コラム堀内一三

~粥川善洋の四方山コラム~

2月28日(日) 安い衝撃  -ビジネス - ネットショップ-

e545.jpg 「安いよ安いよ断然安い」のカメラのさくらやのCMがブラウン管を席巻したのは1980年以降なので、この年に東京を離れた私は実際に生で視聴した経験は、12チャンネル系列の放送局でスポンサーが付かなかったのか、本来首都圏限定のCFが全国ネットに載って仕舞った希有なケースを除けば、殆どない。
 にも拘わらず小学校時代の友人とバンド紛いの音楽集団を構成していたために、冗談混じりにこの曲をカバーすることとなり、「あ~あセンセーション」部分のメロディを巡って喧々諤々の論議が繰り広げられた経緯からも、非常に想い出深い。
 おかげで親近感が湧いたのだろうか、家電やPC関係の購入は専らさくらやを愛用していただけに、今般の全店閉鎖には感慨ひと塩である。
既にヤマダ電機傘下に入った時点で青年層の多かった店員構成が明らかに高齢化し、何となく足が遠退きビックカメラに乗り換えたが、今やそのヤマダ電機も経営危機を迎え、基幹店舗はポイントとともに提携するビックカメラに継承されるというのも何かの御縁だろう。
 最終日にはお別れ興行をこの目にしたい誘惑の中、恐らくは人の群らがる喧騒を避け、既に70年代には独立していた「荻窪カメラのさくらや」を訪ねてみた。勿論ここには何等の振幅もなく、余りに小さな店舗に寧ろ驚かされたが、嘗て一斉を風靡した「カメラのさくらや」という量販店が存在した証しとして、末永い健勝を記念したい。

2月26日(金) 窓を閉じれば  -コンピュータ - インターネット-

e543.jpg 日常的に検索エンジンにはグーグルを使用しているが、今週になって会社のPCからアクセスすると頁の保存が表示され画面に辿り着かない状況が続いている。不思議なことに一度エクスプローラを閉じてから開くとアクセス可能でこれまで通り使えるのだが、不便なこと夥しい。
 1月末にも全検索結果に「コンピュータに損害を与える可能性があります」と表示される不具合があったので、すわハッカーによる乗っ取りかと頭を過ったが一切の釈明も見当たらないので、恐らくは企業によるファイアウォールとの親和が何等かのシステム変更に拠り崩れたのだろう。
 やむを得ず今更の様にヤフーやgooに回帰したりもしてみるが、痛感するのは如何に自らのネット閲覧をグーグルに依存していたかである。実際ヤフーの検索結果は微妙に肌合いが異なるし、記事も共同サイトのある朝読経以外が主体で些か偏りが見られ、何ともしっくり来ない。
 ただ逆に言えば大陸方面で「地域」や特定の宗教団体に関する記事が意図的に排除された故事に倣う訳ではないが、普段グーグルにヒットしないサイトやニュースは恰もこの世に存在しない様な錯覚に陥いりかねない環境にあった訳で、こうなるとキーワードを入力するとヒット数の高い項目が自動的に表示されるグーグルの類推機能も、ある一定の与件が与えられているのではないかと戦慄を覚えざるを得ない。
 今のところ地図はmapfan、乗換はヤフーで、幸いyoutubeも余り見ないのでグーグル地獄までには今一歩の余白があるが、何事も「カセン」は禁物という教えか。丁度・振りにトレード大全アドセンスに9000円程振り込まれていたので大きな口は叩けないが。

2月25日(木) GLORIA  -アニメ・コミック - 漫画-

e544.jpg 妻と話していて久々に「東京ラブストーリー」の話題になった。改めて述べる迄もなく同作は平均視聴率23%を数えた、所謂トレンディ・ドラマの嚆矢とも言うべき存在であり、主題歌として270万枚を売り上げた小田和正氏の「ラブストーリーは突然に」とともに今もテレビ史に燦然と輝き続けている。
 ただ私にとっては鈴木保奈美氏の甲高い「カンチ!!」の声よりは、より捉え処の無いキャラクターであった二次元の「赤名リカ」の方が真っ先に想起される。それもその筈で丁度「めぞん一刻」が終焉を迎え、青年誌の雄から更に70年代の少年マガジンの如く社会現象のひとつに至らんとするビックコミック・スピリッツの最盛期に、リアルタイムで毎週の連載に接していた漫画の印象は鮮烈で当然だろう。
 だから勿論夫婦ともども単行本もまた有していたが、改めてYahooオークションで取り寄せ読み耽ってみると、存外にあっさりしたラスト・シーンで拍子抜けして仕舞った。
 確かに改めて想い返すとTV版が満足な視聴率を稼げなかったために記録よりは記憶に残る存在となった、同じく柴門ふみ氏の前作「同・級・生」の方が、大学時代の恋人同士が付いたり離れたりを繰り返しながら最終的には各々の道を歩むというハッピーエンドとは程遠い内容でありながら、大学生になればドラマの様に劇的な恋愛に携わる日がわが身にもまた訪れるのだろうかと煩悶させるに足る仮想現実を抱かせるものだった気がしてくる。
当然かくドラマチックな日々が自らに訪れることはなく、冷静に考えれば斯様に劇的な日常が本当に幸福であるかは議論の分かれるところだろうが、疑似体験の如く夢想するにはよく出来たテキストだったということだろう。それが証拠にそうした感情と縁遠くなる程に馬齢を重ねた今読み返しても何となく甘酸っぱい想いに駆られるのみならず、サークルの月刊誌に寄稿した自らの文章に同作からの引用らしき文言のあったことにも気付かされ、麻生前総理ではないが漫画の持つ磁力の如き力に瞠目した。
 懐古趣味も偶には悪くない。

2月24日(水) パーティーにおいでよ  -政治・経済 - 政治・経済・時事問題-

e542.jpg 世界的に見れば国家の成り立ちからして地域の独立色が強く、特有の政党が当該地域にのみ強大な存在感を放っているケースは少なくない。二大政党制の英国においても、第三党である自由民主党は事実上議席獲得の可能性のある選挙区が限られているという点では、一種の地域政党とも言えなくないだろう。
 勿論、わが国においても米施政下から反政府・反中央勢力として活動する沖縄社会大衆党は今も参議院に議席を維持しているし、新進党解党後に奥田敬和氏の系列県議、市議らが独自に会派を立ち上げた新進石川の様なケースもある。ただ大規模な地域政党が存在しなかったことは国家としての糾合性を示すものであるならば、少なくともこれ迄のわが国の「国土の均衡ある発展」には親和的であったと言えよう。
 そこに降って沸いた様な橋下知事の大阪新党構想である。確かに900万県民の内、横浜・川崎・相模原の三政令指定都市で、過半の570万を数える神奈川県には及ばずとも、府民880万中、大阪・堺両市が350万を占める大阪府では府政は単なる落ち穂拾いに過ぎず、商都大阪の復活に向けたグランド・デザインを描くために"大大阪都"構想を掲げる発想には頷ける部分もあるし、"無党派"知事として強力な知事与党を確保したいとの現実的な思惑もあろう。
 ただ詰まるところわが国で地域政党を掲げるとなれば、先の総選挙前後にも話題となった改革知事連合の類の緩やかな連合体か、或いは郵政選挙大勝前の自由民主党で取り沙汰された都市・地方の分党論的な些か技術論に近い領域に留まらざるを得ないのではないか。それは地域固有の政策要望を訴えると言うよりは、新奇性を演出するためのひとつのキーワードとして「地域」を用いたという域を超えるものではない。
 従って大阪新党も政党として他府県に拡張・伸展するものとは捉えず、知事の新奇な活動への助力を通じ、丁度東京都の外形標準課税や三重の北川前知事に代表されるトップセールス方式が形を変えながら他地域にも浸透していった様に、地域活性化に資するであろう施策を波及させていくための先行的な取り組みのひとつと看做すべきであろう。

 日本経団連は政治献金の斡旋に替わるものとして発表してきた指針、政策評価を廃止するという。93年に平岩会長が旧経団連にとってバーゲニング・パワーの源泉であった斡旋廃止を決定したのが「緊急避難」であったとすれば、紆余曲折を経て現態に復して・年、再度の政権交替を踏まえての今般の決定は如何なる状況判断に基づくものなのか。
 資金は使う側のみならず、拠出する側にも一定の説明責任が求められよう。

2月22日(月) 温故知新

 二並びの日。前例となる平成11年1月1日は何をしていたかと紐解いてみると、成婚後初の正月だけに仲人夫妻宅に挨拶に伺った以外は平凡な一日である。しかしよく考えてみるとこの年は一の六並びもあった筈と11月11日も確認するとこちらは泰旅行からの帰国直後かつ風邪気味で殆ど記述がない。
 存外にあっけない結果ではあったが、こうした過去の動向が判明するのも小マメに行動記録を残していた賜物で、丁度この年から「日誌」執筆を再開し、現在に至っている。読み返す機会は稀だし、コラムの分量が増えるに連れ淡々とした事実関係のみの記述も散見されるが、果たしてあれは何時の日の出来事だったかと検索するには重宝しよう。
e541.jpg  ただ次回、平成33年3月3日には過去を振り返るよりは、日々の活動に専心する環境であって欲しい。

 「来年も会社と非自発的懇親制度が存続していればリベンジに」と述べたボウリングに、部署を違えて出場す。三ゲーム目で漸く調子が出て、中学の頃盛んにボウリング場に通った時分の平均スコア、120に至らんところ残り一フレで時間切れ。ゴルフ同様にパワーよりも確実に真っ直ぐ投げるのが慣用ということは実証出来たか。
 しかし昨年も話題となった、小走りに駆け寄りタイミングを合わせる私の投法が注目を集めていた。詰まるところ助走は必要ない訳で、来年はノーステップで150を目指したい。

2月21日(日) エレクトーンには登れない  -音楽 - 楽器-

e539.jpg 二年も経過すると記憶も忘却の彼方に退くもので、自らのコラムを紐解いてみて、改めて人の感性とは変わらないものだと思い知らされることも少なくない。
 昨年は直前に体調不良でダウンしたため丸二年振りになる祐旭のヤマハの発表会を訪れ、何故エレクトーンは観衆に背を向けて演奏しなければならないのか、恐らくその解は鍵盤とそれに対する指使いを可視化させるためではあろうがと思いを巡らせて過去例を引くと、前回も全く同じ感想を抱いていたことに気付き苦笑する。
e540.jpg が結局幾分早めに出陣して席も確保したにも拘わらず微妙に背中越しでベストショットには程遠い構図に甘んじるとは古の経験が全く活かされていないではないか。考えてみれば自らの若かりし時分の残された写真群も決して正面から捉えず、常に半身の構えばかりだったのだから、少なくとも舞台の上下何方に位置するかは予めリサーチしておくべきであって、保守主義者として全く失格である。
 しかもオーラスの講師陣が誰も足の鍵盤を演奏せず、丸でプリプロに合わせて一部のみ演奏する後期YMOの如しと初めて知覚したかように悦に入っていたら、これも記載済みであった。
 結論、自らの執筆には責任を持ちましょう。

 とは言え祐旭の演奏、唄と踊りは些か練習不足の割に立派だったのではないか。次回は公資も是非デビューさせたい。

2月20日(土) 三宿とSL  -育児 - パパ育児日記。-

e537.jpg 丁度公資の生まれる前後には、まだ幼稚園に入るか入らないかの祐旭と二人で盛んに公園巡りに従事したものである。勿論子供とすれば自らの嗜好に合致した公園に繰り返し訪れるリピーター方式が望ましいのかも知れないが、それでは父の方が飽きるし、だからと言って移動の足は電動自転車しか無かったから、杉並東部から中野駅辺りにかけての一定規模以上の公園は隈無く足を運び、日に寄っては公園の梯子すら厭わなかった日々も懐かしい。
 その折にもう少し対象を拡げて東京西部の特色ある公園はリストアップしてあったのだが、その中でも当時から大袈裟に言えば垂涎の的であったのが、世田谷公園である。何よりも石炭で走るミニSLが大人一周70円で常設提供されているとは如何にも財政豊かな世田谷区らしいが、実際訪れてみると自主管理の強調された立て看板を大書して製作・運営されているプレイパークが著しい異彩を放っているではないか。
e538.jpg 確かに看板文字でこそないもののNPO法人による運営や、手作り感満載の滑り台やロープのアスレチックに加え、廃材で組み立てられた作業小屋の存在は恰も70年代のコミューンが再来した様な、異空間を構成している。
 敢えてこの光景に新左翼、アングラ的な反文明、反進歩主義の香りを感ずるのは―恐らくは補助金等の交付も受けていないだろう心意気が想起されるが―穿ち過ぎのきらいは否めないのかも知れないが、地域のフリーマーケットのメッカでもある様だし、軍施設の存在と公共交通機関のエアポケットたる特異性から嘗ての六本木を小振りにした様なトレンディ・スポットとしても注目された三宿に程近い地に、如何なる経緯でこうした公園が育成されたのか、非常に興味深い。
 機関車が設置されながら改修中の交通広場にスケボー練習用のバンクが設営されつつあったのみならず、プレイパークにも手作りバンクがお目見えしていたのは時代性を表していたが。

 性懲りもなく今回も南北縦断には悩まされ、敢えて環七を避け迂回したにも拘わらず赤堤通りが工事片側通行で大渋滞し、発狂しそうになった。
 好材料を求めれば、にも拘わらず公資が気持ち悪い、頭が痛いと泣き言を言わなかったことか。人は慣れる。

2月19日(金) Ein Deutscher In Tokio  -学校・教育 - 英語・英会話学習-

e535.jpg 幼稚園で人気者だった英語教諭が年度末を待たずにひと足早く退任するという。聞けばわが国では英語の補助教員として採用されていたが、本国の幼稚園教諭の免許を持っていないため就労ビザが延長出来ず、資格取得後に再来日する運びとの手筈らしい。
 確かにまだうら若き氏はイケメン風で保護者陣からの評判も高かったのみならず、お正月プレイデーの際に現認した限りでは、例えばrightとlight、dessertとdesert、或いはnightとknightといった定番の発音上の混同から、青林檎が海を渡ると如何にgreenに化けるかに至るまで、幼児にも辛うじて理解可能な設問を与え続け、驚くべきことに全編英語であるにも拘わらず、茫洋とではあっても園児諸兄も質疑の内容を理解し回答に頭を捻らせているとは頼もしい指導振りである。
 勿論、必ずしも母国語もままならない内に英語教育を始めるのは、コスモポリタンの美名の下に根なし草的な人材を作り上げる危険性もまた否定出来ない。ただ兎角文法に基づく読解力には優れていても、ヒアリングを含めた現実のコミュニケーション手法としての英語力に乏しいとされるわが国教育の弱点のひとつに対し、幼少児から英語に触れることによりアレルギーなく手段として活用出来る素地が築かれるならば、その効用は小さくなかろう。
 外国人労働者の受け入れに未だ大きな壁があり、欧州諸国の経験を踏まえる限り何等かの線引きは必要には違いないが、こうした有意な人材を、単に資格の有無に捕らわれず如何に「高度技能者」として認定していくかたる判断基準の構築は大きな課題ではなかろうか。

2月17日(水) 人は育つか育てるか  -学校・教育 - 教育-

e536.jpg 来し方を振り返ってみると、私はライオンがわが子を千尋の谷に突き落とす様な激烈な教育、指導を受けた経験はない。企業人と化してからも職責柄関わる人々は年配の方が大半で、寧ろ上官に何を委ねるか、非常に失礼な物言いが許されるならば上官の有する資源のどの部分を活用するかと頭を捻ることはあっても、敢えて窮地に追い込まれ、度胸と対応力を実地で学ばせるという手法には幸い遭遇する場面は少なかった。
 上官の側も緩やかな放任主義に基づき、部下は阿吽の呼吸で自らの職責を自ら編み出していく模索状況だったから、非常に美しく表現すれば最良のOJT方式だったとも言える。そして自ら対処の叶わない案件は上官にハンドリングを委ね、如何なる処置が為されたか、背中を見ながら学んでいくのが敢えて分類すれば教育の範疇だったと言えよう。
 ただ面映ゆくありながら申し述べれば、それは非常に物分かりよく、倫理観ある部下であればこその施策であって、何を学ぶべきかという視点と自ら学ぶ意欲との何れかが欠けているのならば、前者に感覚を養わせるためには当たって砕けるであろうシチュエーションが目に見えていても敢えて心を鬼にして当人に処置させることも必要だろうし、後者ならば指揮命令系統を盾に上位下達で下命を下す一方で、その職責の意義を噛み砕いて解説する様な初歩的な意欲惹起策も生じて来ようと、改めて部局を渡り風土慣習の相違の中に思い致す今日この頃である。
 勿論、よくも悪くも人は自らの経験値に基づき、他者へもまた何等かの施しを齎すことしか出来ない―少なくとも保守主義者の立場からはこの観念は自明の理であるし、そもそも自ら貪欲に学ぶ意思のある際には何等の七面倒をも厭わずとも、教育機会の強要には反吐も出尽くす程の嫌悪を抱く私が、何れまた他者の指揮命令系統上の上位に位置する日があったとして人材育成の美名の下に、自らのバックグラウンドに存在しない演出を企図することは出来ないだろう。
 ただ一見ステレオタイプに映る強制的な指導も時には有用な局面もあるとの認識は、心の片隅に置いておきたい。

2月15日(月) 岸部或いは佐野  -日記 - つぶやき-

e533.jpg 恐らくは恵まれた環境故の所産であり、ご本人に悪気はないのだろうが、営利行為に対する根源的な不信感の滲み出る河野太郎氏の言動には総じて賛同し辛い。
 ただ氏のメルマガ「ごまめの歯ぎしり」は偶に貴重な情報が含まれているのみならず、それ自体が政治的な言説として永田町フィールドに流布することもあり、周辺居住者としては押さえておかなければならないひとつである。
 その中で珍しく氏の主張に手を叩いたのが「何故ツィッターに参入しないか」であり、その理由として大きくふたつ、①メルマガやブログに比べ視聴層が少ない、②双方向性を保つには常に他者の呟きをチェックし続けなければならず時間コスト大、を挙げていたのは大いに頷けるところであった。
 氏ご自身はその後あっさり転向されたが、自らも実験的にその世界を覗いてみようかと背中を押されたのは、ひとつにツィッターで坂本龍一、高橋幸宏両氏が漫才の如くやり取りを繰り広げているとの情報に接したからだろう。しかしいざフォローしてみると教授が英語で偶に登場するものの、幸宏氏が一方的に叫んでるに近く、かと言って他に呟きまで追いかけたいと思わせる程愛着のある著名人もいない。
 では自ら何かを呟いてみるかと思案してみても、本コラムの如く「論述」に慣れた思考形態と、広く万旗に話しかけるよりは内輪の内緒話しに流れがちな性癖からして何を呟くべきか判然としないし、そもそも限定140字の呟きに情報価値が生じる程のVIPでもない。いきなりブログの宣伝をしても誰かがフォローして呉れる宛てもないし、仲間が居なければ会話も進まない。
 更には知人とやり取りするとしても、昨今の企業のネットワーク環境からすれば、たとえ情報漏洩には決して当たらぬ純個人的な情報交換であっても迂闊に書き込みも出来ないし、フォローするだけでも憚られる。嘗て九年前、友人の二次会準備に仕事の合間を縫って日中再三メールのやり取りを繰り返した様な自由は何処にもないのである。勿論、ひと度企業の傘に入ればその間は一切職責以外の事象に触れてはならないというのは筋ではあるが、そうした「糊代」の部分が人としての成長を促す要素もあろうし、範を超えなければ事務職には画一的な時間管理でなく自己の裁量に委ねるホワイトカラー・エクザンプション制も、勿論残業支払の軽減もあろうが、かく思想に基づいている筈である。
 さて何方か既にツィッターに参入されている方おられれば効果的な活用法をお教え願えないだろうか。
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