コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

6月30日(水) キャプテン

e693.jpg 大きな環境の変化の訪れた平成22年も半年が過ぎた。想えばサラリーマン生活で実質二度目の異動が決まった際には、漠然とこれまでの延長線上に立ち居振舞いがある様な印象を抱いていたが、必ずしもそれは的を射た予感ではなかった。
 直近の二年間が、参謀本部になり切れなかった後方支援部隊の中隊長であったとすれば、今のわが身は気楽な隊付士官、勿論木瀬親方の如く部屋住みに降格させられた訳ではないし、広く連隊に関わる萬引き受け業というポジションは、不惑を越えて新たな職責に草鞋を脱いだ者にとっては必ずしも嘆くべき身の上ではない筈である。
 僅か二年であっても陸軍軍務課長を幾重にも小振りにした様な輜重兵中隊を率いることが出来たのも、出向生活三年の更に前段、ひたすら政策情報の収集にのみ明け暮れた四年間の蓄積があったからこそだとすれば、政治への興味という個人的な趣味性は大いに満たしながら、必ずしも企業ニーズに合致していたのか定かでないインテリジェンス群に触れ続けた往時の日々も、組織を司どる側から見れば些か迂遠な費用対効果だったかも知れないが、教育効果そのものは小さくなかったと言えよう。
 であるとすれば、現下の便利屋生活もまた立派な教育過程と受け入れることは可能であるが、それが何時迄続くのか、見習隊付士官の先に何が待っており、果たして自らはそれを賄うに足り、かつ喜んでそれを受容出来るのかという、そこはかとない疑念を霧消させ切れない。
 煩悩は育ち、惑い続ける厄年である。

 また韓国のスターが自ら命を断った。取り分けネット上を中心に攻撃的な国民性とそれによる重圧が指摘されるが、儚いものである。

6月28日(月) 平凡ポンチ

e684.jpg ポンチ絵という用語は以前から耳にはしていたが、果たしてそれは何かと考えさせられたのは、出向時に取り纏めた勉強会の中間報告の第一稿を議員諸氏に説明したところ、「役所の紙に慣らされている様で悪いけど、ポンチ絵があるといいなあ」との御宣託を承った瞬間だったろうか。
 何処まで一般的なのかは定かではないが、少なくとも役所から送られる正規の提出書類一覧の用紙に、何等解説を付することなく「ポンチ絵」と記載される位だし、携帯電話の辞書にも登録されているからには相当な市民権を得ているということだろう。
 ただ実際に「ポンチ絵」が何を指すのかは必ずしも明確でない。語源を紐解くと「幕末から明治にかけ西洋の風刺画やカリカチュアに倣い描かれたユーモラスな風刺画。19世紀ロンドンで刊行された週刊紙『パンチ』に掲載された戯画に因む」とあるが、これでは随分と印象が異なる。実際には「文章を簡易に解説したA4横書きで最大2~3枚程度の紙」であって、語源との同一性は、往々にして絵や図画を用いて、一目で含意が伝わる様に工夫されている点だろう。
 確かに政策や法案には殆どの場合、冒頭にこのポンチ絵が付されており、非常に解り易いが故に時間に限りがある程この一枚紙で納得した気分になって仕舞う。
 勿論、細部を削ぎ落とし大意を伝えるのが本旨であるが、逆接的に言えば行き着くところ、ポンチ絵と項目のみ記載した「概要」で了解を採っておけば、本文は関係者以外誰も見ないという事態も生じよう。だからポンチ絵に現れなかった部分に意外な事実が盛り込まれていて後から問題になったりするケースもあれば、深読みすれば耳障りな部分は意図的にポンチ絵から落とす戦術を活用することも可能である。
 かく便利かつ融通の効く存在であるからこそ、かく世間に流布したということか。フルーツポンチとは何の関わりもありません。

6月27日(日) 遊園地、冷めてます  -育児 - パパ育児日記。-

e3.jpg このところ公文式の宿題に向かう度に、出来ない、解らないと嘆きの祐旭。確かに学校の授業より一年程度は進んでいるとはいえ教室の中では決してハイレベルには位置しないから解らないという域にはないし、現に落ち着いて取り組めばスラスラ筆が運んでいる。
 公文式は与えられた課題を黙々と解いていく自らとの戦いであるとともに、進捗レベルを争う他者との競争という二面性を持っている。どうやら祐旭は後者への執着が弱いようだが、ピアノの練習に喜々として向かっている姿を見る限り、自ら楽しさを自覚している課題の克服に伴う鍛練に集中する能力には劣っているとは思い難い。
 月曜の朝になると頭痛を訴えるプチ・サザエさん症候群も現れているし、小学生就任という大きな環境変化に慣れる迄の過渡期なのかも知れない。

e682.jpg おかげでお出掛けすべきや否やでひと揉めあったが、結局当初予定通り豊島園を訪れることとした。
 「豊島」園にも拘わらず練馬区に聳えるとはこれ如何にだが、中世の一帯の領主、豊島氏の居城跡地であるから間尺は合っている。更に言えば豊島氏に由来する「豊島」の名は豊島区以外にも旧北豊島郡であった北区に残っているし、旧南豊島郡と東多摩郡の合併した豊多摩=豊玉も環七と目白通りの交差する豊玉陸橋はじめ道路名称に数多くその名を留めている。
 だから「豊島」園とは世が世なら壮大なスケールのネーミングであるが、各種割引券が膨大に配布され、取り分け期限の到来する月末は来場者が増大する傾向こそ伺えるものの、プールの時期はいざ知らず、普段は幾分低年齢層向けの遊園地を超えるものではない。
 しかも幾ばくかスリルやスピードに富んだアトラクションは祐旭の性格から相変わらずお断りなのでで、三度目のミラーハウスはじめ各種メリーゴーラウンドの類ばかりでは些か親の側は飽き気味である。
 子供は押し並べて反復を好む保守主義者であると割り切らざるを得ないのだろう。ジェット・コースターに乗って呉れとせがまれても、それはそれで窮地に陥るのだが。

6月25日(金) 探しものは何ですか

e681.jpg 大手術から回復された方の快気祝いに浦和のお宅を訪問させて戴くが、刺身を頬張りながら焼酎を煽っていたのが運の尽き、次に気が付いたのは朝5時前の自宅付近の路上である。
 して辺りをまさぐっても鞄も財布も跡形もない。若しや一度帰って前後不覚で飛び出したのではないかと一縷の望みを繋いで妻を叩き起こしてわが家に駆け込むが、期待は無残にも裏切られた。茫然自失としながら交番を訪ねて遺失物届を提出するが、そもそも自らの足取りすら定かではないのだから調べの付け様もない。
 最早何等の気力も無かったが、妻の与えて呉れる銀行とカード会社の連絡先に機械的に電話する。なる程遺失届の提出は、最悪不正利用された場合にも保険適用上有利になるとはひとつ知恵が付いたと悠長に構えている余裕のかけらも無いし、次に同様の事態が生じた際の為にこの連絡先を控えておこうというのも些か癪に障る。
 嘗て財布を無くしたのは祐旭が生まれて間もなくだから概ね六年半前になるが、あの時は泥酔はしていたもののタクシーを降りてから落とした記憶が断片的ながら残っており、結果的に現金を除いて一週間後には発見される不幸中の幸いで決着したが、今般は盗難の可能性が高いからまず見付かる筈もあるまい。
 などと思い馳せる脳裏に、父に起こされて仕舞った祐旭の視聴するドラえもんの声が遠くに木霊するひと時に、運転免許取得後程なく友人を訪ねた京都でレンタカー毎田んぼに突っ込み、大破した自動車のカーステレオがBOOWYの楽曲を鳴らし続けていた情景が重なるが、その免許証もまた紛失されていることに気付き愕然とする。
 家の鍵も変えなければならないし、一万ポイント以上残っていたビックカメラのカードや高額な医薬品を換算すれば、被害総額は20万円を下らないだろう。結果的に何時ものパターンで先方には丁重に対応し、宴席終了後駅まで同僚氏に送って貰ったことが判明したが、そこから家までの僅か数分の間に何等かの変調を来たし、突っ伏して仕舞ったのであった。
 紛うことなく自業自得。新しい悩み事が生じて従前の煩悶がそこはかとなく軽減されたが如く感ずるのは、破れた恋を忘れるには新しい恋をというのと異なり、ちっとも嬉しくないものである。

6月23日(水) アンポって何ですか  -政治・経済 - 政治・時事問題-

e677.jpg 70年安保ですら僅か一歳であった私に「アンポ・ハンタイ」のシュプレヒ・コールの波を知る由もないが、改定日米安保条約発効50周年である。
 後代の目から見れば、駐留を継続しながら日本の防衛義務を持たなかった米国にその責務を与える改定は明らかに合理的にしか映らないが、往時とすれば「米帝国主義」による支配を継続させるが如く駐留の固定化に反発心を抱いた国民心理もまた理解は出来る。
 ただ繰り返し引用される、その約一ヶ月前の衆院本会議における批准時の混乱、即ち高齢の清瀬一郎議長がもみくちゃにされながら議長席のマイクを握る姿(並びにそれをボディーガード宜しく擁護する若き日の金丸信氏)を見るにつけ、岸総理が国民の猛反発の中、「声なき声」に耳を傾けると称した先見性には頭を垂れざるを得ない。 だからこそ今国会において連発された強行採決もまた何れ歴史に依る審判が下されようと揶揄する積もりはないが、普天間基地移設問題の再燃により、締約国の一方の最高責任者が日米安保の意義を再認識する事態に陥ろうとは、逆説的に節目を迎えたこの年に相応しい、国民への啓蒙であったのかも知れない。

 株主総会シーズン。ゴーン日産社長の報酬は8億9千万円、実に役員報酬総額の半分以上を占めている。これを従業員に上昇意欲を斎す源泉と見るか、明らかな搾取と見るかは意見の分かれるところだろうが。

6月22日(火) 公約は口に苦し  -政治・経済 - 民主党・菅直人政権-

 菅総理が参院選挙を前に、敢えて消費税上げに言及した英断を称えたい。これは一般消費税を掲げた大平内閣が79年衆院選に敗退して深刻な党内対立を抱え、逆に選挙前には大型間接税導入を否定しながら300議席の力で押し切ろうとした中曽根内閣の挫折という不幸な歴史を清算し、かつ消費税への理解が進展した国民の習熟を信頼した姿であって、「財務省に籠絡」されたと皮肉な物言いを施すのは、採るべき立場ではない。
 勿論、現行でも規定されている社会保障の目的税化を進め、その全てを賄うだけでも、ましてや基礎的財政収支の黒字化には、相当な行政改革、支出の見直しを施しても、最早10%では満たないとの傍証には議論の余地はあろうし、行革による支出削減や資産売却等、増税の前に為すべきことがあるのは論を待たないが、一歩前進には違いない。
 ここで想起されるのは、細川政権の「国民福祉税」である。先に刊行された細川氏の「内訟録」によれば、税制改革については小沢氏、市川進一氏らの与党代表者会議に委ね、最後の段階で首相一任とされたために、所謂「腰だめ」の7%になって仕舞ったことへの恨み節も伺えるが、それは現に竹下内閣がリクルート事件の解明という肉を切らせて消費税という骨を絶った様に、一内閣一仕事の表現に当て嵌まる程に税制改革が国民生活に与える影響の大きい政策決断であり、政治改革という大業を成就させた細川政権にその余力は残されていなかったことを裏付けている。
 ただ同著では政治改革にも勝るとも劣らない程に、細川内閣が慎重に手筈を整えてコメの解放を実現させた様が赤裸々に著されており、対峙する自民党もまた消費税上げを掲げている現況からは、前政権が長年の主張、支持者との関係から容易に脱却出来ない中で異なる政権が政策転換を図るという政権交替の最大の意義こそ薄れてはいよう。それでもなお菅内閣には細川内閣同様の歴史的使命と自認して、所得税の最高税率上げといった経済活性化に逆行する様な手段に訴えることなく、税制の抜本改革に向けた道筋を描いていただきい。

6月21日(月) 保守の矜持  -政治・経済 - 政治・時事問題-

e680.jpg サミットを前に人民元が再び管理フロートに移行し切り上げが始まった。勿論、四年前には一旦ドル・ペッグを解除しながら再び旧態に復していたのだから泰山鳴動するには当たらない。
 しかしながらニクソン・ショックで変動相場への移行、対ドル切り上げを余儀なくされ、ドル救済で円高を容認したプラザ合意というわが国の歩んで来た道程を、より穏便な形で中国もまた歩んでいく端緒たり得るならば、「世界の工場」としてわが国との垂直分散を依存する立場からは輸出競争力の減退は痛し痒しの部分もあろうが、「世界の市場」たる内需拡大、緩やかなバブル経済への移行も必定であろうから、そのおこぼれに肖ることも可能だろう。
 問題はわが国が愚直に為し遂げて来た、或いは為し遂げざるを得なかった世界経済への貢献、機関車論を、中国自身にも理かつ利のあることとして如何に中国政府に容認させ得るかであろう。そのための交渉団、より露悪的に言えば包囲網のために、わが国が何が出来るのかこそ問われていよう。

 こうした事態に対し「保守」政権ならば如何なる反応を示しただろうか。
 盛り上がりに欠ける新党群のうち、必ずしも思想的に近似していなかった筈の新党改革とたちあがれ日本は、何れも菅総理の出自から新内閣=社会主義政権と位置付け、保守の側から攻撃するスタンスを採っている。
 こうした観点からは、何時の間にか新党改革に入党した様な鳩山邦夫氏が「兄は辞任することで自由主義者の矜持を守った」と主張するが如く、総理の交替は批判材料の拡大と看做すことも出来るのかも知れない。
 ただ、思想的には非常に共鳴するものはあるが、保守回帰で対立軸を明確にし、イデオロギー論争を前面に出すのは、ともすれば保守を通り越して、左翼用語の「保守反動」とも捉えかねられないスタンスでニッチな層を狙う欧露の右翼政党と同等の存在に貶められかねない危険性を同居させている。
 或いは、歴史認識のみならず外交、経済政策における民主党政権に内包された自虐性に、保守の矜持として反論をすることこそが歴史的な使命であるとの崇高な理念から導き出される叫びであったとしても、それでは到底、連立与党を過半数割れに追い込む事態への貢献は覚束無かろう。
 「山が動いた」自民党歴史的惨敗の参院選の半年後に行われた平成2年総選挙は、リクルート、消費税、牛肉・オレンジ解放という凡ゆる不利要素をはね除け、自由民主党は政権を維持した。あの選挙が後年付与された「体制選択解散」の呼び名の如く、本当にベルリンの壁に始まる東側諸国の崩壊に対する、資本主義の勝利だったのか、我々はもう一度検証しなければならない。

6月20日(日) お久し振りね  -地域情報 - 東京まちさんぽ-

e676.jpg 妻の携帯電話の機種更新に久々に、嘗てのわが家に程近いPAL商店街を訪れると、昨年来改装中であったうどん店「秀月」の丁度リニューアル・オープンに出くわした。店自体のスペースは幾分減築を図りながら、二階を貸し店舗とする構成だが、何はともあれ目出度いのは立派に再生が為されたことだろう。
何故ならば03年のアーケードの掛け替え以来共益費が急増したとされるPAL商店街では有史以来の、果たしてこれで採算がとれるかと疑わしくなる様な古式ゆかしい店舗が、次々と撤退していく光景が日常茶飯事となっていたからである。
 それでもビレッジ・バンカードの如くに定住者にも一定の福利を斎す小売店や飲食店であればまだしも、携帯電話や古着屋ばかりが増殖しては目も当てられない。だからこそ秀月や現在建て替え中の文房具店・富士屋が意気軒昂であるのは心強い限りだが、一方で今年に入ってからも伊藤陶器店や子供用衣料のふもとやが長年の歴史にピリオドを打っており、予断を許さない。
 勿論、古着屋が増えれば沿線からの集客にも寄与するだろうから、シャッター通り化が憂えられて幾久しい地方商店街に比べれば、状況は遥かに楽観的であろう。実際、自動車会社の禄を食む者としては必ずしも大手を振って賛同はし難いが、都心部においては極論すれば自動車の流入制限を含むモーダルシフトを進めることで、地球環境への貢献のみならず人が道の左右双方にアクセス可能な、商店街の望むべく姿を人為的に増産することも可能であろう。
 しかしながら地域によっては自動車利用の制限は難しいし、幾らまちづくり三法で規制を強化してみても、郊外型大型店舗の進出を排除するのは返って利便性を損ねかねない。ならば大型店と商店街の相乗効果を企図する一方で、中心市街地への居住と商店街の維持には「新しい公共」の力を借りても、再配置によるコンパクト・シティ化を推し進めるべきではないのか。無論、大陸の如く強権的な住居移転は得策ではないし、土地への土着性の強いわが国では言うは易し行うはではあるのだが。

6月19日(土) また会おね  -音楽 - バンド-

e675.jpg 最終回のスコラ演奏曲は嘱望されたファイアークラッカーではなく、生徒たる小学生との即興による共演だったのはYMOらしい肩透かし術だったろう。しかしながら年中行事と化したWorld Happinessへの出演をはじめ、何となく今後の活動継続に期待を持たせる内容だったとの観測は贔屓目に過ぎるだろうか。
 それに引き換えすっかり形を潜めていた我が方、中国男も二年振りにスタジオ入りを果たして漸くの活動再開であるが、ほぼ持ち玉の全てを演奏して手馴れた初期練習曲や一部ベースを弦に配置替えした曲には多少のカタルシスこそあれ、仲々鳩尾湧く湧く感にまで至らない。
 そもそも49鍵のコルグR3/microKorgという持ち運びに利便性の高い二台の持参に集約している時点で、YMOがツアー疲れから一般受けよりも自閉性の高いBGM/テクノデリック路線に移行していった気持ちも少しは解ろうものと言うのは到底烏滸がましい限りである。ただバンドの織り成す「意外性」よりも個々人の演奏の自由度を追及したくなった変遷を我々もまた後追いしており、残念ながらその願望に技量が追い付いていないのであれば、再三繰り返す様に何等かの新機軸を講じなければ根源的な解決は図り難い。
 彼等もまたひと周りした今になって再びバンドに目覚めており、我々もそれに倣うべく人間に依る演奏でなければ得られない何か、を再発掘したい。

 ところで当初19時スタート予定だったスタジオを繰り上げた理由は、何を隠そうサッカーW杯の観戦であった。 惨敗も予想され著しく盛り上がりに欠けた今大会も初戦の勝利で皆俄かに愛国心を取り戻した感があるが、一様に蹴球に関心の薄い顔触れながら、矢張り大人数で焼肉なぞつつきながら半ばBGV的にTVを映していると存外に楽しめる。
 勿論、引き分けに持ち込めそうだったサムライ・ジャパンの善戦故の所産ではあるが、国意発揚への大いなる貢献を以て多としたい。

6月18日(金) スペイス・ポリティクス

e674.jpg 原武史という人物の名を覚えたのは「鉄道ひとつばなし」という新書版の著作であったろう。その時点では文章の旨い鉄っちゃん学者の余技程度の認識に過ぎなかったが、何となくこの名には記憶があると洗い出してみたところ、痔の入院中に読んだ「大正天皇」なる新潮選書の著者であったことに思い当たり、さて面妖なと訝しんだのが発端であった。
 元より私は当該地に嘗て何が存在し、如何なる経緯を経て現代に至ったかを解明し、そこに時代の意味を見出だす「都市変遷評論家」を自称しているが、その独特な土地利用故に鉄道は他の如何なる建造物よりも色濃く都市への刻印を残すが故に、鉄道への強い関心を抱くに至っている。
 だからこそ氏の著作に親しむに連れ都市と政治、皇室という、一見到底結び付きそうにない分野を研究対象とする人物が文壇に存在することに、同項の趣味を持つひとりとして非常に心強い感を強くしたのである。
 しかしながら更に驚いたのは「僕たちの大好きな団地」というムック本の共著者にもまた氏の名前を見受けたことだろう。まだ自家用車を所有していなかった時分、浜田山のゴルフ練習場へと通う道程に愛用していたコミュニティ・バスすぎ丸が周辺を回遊していた阿佐ヶ谷団地の、時空を超えた様な非現代的な佇まいに魅せられていただけに、都市における団地の斎す意義―それは私の感覚からすれば、産業政策としての住宅着工指数ではない、国土の均衡ある発展からの転換の中での住都公団や地方住宅公社の有り様という側面になるが―に関心を高めつつある途上だったからである。 e679.jpg ただこの度文庫化された、氏の団地族だった少年時代を描いた「滝山コミューン1974」を拝読すれば、氏曰く「空間政治学」とは都市文化とイデオロギーの融合が何を斎らしたのかの解明であり、恐らくは権威主義の象徴としての天皇制をもまたそのイデオロギーのひとつとして昇華された帰結が「皇居前広場」というもうひとつの著書に示されているのであろう。それと表裏一体を為す様に、1970年代前半という中央から新左翼の旋風が一段落した時期に、郊外の団地という比較的閉ざされた、かつ均質的な空間に社会主義的思想が親和的であった様を、回想という形で著したのが本作という構造になる。
 であるならば、幸か不幸か大型団地に居住した経験は無いが、幼少時をそれに近似した社宅に過ごした者として、往時には特段激しい感情こそ抱かなかったものの長づるに連れ抑え切れなくなった、例えば食事の後に他者が食べ終わるまで待たなければならないといった儀礼に始まり、研修や教室型講義の退屈さに至るまで、私の集団性への違和感の根源もまたそこにあったと看做すことは容易である。
 しかしながら社会主義が民主主義、平等主義を標榜しながら、同時に内包するそこはかとなく権威主義への盲従の持つ安楽さ、転じて心地好さを組織化のバネとしている立脚点と、その巣窟であった団地やマンモス公立学校という存在が過去の光景へと化しつつある昨今、我々は一方で自由主義という名の過度の個人主義の蔓延る中、集団主義の押し売りとは違った形で「公」への寄与の観念の再構築を求められている。
 管理組合をはじめ集団性の箍を脱し切れないマンション暮らしを捨て、伝統的な木造一戸建てに回帰した私の試みもまたその実験のひとつであると結論付けるのは、些か牽強付会に過ぎるのだけれど。
次のページ

FC2Ad