コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

11月29日(水) スヰムで行こう  -育児 - パパ育児日記。-

e919.jpg もう記憶も薄れつつあるが、小学校低学年の横浜市は青葉台時代には隣の藤が丘まで教室に赴いていたのをうっすらと覚えているし、高円寺に移ってからは今は亡きFITに通ったものである。
 その成果は中学に入って600メートルの遠泳という形で表れたが、それも平泳ぎだから可能ならしめたもので、クロールは最大限でも25メートルを超える程度に留まったのは、息継ぎに難があったのは明らかである。
 ただ妻も得意種目は背泳ぎであり、この父母の畷を踏ませぬようにとの配慮でもないのだが、祐旭には断続的に水泳教室に通わせてきた。
 その甲斐があったのだろうか、何時の間にかクラウチングスタート姿勢からの簡易飛び込みで10メートル以上、顔を付けたままバタ足で進めるに到っているとは立派なものではないか。
 昨日は初の個人レッスンだったため、終了後指導員氏から「顎が上がり腰が引けることがあります」との指摘を受けたのは疲労によるものだろうが、小学校生活における運動の優劣は如実に力関係に作用するものだから、何かひとつ位は秀でるまでは及ばずとも対等に戦える競技を作っておくことは重要である。
 ただ「4時から個人レッスンを申し込んでおります粥川と申します」と大人顔負けの口上で登場し、返す刀で父に「小さい方が僕だからね。先生と間違えて旨くなったと思わないでね」と持ち前の剽軽さを発揮する祐旭が、楽しんで取り組んでいる風情を伺えたのが、見学の何よりの成果だったろう。

 沖縄知事選が順当な結果に終わり、"不戦敗"だった民主党は胸を撫で下ろしていることだろう。勿論、仲井間氏続投が決まったからといって再度辺野古移設に漕ぎ着けるのは至難の業だろうし、身から出した錆なのだからその責を負って戴かなければならない。
 ただ他力本願で対話の糸が繋がったのはまだ一筋の光明があると銘すべきではないか。

11月28日(日) コストに見合う  -育児 - 保育園-

e918.jpg 個々の幼稚園には個性があり、だからこそ競争も促進されるのは民間経営の利点良である。しかしながら父母の参画を強調する余り保護者の無償の寄与を求めるのも、度が過ぎれば考えものだろう。
 そもそも園児の絶対数が毎年増加している上に、補助金の都合上今更旗を下ろせないのか、狭い園庭は数年に亘る芝生育成の失敗が祟って入場禁止では、バザーと名打って人を集めても寿司詰めで身動きも出来ないのは自明の理であろう。
 しかも矢鱈と手作り感に拘り支出に厳しいおかげで、クラス役員の妻は平日の事前打ち合わせに、前日土曜は飾り付けに終日拘束と、労働コストは鰻登りである。
 考えてみればPTAとは対価の無い、自発的な奉仕により成り立っているという点で執行部とフリーライダーの同居を許容するサークル活動に近似していると言えなくもない。
 ただサークルはベースとして同好の士の集まりという友宜に立脚し、幹部は好き好んでその責務を負っているとの前提があるのに対し、PTAの役員は必ずしも望んで席を温めているとは限らない。従って、役員間にも温度差があり、単に物理的な自由時間の多寡に拘わらずこの種催し事に甚大なる情熱を傾ける御仁に取っては完成度を極める方向性こそが美徳であっても、そうではない伴食大臣の側との間には不協和音が拡がるのは避けられない。
 現職の公資は友人と、OBの祐旭は旧交を深める余裕も無かったが、輪投げや的当て、更には導線上人が過剰に集まり一時間近く待たされた製作に興を出し、お土産も貰って楽しそうではあった。ただ少なくともこれ程に大きな父兄の負担は幼保一元化には程遠い世界には違いない。
 もう少し園児を喜ばすに足る応分な負担の範囲に留めるべく合理性、乃至は攻利性に目を向ける父兄は現れないものだろうか。一参加者として文句を付ける謂われも無いが、恰もわが国の過剰品質を追及する善意が余り引き起こされる過剰労働、過剰コストの構造を体現する様で、一言苦言申し上げたくなった。

11月26日(金) 一寸先は  -政治・経済 - 民主党・菅直人政権-

 臨時国会最終盤に二本の問責決議が可決された意義は小さくない。先例に倣えば辞職か、少なくとも次の国会に同じ職で登院したケースは無いから、野党は今国会は元より次期通常国会においても両氏の参画する審議には一切応じないのが筋であろう。
 ただ現実には必ずしも野党側も一枚岩とは言えず、審議拒否を貫いた際の世論の反応を見据えて交渉の足掛かりを残すために、来週も衆院本会議を立てたり党首討論を要求したりと硬軟両用の対応となっている。
 勿論、通常国会冒頭から過度に追い詰める必要はなく、何れ三月の予算関連法案審議で政府は立ち往生するから焦点は予算引き換えの退陣に絞るという戦術はあろう。
 しかしながら安易に審議に応じれば新たな先例を作ることになり切り札である問責の効用を失いかねないから、事態は何方が突っ張り続けられるか、チキン・レースの様相を呈してきた。
 政府としては、先に兜を脱いで内閣改造に踏み切り、離党―新党旗揚げも噂される小沢グループの取り込みを図る一石二鳥の技もあり得るが、そもそもこうしたシナリオを描ける司令塔が不在だからこその迷走であるし、よしんば実行出来ても三月危機を乗り切れるだけの支持率の回復が見込めなければ、統一地方選で惨敗して野垂れ死にである。
 果たして政局が揺れる度に誠しやかに語られながら未だ嘗て一度も成立したことのない「追い込まれ解散」或いは「大連立」は現実見を帯びるのだろうか。
 後者を選択したドイツでは事後の総選挙において、一度目は政権に参画した旧野党側が政権担当能力を得て勝利―即ち、福田政権期に小沢氏が描いたシナリオである―直近昨年選挙では第二党が惨敗し連立不参加の中間政党が躍進する結果を招いている。
e917.jpg  但しそれは比例代表ベースだからこそで、わが国においては政界再編が必定となろう。
 一寸先もまだ見えない。何がわが国にとって幸福かはまた別の話しだが。

 大学時代のサークルは国内26大学委員会に亘る大仰な組織だったから地域毎のカラーやまとまりがあるが、本日は久々に旧関西系のそれに参画してみた。
 毎度の如く飲み過ぎてへべれけになり、嗚呼写真を撮り忘れたかとカメラを覗くと、しっかりと記録が残っているではないか。
 出向時代、前後不覚になり恐る恐る後から状況を伺うと、きちんとタクシー券渡してお辞儀して見送っていたと諭される事態がままあったが、本能とは偉大なものである。帰巣本能も機能して一寸先は闇にならなくて良かった。

11月25日(木) 民社の遺伝子  -政治・経済 - 政治-

 政治に興味を持ち始めた頃、今は亡き民社党という政党には鵺の如く印象を持ったことがある。
 それは社会主義を掲げながら国防に付いては寧ろ自民党以上に右寄り、という表現が正しくなければ現実主義であったとともに、春日一幸氏という保守政治家以上に"土着"の香り漂うキャラクターに代弁される、野党の地位に定着してからの民社のイメージが強いからだろう。
 ただ解党から15年余を経て、元党本部職員の筆による「民社党の光と影」を読んでみると、改めてプラグマティズムの苦悩が浮かび上がって来る。
 明確に東側陣営に位置して非武装中立を標榜する社会党に対し、現実論から自衛隊合憲、日米安保の暫定容認との民社の主張は、左右対立激しき折には解り易い訴求力に欠けたし、理論よりも実践、耳目を集め易い尖鋭的な大衆行動を求める若年層、即ち潜在的な野党支持層の共感を得ることも難しかったろう。
 それでも今となってみれば、経済成長の果実として分配の拡大を求め、春闘を徒らに政治闘争に敷衍しない旧同盟系労組を支持母体にした穏健な社会民主主義思想こそが、所謂オールド・リベラリストとも通底する、わが国において成立し得たかも知れないもうひとつの政権形態のバックボーンであって然るべきではなかったのかとの想いに駈られる。
 だからこそ岸内閣が安保闘争で退陣した後の西尾首班構想もあり得たのだが、塚本、大内という歴代委員長のうち二氏までもが最終的に自由民主党に籍を置いた事実を持ち出すまでもなく、社公民乃至は江公民("江"は社会党右派の江田派)と自公民の間を揺れ動いた挙げ句、その福祉、再分配の思想は自民党政権によって具現化される、補完勢力以上にはなり得なかった限界もまた明確になる。
 畢竟、現在の民主党はあり得べきもうひとつの政権の姿を民社党結党から50年を経て体現したものなのだろうか。或いは旧総評系労組の闘争至上主義が未だ幅を効かせる中で、今後予想される政界再編において、現実主義、国民国家の尊重と国防重視、中小企業を含めた経済成長思想という"民社の遺伝子"は何等かの鍵を斎すのだろうか。
 それは見果てぬユートピアの如き高き理想への道程と等しく、眼前の瑕疵への地道な改良という過程をわが国国民が如何に評価し得るかに掛かっているのかも知れない。

11月24日(水) Modern Man  -音楽 - バンド活動♪-

e917.gif お釈迦になったCDライティング専用機が末期にはファイナライズ機能が死亡していたのだろう、当該機では再生出来た筈なのに、汎用機に認識されないCDを量産する事態に陥っていた。
 大半は整理した筈なのに久々に学生時代に友人と作ったアルバムを、単身ゴルフ場に向かう暇に車載CD再生機に入れてみるとウンともスンとも言わないではないか。
 別に今更どうしても聴きたい訳ではないが、CDの形になっていないことがコレクター性分には耐えられない。 そこで久々にSONYのMDtoPC機を登場させ取り込み作業に勤しんでみた。テープでサークル仲間に頒布しただけなのにシングル版や別バージョンもあったりするから、一部は原盤テープからMDを経由してと意外に煩雑になる。
 取り分けアルバム製作の引き金となった、同じサークル面子のH氏のヴォーカルをフューチャーした「小樽の海風」は、最終的に打ち込みオンリーになる前に一部手弾きしたお蔵入り版、私が全楽器をオーバーダビングしたデモ版も発掘され、どれを収録しようかと悩んでいると大瀧詠一氏の心持ちに少しは近付こうかとの風情である。
 振り返れば高校時代にも小学生期から続いたバンド音源のトラックダウンや再編集を飽きもせず繰り返していたが、過去への憧憬心が高まるのは満たされぬ現況からの現実逃避の裏返しに他ならない。更に言えばこのアルバムを作っていた大学四年の後半もまた、腑抜けになったが如く何事にも億劫になる程の葛藤を抱えていた反動が、創作活動に走らせたとも言える。
 逆算すれば音楽と文章という発露の相違こそあれ、このコラムが多岐に亘り充実すればする程、自らの存在証明のための捌け口として心理バランスを保たせている証左と看做すことも出来る。
 螺旋階段を回った先は、たとえ二次元では同じ位置であってもワンステップ登っているのだと信じたい。

11月23日(祝) ミータリアン

e915.jpg 結婚して五年余は二人だけの生活だったから特段そのシチュエーションに違和感を覚える謂われはないのだが、今となって日々何をしていたのかと問われれば記憶に乏しい。恐らくは大学時代の友人達の結婚式二次会運営に血道を上げていたり、自家用車もない中で今以上にゴルフ練習に勢を出したりと、それなりに忙しい毎日だったのだろう。
 本日は息子達が長時間の水泳教室のため、実に久々に夫婦でランチと洒落込んだ。しかも新宿はパークハイヤットの最上階、ニューヨークグリルとはわが家に似合わぬゴージャス振りではないか。
 生ビールもなく滅多にお目にか掛からない小瓶一本1100円には閉口したが、実に私向きの前菜ビュッフェ取り放題でふんだんに肉を採取した上に、メインの肉も予想以上に大きく、かつデザートにアイスクリームを盛り盛りと、些か満腹中枢が刺激される前に胃袋を豊穣にし過ぎであった。
 今でも子供が寝入った後に妻と問わず語りで話すのが最も落ち着く時間だし、そういう意味では改めて夫婦二人で会食の場を持つ必要性には薄いのだが、偶には消費拡大に貢献するのも良いものである。
e916.jpg  奇しくも昨日は「いい夫婦の日」、これからもよろしくね。

 して本日は五穀の収穫を祝う「新嘗祭」、転じて「勤労感謝の日」である。
 帰ると拡大版水泳教室でこの日に合わせて製作の時間が設けられた、父母へのメッセージ入り写真立てがわが子達から、更に妻からは鞄が斎された。
 6月に財布とともに紛失して約五ヶ月、旅にでも出るのかという大振りなバッグをお伴に練り歩いていたが、漸く旧態に復すことになる。
 新しい日々は新しい皮袋ならぬ新しい鞄で。以て銘したい。

11月21日(日) 大波賞  -スポーツ - ゴルフ-

e914.jpg このところ適度な間隔で練習とラウンドの好ペースが続いていたが、久々に幾分クラブと御無沙汰だったので前日に加えて珍しく早乗りして当日朝も撃ちっ放しに勢を出したのが付け焼き刃に過ぎたのだろうか。ドライバーこそ修正の甲斐あったものの、二打目以降がメロメロ。ノロウイルスの疑いで欠員が出てスリーサムとなった上、前のコンペが優雅な足取りで再三待ち呆けとは辛い身の上である。
 しかもアウトのうねうねグリーンに悩まされている内に気力も萎えてきて本年ワースト二着の61とは、このところの巡り合わせが良かっただけで、少し崩れれば実力はこんなものかと頭を抱える。
 しかしながら後半はドライバーの精度が更に上がり、OBかという打球が右サイドが広くて残っていたり、トップしても打ち上げでグリーン近くに届いたりと幸運も甦り、オーラスで叩いたものの今度は今季ベストタイの47とは解らないものである。
 結局はダボ・ペースとは帳尻が合い過ぎだが、四ヶ月振りという友人が嘗ての栄光が嘘の様に冒頭、チョロやシャンクを繰り返していたのを振り返るまでもなく継続は力なりを実感させられた。ただ同時に、プレッシャーの無くなった後半の回復に鑑みれば、余り考え過ぎず気楽に打つのも肝要なのだろう。
 すっかり日も呉れて中国男メンバー出演の公演にも間に合わなかったが、自走のため酔いどれゴルファーにならなかったのも復調の要因かも知れない。
 アイアンを改良して残り少ない本年の総仕上げを目指したい。

11月20日(土) 仏頂面と百面相  -育児 - パパ育児日記。-

e909.jpg たとえ息子達が再訪を望んでも、ウルトラマン倶楽部以外は自らの好奇心を優先して新規開拓を優先してきた父にしては非常にレア・ケースだが、凡そ二ヶ月振りのキッザニア再訪の日がやって来た。
 前回の教訓から約一時間前に到着するも、矢張り既に長蛇の列で真っ先に向かった消防は早々に次回回しのため、先ずALSOKの現金輸送でお茶を濁す。
 次いで漸く待望の消防署だが、丁度父が陸上自衛隊富士学校に体験入隊した際の如く、整列・点呼の演習に続いて火災発生で消防服に身を包み、実際にホースで放水作業に従事するのが人気の秘訣なのだろう。しかし構成は前回の救急救命士が救急車で場内を回遊したのと大差なく、入場前の待機中に短時間ながら迷子と化した祐旭はノリが今ひとつである。
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 更に次回の予約までの埋め草に祐旭は前回公資が扮したガソリンスタンド店員、公資は甲子園では家電修理センターを主宰するエディオンが何故か提供している音楽スタジオでドラム演奏に興じる。四歳のドラマーは確かに絵にはなったが、参加者がギロの女性と二人だけとは些か寂しい。開始早々に休職者が現れるも次回送りとなっており、定員割れの際には少々融通を効かせて一定時間内は中途入場を認めても良いのではないだろうか。
 更に速攻で人気薄の裁判所に赴いたが、公資が裁判官、祐旭が原告代理人でシナリオに沿って読み上げた上で被告代理人の女児とともに判決を議論するとは、裁判員制度啓蒙の匂いが漂う以上に、流石に荷が重かっようだ。前回の警察と同じ建屋だけに刑事裁判の方がまだ解り易かったろう。

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 とここまでなら父に取っても指折り数えたキッザニアもはや二度にして卒業ムードが漂ったが、最後にどんでん返しが待っているのだから人生は解らない。
 ピラメキーノなる子供向け番組は寡聞にして知らなかったが、当初BSフジがスポンサーでニュース製作だったTV局はテレビ東京に交替し「ピラメキッザニア」のネーミングの元に番組内の「ここだけの話しアンケート」とピラメキ体操を再現する構成となっている。
 正直なところ何をするのか不案内なまま父主導でのテレビ局選択だったが、開始前に定められる先着順の配役で、お目当ての司会者が埋まっていた祐旭が「ディレクター」を選択したところから光明が開く。
 せいぜい「5、4、3、2、1」と中途から声を呑んでカウントする程度かと思いきや、カンペを捲り、観客を煽って拍手を要請したりと立派なフロア・ディレクターである。しかも自らの手振りひとつで司会者や出演者を動かせるのがツボにはまったか、踊るが如く単身キュー出しの鍛練に勤しむとは見上げた根性ではないか。
 更には本番が近付くに連れテンションが高まり、小澤征爾ばりの大仰なアクションで、「ディレクターさん、それでは2カメに映って仕舞います」と再三注意されるおまけ付きである。警備でも消防でもノリノリだった公資がパネラー役で少し退屈そうだったのと裏腹にオーラスの大逆転。夫婦揃って観客席で笑いを堪えるのに必至で、父も一転して次回こそはパイロットをと決意を新たにしたのであった。
 なお、祐旭は希望通りディスペンサで現金も引出し稼いだキッゾ紙幣を並べて悦に入っていた。金銭への執着振りも毎年お年玉表を作成し、前年からの増加額を確認するのみならず次年度の予想伸び率まで皮算用していた父譲りかも知れない。

11月18日(木) 閣僚仕分け  -政治・経済 - 政治家-

 閣僚が自らの発言でその椅子を棒に振ったケースは数限りないが、憲法や先の大戦の解釈を巡っての政治的に言質によるものが主流で、純粋な「失言」と看做すべきものは必ずしも多くない。
 例えば仙谷官房長官の自衛隊「暴力装置」も、ウェーバーの解釈からすれば特段突拍子も無い文言ではないが、左翼的出自を持つ氏が国会の場で用いれば全く異なる印象を斎す危険性を弁えていなかったのは迂闊と言わざるを得ない。
 或いは総理自身が自らへの言質に対し「最近は右から左に流れていく」と述べているのも、聞き様によっては批判に耳を傾けないと開き直っているのと同じであって、決して誉められたコメントではない。
 ただこれ等と比較してなお柳田発言は文字通り純粋な「失言」と断ぜざるを得ないのではないか。
 国会審議の軽視という点で「閣僚として予算委に出るのは退屈」と言い放った71年の小林法相のケースに近いが、往時は丁度「黒い霧解散」を乗り切った後、与党多数の安定期を迎える中で、「国連は田舎の信用組合」(西村直己)、「感謝の念を忘れると老人ホームに」(原健三郎)といった今となっては驚くべき直截な発言が相次いでいる時期だった。だから現下も同じく中弛みだとは言わないが、相次ぐ問題発言を見る限り、明らかにタガが緩んでいると捉えられても致し方なかろう。
 勿論、法相としては単なるリップ・サービスの積もりだったろうが、哀しいかな会合の映像を拝察する限り、結果として捨て身の発言になるにも拘わらず、全く受けていないのである。
 笑いも取れず首だけ取られては踏んだり蹴ったり、愈々政権末期の様相を呈してきた。

e908.jpg  華々しく脚光を浴びた事業仕分けも三匹目の鯲となると大分と手垢が付いて来たようである。
 確かに歳出削減に不断の努力を続ける姿勢は多とするべきだし、予算編成過程では細目まで検証出来ないから再仕分けを行うという発想も、些かマッチポンプのきらいは否めないが、実効的ではある。
 ただこの光景には見覚えが、とデジャブのように浮かんだのは自民党の政調部会であった。即ち次々と政務官と担当官僚が登場して苦悶の表情を浮かべながら答弁する、悪く言えば吊し上げの如き姿は、責める側が党所属議員か政府役職の持ち主かの違いこそあれ、同一政党内での攻防である点で同じ構図である。
 長年の政府・与党の二重構造の中ではそれは決して茶番ではなかったが、一元化した筈の現政権が今度は政府内で同じ絵柄を繰り広げるのは奇異ではないか。
 勿論、過渡期におけるやむを得ない措置なのかも知れないが、であればこそ予算には削減余地があることを広く知らしめた公開性という歴史的意義を昇華させるためにも、舞台を国会に移すのは如何だろうか。
 幸い国会にはこれまでひっそりと活動していた決算委員会があり、政府には会計検査院という組織がある。国会審議こそ野党の出番だから、予算編成に携わらなかった勢力を交えての検証は正に真剣勝負たろう。今こそ与野党相携えて新・事業仕分けシステムの構築が必要なのではないか。

11月17日(水) もうひとつの一元化  -育児 - 早期教育・幼児教育-

e907.jpg 必ずしも機能しているとは言い難い「認定こども園」創設から更に一歩進んでの幼保一元化はまたぞろ御破算になりそうな気配である。
 ただ都市部の溢れんばかりの待機児童を眼前に、一方で定員割れも珍しくない幼稚園に保育機能も担わせようとの発想は全うだが、実際にはそれ程簡単な話しではない。
 幼稚園は旧文部省所管たる教育の一環であるから義務教育の前段階に位置付けられる。一方で旧厚生省所管の保育園は主に共稼ぎ世帯の乳幼児に対し、長時間親に替わって保育するのが主眼であるから、必ずしも教育に資するとは限らない。
 実際のところ幼稚園でも延長保育が行われるなど両者の機能はある程度は相互乗り入れされているが、原則午前中という短時間に入学後の授業にスムーズに移行出来るべく、読み書きや簡単な計算など一定の教育を施す幼稚園は、それが故に少人数のクラス編成を基本としている。そこに増員と大幅な時間外対応を求めれば、人件費や給食実施に伴うコスト増のみならず、当然に教育に充てられる時間もマンパワーも分散されるから、幼稚園関係者以前に園児の父兄に取っても迷惑この上なかろう。
 それを専業主婦世帯のエゴと切り捨てるのは容易い。しかしながらそもそも待機児童問題に縁遠い地域においてはわざわざ新制度に移行させる必要性も少ないし、全国一律が望ましいという理屈には端から地域間で実質負担も異なる保育は馴染み難い。
 従って共稼ぎ世帯の更なる増大を前提に保育に重きを置くならば、寧ろ都市部における保育機能の多様化(余力のある幼稚園による受け入れ拡大、保育ママ等非施設型制度の拡充、低所得者の優先入園等)を図るべきであろう。他方、塾等の義務教育外教育の開始年齢の早期化を現実として受け止めるならば、幼稚園・保育園の何れに籍を置いたかによる学力への影響の検証を前提に、寧ろ保育園における教育をどう確立するかというより大きな課題が台頭して来る。
 未就学児に第一に必要なのは教育か保育か、その案配を見出だすことが、先ず大切なのではなかろうか。

 裁判員裁判初の死刑判決にあたり裁判官自らが「控訴を勧めたい」と付言したのには呆れざるを得ない。
 一般人が死刑判決を下す心理負担を少しでも緩和させようと善意を施したのかも知れないが、これでは裁判官当人も裁判員も二審のそれに責任転嫁したようなものである。
 職業裁判官の判決すら惑わせるような裁判員制度は、矢張り英国の様に緩やかに対象を絞って収束させていくべきではないか。
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