立した結果、横浜、川崎、相模原の無い神奈川県に顕著な如く、結果として道府県は非都市部ばかりを抱え、悪く言えば負担ばかり押し付けられた構図になっている。
 ただその帰結として"政令指定都市を除く"地域の集合体"たる最大の業界団体、全国知事会は財政の窮乏を国に訴え続け、一方で独立独歩の政令指定都市は国に依存しない運営を志向するために、都市部の声が国政に届き難い枠組みが築かれたのは皮肉なパラドックスであったろう。
 だからこそ大阪、愛知は地域政党により首長、議会の二元代表の何れをも支配するのみならず、府県に内包する政令都市都市のヘゲモニーをも握ることで、都市部の恩恵をわが身に享受させ、美しく解釈すれば国家の利益を最大化させ得る機関車の機能を再び担いたいとの発想を抱いたのではないか。大阪と愛知で司令塔が一人であるべきかとの論争があったのは、知事対市長の構図の前者と既に両者がタッグを組んでいる後者の相違を如実に表している。
 この段からすれば、23区に一部権限を委ねながらも一元行政が可能な東京都において、「地域政党」の連携先と目された東国原氏に都民の支持が集まらない理由も理解出来る。
 全ては震災により灰燼に帰した感があるが。

3月28日(月) 嗚呼生き返る  -旅行 - 温泉旅行・温泉宿-

f74.jpg 幼少の砌、度々伊豆の落合楼を訪れていた刷り込み効果なのだろうか、未だに「温泉」と聞くと何か得体の知れない高揚感が醸し出される。
 従って、ここ五~六年でも、箱根の湯ネッサンハワイアンズといったテーマパーク系は元より、名湯・秘湯の類にも湯沢の貝掛はじめ、出向時代の道後霧島酸ヶ湯など風呂三昧を繰り返してきた。
 その私に幼稚園のお母様方が訪れる近頃話題の湯との情報が斎されれば、三十六計赴くに如かずに他ならない。 そこで一昨日トイザらスの後に足を伸ばしたのが極楽湯和光店であった。実に環八の延長線上の笹目通りを北上して和光市に入った瞬間に登場するので、豊島園からだと目と鼻の先である。
f75.jpg しかも規模そのものは小さいが、野菜の直売所やゲームコーナーのほか至るところ休み処、マッサージ・スポットが設けられており、スポーツ施設付随から敷衍した高井戸美しの湯や二子玉川山河の湯よりは、大江戸温泉の超ミニチュア版との印象が強い。とはいえ古式ゆかしいサウナ風で子供は近寄り難い荻窪湯~とぴあよりは湯船、泉質もバラエティーに富み、かつ価格もリーズナブルである。
 成る程、全国38店舗を構え、大陸進出も果たさんかとのメガ・スーパー銭湯企業は抜け目ない。マッサージ機も各社製品が並んでおり、思わずわが家との揉み具合の比較に供して仕舞ったが、風呂フリークとして申し上げれば今後小マメにリニューアルを繰り返して呉れれば折に触れ伺いたい思いはある。そんな投資が必要ない程に充分繁盛しているから余計なお世話なのだろうが。
 入浴、入浴、wow wow お風呂に入るには 入浴、入浴、wow wow 服を脱ぐだけさ~

3月27日(日) 伸びゆく未来  -スポーツ - ゴルフ-

f72.jpg この御時勢にとの声を乗り越え、やって来たのは玉川カントリーである。7時まで扉が開かず営業の事実すら怪しまれたが、それもその筈で8時前に最初のスタートだったとは、嗚呼勘違いの私の責と三月末にも拘わらずの寒風吹き荒ぶ天候を割り引いてなお、大半がメンバーと思しき顔馴染みの人々ばかりで、自粛ムードの余波を実感せざるを得ない。
f77.jpg  しかも漸くガソリン供給も落ち着きはじめ、前出向先の同僚諸兄を強引に駆り立てた天罰と言うべきか、いきなりOBの意気消沈から開幕である。ただ捨てる神あればとはこのことで、引っ掛け癖の消えなかったパッティングを少々ボールを右に置く修正を施したのが功を奏し、ロングもショートも恐ろしく好調で、実に前半でワンパットが5つ。初登場のウルトラ・マーカーの御加護と疑われる程の神憑りである。
 しかし後半に向けての暗雲を示すかの如く、in最後のロングで短いパットを外したのが運の尽きだったろう、ドライバーはじめショットも徐々に乱れ、またしても凡庸な成績に終わった。

f73.jpg さはさりながら振り返れば何時になくOBを乱発したのは喜ぶべきではないし、左右にブレが拡大したのは改善すべき新たな課題には違いないが、寧ろフルショットを心掛け文字通り"曲がりなりにも"飛距離が伸びた帰結であるとするならば、確かに3Wにも我ながら他人の打った様なナイス・ショットがまま見られたのと併せ、今後に光明を見出だし得たのではなかろうか。
 休日にも拘わらず滅多にお目に掛かれないバックティーに近似したティー配置の中で、前後半とも2時間15分と必ずゴルフ場で推奨されながら決して達成出来ない理想的な回転を実現し、かつ節電で風呂もクローズのため14時半には中野に帰着とは効率的な時間配分であった。
 おかげでわが家のWiiでもう1ラウンドに及び、10バーディー1ボギーと石川遼も吃驚の好成績までオマケに付いた。ゴルフ人生の明日は明るいだろうか。

3月26日(土) メダル気狂い、再び  -育児 - パパ育児日記。-

f69.jpg 子供の勉強を見ていて常に感ずるのは、小学校低学年の勉学に通底する要素は読解力という真理である。
 公文式の算数ならば大量に並ぶ数式を孤独に解いていく作業であり、要点さえ把握出来れば個人の能力に応じて幾らでも先に進める構造にあるが、一方で小学一年生の問題集を眺めてみると意外な迄に難関である。
 と言うのも例えば「集合」を、少々の図画は誂えるしても「集合」の概念そのものを説明することなく解を導き出させたり、よく指摘される様にxとyを用いることなく多種多様な「○○算」を把握させるには、丹念なる読解とその末に当該文章題がどのパターンに該当するかを瞬時に見抜く国語力が欠かせない。
 だからこそ小学生から外国語を詰め込むよりは母国語を、と短絡的な結論にまで踏み込む積もりはないが、「読み書き算盤」たる古の序列は今もまだ生きているということではないか。

f70.jpg それでも二人とも自らのペースで進み、かつ進捗が明示的に示される公文式が性に合ったのだろうか、祐旭がD(小学四年相当)、公資がA2(年長相当)に順調に昇格したのを受け、褒美を取らせることとした。
 公資は順当にベイブレード、両名共用のポケモン・カードまではすんなり固まったが、煮え切らない祐旭分はいざトイザらスに赴いての選択である。
f71.jpg して照明を若干落としてはいるものの在庫管理が上々なのか、品揃えにも特段の支障ないトイザらスを覗いてみると、かのオーズメダルが「おひとり様ワンセット限り」の注釈付きとはいえ大量に供給されているではないか。
 この物資不足のなか責めて娯楽品だけでもとバンダイが心構えを改めたのかは定かでないから、いつ何時再びプレミアムを擁する事態に陥りかねない。かくなる上はと祐旭を促し、本人達の二人それぞれワンセットずつでとの控え目な主張を余所に、結局1~3の計9つのコアメダルにケースという大盤振る舞いとなった。
 わが国経済再興に向け個人消費の活性化をとの大義名分に照らしても、少しばかり父の勇み足か。

3月25日(金) 換骨奪胎  -音楽 - 音楽-

f68.jpg  レンタル店で手当たり次第にCDを借りたり、眠い目を擦りながらカウントダウンTVを毎週チェックしたりという歌謡曲評論家に相応しい行動を放棄して久しいが、齢四十過ぎにして懐メロ評論業に特化して仕舞うのも癪に障るので、昨今流行りのコンピレーションCDに手を染めてみた。
 「アイのうた」や「コイのうた」といったCD不況の中で唯一健闘しているジャンルだが、ラップの嵐に耐えながら修行僧宜しくは大袈裟としても、我ながら涙ぐましい努力である。
 勿論それなりにメロディアスな曲も少なくはないが、取り分け驚いたのはWISEの「Mirror feat. Salyu」という楽曲であった。
 何しろ冒頭からいきなり旋律が、ピチカート・ファイブのアルバム「Romantique96」の最期を締めていた弦楽演奏と同一なのである。この瞬間感じたのは、或いは「悲しい歌」に連なる様に流れる僅か一分にも満たないピチカートの「コーダ」もまたクラシックからの引用だったのかという連想だった。
 それは全くの誤解であり、メロディー・メーカーとしての小西康陽氏の底力が発揮された帰結に他ならないのだが、かく丸々既存のメロディーに歌詞を乗せ、そこから敷衍して構成したものを新曲と標榜する行為が罷り通るならば、オマージュかレスペクトかサンプリングかとの大義名分はいざ知らず、最早知的所有権という概念すら再構築せざるを得ない事態である。
 安易なカバーや臆面も無いパクりに比べれば余程良質だし、埋もれた名曲の発掘たる意義も少なくない。現に作曲者として小西康陽氏もクレジットされているのだから文句を付ける筋合いも無いのだろう。とは言うもののかく回帰現象の横行を創造性の欠如と憂うべきなのか、或いは模倣から新たな何かを生み出すのに長けたわが国に相応しい文化技術と看做さなければならないのか。
 ただ指摘出来ることは、ピチカートに親しんだ層に耳馴染むという商業的な戦術の要素が混在していたとしても、私もまた確かに良い曲だと知覚した現実である。即ち昨今の楽曲群よりも旧曲の再利用が心地好く響く層が多数存在する限り、この状況は拡大こそすれ、廃れはしまい。
 何れ何時の日にか、音楽とは既存のフレーズを如何に新たな装いを持たせて再構成させるかの競争に、これまでの歴史以上に転化していくのかも知れない。

3月23日(水) 個人消費  -スポーツ - プロ野球-

f64.jpg 早々に開幕延期を決めたパ・リーグに対し、当初は予定通り、転じても数日に留めるセの対応が波紋を呼んでいる。
 確かにたとえ延長なし九回打ち切り、かつ照度を下げたとしてもナイターの電力使用料は甚大だし、ドーム球場なら昼間でも空調付けっ放しにせざるを得ないから、この御時勢にとの声が上がるのも理解出来ないことはない。
 ただ選手会から「野球をやる気分になれない」との意向が斎されたのは残念だった。仰せの通りかも知れないが、多くの企業人もまた計画停電の中「働く気にならない」にも拘わらず、稼働しているのが実情である。周囲を見渡しても電気も豊富で電車も止まらない私は兎に角、遠方から三時間掛けて出社したり、停電前五時台に家を出たり、果ては会社近隣に前泊といったケースも枚挙に暇ない。
 だからこそ職業野球人にはプレイ出来る環境にある球団から先ずその職責を全して貰いたいし、そうなれば必然的に楽天の居るパとの分離開幕もやむを得ないだろう。
 暴論かも知れないが、かく事態にこそ国技・大相撲は春場所を慈善興行に切り替え開催する位の英断があっても良いのではないだろうか。

 時勢に従うことも必要ではあるが、昭和天皇陛下の御病気や崩御のあった昭和末期がそうすべきだったのは国民として当然だとしても、今般は寧ろ早晩訪れるべき復興に向け国家として経済活動を停滞させないことが慣用であり、過度な自粛モードは避けるべきではないか。
 だからこそ時期的にこの期を逃せば成立し得ない送別、従前より計画した御礼モノから夜の席も再開した。幸いにも働くことの出来る者こそが先ず、積極的な消費により景況の灯火を消さぬべく努めなければならない。

3月21日(祝) 生きている美  -育児 - パパ育児日記。-

f2.jpg  室内遊具の集積地と言えば東京ドームのおもちゃ王国が有名だがkingdomならいざ知らず、"art gallery"のネーミングにはある種身構える気配を感じさせる。
 従って、実働不可の木造のからくり工芸や古式床しいブリキの玩具が居並ぶのだろうと想像していたが、良い意味で期待を裏切られたのが、ここ「おもちゃ美術館」であった。
f65.jpg  伝統芸能的なコマやけん玉は勿論のこと、コリントゲームやパズル、ボードゲームなど、電気を一切用いず実際に稼働する遊具が満載される光景は、四谷の廃校という舞台設定と相まって優美な雰囲気を醸し出している。
 午前のピアノ教室で人に物を教わる態度でないと母にこっぴどく叱られたばかりの祐旭も、悪びれる素振りもなく、見知らぬ子供達と恰も旅先の温泉宿での一期一会の出会いの如くに、裏から磁石で駒を操るテーブル・ホッケーに夢中である。
 流石に紙の尺取り虫作りは些かアナクロに過ぎた感はあったものの、公資は「鰻」と呼んで親しんでいたので、未就学児には丁度良い案配だったのかも知れない。
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 帽子かダッコちゃん人形か宜しく風船折りに勤しむ人々も、一歩間違えると香具師や的屋の集会の如く映りそうだが、年配の学芸員諸兄が遊具の由来、プレイ要領も含めて上品に解説して呉れるので贅沢感満載である。
 中でもクアルトという見慣れぬ升目ゲーム(左写真右)が知恵を要して刮目させられたが、土産売場での頒価も相当にお上品だったのでわが家にも一台、には至らなかった。
 矢鱈と周囲に警察官が屯していたのは韓国大使館の近くだからだろうか。都心に稀少な子育てスポット、是非お勧めしたい。

3月20日(日) ヘビー・ローテーション  -育児 - パパ育児日記。-

f53.jpg 震災により旅行者が減り、かつ埋立地という土地柄も拍車を掛けたのであろう、かく事態にこそ消費拡大に貢献をと急遽予約のガラガラになったキッザニアにやって来た。
 流石に三度目ともなると大所は粗方体験済みで、パイロットの予約を抑えて待ち時間で入れた眼科の白内障手術からスタートする。しかし念願のパイロット、更にはその次のモスバーガーも含め、場所固定かつ硝子若しくはモニター越しに眺めるスタイルなので随行員に取っては今ひとつ物足りない。
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 そこで折しも昨日外観は完工に至ったスカイツリー建設の大林組に赴くと、矢張り動きのあるものは判り易い上に、公資はツリーの吊り上げ、祐旭は古式ゆかしき公共事業で架橋に勤しむとはバラエティに富んでリピーター対策も万全である。
 しかしここからの後半戦は打って変わって忙しく、時計台のダンス練習に待機する祐旭を置いて公資はマジックを予約したが、戻ると時計台に空席があり急遽公資も参画しひと息ついたところで珍しく公資がポンポンでなくトランペットを抱えての踊りをと駄々を捏ねる。
f59.jpg 已む無く公資をマジシャンの列に据え父は階下から祐旭のダンスを鑑賞し、今度は満足気に踊り終わった祐旭を同じ二階で人気薄のラジオ局に放り込む。この作業を単身、しかも二人とも食べないモスの成果物たるハンバーガーを抱えて亘り歩くのだから気忙しい。
 漸く手品師とDJで両者の時間帯がシンクロしたが、今度は双方とも終盤の本番は保護者の立ち会い可だから体がふたつ欲しくなる。幸い階段を挟んで至近距離にあったため文字通り梯子が可能になったが、まさに綱渡りであった。
 残り時間の迫る中、祐旭はあとひと枠のカメラマンに押し込み、公資は望み通り最終回のトランペットのダンスに滑り込む。弟の勇姿を兄が撮影するコラボレーションには間に合わなかったが、そもそも桟が高過ぎるのか階下から臨んでも主たる顧客たる小学校低学年以下層の顔が見えないのは時計台の今後の改善点として提起しておきたい。
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走れ!カメラマン/もう頬杖はつかない/あの鐘を鳴らすのは
 随分と勝手が判ってきて二階の穴場を中心に攻めたとはいえ、予約なく入場可が多かったのは結果的には第一部のみ興行になったとはいえ通例よりは集客が少なかった為だろうか。
 時節柄東京電力は休業中だったが、改めて概ね名立たるアトラクションをひと周りして感じたのはサービス業が目に留まらないことである。
 確かに自動車やバスの如く客に扮する側から対価を受け取って接客を成立させたり、ANAでも乗客とCAを交替で演じるなど工夫を凝らしているが、立ち会いの手サインも無くなった証券もアナリスト業は常に閑古鳥だし、祐旭の如く「お給料が高いお仕事しかしないからね」と宣い、寸暇を惜しんでキッゾ数えに興じている子供も居るから顧客にはこと欠かなくとも、子供に札勘をやらせるのも難しそうである。
 或いはサービスは日常生活で触れ易いから敢えてここで体験する必然性に欠けるのだとしても、思い切り"ハレ"の世界の水商売という訳にも参るまい。
 そろそろリニューアルも課題に登ってくるだろうから、「子ども議会」に加えて「子ども取締役会」も是非検討願いたいところである。

3月18日(金) 去る者日々に疎し  -ビジネス - ビジネス-

f52.jpg  役所でも民間でも組織である以上げに逞しきは「業際」である。
 勿論それが単なる職務の押し付けに終わっては停滞を斎す兆候に他ならないが、仕事の奪い合いであるならば、一面では組織維持の為の自己目的化の側面も否めないものの、旨く機能させれば切磋琢磨に依る活性化というプラスの側面も勘定し得る。
 しかしながら業際が課題となる職責同士は端から内容も、或いは対外的なポジションならばその相手先も似通っているから、効率性を重視してその相互間で人事異動が行われると、両者の融合が進むかと言えばそうは問屋が卸さない。
 新任者にとって前任者が対象の著しくラップする職務に居座り、大手を振って前ポジションにて培った人脈を駆使する姿を見るのは苦々しいものだろう。
 しかしまた微妙に位相の異なったセクションに奉じた前任の側も、ストレートでないにしても前部局が機能しなければ自らの仕事量が増えるトレードオフの関係にあるが、それは先程の段に則れば縄張り或いは情報という名の権益を増大させる喜ぶべき事態とも云える。かつまた実質的に近似したセクション相互を統合させる合理化という意味では当該組織総体にとっても決してマイナスではない。
 ただ一方でたとえ現下が糾合すべく強者の側に身を寄せていたとして、嘗てそれに対峙すべくポジションにあったとすれば、自らが前任たる部局が余りにも易々とジッツを差し出すが如くにそのパワーを貶めつつある窮状には、内心忸怩たる想いもまた打ち消せない。
 だからと言って口を出せば小姑だし、出さなければ立場が変われば180度意見も変える変節漢である。板挟みと認識すべきなのか、敢えて出来る限り従前の位置に伴う関係者には必要のない限り接触を避けるべく配慮をしている方が考え過ぎなのか。
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