コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

12月31日(金) 雪が降る街に  -育児 - パパ育児日記。-

e951.jpg 昨年に次ぐ湯沢の冬である。年末年始は吹雪も予想されたが幸い小振りのためお馴染みの岩原スキー場へ赴く。ところが驚くことに例年ドル箱となっているであろう、橇用にベルトコンベアを設けた子供用ゲレンデが消滅しているではないか。
 確かにゲレンデの最下部に傾斜を設けて区画するには今冬は積雪が足りなかったという解説は理解出来ようが、これを目当てに訪れたわが家としては溜まったものではない。おかげで公資は平地で滑らない橇に跨がったり、氷雪と化したジャリジャリの路地にスコップを刺しての辛い雪遊びにとお茶を引いて仕舞った。
 ところが目を疑ったのは祐旭で、本年初はご老体率いるスクールで前進にも汲々としていた筈なのに、父が帝都残留だった春に未曾有の進歩を遂げたのか、妻とともに立派なボーゲンで滑降して来るではないか。
e952.jpg 確かにここ岩原は初心者向けのナダラかなコースで著名ではあるが、スキー音痴の父を余所に子供の成長は早いものと感嘆した。
 なお後に子供用ゲレンデは右舷に移設されていたことが判明した。お出掛けの際には気を付けて。

 夜はまた紅白をスルーで鑑賞する。メドレーの多さが一年を代表する「ヒット曲」なき時代を象徴しているが、目玉である桑田氏が一寸痩せられながらも元気溌剌だったのには安心した。
 「トイレの神様」はさだまさし風と思いきや落ちがなく長くて退屈極まりなかったが、熊倉一雄氏の生ゲゲゲの鬼太郎が聞けたのはヒットだった。
 今年も一年ありがとうございました。

12月29日(水) さらば宝石

 沢木耕太郎氏の「敗れざる者たち」に収録された表題作を読んだのは大学生の頃だったろう。プロ野球評論家を僭称している身の上として、主人公たる榎本喜八氏に関して些かの知識こそあれ、氏が引退後まさに世捨人の如くイントン生活を送られていようとは恥ずかしながら初耳であった。
 ただ名球会のチャリティー・ゴルフ等で氏だけが常に「欠席」とされていたことは記憶に留めてあったし、後に雑誌ナンバーや松井浩氏の著作で榎本氏自身の口から実態が解明されるまでは、この「さらば宝石」が氏に関する唯一の手掛かりだったと言っていいから、寡聞であったとしても責められまい。
 当時も高円寺に住んでいた私は、酔狂にも友人と榎本氏の自宅付近を訪れ、曾ての地主であったのだろう、辺り一面に「榎本」の表札が並ぶ中、バッティング・ゲージらしきものを発見して鷺ノ宮を後にした。

 この「宝石」とは一義的には野球のダイヤモンドの含意であるが、同時にそれを「喪われつつある得難いもの」に見立てたところに沢木氏の慧眼があるのは次の引用からも明らかだろう。
 Eはいまだに「さらば」といえないでいる。いつになったら断念できるのか、いったいダイヤモンドに何を忘れてきたというのだ。
 同時にこの文脈を追う限り、脆く儚いものの代名詞としても受け取められそうだが、ダイヤモンドが典型である様に現実の宝石は音を立てて崩れる柔な造りではない。
 だから私が又してもこの「さらば宝石」というフレーズを借用するにあたって、過ぎしこの一年において何か得体の知れぬ焦燥の中で、自らの存在証明を他者に依存されることに求め、その実それ自体に依存していたという構造は、本来宝石の名に値しないのかも知れない。
 ともあれ、Eが「さらば宝石」と言わない限り、overreachersとしての物語は完結しない。
ともあれ、overreachersで無かったとしても、そうであらねばなるまい。

 レコード大賞の前夜祭で驚いたのは、すっかり「異様に器用な司会者」が板に付いた堺マチャアキ氏の歌声であった。
 幾ら「さらば恋人」が比較的起伏の少ない唄といえども、現役「歌手」振りには敬意を表したい。未だにディナーショー等では美声を奮われているのだろうか。

12月27日(月) 有楽町で逢いましょう  -政治・経済 - 経済-

e949.jpg 84年に旧帝劇、朝日新聞跡に華々しく誕生した時分は帝都を離れていたので馴染みが少ないが、寧ろバブル期以降ファッションに特化して食料品売場の無い異色の百貨店として君臨していた有楽町西武の印象が強い。
 それは服飾に殆ど関心の無い私に取っては、映画の前に妻とカラクリ時計の前で待ち合わせた折に、少々早く到着したからといって書店やレコード店を嘗めることすら叶わぬ、不便な百貨店に他ならなかったが、食料品の廃絶という乾坤一擲の大勝負が、後に訪れるデパ地下ブームの恩恵に肖る可能性すら無くしたのは皮肉な暗転だったし、セゾン・グループ全体の凋落とともにブランド・イメージたる旗艦店との意義も失われた。
 資本力の差こそあれ敢えて道を挟んで向かえに店舗を有しながら帝都におけるシンボルとしてともに出店した阪急が未だに命脈を保っていることに鑑みれば、その短い生涯には試行錯誤の末の結末の儚さに感慨を禁じ得ない。 後継にはルミネの入居が決まった。新宿、荻窪のイメージの強い大衆店舗的なルミネに「銀座」が似つかわしいとは言い難い思いもあるが、有楽町駅前という電鉄系百貨店の古式ゆかしい発想に回帰すれば、JRの「駅ナカ」からの"進出"は妥当な結末なのだろう。
 あの「マリオン」たる何とも蠱惑的なイメージを再構築出来るかは、また別の話になるが。

 年末押し迫っての連立騒ぎ。政策の一大転換こそあらばまだしもここで「たちあが」る大義は薄かろう。先ず「座り込み」が正解か。

12月26日(日) 需給ギャップ  -スポーツ - スキー-

e950.jpg 年末年始の湯沢に備え、妻がスキー購入を試みるが、存外な高額に怯んでふと思い付いたのは子供用スキーの転用であった。
 結果的には安全面から大人には売れないとの予想された帰結だったが、実際のところ妻と15~16歳程度の男児では体格に大差なく、寧ろ子供用の方が身長に比して板長も短いから使い勝手も良い。
 老若男女が参画し、高額な道具を用いる競技としては他にゴルフが想起されるが、非力な男性がレディース・クラブを使用することに何等の障害も無い。但し価格差も小さいから著しいコスト低減は叶わないし、子供用は極端にバリエーションが少ないから対象になり得ない。
 詰まり安価な子供用器具の転用という問題はスキーに特有の事情かも知れないが、そうであったとしても祐旭用に少し大きめのサイズをと偽って購入すればクリア出来る程度の壁である。
 要はスキー人口の減少の中でわざわざ自前のスキーを購入するのはヘビー・ユーザーに限られるから嗜好品であっても需給バランスが取れ、本来ならば初心者向けとしてラインナップされて良い子供用の安価な製品の延長線上にある成人向けが供給されなくなったのだろう。
 従って成人期を迎えてからのスキー・エントリー層はレンタルに流れ、道具を所有したからプレイせざるを得ないとの心理に流れることもなく、スキー人口の拡大に寄与しない負のスパイラルに陥るのである。
 現実にはスキー用品店としてはより量販の見込めるスノーボードの品種を充実させれば充分ペイするから、今更安価=薄利な成人向けスキーを提供する意思は無いのだろう。経済原理とは儚いものである。

 検事総長に次ぎ駐露大使も更迭となった。信賞必罰の観点からトップが責任を取る姿勢は理解出来るが、「政治主導」であるならばとくに、その上官である大臣の責もまた問われて然るべきだろう。
 幸か不幸か法相は既に職を辞しているし、大使は自民党政権期の人事との抗弁の余地もあろうが、蜥蜴の尻尾切りの如く様相は釈然としない。

12月25日(土) Merry Wii  -育児 - パパ育児日記。-

e946.jpg 小学生時代の友人宅で、折りからのTVゲーム時代に先駆けてブロック崩しに魅せられて以来、居間にゲーム機を据え付ける光景には憧れを抱いていた。
 が実際には妻と二人きりだった時分にプレイステーションを導入して人生ゲームの類に興じた子供の様な経験こそあれ、砲弾が飛び交う様な画面が茶の間を占める事態は敢えて回避してきた。
 しかし遂にこの遊戯アナログ主義にもピリオドが打たれる日がやって来たのである。小学生の大半が何等かのゲーム機を有しているこの時代に、祐旭もそろそろわが家における欠落を意識すべくなり、個人の世界に籠りがちなDSやPSPよりはとの配慮に基づく父母の誘導の成果か、今年のサンタへの依頼はWiiへと収斂されたのであった。
e947.jpg 明けて25日は朝から大騒ぎである。先ず登場するキャラクターの作成に始まり、内包されているマリオの25周年クラシック版、更には最新のマリオと進む。慣れていないだけにコンティニューの嵐だが、興奮振りが微笑ましい。
e948.jpg しかも父も御相伴に預り、夜半家族が寝入ったところでWiiスポーツ・リゾートのゴルフに挑戦、簡易な造りなためにいきなり3ホールでアンダーパーを達成して仕舞ったが、マン振りするとメーターが振り切れ左右にブレる様が伺えるし、何よりも普通にスイングしても開いてスライスする傾向が一目瞭然ではないか。
 飛んだところでスイング・チェックに役立った。実践に寄与するかどうかは別としても、いい運動にはなりそうである。祐旭にはTV鑑賞と併せて休祭日2時間、平日1時間との厳しいお達しがあるので、父がはまらないよう気を付けたい。

 なお公資には品薄のままのオーズベルトを所望され、やむを得ず今年もオークション・プレミアムを払い、祐旭にWii本体とは別個に父からソフトを授けたように、メダルを調達したかったが、すんでのところでカンドロイドが店頭に並び事無きを得た。
 クリスマスを超えなお入荷未定では一時のハイブリッド車ではないが需要を失っているとしか想えないが、如何なる経済合理性に基づく判断なのか、バンダイにヒアリングに赴きたいところである。

12月23日(祝) 範を示す  -政治・経済 - 天皇陛下・皇室-

e943.jpg 喜寿を迎えられた今上天皇陛下の会見で、加齢に伴う現象に率直に言及されたことが大きく取り上げられている。
 「アナウンサーの発言は判るが、他は可成り字幕に頼っている」との指摘は、エンターテイメント系の番組が対談中心の長回しが主体となり、単発の発言を拾って強調せんがための字幕乱発傾向にかねがね画面の煩さ故の不快感を抱いていただけに、高齢者にかく効用があることを再認識させられたという意味で、まさに国民の象徴たる皇室の姿を体現されたものと、畏れ多い物言いながら有り難くお言葉を頂戴した。
 しかし想えば昭和天皇陛下の御病気の際には玉体にメスを入れるべきが真剣に取り沙汰されたことに鑑みれば、自ら体の衰えを吐露されたのには隔世の感に堪えない。
 これも畏れ多い曲解ではあるが、或いは陛下は体調が必ずしも万全で無いと公言されることにより、皇后陛下や皇太子妃殿下はじめ皇族の病という現実をも併せて訴え、まさに「人間天皇」を地で行く行為を通じて、過度の神格化を否定し切れない皇室のあり様に何等かの訴えを為されたかったと深読みすることも出来まいか。
 ならば「何時迄もお元気で」と述べることすら本意に反するのかも知れないが、国民のひとりとして、高齢化社会における老いの姿を自ら示し続けられる陛下の決意に、深く頭を垂れたい。

12月22日(水) リアリストの衣を脱いで  -政治・経済 - 政治-

e942.jpg 大学卒業から18年も経過すると、各々の置かれた立場も様々で必然的に話題も乖離を余儀なくされる。
 今日は四月に次ぐ、サークルの他の大学系面子を主体とした忘年会だったので、マクドナルドでもウルトラマンレオに登場したひ弱な怪獣攻撃隊でもないMACに纏わる情報交換こそ別の世界の話と聞き流していたが、経済界というよりは寧ろ役所に近い世界に身を置いているだけに金融話に至ると、恐らく業界では当たり前の用語すら把握出来ず、己の知識の欠落に頭を抱えざるを得なかった。
 折角戴いた高価なワインを持ち込むという立派なお土産まで用意した効用か、何とかこちらのフィールドにと主宰者の配慮もあり二次会では政策談義にシフトしたが、これはこれで上げ潮派的な税財政政策を主張しても「国家財政が破綻するシナリオをも考慮した対処策を一方で念頭に置かないと空理空論」と一刀両断され窮地に追い込まれた。
 確かに頭の体操が足りなかったのは否めない。ただ「現実主義者が夢を語るべく宗旨替え」と看過されたのは嘆くべきなのだろうか。
 恐らく大学時代の集団は世間一般に比べ高学歴かつ高収入であり、取り分け本日は学者色が強いだけに尚更、社会民主主義よりは国家・国益の感覚に富む傾向が強い。勿論パイの拡大と分配の拡大は両立するが、規制改革や民営化に光と影があった様に、何か新たな事を進める際に現実的なストレスが生じることは少なくなかろう。
 その中で私のポジションはサラリーマン的には"改革"主義者であって、例えば企業内でその種話題に及べば新自由主義的な位置付けにアサインされるが、この面子の中では現実の制約に拘泥する守旧派のレッテルを貼られるのが常であり、敢えて法案の成立や自治体における実務面への配慮までも見据えた現実に立脚すべきとしてその烙印に甘んじて来た。
 その私が何故夢想家として糾弾されなければならないのかという疑問は、即ち国民を現実の困難に直面させることなく甘言を弄するに堕したという、まさに2006年に上げ潮派に向けられたのと同じ断罪に根幹を発している。
  この段で述べれば国家経済が破綻に近似する状況に陥ると仮定して、その際に如何に外部要因を総動員して乗り切るかとのシュミレーションをひとつの前提として抱いておくことが必要なのは指摘通りであり、かく知見を欠いていた不明を恥じざるを得ない。
 ただ困難をそのままストレートに国民の目に晒すことだけが政治の役割なのか。棘の道であることを隠蔽してはならないが、一方で今ならまだ間に合う少しでも明るい未来を示し、それに向けて処方箋を提示していかなければ、国民の理解と同意を得ることは決して出来ない筈である。
 それはポピュリズムだと新たな断罪が下る前に、処方箋自体を構築するのみならず具現化に寄与するべく、クダを巻かずに自ら事に当たれとの指摘は全うに他ならない。ならば貴方方は安全地帯で洞が峠を決め込んでいまいかとの反論は呑み込んで、先ず隗より始めよとの激励と受け止めよう。

 結局お開きは二時半だったが、赤坂見附駅横のタクシー乗り場に人が溢れている光景に久々にお目に掛かった。忘年会日和だっただけかも知れないが景気も回復基調なのだろうか。
 平成23年に幸多かれ。

12月21日(火) 味方は誰だ  -政治・経済 - 地方行政と政治-

e944.jpg 知事、市町、住民投票のトリプル選となる明年二月の愛知の地方選は、現職自民党議員の民主系現職市長との連携による自民党の実質的な分裂に加え、前回知事選に惜敗した現職民主党議員の市長選出馬で二重三重の捻れの様相を呈してきた。
 そもそも自民党としては今や"王国"と化した河村市長の牙城を崩すためには敢えて知事選での与野党対決を避け、民主と組んで河村潰しに動くとさえ予想されていたにも拘わらず、思いも依らぬ展開である。
 ただ事ここに至れば、勝ち馬に乗るという現実的な選択以上に、敵の敵は見方とばかりに敢えて「河村―大村」連合を取り込むような度量の大きさが必要ではないだろうか。
 それは勿論戦術的な要請にも違いないが、同時に河村―大村の「減税日本」が橋下知事の「大阪維新の会」、更には四月の都知事選出馬と目される東国原宮崎県知事らと連動する都市新党的な動きとの共鳴をも意味するものである。
 このまま菅政権の支持率が下がり、自民党にも民心が回帰しないままに統一地方選を迎えれば、恐らくは「第三極」に一定の支持が集まることが予測される。だからこその危機感が「大連立」の如く蠢きを生じさせてもいるのだろうが、それが具現化すれば必然的にみんなの党を加えた都市新党との連想が無り立つ。
 即ち既存の二大政党制の限界をもまた示していると読み解くことも可能だが、一方で国家を都市部と非都市部に二分する様な枠組みが現れることは決して健全な姿ではない。
 確かに自由民主党は地域に強く、民主党が都市政党であったのがこれまでの実情だが、経済的自由主義と社会民主主義との観点から捉え直せば寧ろ自民党こそ都市居住者の代弁者たり得る筈だし、現に民主党は都市から地域にウイングを拡げた故に政権交代を成し遂げたが、その帰結としての軋みが現れているのは既に述べた通りである。
 従って自由民主党こそが、都市新党を呑み込んで今にも現出しようとしている都市と地域の亀裂をオブラートにくるみながら、「国家の均衡ある発展」を「調和ある発展」にシフトさせていく舵取りを務めなければならない。 そうすれば神奈川、埼玉といった典型的な都市型議員の経歴を持つ首長や、幾分小振りではあるが創新党の如く勢力の知恵を活かしていくことも可能だろう。
 二月の愛知はその前哨戦として大きなメルクマールとなるのではないか。

 捨て石と言っては失礼だが誰にも負け戦と思われながら敢えて渦中の栗を拾った石田衆院議員には一定の敬意を表さねばなるまい。
 ただひとつ気になったのは、政策として市議を執行部に登用しての疑似議員内閣制を掲げたことである。
 そもそも中央は議員内閣制であるにも拘わらず、地方は首長と議会の二元代表制を採用したのは米国の意向もあろうが、国家を舞台としたひとつの壮大な実験であった筈である。
 結果的にこれまでは70年代の革新自治体旋風の時期を除けば首長は主要政党の相乗り、議会はオール与党となることで大統領制下の如く首長と議会の対立は表面化して来なかったが、二大政党制下に中央で政権交代が成立した余波と、都市対地域の気運が高まる中で、実態は別として改革派首長と現状維持の議会という構図が色濃く演出されつつある。
 勿論、河村市長と議会の対立を前提としたアンチテーゼであり、当選の可能性が低いからこその大胆な問題提起かも知れないが、寧ろ議員内閣制の限界すら囁かれる時代に逆貼りの試案は政治のあり方に一石を投じるものとは言える。

12月20日(月) 芸者の腕  -音楽 - 音楽-

e945.jpg 年配の方々とカラオケに興ずる際に先ず悩ましいのは何を唄うかである。そもそもカラオケ自体は好みだし、出向時代には股間に白鳥を付したり全身緑装束をまとったりと乱痴気騒ぎも繰り返していたが、基本的には糞真面目に大声でガナり立てることで却ってその真剣さが笑いを醸し出す戦術である。従って毎度手合わせに事欠かない仲間打ちであれば黙っていても定番の楽曲が転送されるだけで最低限のお務めを果たせるが、初顔合わせとなると流石に場を読まなければならない。
 先日は偶々ピアノの設置されたクラブに連れられオケに合わせて弾き捲っていたが、こうしたシチュエーションには滅多にお目に掛かれないし、嘗て絶好の切り札だった裏声での女性ボーカルも加齢に伴いすっかりその能力を失って仕舞った。だからと言って只菅拍手と声援に徹するのも芸が無いし、勝手に大声でハモりを付けるのも憚られる。結果、先方の曲選択の進捗を垣間見ながら、空白が生じた場合に備えて慎重に埋め草を身繕っておくことになるが、お開きムードに移って出番が回って来るのは接遇役として失点だから間合いが難しい。
 選曲にセンスを要するのも当然だが、腕の見せ処としてはオーラスに何を配置するかで、本日は定番のメドレーものを参加者の年格好に合わせて勝手に入力して事無きを得たものの、接遇の店舗、地域に相応しい替え歌という古式ゆかしいスタイルもあることを改めて思い知らされた。<>  余りキャラクターに似合わない"芸"を磨くのも難航しそうだし、ひとまずはもう少しソフトな唄い方で一定の受けを狙える戦法に切り替え、その上で世代別ツボにはまる楽曲集でもメモしておこうか。或いは徳永英明氏や稲垣潤一氏の如く、女唄の男声に活路を見出だすか。

12月19日(日) 打ち納め  -スポーツ - ゴルフ-

e940.jpg  先週の連荘で打ち納めと思いきや、敢えてもうひとラウンド自ら設営するのだからゴルフ熱にも程があろう。しかも最終回に相応しくとばかり敢えてお値段も上積みし、2年振りのおおむらさきにお目見えである。
 ドライバーが右に流れる不吉な立ち上がりから、生命線のウッドにも安定を欠き、漸くショートでパーを稼ぎ回復基調と思いきやまたバンカーで叩き前半ラストは10。Br  昼に70度ウエッジでバンカー練習に勢を出したものの、後半もバンカーに捕まり折角の二度のツーオンは何れも4パットとは悲惨である。
 結局天中殺の如く今年を象徴する様な110超えとは何とも締まらない終焉ではないか。
 責めてもの救いは近隣を選択した上にスタートも早め、風呂も入らず帰ったら関越の出口すらスムーズという望外の展開で15時には帰着出来たことだろうか。

 これで本年は19ラウンドと、出向最終年の月二回ペースには及ばないものの同じく一年目に並ぶ二月に三度を数えたのだから精力的には違いなかったろう。ただ年間二度の百切り、全ラウンドでのパー獲得等、記録からも進達の軌跡は伺えるものの、終わってみれば平均106.7と昨年比0.8のみ改善では又しても亀の歩みである。
 取り分け年後半に掛け間隔が縮まっていったが、替わりに練習に赴く機運が失われるからトータルでの運動量には大差ない。
>  寧ろ機会が増えた分だけラウンドに臨む緊張感を欠いたきらいがあり、来年はもう少しピンポイントで「節目」のラウンドを設け、「調整」と切り分けて配置すべく策を練りたい。
 そこまで入れ揚げる必要があるのかとの指摘はさて置き。
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